検証実験の結果、予期せぬ感情が芽生えました

「鈴白……」

 切れ切れの息で呼ばれて、ぼくははっとした。
 廊下の真ん中で突っ立ったままではないか。
 何をしているのだろう。

「済まない」

 青ざめながら夢野を支えて、部屋へ急いだ。
 
「……わるいな」
「予防接種は受けてある」
「……そりゃよかった」

 夢野をベッドに寝かせてたら間近で微笑みかけられ、ぼくは慌てて目元をこすった。今さらだが、あまりにも恥ずかしい。
 なぜ泣いたのかを訊ねられたらどうしよう。
 なにか言い訳をひねり出さねば。

「……もしかしてだけど、サボったんだ?」

 必死に記憶から知見を探し出していると、夢野が微笑みながら言った。
 
「……そうだ。連絡が寸前になってしまって済まない」
「もしかして、サボったの初めて?」
「そうだ」
「俺のために?」
「……そうだ」
「金曜にあんな態度取ったのに?」
「それは……体調が悪かったんだろう?」

 とりあえず泣いてしまったことは流してくれたらしい。
 安堵しつつ答えを待っていたら、夢野は力なく微笑んだ。
 喋らせすぎてしまった。
 ぼくははっとして、購入してきたペットボトルを取りに立ち上がった。しかし手を掴まれて引かれ、夢野のベッドに腰を落としてしまう。

「……違うよ。嫉妬してたせい」

 手を強く握られて、ぼくは火がついたみたいに全身が熱くなった。
 嫉妬……とは、なにに対して?
 考えようにも頭が働かない。夢野を見つめるしかできない。
 夢野はくしゃりと笑った。
 
「その反応は、驚いてるってこと?」
「……きみには無縁の感情のように思えていた」
「無縁だったよ。鈴白と仲良くなるまでは」
「それは、いったいどういう……」
「熱が出てきついし、感染症だから自宅にいなきゃいけないのに、鈴白に会いたかった。あんな態度取ったこと、謝りたかった。ごめん」
「あ、謝る必要はない」

 ぼくとしては夢野と以前どおり話せればそれでいい。
 ぼくを疎んでいないと知っただけで十分だ。
 だから謝る必要はまったくないけれど、会いたかったというのはどういう意味なのかが気になる。

「あるよ」
「ない……と思う。友達とはそういうものだろう?」
 
 そうだ。友達だからだ。
 ぼくもいつだって夢野に会いたいと思っている。
 週末が来て欲しくない思うくらい、毎日会っていても足りないくらい夢野に会うことを望んでいる。

「許してくれてありがとう。でも、俺は鈴白にとっての特別でいたいんだ。だからあんな態度を取って不愉快にさせたらって……」

 夢野の言葉にぼくは困惑した。

「不愉快などと微塵も感じていない。それにぼくにとって夢野くんは特別な存在だ」
「それは、友達って意味だろう?」
「そうだ」
「俺のはちょっと違うんだ。おまえにとって唯一の存在でありたい。初めてのことを全部俺で経験して欲しいって思ってる」
「それは現実となっている。ぼくにとっての夢野くんは唯一の存在だし、きみとは初めての経験ばかりしている」
「でも、弁当はつくってもらったことないじゃん」
「えっ……」
「俺の分も含まれていたって言いたいかもしれないけど、そんなんじゃ満足できない……俺にだけつくって欲しかった」
「きみにだけ?」
「まさしく嫉妬だろ?」
 
 ぼくは顔を強張らせるしかできなかった。嫉妬という感情を覚えたことがないからだ。
 ただ、理解しきれないのには他にも理由があった。
 推測に対しての反論が提示されている。
 夢野がぼくに対して望んでいるのは、刈谷たちと親しくなることのはずだ。
 違うような口ぶりに、ぼくは戸惑った。
 
「ゆ、夢野くんが望むならいくらでも用意しよう。登校する日が決まったら連絡してくれ」
「……嬉しいけど、でもそういうことじゃない。ガチでめんどくさいこと言うけど、鈴白に自発的につくって欲しかったんだ」
「自発的も同義だ。きみにだけ弁当をつくるのはぼくの望みでもある」
「……鈴白の望みって?」
「夢野くんと友達になることだ」
「もう叶ってるじゃん」

 叶っている。
 ……そうだ。
 夢野は僕を友達と言い、刈谷たちとの輪に入れてくれて、毎日自宅へ招き、家族の分の食事を一緒につくらせてくれている。
 体調のわるいときでも追い出すことなく、相手をしてくれている。
 だけどまだ満ちていない。
 なぜだか、まだまたもっとと彼を求めている。
 夢野の望みを聞けば近づけるだろうか?
 ぼくに叶えられるかわからなくとも、彼のため力になりたい。そのためならなんでもしたい。

「……夢野くんの望みは?」
「俺?」
「弁当はつくる。他になにかできることはあるだろうか?」
「あるよ。てか、鈴白にしかできない」
「ならば言ってくれ。なんでもする」

 言うと同時に夢野の手がぼくの手に重なった。
 びっくりすると手の力が強くなり、夢野の体温が伝染するかのように熱くなった。
 
「俺だけの鈴白でいて欲しい。友達としてじゃなくって、もっと特別な」

 耳を疑うようなことを言った夢野は、ぼくの手の甲に口づけた。
 ぼくは頭が真っ白になって、なにも考えられなくなった。

「……熱のせいかも。人恋しいっていうか、鈴白が恋しい」

 夢野はぼくの手を胸元に引き寄せて、伸びた腕に頬を擦り付けた。
 甘えられているように感じて、ぼくの体温は夢野に負けず劣らずの温度にまでぐんぐん上昇していく。

「ごめん……さすがに移るよな」

 夢野がぱっと離れて、ぼくは慌てて手を掴んだ。
 この距離だ。夢野の肌と息がぼくに触れている。
 ぼくはここまで夢野に近づきたかった。
 
「予防接種してるから」
「でも、移るかも……じゃなくって友達の距離じゃないよ?」
「……そうだ。だから離れないで欲しい。ぼくも、きみに触れていたい」
「いいの?」

 なにがいいのかわからなかったけど、ぼくは頷いた。
 夢野のしたいことをして欲しい。
 どんなことでもしたいし、おそらくぼくにとって嬉しいことのはずだ。
 
「移ったら、今度は俺が看病しに行くよ」

 夢野は微笑むと、繋いだ手を引いてぼくの唇にそっと触れた。
 それは暖かくも柔らかい、夢野の唇だった。