検証実験の結果、予期せぬ感情が芽生えました

 それから、ぼくは可能な限り夢野のマンションへ通うようになった。
 可能な限りというのは、夢野が友人と遊ぶときは遠慮をしていたからだ。
 ただ、前夜に調べたレシピを挑戦したくなったり、何日か空いてしまったときは、友人と別れたころを見計らってお邪魔させてもらっていた。

「刈谷(かりや)たちとボーリング行くんだけど、鈴白も行かない?」

 一度も頷いたことはないのに、夢野は必ずぼくを誘ってくる。

「ぼくはいい。ただ、終わったらお邪魔してもいいか?」
「いいけど……一緒のほうが楽じゃない?」
「……用事があるんだ。今日は、たまたま……」

 夢野は「そっか」と笑みで答えて、クラスメイトたちのほうへ戻っていった。
 いいのだろうか。
 ぼくは少し不安になった。
 夢野と日々過ごしている目的は、友人をつくるためだ。
 理論の実証は、日増しに成功へ近づいていると言えるだろう。
 ここ最近は夢野の弟たちと話すようになった。
 勉強を教えて欲しいと言われ、応えてやるうちに雑談をするようになっていた。
 自分の復習にはならないし、視野が広がるわけでもない。
 ただ、新たな気づきはあった。
 喜びだ。
 夢野の言っていたとおりだった。
 ぼくのお陰でテストの結果がよかったと聞くと嬉しい気持ちになった。

 夢野の言葉はいつだって正しい。
 ならば、彼の誘いに乗るべきかもしれない。
 ぼくは考え、その仮説に行き着いたとき、検証してみるべきだと腹を決めた。
 いかに気が進まずとも。
 
「……待ってくれ。やっぱり、ぼくも行く」

 ぼくは夢野を追いかけて、ボーリングへ参加する旨を告げた。
 刈谷たちはどっと騒ぎ出し、口笛なんぞを吹いて歓迎してくれた。

「鈴白と喋ってみたかったんだよね」
「今度勉強教えて?」
「航樹と料理してるんだろ? 鈴白のは大好評だとか」
「食ってみてえ〜」

 ボーリングへ向かう道中にもひっきりなしに声をかけられ、ぼくは困惑しきりだった。
 どうにか答えるも、ぎくしゃくとして正解を導き出せたのかがわからない。
 夢野に聞こうにも、ほとんど話せず無理だった。
 顔を見る余裕すらなく、検証するにも気がそぞろだった。
 結局ぼくは刈谷たちと別れる時間を待ち遠しく感じていただけだった。

「楽しかった?」

 スーパーで夢野とふたりきりとなり、ようやくほっとできた。
 無理せずとも自然と笑みが浮かぶ。

「ああ。力学の検証ができた」

 答えると夢野もにやっと口元を緩めた。肯定して正解だったようだ。
 
「じゃ、次はカラオケでも行く? どう?」
「刈谷くんたちと行くのか?」
「……鈴白がよければだけど」

 夢野の笑みが曇った。窺うようなこんな表情は見たことがない。
 夢野らしくないと思えて、して欲しくないと強く感じた。

「ぼくは構わない。彼らと慣れていきたいと思う」
「ガチで?」

 確信しているわけではないが、夢野の望んでいることのはずだ。
 じゃなかったら笑みが曇った理由に説明がつかない。
 楽しかったかどうかを気にかけてくれているのだし、何度も誘ってくれていた。
 間違いなく、夢野はぼくと彼らの仲が深まるのを望んでいる。

「本気だ」
「……わかった。てことで、今日の料理に取り掛かろっか。メニューはどうする?」
「今日の特売は?」
「ひき肉が安いね。あとエビも」
「ならば麻婆豆腐とエビチリというのはどうだ? 他にぼくとしては卵スープにも挑戦してみたい」
「ああ、前回ダマになっちゃったから?」
「そうだ」
「じゃ、卵も買っていこ」

 夢野は嬉しそうだ。
 いつも以上にも思える。
 やはり誘いに乗って正解だった。
 正直なところ夢野以外と話すのは気後れするが、関わる相手のサンプルは多いにこしたことはない。
 様々な刺激を受けることが可能なうえ、社会性を学べるとも資料にあった。
 ぼくはボーリングでのミスを挽回すべく、気合いを入れ直した。
 
「おはよう。刈谷くん、以前授業で『万葉集』に興味を抱いていただろう?」
「は? マンヨーシューってなんだっけ?」

 文庫本を差し出してみたけれど、受け取ってもらえなかった。
 夢野には成功した事例だが、全員に適応できるとは限らないようだ。
 その後ボーリングへ行ったメンバー全員に試したが、みな狩野と同じような反応だった。
 であれば別の方法を模索しなければならない。
 ぼくは心理学から人文学、はてはコラムや現代社会の記事まで、会話の参考になりそうなものを片っ端から集めてマニュアルを作成した。

「……なのに、いまいち上手くいかないって?」

 成功率は四割といったところだった。
 打率を上げたい。なにが不適切なのかひとりだけでは答えを出せなかったため、ぼくは夢野に頼った。

「会話が二往復する確立は二割弱だ」
「……それは低いね。どんな話をするの?」
「彼らを観察して得た情報から、興味を惹かれたように感じられたトピックについて解説した」
「……観察って、もしかして授業中?」
「そうだ」

 夢野は困ったように眉尻を下げた。

「……興味のあるものを知りたい場合は、観察するより直接聞いたほうがいいよ。会話が進む」
「なるほど。心理学的にも人は自分について他人に話すのを好むとある」
「かもしれないな。相手について質問をすると、自分に興味を持ってくれてるのかなって嬉しくなるし」

 さすがは夢野だ。
 ぼくは夢野からの助言もマニュアルに付記し、実践しながら行き詰まると夢野に相談するというのを繰り返した。
 夢野は迷惑そうな顔ひとつせず、どんな相談にも乗ってくれた。

「夢野くん、聞いて欲しい。刈谷くんたちから勉強を教えて欲しいと言われたんだ」
「ガチで? いいな。俺も教えて欲しい」
「きみに?」
「弟たちには教えるじゃん? ズルいって思ってたんだけど、鈴白はひとりで勉強するほうがいいって言うし、頼むのもわるいかなって」
「そんなことはない……実行に移す前は否定したが、経験してわかった。夢野くんの言うとおりだった。復習になるし、視野も広がっている……ように思う。だから教えることに不満はない」

 夢野は目を丸くし、くしゃりとした笑みを浮かべた。

「鈴白のためになっているならよかった。俺はろくに本も読まないし、頭も悪いから、鈴白に悪く影響していたらどうしようって思ってた」
「とんでもない。夢野くんはいつも正しい。きみに教えられてばかりだ。きみと友達になれてよかった。心から感謝している」

 夢野に感謝を伝えたかった。
 言ったそばから恥ずかしくなり後悔したが、夢野はこれまでに一度も見たことのない笑みを浮かべた。
 ただ、見たことはなくとも、そこに含まれている感情は読み取れた。
 ぼくが今感じているものと同じだ。
 多くは気恥ずかしさで、でも喜びが胸のうちにあり、隠しきれずに表へ出てきたといった印象を受けた。

「俺も鈴白にはたくさん感謝してる。いつもありがとう」
 
 礼には及ばない。すでにたくさんもらっている。
 夢野の笑みは、どれほどの労力や時間をかけてもいいと思えるくらい、ぼくの胸を暖かくしてくれるのだ。

 もっともっと、彼の力になりたい。
 暖かな感情を、彼に返したい。
 ならば、すべきことはひとつだ。
 刈谷たちともっと親しくなるべきだろう。
 夢野はぼくにそれを望んでいるのだから。