「大した理由じゃないよ。夕食をつくるってだけ。両親の帰りがふたりとも遅いんだ。帰ってきてつくってくれるんだけど、待てなくて。コンビニ飯も飽きちゃったし、だったら俺がつくろうかなって」
夢野は四人兄弟の長男なのだという。
間食用のお金を材料費にあてて夕食をつくったら好評で、今では家族分の夕食づくりが習慣となっているらしい。
「受験が終わってからだから、かれこれ一年半くらいかな? 失敗することも多いけど、成功すると嬉しくって」
夢野は慣れた様子でスーパーへと入り、カートを押しながら食材を順に見ていく。
「ぼくにはとても真似できない」
「慣れだよ、慣れ。あ、ピーマンが安いなあ。青椒肉絲にしようかな」
「そんなものまでつくれるのか?」
「ああ。一度で大量につくれるやつが多い。カレーや肉じゃが、それにシチューとか」
「なるほど。しかし青椒肉絲にするとして、副菜はなにに?」
「つくるのは一品だけだよ。とりあえず色んな具材が入っていればいいみたいな。あとは味噌汁くらいかな」
腹を満たす目的であれば十分とは言えるが、栄養面ではいまひとつだ。昼食はコンビニの食事が多いという話だから、なおのこと夕食でバランスを取らねばならない。
「であれば、味噌汁に野菜をたっぷり入れてみてはどうだ?」
「たっぷり……ってどれくらい?」
「キャベツや人参、じゃがいもにオクラ、きのこ類やほうれん草など、なんでもアリだ」
父が野菜嫌いなせいで、家の味噌汁は具だくさんだった。副菜を食べてくれない父のため、母は味噌汁で豊富な栄養素をと考えたらしい。
「いいアイデアだな。思いつきたかった」
柔和に微笑んだ夢野は、肉売り場から野菜のほうへと戻り始めた。
「手間を増やしてしまうだろうか?」
「そんなことないよ。切るだけだし。てか、手伝ってくれるんだろ?」
驚いて、ぼくは足を止めた。
手伝うとは、ぼくも調理をするということだろうか。
「ごめん。時間があるって言うから、家に来てくれるのかなって」
夢野は申し訳なさそうな顔で言った。
違う。彼は誤解している。
ぼくが硬直したのは驚いたからだが、感情としては喜びが大半だ。
調理に不安はあれど、夢野ともっと一緒にいられるなら、挑戦してみたい。
「行く。手伝うよ……そのつもりだった」
言い添えた言葉で、夢野は破顔した。
この顔が見たかった。
夢野の笑顔は、胸を高揚させる。そしてもっと見たいという欲をかきたてられる。一度覚えてしまったが最後、二度と味わえないなんて不幸だと思えるほどに。
「じゃ、とっとと買い物を済まそう」
ぼくは安堵し、カートを押す夢野の後を追った。
スーパーへ来たのは何年ぶりだろう。小学校低学年のとき以来かもしれない。
久方ぶりの体験に、次々と気になることや疑問が湧いてきて、ぼくは夢野に質問を浴びせまくった。そのたびに夢野は丁寧に答えてくれた。
金額を計算していくというので、ぼくが請け負うと夢野は喜んでくれた。
そういったすべてが新鮮で、興味深いことの連続だった。
「言っとくけど男ばかりの兄弟だから片付いてないよ」
夢野の自宅はスーパーのある駅から歩いて十分程度のマンションだった。外壁は一度塗り替えられている形跡があり、中はリフォームされているようだった。
六人家族が住むのに十分と言えないまでも、マンションという形態にしては広いように思える。
部屋は兄弟ふたりずつにあてがわれているそうで、説明しながら夢野は苦笑した。
「せいぜい小学生までだよな? この年じゃきついよ」
「確かに勉強や読書の際、そばに他人の気配があるというのは集中力を削ぐからな」
ぼくらはキッチンにいて、並んで下ごしらえをしていた。
ぼくはピーマンの種取りを請け負った。授業で実習した経験があり、習わずとも可能だと判断したのだ。
「それもそうだし、最近裕貴に彼女ができて気まずいんだよね」
裕貴とは、夢野と同室の弟で、ふたつ下の中学三年生だという。
「彼女とは恋人のことだよな? 受験に差し障りはないのか?」
「ないみたい。彼女と同じ高校に行くから、今の偏差値で十分なんだって。彼女のほうが必死で、毎日図書館行っては家に来て勉強して過ごしていくんだよ」
「ふたりで勉強?」
ぼくは信じられず、手を止めてしまいそうになった。
勉強とはひとりで行うものだ。ふたりでは効率が下がる。片方が教えるのに専念すると言っても、自分の学びがおろそかになるではないか。
「信じられないって顔してるね。でもさ、人に教えるって自分も復習になるし、視野が広がったり、意外なことを学べたりするんだよ?」
「……ぼくには真似できない」
ぼくはとうとう手を止めてしまった。
夢野の言い分がまったく理解できない。疑問が浮かぶと解決するまで落ち着かなくなる。だからと宙を見つめて考えにふけっていたら、「代わろうか?」と聞かれた。
はっと夢野を見ると、豚肉の下ごしらえを終えていた。さすがの手際のよさだ。
感心すると同時に、恥ずかしくなった。
手伝うと言いながら足を引っ張っている。
「いや、ぼくがやる。あと少しだ」
「うん。じゃ、俺は味噌汁つくってるね」
夢野は今度じゃがいもの皮を剥き始めた。
ぼくは集中しようにも焦って上手く進まない。
それでもどうにかピーマンの種を取り終えて、今度は細切りに取り掛かった。しかし、思っていた以上に身が硬く、時間がかかってしまう。
「ふたつ重ねると効率よくいくよ?」
リズミカルに人参の面取りをしていた夢野が言った。
「……なるほど」
納得したが、夢野の進み具合いを目にしてますます気分が沈んできた。
手伝わないほうが早く済んだのではないか。
種が散らばっているせいで、切り終えたあとに洗い流さなければならず、時間がかかっている。
取り掛かる前に一度まな板を綺麗にすればよかった。考えもしなかった。一度手順を頭に入れてからにすればよかった。
次々と後悔が押し寄せてきてどうしようもない。
「すご! めちゃくちゃ細く切ってくれたね。ありがとう」
ぼくが切り終えた頃には、なんと夢野は味噌汁の具材をすべて切り終えていた。体たらく極まりない。
「食材の幅は均等にすべきと読んだ覚えがある」
「それでタケノコと同じサイズにしたの? そんなこと考えたことなかったなあ」
夢野は感心してくれたが、結果としてはピーマンのほうがだいぶ細かった。
次は練習してからにしよう。母さんの手際を見て、ネットでレシピをチェックしてこよう。
そう決意した自分にはたと驚いた。
次があるのだろうか?
夢野に迷惑がられてしまっては、次なんてない可能性が高い。
「他にやることはないか?」
「えっ……そうだな……洗い物かな? お米研ぎ忘れてたから、シンクを空けないと」
「わかった。洗い物をして、米を研ぐんだな」
「やってくれるの?」
「できる。やらせてくれ」
助けになれば、また誘ってくれるかもしれない。
夢野ともっと一緒の時間を過ごしたい。
ぼくは強く湧き上がったその願いのため、洗い物に意識を集中させた。
夢野は四人兄弟の長男なのだという。
間食用のお金を材料費にあてて夕食をつくったら好評で、今では家族分の夕食づくりが習慣となっているらしい。
「受験が終わってからだから、かれこれ一年半くらいかな? 失敗することも多いけど、成功すると嬉しくって」
夢野は慣れた様子でスーパーへと入り、カートを押しながら食材を順に見ていく。
「ぼくにはとても真似できない」
「慣れだよ、慣れ。あ、ピーマンが安いなあ。青椒肉絲にしようかな」
「そんなものまでつくれるのか?」
「ああ。一度で大量につくれるやつが多い。カレーや肉じゃが、それにシチューとか」
「なるほど。しかし青椒肉絲にするとして、副菜はなにに?」
「つくるのは一品だけだよ。とりあえず色んな具材が入っていればいいみたいな。あとは味噌汁くらいかな」
腹を満たす目的であれば十分とは言えるが、栄養面ではいまひとつだ。昼食はコンビニの食事が多いという話だから、なおのこと夕食でバランスを取らねばならない。
「であれば、味噌汁に野菜をたっぷり入れてみてはどうだ?」
「たっぷり……ってどれくらい?」
「キャベツや人参、じゃがいもにオクラ、きのこ類やほうれん草など、なんでもアリだ」
父が野菜嫌いなせいで、家の味噌汁は具だくさんだった。副菜を食べてくれない父のため、母は味噌汁で豊富な栄養素をと考えたらしい。
「いいアイデアだな。思いつきたかった」
柔和に微笑んだ夢野は、肉売り場から野菜のほうへと戻り始めた。
「手間を増やしてしまうだろうか?」
「そんなことないよ。切るだけだし。てか、手伝ってくれるんだろ?」
驚いて、ぼくは足を止めた。
手伝うとは、ぼくも調理をするということだろうか。
「ごめん。時間があるって言うから、家に来てくれるのかなって」
夢野は申し訳なさそうな顔で言った。
違う。彼は誤解している。
ぼくが硬直したのは驚いたからだが、感情としては喜びが大半だ。
調理に不安はあれど、夢野ともっと一緒にいられるなら、挑戦してみたい。
「行く。手伝うよ……そのつもりだった」
言い添えた言葉で、夢野は破顔した。
この顔が見たかった。
夢野の笑顔は、胸を高揚させる。そしてもっと見たいという欲をかきたてられる。一度覚えてしまったが最後、二度と味わえないなんて不幸だと思えるほどに。
「じゃ、とっとと買い物を済まそう」
ぼくは安堵し、カートを押す夢野の後を追った。
スーパーへ来たのは何年ぶりだろう。小学校低学年のとき以来かもしれない。
久方ぶりの体験に、次々と気になることや疑問が湧いてきて、ぼくは夢野に質問を浴びせまくった。そのたびに夢野は丁寧に答えてくれた。
金額を計算していくというので、ぼくが請け負うと夢野は喜んでくれた。
そういったすべてが新鮮で、興味深いことの連続だった。
「言っとくけど男ばかりの兄弟だから片付いてないよ」
夢野の自宅はスーパーのある駅から歩いて十分程度のマンションだった。外壁は一度塗り替えられている形跡があり、中はリフォームされているようだった。
六人家族が住むのに十分と言えないまでも、マンションという形態にしては広いように思える。
部屋は兄弟ふたりずつにあてがわれているそうで、説明しながら夢野は苦笑した。
「せいぜい小学生までだよな? この年じゃきついよ」
「確かに勉強や読書の際、そばに他人の気配があるというのは集中力を削ぐからな」
ぼくらはキッチンにいて、並んで下ごしらえをしていた。
ぼくはピーマンの種取りを請け負った。授業で実習した経験があり、習わずとも可能だと判断したのだ。
「それもそうだし、最近裕貴に彼女ができて気まずいんだよね」
裕貴とは、夢野と同室の弟で、ふたつ下の中学三年生だという。
「彼女とは恋人のことだよな? 受験に差し障りはないのか?」
「ないみたい。彼女と同じ高校に行くから、今の偏差値で十分なんだって。彼女のほうが必死で、毎日図書館行っては家に来て勉強して過ごしていくんだよ」
「ふたりで勉強?」
ぼくは信じられず、手を止めてしまいそうになった。
勉強とはひとりで行うものだ。ふたりでは効率が下がる。片方が教えるのに専念すると言っても、自分の学びがおろそかになるではないか。
「信じられないって顔してるね。でもさ、人に教えるって自分も復習になるし、視野が広がったり、意外なことを学べたりするんだよ?」
「……ぼくには真似できない」
ぼくはとうとう手を止めてしまった。
夢野の言い分がまったく理解できない。疑問が浮かぶと解決するまで落ち着かなくなる。だからと宙を見つめて考えにふけっていたら、「代わろうか?」と聞かれた。
はっと夢野を見ると、豚肉の下ごしらえを終えていた。さすがの手際のよさだ。
感心すると同時に、恥ずかしくなった。
手伝うと言いながら足を引っ張っている。
「いや、ぼくがやる。あと少しだ」
「うん。じゃ、俺は味噌汁つくってるね」
夢野は今度じゃがいもの皮を剥き始めた。
ぼくは集中しようにも焦って上手く進まない。
それでもどうにかピーマンの種を取り終えて、今度は細切りに取り掛かった。しかし、思っていた以上に身が硬く、時間がかかってしまう。
「ふたつ重ねると効率よくいくよ?」
リズミカルに人参の面取りをしていた夢野が言った。
「……なるほど」
納得したが、夢野の進み具合いを目にしてますます気分が沈んできた。
手伝わないほうが早く済んだのではないか。
種が散らばっているせいで、切り終えたあとに洗い流さなければならず、時間がかかっている。
取り掛かる前に一度まな板を綺麗にすればよかった。考えもしなかった。一度手順を頭に入れてからにすればよかった。
次々と後悔が押し寄せてきてどうしようもない。
「すご! めちゃくちゃ細く切ってくれたね。ありがとう」
ぼくが切り終えた頃には、なんと夢野は味噌汁の具材をすべて切り終えていた。体たらく極まりない。
「食材の幅は均等にすべきと読んだ覚えがある」
「それでタケノコと同じサイズにしたの? そんなこと考えたことなかったなあ」
夢野は感心してくれたが、結果としてはピーマンのほうがだいぶ細かった。
次は練習してからにしよう。母さんの手際を見て、ネットでレシピをチェックしてこよう。
そう決意した自分にはたと驚いた。
次があるのだろうか?
夢野に迷惑がられてしまっては、次なんてない可能性が高い。
「他にやることはないか?」
「えっ……そうだな……洗い物かな? お米研ぎ忘れてたから、シンクを空けないと」
「わかった。洗い物をして、米を研ぐんだな」
「やってくれるの?」
「できる。やらせてくれ」
助けになれば、また誘ってくれるかもしれない。
夢野ともっと一緒の時間を過ごしたい。
ぼくは強く湧き上がったその願いのため、洗い物に意識を集中させた。



