放課後になった。
普段なら、教師が教室を後にすると同時に図書館か昇降口へ向かう。
しかし、今日はためらわれた。
夢野に声をかけた初日であり、休み時間には何冊もの人文書に目を通した。
その成果を試してみたくてウズウズしていた。彼——夢野に。
夢野は今クラスメイトたちと喋っている。六人とだ。
部活動はしていないようだから、おそらく彼らと放課後を過ごすのだろう。
夢野と友人関係を構築していくのであれば、あの輪にぼくも加わる積極性を見せるべきだろう。
可能だろうか。
注意深く見つめていたら、どっと笑い声をあげた夢野がこちらを向いた。そして、おや?というように首を傾げた。
ぼくに感心を示している。今がチャンスだ。
ぼくは立ち上がった。そのとき、夢野も同時に立ち上がった。
ぼくは驚き、一瞬の躊躇でタイミングがずれた。夢野がぼくのほうへ向かってくるのを眺めていたら、動き出す前に彼がやってきた。
「鈴白さ、今日予定ある?」
「きょ……は、ない」
思ってもみなかった問いをされ、声が上擦ってしまった。
恥ずかしい。
耳まで赤くなるのが自分でもわかった。
他人と関わるというのは、こんなふうに恥をかくから嫌なんだ。
「じゃ遊ばない? ちょっとしか時間ないけど」
微笑みかけてくれた夢野を見て、ぼくはぽかんとした。
願ってもない誘いだ。
「行く」
夢野を選んで正解だった。推察どおり、他者への共感力と行動力が凄まじい。
ぼくは夢野を称えつつ、ふたりで教室を出た。ふたり……でいいのだろうか?
「彼らは?」
「ん、いいよ。大勢だと緊張するっしょ?」
夢野は六人分の「俺も行く」という惜しむ声に対して、「今日は俺らだけの予定だったんだ」などと返していた。
書籍には、一般の高校生男子は集団で下校し、そのままファミリーレストランやファストフード店、もしくはカラオケ等の娯楽施設で数時間過ごすとあった。
「ぼくは大勢でも構わないが……」
「そっか。だったら、次はあいつらも誘うよ」
夢野は微笑んで、まずは駅へ向かおうと提案してきた。
気安い笑みで、どちらでもいいと本気で思っているように見受けられた。
ぼくは肩の強張りを解いた。
笑みというのは人を安心させる効果があるらしい。
「もしかしてだけど、笑ってる?」
駅へ到着したとき、夢野が丸くした目を向けてきた。
「……友人といるときは笑顔のほうがいいんだろう?」
「それはあれじゃん? 因果関係が逆っていうか、笑顔って楽しいときに自然となるものだよ」
ということは、夢野はぼくといるのが楽しいのだろうか?
どこにそういった要素があったのか考えねばならない。
僕が訝しんだときだ。夢野はくすっと笑い声をたてた。
「だったら、楽しいって思えそうなところ行こ。鈴白ってゲームとかする?」
「しない」
「だろうなー……でも興味はある?」
「どういったものかまったくわからない」
「じゃ、試してみよ」
夢野は友人とよく行くというゲームセンターへ連れて行ってくれた。
耳を塞ぎたくなるほどうるさい。人が多く匂いも独特で、ぼくはすぐ回れ右をしたくなった。
しかし、夢野の気遣いを無下にしたくない。
書籍にも互いに思いやるべきだと書かれてあった。
だから夢野の促す先へついていき、これはどうかあれはどうだなどいう、筐体に対する説明に耳を傾けた。
「やってみる?」
「ものは試しだ」
ぼくはぬいぐるみをアームで釣り上げるというゲームに挑戦した。
千円を浪費してもなんら手応えがなかった。
アームの力が弱すぎる。詐欺を疑うも、だとしたら商売にはならない。
どうにか方法はあるはず——。
「鈴白、ちいかわ好き?」
頭をひねっていたところ、夢野が手のひらサイズのぬいぐるみを持って現れた。
「まさか、取ったのか?」
「へへっ。意外に得意なんだ。あげるよ」
「ぼくに?」
「嫌いじゃなければ」
差し出されたため、受け取った。見たこともない動物だ。動物だと思う。人ではないだろう。
「しろくまか?」
「ちいかわだよ。知らないとか天然記念物だな。でも、鈴白っぽい気がする」
夢野はぼくに対してクラスメイトと同等の態度を取っているよう無受けられる。
気負いは感じられないし、バカにしている風もない。無論、同情心など皆無だ。
教師から稀に感じ取るそういった憐れみや、自己中心的な態度にはうんざりさせられていた。
「ゲーセンはいまいちだったみたいだな」
店を出てコンビニに寄った。
店内が乾燥していたのと気疲れで喉がカラカラだった。
「そんなことはない。楽しかった」
僕は笑みを浮かべてみた。精いっぱい、夢野の真似をした。
「友達ってのは、嘘ついていちゃ成り立たないんだぞ。てか見破れるし。次こそ夢野が楽しめるところ考えておくわ。カラオケとかどう? 歌うの好き?」
「歌……」
「だめっぽいな」
夢野の顔がくしゃりとする。この笑みは真似できない。なんとも自然で、本心からだと感じられる、場の空気が暖かくなるような笑みだ。
この笑顔をもっと見たい。
「だめじゃない。夢野が行きたいのなら行きたい」
「……行ったことない?」
「ない」
「じゃ、試してみようか。いつが空いてる?」
「ぼくはいつでも空いている……今からでもいい」
まだ五時を回っていなかった。カラオケのシステムは未知だが、一時間程度で済むと推測はできる。
書籍にも、カラオケを終えたあとに夕食をともにすると書かれてあった。
「ごめん。今日は俺がタイムリミットなんだ」
「なにか、用事でも?」
「用事っていうか、スーパーに寄って行かなきゃなんだ。今日は冷蔵庫が空っぽで」
まるで義務のような物言いに、ぼくは面食らった。
誰でもスーパーへは寄るだろう。しかし、夢野は家族のためというような口ぶりだった。
理由を知りたい。しかし、踏み込んでいいものか。
これまでは他者に質問しては、そのたびに嫌な顔をされてきた。
夢野がそんな反応をするとは想像できないが、されたら気持ちが塞いでしまいそうだ。
検証を続けることが可能かどうか、そう不安になるくらい、怖い。
「嘘じゃないよ?」
考え込んでいたら、夢野から覗き込まれてびくっとしてしまった。
「友達に嘘はつかない。ほんとだよ」
表情は穏やかだ。
だったら、聞いてみてもいいだろうか。書籍にはなんて書いてあっただろう。参照しようにも集中できない。
どうしよう。どうしよう。
ぼくは迷い、夢野の屈託ない表情に勇気づけられて決意を固めた。
「……理由を聞いていいだろうか? よければだが、『存在と時間』が未完に終わってしまった謎くらいは気になる」
ぼくの言葉に、夢野は吹き出した。そしてなんともいえぬ魅力的な笑みになった。こんな目で見つめられた経験は一度としてない。
両親からもない。
いったいどういった意味が含まれているのだろう。
「じゃ、一緒に来て。スーパーに行きがてら話すよ」
ぼくは二度頷いた。一度だけじゃ軽く思われるかもと思って不安だった。
相手を知るというのは、友人として大切な一歩だ。
書籍にも書かれてあったし、理屈として納得できる。
ぼくの本心としても、夢野とまだ離れがたい思いがあった。
さらには誘われて自然と笑みになるくらい、嬉しくも感じていた。
普段なら、教師が教室を後にすると同時に図書館か昇降口へ向かう。
しかし、今日はためらわれた。
夢野に声をかけた初日であり、休み時間には何冊もの人文書に目を通した。
その成果を試してみたくてウズウズしていた。彼——夢野に。
夢野は今クラスメイトたちと喋っている。六人とだ。
部活動はしていないようだから、おそらく彼らと放課後を過ごすのだろう。
夢野と友人関係を構築していくのであれば、あの輪にぼくも加わる積極性を見せるべきだろう。
可能だろうか。
注意深く見つめていたら、どっと笑い声をあげた夢野がこちらを向いた。そして、おや?というように首を傾げた。
ぼくに感心を示している。今がチャンスだ。
ぼくは立ち上がった。そのとき、夢野も同時に立ち上がった。
ぼくは驚き、一瞬の躊躇でタイミングがずれた。夢野がぼくのほうへ向かってくるのを眺めていたら、動き出す前に彼がやってきた。
「鈴白さ、今日予定ある?」
「きょ……は、ない」
思ってもみなかった問いをされ、声が上擦ってしまった。
恥ずかしい。
耳まで赤くなるのが自分でもわかった。
他人と関わるというのは、こんなふうに恥をかくから嫌なんだ。
「じゃ遊ばない? ちょっとしか時間ないけど」
微笑みかけてくれた夢野を見て、ぼくはぽかんとした。
願ってもない誘いだ。
「行く」
夢野を選んで正解だった。推察どおり、他者への共感力と行動力が凄まじい。
ぼくは夢野を称えつつ、ふたりで教室を出た。ふたり……でいいのだろうか?
「彼らは?」
「ん、いいよ。大勢だと緊張するっしょ?」
夢野は六人分の「俺も行く」という惜しむ声に対して、「今日は俺らだけの予定だったんだ」などと返していた。
書籍には、一般の高校生男子は集団で下校し、そのままファミリーレストランやファストフード店、もしくはカラオケ等の娯楽施設で数時間過ごすとあった。
「ぼくは大勢でも構わないが……」
「そっか。だったら、次はあいつらも誘うよ」
夢野は微笑んで、まずは駅へ向かおうと提案してきた。
気安い笑みで、どちらでもいいと本気で思っているように見受けられた。
ぼくは肩の強張りを解いた。
笑みというのは人を安心させる効果があるらしい。
「もしかしてだけど、笑ってる?」
駅へ到着したとき、夢野が丸くした目を向けてきた。
「……友人といるときは笑顔のほうがいいんだろう?」
「それはあれじゃん? 因果関係が逆っていうか、笑顔って楽しいときに自然となるものだよ」
ということは、夢野はぼくといるのが楽しいのだろうか?
どこにそういった要素があったのか考えねばならない。
僕が訝しんだときだ。夢野はくすっと笑い声をたてた。
「だったら、楽しいって思えそうなところ行こ。鈴白ってゲームとかする?」
「しない」
「だろうなー……でも興味はある?」
「どういったものかまったくわからない」
「じゃ、試してみよ」
夢野は友人とよく行くというゲームセンターへ連れて行ってくれた。
耳を塞ぎたくなるほどうるさい。人が多く匂いも独特で、ぼくはすぐ回れ右をしたくなった。
しかし、夢野の気遣いを無下にしたくない。
書籍にも互いに思いやるべきだと書かれてあった。
だから夢野の促す先へついていき、これはどうかあれはどうだなどいう、筐体に対する説明に耳を傾けた。
「やってみる?」
「ものは試しだ」
ぼくはぬいぐるみをアームで釣り上げるというゲームに挑戦した。
千円を浪費してもなんら手応えがなかった。
アームの力が弱すぎる。詐欺を疑うも、だとしたら商売にはならない。
どうにか方法はあるはず——。
「鈴白、ちいかわ好き?」
頭をひねっていたところ、夢野が手のひらサイズのぬいぐるみを持って現れた。
「まさか、取ったのか?」
「へへっ。意外に得意なんだ。あげるよ」
「ぼくに?」
「嫌いじゃなければ」
差し出されたため、受け取った。見たこともない動物だ。動物だと思う。人ではないだろう。
「しろくまか?」
「ちいかわだよ。知らないとか天然記念物だな。でも、鈴白っぽい気がする」
夢野はぼくに対してクラスメイトと同等の態度を取っているよう無受けられる。
気負いは感じられないし、バカにしている風もない。無論、同情心など皆無だ。
教師から稀に感じ取るそういった憐れみや、自己中心的な態度にはうんざりさせられていた。
「ゲーセンはいまいちだったみたいだな」
店を出てコンビニに寄った。
店内が乾燥していたのと気疲れで喉がカラカラだった。
「そんなことはない。楽しかった」
僕は笑みを浮かべてみた。精いっぱい、夢野の真似をした。
「友達ってのは、嘘ついていちゃ成り立たないんだぞ。てか見破れるし。次こそ夢野が楽しめるところ考えておくわ。カラオケとかどう? 歌うの好き?」
「歌……」
「だめっぽいな」
夢野の顔がくしゃりとする。この笑みは真似できない。なんとも自然で、本心からだと感じられる、場の空気が暖かくなるような笑みだ。
この笑顔をもっと見たい。
「だめじゃない。夢野が行きたいのなら行きたい」
「……行ったことない?」
「ない」
「じゃ、試してみようか。いつが空いてる?」
「ぼくはいつでも空いている……今からでもいい」
まだ五時を回っていなかった。カラオケのシステムは未知だが、一時間程度で済むと推測はできる。
書籍にも、カラオケを終えたあとに夕食をともにすると書かれてあった。
「ごめん。今日は俺がタイムリミットなんだ」
「なにか、用事でも?」
「用事っていうか、スーパーに寄って行かなきゃなんだ。今日は冷蔵庫が空っぽで」
まるで義務のような物言いに、ぼくは面食らった。
誰でもスーパーへは寄るだろう。しかし、夢野は家族のためというような口ぶりだった。
理由を知りたい。しかし、踏み込んでいいものか。
これまでは他者に質問しては、そのたびに嫌な顔をされてきた。
夢野がそんな反応をするとは想像できないが、されたら気持ちが塞いでしまいそうだ。
検証を続けることが可能かどうか、そう不安になるくらい、怖い。
「嘘じゃないよ?」
考え込んでいたら、夢野から覗き込まれてびくっとしてしまった。
「友達に嘘はつかない。ほんとだよ」
表情は穏やかだ。
だったら、聞いてみてもいいだろうか。書籍にはなんて書いてあっただろう。参照しようにも集中できない。
どうしよう。どうしよう。
ぼくは迷い、夢野の屈託ない表情に勇気づけられて決意を固めた。
「……理由を聞いていいだろうか? よければだが、『存在と時間』が未完に終わってしまった謎くらいは気になる」
ぼくの言葉に、夢野は吹き出した。そしてなんともいえぬ魅力的な笑みになった。こんな目で見つめられた経験は一度としてない。
両親からもない。
いったいどういった意味が含まれているのだろう。
「じゃ、一緒に来て。スーパーに行きがてら話すよ」
ぼくは二度頷いた。一度だけじゃ軽く思われるかもと思って不安だった。
相手を知るというのは、友人として大切な一歩だ。
書籍にも書かれてあったし、理屈として納得できる。
ぼくの本心としても、夢野とまだ離れがたい思いがあった。
さらには誘われて自然と笑みになるくらい、嬉しくも感じていた。



