宮川の家に泊まってからすぐにテスト期間を迎えた。テスト期間中、宮川の方から連絡が来ることはなかった。こちらから連絡を取ろうかとも思ったが、どんな話題を送ればいいのか分からなくてスマホを開いては悩み、結局諦めるということを繰り返してしまった。他愛もないメッセージを送るだけで良かったのかもしれない。でもそれが迷惑にならないか、疎ましく思われないか心配で結局できなかった。宮川とはせめていい友達でありたいのに、それすらうまく出来ない自分が嫌になる。
会えないことで、想いが余計に煮詰まっていってしまう。思い出さないようにしても、かけられた優しい言葉や甘い声をふとした瞬間思い出して、その度に体温が上がるのを感じた。つい思い出してしまうだけならまだ良かった。困ったのは、あまりに恋焦がれているからなのか、宮川のことを時々夢にまで見てしまうようになったことだ。夢の中で、宮川はいつもそばに寄り添ってくれて、優しい笑みを向けてくれる。笑顔で視線を合わせて、体を近づけ、腰や背中に手を這わしてくる。その感覚があまりにも生々しくて、起きた時にはいつも心臓が早鐘を打って落ち着かなかった。こんな邪な想いのままで宮川と対峙したくない。俗っぽい感情で、沢山の優しさをくれた宮川を汚したくない。だけど渦巻く想いを止めることができず、大きすぎる感情をただひたすらに持て余していた。
テスト期間が終わって初めての体育の授業で久しぶりに宮川を見かけた。しばらく凝視していると視線が合い、こちらへ近づいてきてくれた。人懐こそうで優しい笑顔は以前と同じで、一目見るだけで胸が高鳴った。
「あ……久しぶり」
「久しぶり。小橋のおかげで今回のテストは結構うまくいったよ」
「それなら良かった。赤点は回避できそう?」
「多分大丈夫かな。ありがとう」
「うん……また一緒に勉強できると嬉しい」
勇気を出して紡いだ言葉だった。だけど宮川はその言葉に返事を返さず、戸惑うように視線を伏せた。少しの沈黙の後、いつもの人当たりのいい笑顔に戻ったけど、一瞬曇った表情が頭から離れなかった。
「そうだな。多分しばらくは大丈夫だと思うけど……またお願いするかも」
向けられた言葉はなんだか突き放すような響きを含んでいて、咄嗟に何も返せなかった。そう告げた後、宮川は足早に友人達の元へと戻っていってしまった。他の人から向けられた言葉なら、そこまで気にせずにいられただろう。だけど宮川のことになると敏感になってしまい、言葉の節々に滲んでいた素っ気なさが引っかかる。考え込んでしまい、その後は体育の授業にも全く集中できなかった。
その後の昼休み、いつもの場所に行っても宮川はいなかった。スマホを開くと、「今日は時間ないから教室で食べる」というメッセージが入っていた。いつも座っていたベンチに腰掛ける。昼食を食べる気にもなれなくて、ただその場でしばらくぼんやりとしていた。久しぶりに会えると期待してしまっていたことに気づく。独りよがりになりたくない。宮川に迷惑をかけたくないし、離れられた時に自分もすり潰されそうな気持ちになってしまうだろうから。一人佇んでいると、いつもは爽やかで心地よく感じられていた草の匂いを含んだ風が、やけに不安を煽ってくるように思えてしまう。いたたまれなくて、立ち上がってその場を離れた。
体育の時にそっけなく感じたのは、テスト明けで疲れていたからかもしれない。昼休みにいつもの場所に来なかったのだって、本当にただ時間がなかっただけかもしれない。そう自分に言い聞かせた。だけどその後も昼休みに宮川がいつもの場所に来ることはなくなり、体育の授業で会った時もどこか他人行儀だった。卑屈になってはいけない、と、ネガティブな思考はなるべく振り払うようにしていた。でも胸の奥にしまい込んでいた不安はきっと事実だった。宮川に避けられている。単なる俺の被害妄想ではなく、この状況を見れば誰でもそう思うだろう。
嫌いだった名前を褒めてくれた。心地良い眠りへと誘ってくれた。宮川が与えてくれたことは沢山ある。でも思い返すと、与えてもらうばかりで何も返せていなかった。もしかしたら、宮川の家に泊まった日に何か失礼なことをしてしまっていたのかもしれない。寝ている間に、また保健室の時のようにぐいぐい近づいてしまったのかもしれないし、宮川の家族に挨拶をした時に何か失礼があったのかもしれない。もしかしたら、もっと前——学校で一緒に過ごしている時から、宮川を不快にさせるような行動を取ってしまっていたのかもしれない。色々な想像をしてしまい、自分のことが信じられなくなる。「お前に原因があるんじゃないか」一時は忘れられていた忌々しいあの言葉を思い出した。呪いのように自分の中の深くに刻み付けられていた言葉を、宮川のおかげで一時は忘れられていた。だけど宮川と離れた今、その言葉にまた締めつけられて身動きが取れなくなってしまっている。
ぐるぐると思い悩んで、また上手く眠れなくなってしまった。眠ろうと目を閉じても、呼吸を整えても、宮川のことを思い出して胸が詰まって苦しくなる。心地良い海で漂っていたような、あの心地良い感覚を思い出そうとしても、すぐに宮川の曇った表情に上書きされてしまった。
特別な関係なんて望まない。だからもう一度笑いかけてほしい。身勝手にもそう思ってしまう。でも一方的に何かをしてもらうだけで、俺は宮川に何も与えられていなかった。だから愛想を尽かされてしまったのかもしれない。宮川も元々、お兄さんと俺を重ね合わせて放っておけなかっただけで、テスト期間で距離を置いて冷静になったことによって、俺と関わってもメリットがないと気づいてしまったのかもしれない。
「……っ」
色々考えていると、いつも勝手に涙が溢れた。止めようとしても想いが渦巻いてとめどなく溢れていく。息が苦しくて、嗚咽が溢れるのを抑えられない。中学の時、酷いことを言われたりからかわれたりした時も、担任から例の言葉をかけられた時だってこんなに泣いたことはなかった。好きな人に突き放されることがこんなにも辛いなんて知らなかった。身を焦がされるほどの思いを抱くなら、宮川と知り合いたくなかったなんて考えてしまう。宮川は沢山の幸せをくれて、言葉や行動に何度も助けられてきたというのに。
ベッドサイドの時計に目をやると、既に時刻は午前二時を回っていた。散々泣いて、頭が鉛のように重い。明日は数学の小テストがあるし、放課後には委員会もある。眠れないけど、眠らないといけない。そう言い聞かせて固く目を瞑った。背中を撫でられて、心地良く眠りに落ちた時とは違う。散々悩んだ末に、気絶するかのように落ちていく眠りへの不快な導入。睡眠自体も浅いもので当然体も休まらず、目覚めた時はいつも眠りにつく前よりも体が重かった。
渦巻く暗澹とした感情と浅い睡眠に体が蝕まれた。一度は忘れていた頭痛に悩まされはじめて、授業にも集中できなくなった。先週の体育は体調を理由に休んでしまった。だけどずっと欠席するわけにもいかない。重い体を引きずって体操服に着替えグラウンドへと出た。暑ささえ感じさせる陽光の中、いつものように宮川は友人と談笑している。沢山の生徒に囲まれている中でも、耳触りの良い声はまっすぐに届いた。見たくないのに、つい視線が引き寄せられてしまう。気まずくて辛いはずなのにその笑顔を見ると心に熱が生まれた。
今日の体育はサッカーだった。元サッカー部だという宮川は、華麗にボールを捌きながらクラスの友人達と談笑していた。沢山の友人達に囲まれて一層輝いて見える。一緒にご飯を食べて、隣で寝て、すごく距離が近づいたような気がしていた。だけどそんな姿を見ていると、やっぱり自分とは世界が違う人間だと感じる。
体が重い。思うように走れなくて、ミスをしてクラスメイトに迷惑をかけてしまっているのも心苦しい。宮川にだって、こんな情けない姿を見せたくなかった。サッカーそのものも、走るのだって得意ではない。だけどなんとか挽回したくて意識を集中させる。でも焦れば焦るほど空回って全く上手くいかなかった。
コートの外へ飛ばしてしまったボールを取りにいく。ベンチの下に入り込んでしまっていたからしゃがんで手を伸ばした。ボールを掴んで立ち上がった瞬間、視界が真っ白になり体に力が入らなくなる。まずい、と思ったものの体制を整えることができなかった。立っていることすらできなくなりその場に崩れ落ちた。遠くの方で皆がざわつきはじめる。立ち上がりたかったけど、体の動かし方を忘れてしまったように身動きが取れなかった。
「小橋!」
喧騒の中でも宮川の声ははっきりと聴こえる。白む視界の中で、宮川がこっちに走ってくるのが見えた。こんな状況で、臆さずにまっすぐ向かってきてくれる彼は強くて優しい。でももう甘えたくないから、立ち上がって大丈夫だと伝えたかった。だけど無理やり体を起こそうとすると、頭の中で火花が散ったかのように視界は白黒し、そのまま一気に意識は暗い底へと落ちていってしまった。
ふわふわと浮遊する感覚。ほのかな甘い匂いと、額を撫でられる規則的な動き。心地良くて、海に漂った時のようなあの多幸感を久しぶりに思い出した。夢うつつだったけど、だんだんと意識がはっきりとしてきて現実味を帯びてくる。ゆっくりと目を開けると、あの時と同じようにベージュのカーテンが見えた。目だけを動かして辺りを見回すと宮川と目が合う。なんだか泣きそうな表情をしている気がした。
「……小橋、おはよう」
「おはよう……ここ、保健室……?」
「倒れたんだよ。試合中に急に。だから運んできた」
「え、宮川が?」
「うん……小橋軽すぎ。ていうか前よりちょっと痩せた気がする」
頬のあたりを撫でられる。近い距離から漂ってくるほのかな甘い匂いは前と同じで、色々なことを思い出して涙が出そうになった。
「……心配だった。ずっと顔色も悪かった気がするし……もっと早く言ってほしかった、って思ったけど……小橋が言えなかったのって俺のせいだよな」
暗い声が胸に響く。きっと理由があって俺のことを避けていて、だけど咄嗟に助けてくれたのだろう。やっぱり宮川は優しい。優しくて強くて、そんなところを好きになったのだ。でもそんな宮川にまた迷惑をかけてしまったことが心苦しかった。
「……ごめん。また迷惑かけて……あのさ、俺、友達の家に泊まるとか、一緒に毎日昼ごはん食べるとか……色々慣れてなくて。たから今日以外にも宮川の嫌なことしちゃってたかもしれないなって。もし宮川にとってすごく嫌なことをしてたとしたら謝りたかったんだ」
ひとりよがりかもしれない。でも宮川にはちゃんと向き合いたかった。不安が胸を満たして、最後の方には言葉と共に涙が溢れるのを堪えられなかった。こんなところで泣いては困らせるだけだと思うが、どうすることもできずただ涙が頬を濡らし、だんだんと冷えていくのを感じていた。手で目を擦ると全身が温かいものに包まれる。ほのかな甘い匂いは懐かしいもので、心地良さから固くなっていた体が解れた。
「ごめん。小橋は悪くないよ。悪いのは俺で……あのさ、今日放課後家に来てくれる? ちゃんと話すから」
抱きしめられたまま耳元でそう言われて、さっきまで不安を抱いていたことも忘れてしまう。すごく悩んでいたし、宮川に謝りたいという気持ちも本当だったのに、宮川の行動ひとつでそれらが頭の隅に追いやられてしまうのだから、俺は自分が思っている以上に単純なのかもしれない。
「ほんっとうに、小橋は悪くないから。そんなこと思わせてごめん。嫌いになったとかじゃ絶対にないよ。放課後小橋のクラスに迎えにいくから、良かったら待ってて」
そう念押しのように伝えた後、カーテンを開けて去っていってしまった。宮川が離れた後も、余韻でずっと体が熱い。この後何を言われるか分からない。だけど「嫌いになったとかじゃ絶対にない」という言葉が胸に沁みて全身の力が抜けた。宮川に嫌われたわけではなかった。その事実にどうしようもなく安心して、心の中でずっと緊張の糸がぐちゃぐちゃに絡んでいたのが一気に解けていった気がする。
放課後、約束通り宮川は教室まで来てくれた。他愛もない話をしながら宮川の家へと足を進めていく。久しぶりにいろんなことを話して、以前宮川の家に泊まった時の、ベッドの上で一緒に過ごした時間のことを思い出した。宮川と過ごす時間はやっぱり楽しくて、家に着くまでの時間がとても短く感じられた。到着後、すぐに自室へと案内される。扉を閉め、テーブルに向き合って座り一息つく。しばらくの沈黙の後、静かにゆっくりと切り出した。
「……話したいことがある、って言っただろ。でも……まずはごめん」
真剣な表情で、視線もまっすぐにこちらを捉えていた。そんなに謝らないでほしいと思う。宮川は何も悪くない。俺が勝手にぐるぐると悩んで身を焦がしていただけなのだ。
「本当にごめん。小橋を不安にさせてた。さっきも言ったけど、小橋を嫌いになったりしたわけじゃないんだ。というかむしろ……あのさ、俺、小橋のことが好きなんだ」
「え、え?」
「分かってる。いきなりそんなこと言われても困るよな。小橋が、『俺といるとよく眠れる』って言ってくれたの、すごく嬉しかった。でも、一緒に寝たりしてるとなんかめちゃくちゃ意識しちゃって……これ以上小橋のことを変な目で見ないように、ちょっと自分を落ち着かせようとしてたんだよ。避けたみたいな形になっちゃってごめん」
気持ちが全く追いつかない。「小橋のことが好き」という言葉が脳裏に焼きついて、それ以降の言葉を全く消化できなかった。でも数々の言葉から、嫌われたわけではなかったのだということだけはしっかりと分かる。安心から張り詰めていた気が緩み、涙腺がまた緩んだ。
「ご、ごめん、泣くほど嫌だった……?!」
「ちがっ……嬉しくて。俺も、宮川のこと好きだから……安心して……」
涙で声が震えて、最後の方はちゃんと言葉が紡げていたか分からない。数秒置いた後、半ば覆い被さられるように宮川に抱きしめられた。匂いや体温がなだれ込んできて、体が沸騰しそうに熱くなる。
「み、宮川」
「嬉しい……あと小橋が可愛い……」
「か、可愛いって何。そういうのないし」
「可愛いよ。小橋はいつだって可愛い。特に眠い時にふにゃふにゃしてるのがすごく可愛い」
「ふ、ふにゃふにゃって何?! してないし、可愛くもないし……」
宮川のテンションがなんだかおかしくなっている気がするけど、甘い言葉を向けてくれることが嬉しくてずっと頬が熱い。熱に浮かされたように頭もぼんやりとして、夢なのか現実なのか境界があやふやになる。夢ならば覚めないでほしい。宮川は悪くない。でも宮川が離れてしまうことはとても怖くて悲しいことで耐えがたかった。だから、どうかこれが都合の良い夢で、次の瞬間に覚めてしまうことがないように願った。
「……これ、夢じゃないのかな」
「夢じゃないよ。 ……ほら、ちゃんと痛いし」
自分の頬をつねって顔を顰めるものだから思わず笑ってしまった。ここで俺のではなくて、自分の頬をつねるあたりやっぱり宮川は優しいと思う。
「……小橋、俺と付き合ってくれるってことでいいの?」
真剣な表情になってまっすぐに見てくるからこちらの気持ちも締まる。友達と呼んでいいかすら分からなかったのに、それよりもっと特別な関係に踏み出す。不安がないわけではないけど、繋がれた絆を断ち切りたくなかった。宮川のことを幸せにできるのか分からない。だけど差し出された手を取って、ずっと一緒に歩んでいきたかった。
「うん……俺で良ければ、よろしくお願いします」
その言葉の後に再度抱きしめられた。宮川は愛情表情をストレートにするタイプなのかもしれない。好きな人と同じ気持ちになれて嬉しいけど、ずっと鼓動が速いままでこのままでは身が持ちそうにない。強い力で抱きしめてくるのを、胸を軽く押すことで遠ざけた。
「……ごめん。嬉しいけど、ちょっと本当にドキドキして身がもたないから」
「なにそれ、可愛い」
「さ、さっきから宮川可愛いしか言ってない……!」
「だって可愛いから仕方ないじゃん。あと身が持たないのはこっちのセリフだから。無意識なのかもしれないけど、前からドキドキさせられっぱなし」
耳元を甘い声が掠っていき、正気でいられなくなりそうで怖くなった。いつだってこちらを気づかいながら距離を詰めてくれていた宮川が、今は肉食な部分を臆さずに曝け出している。でもこれまで見せてこなかった部分にもどうしようもなく惹きつけられて絆されてしまっているのは、俺がどうしようもなく彼に恋焦がれているからなのだろう。
「小橋疲れてるだろ。今日また泊まってってよ。一緒に寝よう」
「え、寝るって」
「大丈夫。今日は何もしないから」
「そうじゃなくて、急に迷惑じゃない?」
「大丈夫だよ。小橋、目にクマができてる。体育の時のも……最近眠れてなかった?」
「……うん。まあ、そうかも」
倒れてから少し寝たものの、まだ身体に怠さが少し残っていた。隠していてもきっとバレてしまうだろう。正直に頷くと宮川が苦い顔をした。
「そっか……俺のせいだよな」
「み、宮川のせいではないけど……色々考えてはいて、それで……」
「ごめん……でも、それなら今日は小橋のことを沢山寝かせたいよ。小橋には健康でいてほしいから」
甘い中にも真剣味が込められている声で、そんなことを言われては頷くしかできない。隣で寝るのはまだ緊張する。だけどどこまでも寄りかかって甘えたくもなってしまう。
「……分かった。俺も、宮川と一緒にいたい」
その言葉を返すと綻ぶように笑った。優しい笑顔がまっすぐに向けられている。ずっと彼のそばにいたい。悩むことも、どうすればいいのか分からなくなることもこれからきっと沢山ある。だけど宮川と一緒なら大丈夫だと思えた。
決して広くはないベッドの上、二人で身を寄せて寝転がる。ベッドサイドの明かりがふわりと温かく灯り、外の音が遠くに聴こえて、まるで外界から遮断されて世界に二人きりになったようだと思った。
「小橋はさ、色々あったんだろうし、頑張り屋だからまだまだ色々無理しちゃうのかもしれないけど……これからはしんどくなる前に俺が寝かすから」
「ありがとう……もう宮川に迷惑かけないように気をつけるよ」
「だから迷惑じゃないってば。俺がそうしたいだけ」
「うん……ありがとう。俺も宮川の役に立ちたいし、宮川には幸せでいてほしいよ。何かできることがあれば言って」
しばらく考え込んだ後に、距離を近づけて頭を撫でられる。まっすぐに見つめられて暗闇の中で視線が合った。穏やかな淡い色の瞳。初めて会った時に綺麗だと思った瞳が、今ふたりきりの空間で目の前にある。戸惑う気持ちもあるけど、もうそこから目を背けたくないと思った。
「小橋はそばにいてくれるだけでいいよ。また一緒にいろんなとこ行ったりしたい」
穏やかな声が幸せな未来を想像させてくれる。沢山のことを彼と経験していきたかった。与えてもらうだけだったかもしれない。だけどこれからは俺も宮川のことを理解して、幸せや安堵を与えていきたい。
「とりあえず、今日はもう寝た方がいいよ。おやすみ」
声のトーンを落としてそう告げられ、いつもと同じように背中を撫でた。まどろみの波がゆったりと押し寄せ瞼が重くなる。夢か現実か覚束なくなって意識が揺れる。宮川の手から優しさや想いが伝わってきて、身も心も綻んでいった。きっとこの後は心地良く眠りに落ちて、目が覚めたら隣で笑っていてくれるのだろう。宮川のことを幸せにしたいし、そのためには色々と考えないといけないのかもしれない。だけど今はただ、優しい手つきに身を預けて、彼との楽しい時間を思い描きながら温かい眠りの海をたゆたっていたかった。
会えないことで、想いが余計に煮詰まっていってしまう。思い出さないようにしても、かけられた優しい言葉や甘い声をふとした瞬間思い出して、その度に体温が上がるのを感じた。つい思い出してしまうだけならまだ良かった。困ったのは、あまりに恋焦がれているからなのか、宮川のことを時々夢にまで見てしまうようになったことだ。夢の中で、宮川はいつもそばに寄り添ってくれて、優しい笑みを向けてくれる。笑顔で視線を合わせて、体を近づけ、腰や背中に手を這わしてくる。その感覚があまりにも生々しくて、起きた時にはいつも心臓が早鐘を打って落ち着かなかった。こんな邪な想いのままで宮川と対峙したくない。俗っぽい感情で、沢山の優しさをくれた宮川を汚したくない。だけど渦巻く想いを止めることができず、大きすぎる感情をただひたすらに持て余していた。
テスト期間が終わって初めての体育の授業で久しぶりに宮川を見かけた。しばらく凝視していると視線が合い、こちらへ近づいてきてくれた。人懐こそうで優しい笑顔は以前と同じで、一目見るだけで胸が高鳴った。
「あ……久しぶり」
「久しぶり。小橋のおかげで今回のテストは結構うまくいったよ」
「それなら良かった。赤点は回避できそう?」
「多分大丈夫かな。ありがとう」
「うん……また一緒に勉強できると嬉しい」
勇気を出して紡いだ言葉だった。だけど宮川はその言葉に返事を返さず、戸惑うように視線を伏せた。少しの沈黙の後、いつもの人当たりのいい笑顔に戻ったけど、一瞬曇った表情が頭から離れなかった。
「そうだな。多分しばらくは大丈夫だと思うけど……またお願いするかも」
向けられた言葉はなんだか突き放すような響きを含んでいて、咄嗟に何も返せなかった。そう告げた後、宮川は足早に友人達の元へと戻っていってしまった。他の人から向けられた言葉なら、そこまで気にせずにいられただろう。だけど宮川のことになると敏感になってしまい、言葉の節々に滲んでいた素っ気なさが引っかかる。考え込んでしまい、その後は体育の授業にも全く集中できなかった。
その後の昼休み、いつもの場所に行っても宮川はいなかった。スマホを開くと、「今日は時間ないから教室で食べる」というメッセージが入っていた。いつも座っていたベンチに腰掛ける。昼食を食べる気にもなれなくて、ただその場でしばらくぼんやりとしていた。久しぶりに会えると期待してしまっていたことに気づく。独りよがりになりたくない。宮川に迷惑をかけたくないし、離れられた時に自分もすり潰されそうな気持ちになってしまうだろうから。一人佇んでいると、いつもは爽やかで心地よく感じられていた草の匂いを含んだ風が、やけに不安を煽ってくるように思えてしまう。いたたまれなくて、立ち上がってその場を離れた。
体育の時にそっけなく感じたのは、テスト明けで疲れていたからかもしれない。昼休みにいつもの場所に来なかったのだって、本当にただ時間がなかっただけかもしれない。そう自分に言い聞かせた。だけどその後も昼休みに宮川がいつもの場所に来ることはなくなり、体育の授業で会った時もどこか他人行儀だった。卑屈になってはいけない、と、ネガティブな思考はなるべく振り払うようにしていた。でも胸の奥にしまい込んでいた不安はきっと事実だった。宮川に避けられている。単なる俺の被害妄想ではなく、この状況を見れば誰でもそう思うだろう。
嫌いだった名前を褒めてくれた。心地良い眠りへと誘ってくれた。宮川が与えてくれたことは沢山ある。でも思い返すと、与えてもらうばかりで何も返せていなかった。もしかしたら、宮川の家に泊まった日に何か失礼なことをしてしまっていたのかもしれない。寝ている間に、また保健室の時のようにぐいぐい近づいてしまったのかもしれないし、宮川の家族に挨拶をした時に何か失礼があったのかもしれない。もしかしたら、もっと前——学校で一緒に過ごしている時から、宮川を不快にさせるような行動を取ってしまっていたのかもしれない。色々な想像をしてしまい、自分のことが信じられなくなる。「お前に原因があるんじゃないか」一時は忘れられていた忌々しいあの言葉を思い出した。呪いのように自分の中の深くに刻み付けられていた言葉を、宮川のおかげで一時は忘れられていた。だけど宮川と離れた今、その言葉にまた締めつけられて身動きが取れなくなってしまっている。
ぐるぐると思い悩んで、また上手く眠れなくなってしまった。眠ろうと目を閉じても、呼吸を整えても、宮川のことを思い出して胸が詰まって苦しくなる。心地良い海で漂っていたような、あの心地良い感覚を思い出そうとしても、すぐに宮川の曇った表情に上書きされてしまった。
特別な関係なんて望まない。だからもう一度笑いかけてほしい。身勝手にもそう思ってしまう。でも一方的に何かをしてもらうだけで、俺は宮川に何も与えられていなかった。だから愛想を尽かされてしまったのかもしれない。宮川も元々、お兄さんと俺を重ね合わせて放っておけなかっただけで、テスト期間で距離を置いて冷静になったことによって、俺と関わってもメリットがないと気づいてしまったのかもしれない。
「……っ」
色々考えていると、いつも勝手に涙が溢れた。止めようとしても想いが渦巻いてとめどなく溢れていく。息が苦しくて、嗚咽が溢れるのを抑えられない。中学の時、酷いことを言われたりからかわれたりした時も、担任から例の言葉をかけられた時だってこんなに泣いたことはなかった。好きな人に突き放されることがこんなにも辛いなんて知らなかった。身を焦がされるほどの思いを抱くなら、宮川と知り合いたくなかったなんて考えてしまう。宮川は沢山の幸せをくれて、言葉や行動に何度も助けられてきたというのに。
ベッドサイドの時計に目をやると、既に時刻は午前二時を回っていた。散々泣いて、頭が鉛のように重い。明日は数学の小テストがあるし、放課後には委員会もある。眠れないけど、眠らないといけない。そう言い聞かせて固く目を瞑った。背中を撫でられて、心地良く眠りに落ちた時とは違う。散々悩んだ末に、気絶するかのように落ちていく眠りへの不快な導入。睡眠自体も浅いもので当然体も休まらず、目覚めた時はいつも眠りにつく前よりも体が重かった。
渦巻く暗澹とした感情と浅い睡眠に体が蝕まれた。一度は忘れていた頭痛に悩まされはじめて、授業にも集中できなくなった。先週の体育は体調を理由に休んでしまった。だけどずっと欠席するわけにもいかない。重い体を引きずって体操服に着替えグラウンドへと出た。暑ささえ感じさせる陽光の中、いつものように宮川は友人と談笑している。沢山の生徒に囲まれている中でも、耳触りの良い声はまっすぐに届いた。見たくないのに、つい視線が引き寄せられてしまう。気まずくて辛いはずなのにその笑顔を見ると心に熱が生まれた。
今日の体育はサッカーだった。元サッカー部だという宮川は、華麗にボールを捌きながらクラスの友人達と談笑していた。沢山の友人達に囲まれて一層輝いて見える。一緒にご飯を食べて、隣で寝て、すごく距離が近づいたような気がしていた。だけどそんな姿を見ていると、やっぱり自分とは世界が違う人間だと感じる。
体が重い。思うように走れなくて、ミスをしてクラスメイトに迷惑をかけてしまっているのも心苦しい。宮川にだって、こんな情けない姿を見せたくなかった。サッカーそのものも、走るのだって得意ではない。だけどなんとか挽回したくて意識を集中させる。でも焦れば焦るほど空回って全く上手くいかなかった。
コートの外へ飛ばしてしまったボールを取りにいく。ベンチの下に入り込んでしまっていたからしゃがんで手を伸ばした。ボールを掴んで立ち上がった瞬間、視界が真っ白になり体に力が入らなくなる。まずい、と思ったものの体制を整えることができなかった。立っていることすらできなくなりその場に崩れ落ちた。遠くの方で皆がざわつきはじめる。立ち上がりたかったけど、体の動かし方を忘れてしまったように身動きが取れなかった。
「小橋!」
喧騒の中でも宮川の声ははっきりと聴こえる。白む視界の中で、宮川がこっちに走ってくるのが見えた。こんな状況で、臆さずにまっすぐ向かってきてくれる彼は強くて優しい。でももう甘えたくないから、立ち上がって大丈夫だと伝えたかった。だけど無理やり体を起こそうとすると、頭の中で火花が散ったかのように視界は白黒し、そのまま一気に意識は暗い底へと落ちていってしまった。
ふわふわと浮遊する感覚。ほのかな甘い匂いと、額を撫でられる規則的な動き。心地良くて、海に漂った時のようなあの多幸感を久しぶりに思い出した。夢うつつだったけど、だんだんと意識がはっきりとしてきて現実味を帯びてくる。ゆっくりと目を開けると、あの時と同じようにベージュのカーテンが見えた。目だけを動かして辺りを見回すと宮川と目が合う。なんだか泣きそうな表情をしている気がした。
「……小橋、おはよう」
「おはよう……ここ、保健室……?」
「倒れたんだよ。試合中に急に。だから運んできた」
「え、宮川が?」
「うん……小橋軽すぎ。ていうか前よりちょっと痩せた気がする」
頬のあたりを撫でられる。近い距離から漂ってくるほのかな甘い匂いは前と同じで、色々なことを思い出して涙が出そうになった。
「……心配だった。ずっと顔色も悪かった気がするし……もっと早く言ってほしかった、って思ったけど……小橋が言えなかったのって俺のせいだよな」
暗い声が胸に響く。きっと理由があって俺のことを避けていて、だけど咄嗟に助けてくれたのだろう。やっぱり宮川は優しい。優しくて強くて、そんなところを好きになったのだ。でもそんな宮川にまた迷惑をかけてしまったことが心苦しかった。
「……ごめん。また迷惑かけて……あのさ、俺、友達の家に泊まるとか、一緒に毎日昼ごはん食べるとか……色々慣れてなくて。たから今日以外にも宮川の嫌なことしちゃってたかもしれないなって。もし宮川にとってすごく嫌なことをしてたとしたら謝りたかったんだ」
ひとりよがりかもしれない。でも宮川にはちゃんと向き合いたかった。不安が胸を満たして、最後の方には言葉と共に涙が溢れるのを堪えられなかった。こんなところで泣いては困らせるだけだと思うが、どうすることもできずただ涙が頬を濡らし、だんだんと冷えていくのを感じていた。手で目を擦ると全身が温かいものに包まれる。ほのかな甘い匂いは懐かしいもので、心地良さから固くなっていた体が解れた。
「ごめん。小橋は悪くないよ。悪いのは俺で……あのさ、今日放課後家に来てくれる? ちゃんと話すから」
抱きしめられたまま耳元でそう言われて、さっきまで不安を抱いていたことも忘れてしまう。すごく悩んでいたし、宮川に謝りたいという気持ちも本当だったのに、宮川の行動ひとつでそれらが頭の隅に追いやられてしまうのだから、俺は自分が思っている以上に単純なのかもしれない。
「ほんっとうに、小橋は悪くないから。そんなこと思わせてごめん。嫌いになったとかじゃ絶対にないよ。放課後小橋のクラスに迎えにいくから、良かったら待ってて」
そう念押しのように伝えた後、カーテンを開けて去っていってしまった。宮川が離れた後も、余韻でずっと体が熱い。この後何を言われるか分からない。だけど「嫌いになったとかじゃ絶対にない」という言葉が胸に沁みて全身の力が抜けた。宮川に嫌われたわけではなかった。その事実にどうしようもなく安心して、心の中でずっと緊張の糸がぐちゃぐちゃに絡んでいたのが一気に解けていった気がする。
放課後、約束通り宮川は教室まで来てくれた。他愛もない話をしながら宮川の家へと足を進めていく。久しぶりにいろんなことを話して、以前宮川の家に泊まった時の、ベッドの上で一緒に過ごした時間のことを思い出した。宮川と過ごす時間はやっぱり楽しくて、家に着くまでの時間がとても短く感じられた。到着後、すぐに自室へと案内される。扉を閉め、テーブルに向き合って座り一息つく。しばらくの沈黙の後、静かにゆっくりと切り出した。
「……話したいことがある、って言っただろ。でも……まずはごめん」
真剣な表情で、視線もまっすぐにこちらを捉えていた。そんなに謝らないでほしいと思う。宮川は何も悪くない。俺が勝手にぐるぐると悩んで身を焦がしていただけなのだ。
「本当にごめん。小橋を不安にさせてた。さっきも言ったけど、小橋を嫌いになったりしたわけじゃないんだ。というかむしろ……あのさ、俺、小橋のことが好きなんだ」
「え、え?」
「分かってる。いきなりそんなこと言われても困るよな。小橋が、『俺といるとよく眠れる』って言ってくれたの、すごく嬉しかった。でも、一緒に寝たりしてるとなんかめちゃくちゃ意識しちゃって……これ以上小橋のことを変な目で見ないように、ちょっと自分を落ち着かせようとしてたんだよ。避けたみたいな形になっちゃってごめん」
気持ちが全く追いつかない。「小橋のことが好き」という言葉が脳裏に焼きついて、それ以降の言葉を全く消化できなかった。でも数々の言葉から、嫌われたわけではなかったのだということだけはしっかりと分かる。安心から張り詰めていた気が緩み、涙腺がまた緩んだ。
「ご、ごめん、泣くほど嫌だった……?!」
「ちがっ……嬉しくて。俺も、宮川のこと好きだから……安心して……」
涙で声が震えて、最後の方はちゃんと言葉が紡げていたか分からない。数秒置いた後、半ば覆い被さられるように宮川に抱きしめられた。匂いや体温がなだれ込んできて、体が沸騰しそうに熱くなる。
「み、宮川」
「嬉しい……あと小橋が可愛い……」
「か、可愛いって何。そういうのないし」
「可愛いよ。小橋はいつだって可愛い。特に眠い時にふにゃふにゃしてるのがすごく可愛い」
「ふ、ふにゃふにゃって何?! してないし、可愛くもないし……」
宮川のテンションがなんだかおかしくなっている気がするけど、甘い言葉を向けてくれることが嬉しくてずっと頬が熱い。熱に浮かされたように頭もぼんやりとして、夢なのか現実なのか境界があやふやになる。夢ならば覚めないでほしい。宮川は悪くない。でも宮川が離れてしまうことはとても怖くて悲しいことで耐えがたかった。だから、どうかこれが都合の良い夢で、次の瞬間に覚めてしまうことがないように願った。
「……これ、夢じゃないのかな」
「夢じゃないよ。 ……ほら、ちゃんと痛いし」
自分の頬をつねって顔を顰めるものだから思わず笑ってしまった。ここで俺のではなくて、自分の頬をつねるあたりやっぱり宮川は優しいと思う。
「……小橋、俺と付き合ってくれるってことでいいの?」
真剣な表情になってまっすぐに見てくるからこちらの気持ちも締まる。友達と呼んでいいかすら分からなかったのに、それよりもっと特別な関係に踏み出す。不安がないわけではないけど、繋がれた絆を断ち切りたくなかった。宮川のことを幸せにできるのか分からない。だけど差し出された手を取って、ずっと一緒に歩んでいきたかった。
「うん……俺で良ければ、よろしくお願いします」
その言葉の後に再度抱きしめられた。宮川は愛情表情をストレートにするタイプなのかもしれない。好きな人と同じ気持ちになれて嬉しいけど、ずっと鼓動が速いままでこのままでは身が持ちそうにない。強い力で抱きしめてくるのを、胸を軽く押すことで遠ざけた。
「……ごめん。嬉しいけど、ちょっと本当にドキドキして身がもたないから」
「なにそれ、可愛い」
「さ、さっきから宮川可愛いしか言ってない……!」
「だって可愛いから仕方ないじゃん。あと身が持たないのはこっちのセリフだから。無意識なのかもしれないけど、前からドキドキさせられっぱなし」
耳元を甘い声が掠っていき、正気でいられなくなりそうで怖くなった。いつだってこちらを気づかいながら距離を詰めてくれていた宮川が、今は肉食な部分を臆さずに曝け出している。でもこれまで見せてこなかった部分にもどうしようもなく惹きつけられて絆されてしまっているのは、俺がどうしようもなく彼に恋焦がれているからなのだろう。
「小橋疲れてるだろ。今日また泊まってってよ。一緒に寝よう」
「え、寝るって」
「大丈夫。今日は何もしないから」
「そうじゃなくて、急に迷惑じゃない?」
「大丈夫だよ。小橋、目にクマができてる。体育の時のも……最近眠れてなかった?」
「……うん。まあ、そうかも」
倒れてから少し寝たものの、まだ身体に怠さが少し残っていた。隠していてもきっとバレてしまうだろう。正直に頷くと宮川が苦い顔をした。
「そっか……俺のせいだよな」
「み、宮川のせいではないけど……色々考えてはいて、それで……」
「ごめん……でも、それなら今日は小橋のことを沢山寝かせたいよ。小橋には健康でいてほしいから」
甘い中にも真剣味が込められている声で、そんなことを言われては頷くしかできない。隣で寝るのはまだ緊張する。だけどどこまでも寄りかかって甘えたくもなってしまう。
「……分かった。俺も、宮川と一緒にいたい」
その言葉を返すと綻ぶように笑った。優しい笑顔がまっすぐに向けられている。ずっと彼のそばにいたい。悩むことも、どうすればいいのか分からなくなることもこれからきっと沢山ある。だけど宮川と一緒なら大丈夫だと思えた。
決して広くはないベッドの上、二人で身を寄せて寝転がる。ベッドサイドの明かりがふわりと温かく灯り、外の音が遠くに聴こえて、まるで外界から遮断されて世界に二人きりになったようだと思った。
「小橋はさ、色々あったんだろうし、頑張り屋だからまだまだ色々無理しちゃうのかもしれないけど……これからはしんどくなる前に俺が寝かすから」
「ありがとう……もう宮川に迷惑かけないように気をつけるよ」
「だから迷惑じゃないってば。俺がそうしたいだけ」
「うん……ありがとう。俺も宮川の役に立ちたいし、宮川には幸せでいてほしいよ。何かできることがあれば言って」
しばらく考え込んだ後に、距離を近づけて頭を撫でられる。まっすぐに見つめられて暗闇の中で視線が合った。穏やかな淡い色の瞳。初めて会った時に綺麗だと思った瞳が、今ふたりきりの空間で目の前にある。戸惑う気持ちもあるけど、もうそこから目を背けたくないと思った。
「小橋はそばにいてくれるだけでいいよ。また一緒にいろんなとこ行ったりしたい」
穏やかな声が幸せな未来を想像させてくれる。沢山のことを彼と経験していきたかった。与えてもらうだけだったかもしれない。だけどこれからは俺も宮川のことを理解して、幸せや安堵を与えていきたい。
「とりあえず、今日はもう寝た方がいいよ。おやすみ」
声のトーンを落としてそう告げられ、いつもと同じように背中を撫でた。まどろみの波がゆったりと押し寄せ瞼が重くなる。夢か現実か覚束なくなって意識が揺れる。宮川の手から優しさや想いが伝わってきて、身も心も綻んでいった。きっとこの後は心地良く眠りに落ちて、目が覚めたら隣で笑っていてくれるのだろう。宮川のことを幸せにしたいし、そのためには色々と考えないといけないのかもしれない。だけど今はただ、優しい手つきに身を預けて、彼との楽しい時間を思い描きながら温かい眠りの海をたゆたっていたかった。
