たゆたうマリンブルー

 宮川と昼食を一緒に食べる機会が増えた。他愛もない話をしながら二人で過ごす時間が心地良い。時々昼食の後に誘われて、宮川の体に寄りかかって昼寝をすることもあった。昼下がり、お腹が満たされた後に心地良い風に吹かれて、温かい体温を感じていると自然に眠気が訪れいつも気がついたら眠りに落ちていた。夜もなかなか眠れないことが多かったのに、宮川にかけられた言葉や撫でられた時の優しい手つきを思い出すとすんなりと眠れた。こんな風に、睡眠導入剤のように思われていると知られたら気を悪くするかもしれない。だけど宮川のことを思い出すと心が和らいで体から力が抜け、自然に眠りの底へと落ちていった。宮川と会う前は思うように寝つけなくて、あの保健室の時のように、頭痛や体の怠さを感じた末に気絶するように眠ることも少なくなかった。だけど最近では、宮川の声や背中を撫でる手つきを反芻すると、身にも心にも安堵が広がって穏やかな眠りを堪能することができた。
 
 昼休み、いつもの場所に行くと珍しく宮川は教科書を手に持っていた。数学の教科書を広げて険しい顔をしている。あまりに神妙な顔をしているから、話しかけるのが少し憚られた。
「五時間目、数学?」
「うん……小テストだから、公式頭に詰め込んでる」
「そっか……忙しいのに今日も来てもらってごめん」
「それは良いんだよ。俺も小橋と昼飯食べるの楽しみにしてるし。ていうか今回もうすぐ期末テストもあるけどさ、今回テスト範囲広くない? 全然できる気しない」
「確かに、二年になって色々難しくなってるしな」
「赤点だけは回避したい……なあ小橋、今度勉強教えてくれない?」
「えっ……いいよ。どこでする? 休みの日に図書館とか?」
「それも良いけどさ、よかったら俺の家で教えてよ。今週の木曜日とかどう?」
 その言葉に戸惑った。友人の家に行くなんて初めてで、何か失礼なことをしてしまうかもしれない。だけど宮川からの誘いは純粋に嬉しくて既に気持ちが浮き立ってしまう。宮川にきちんと教えられるよう、しっかり復習していかなくてはいけない。今日から自分もテスト勉強の時間を増やすことを密かに決意した。

 脚を踏み入れた先、宮川の部屋に抱いた印象は「ものは多いが片付いている」だった。沢山のものに溢れているのに、その全てが整然と整えられていて、全く無駄がないのは宮川の内面と同じだと思った。友達が多くて、顔が広くて、だけどそのひとつひとつを大切にしている。その隙間に、俺は少しでも入り込むことができているのだろうか。
「部屋綺麗だね」
「もっと散らかってると思った? 人が来るたびに言われるんだよな」
「いや、そうじゃなくて純粋に思っただけだよ」
「そうだよな。小橋は優しいからそういう茶化すようなこと言ったりしないって分かってるし」
 笑って言われてなんだか心の奥が温かくなった。こんな風に、俺のことを評価して優しい言葉をかけてくれることがこの間から何度もある。そんな言葉をかけられたのは初めてで、嬉しさよりもくすぐったさが勝ってしまう。顔が熱を帯びて、きっと頬も赤くなってしまっているのだろう。動揺していることを宮川に悟られたくないけど、この調子だとばれてしまうのも時間の問題なのかもしれない。
「数学が分からないんだっけ」
「そうなんだよ。このままだと赤点取りそう」
 そう笑って言いながら教科書とワークを取り出す。クラスは違うけど、テストの対象範囲は同じのようだった。
「この問題は分かる? 公式を全部覚えてなくても、覚えてる分から導き出すこともできて……」
 問題に真剣な顔で取り組む宮川の顔を見て、やはり端正で綺麗な顔立ちをしていると思った。真剣に勉強に向き合っているのに、そんな感情を抱いてしまうことが後ろめたい。だけど今この瞬間、彼を独り占めできている気がしてなんだか気持ちが浮ついた。
 
 赤点かも、だなんて言っていたけど、宮川はとても飲み込みが良くて予定していた範囲はすぐに終わってしまった。宮川本人はまだ少し不安そうだったけど、この調子ならきっと大丈夫だろう。
「小橋教えるの上手いな。めちゃくちゃ分かりやすかった」
「宮川の理解が早いんだよ」
「まあ、俺らの相性がいいってことか。そういえばこの後どうする?」
 夜は更け、もう辺りは暗くなっている。時計を見ると十九時に差しかかっていた。今週は父親も母親も仕事が忙しく、夕飯も適当に済ますことが多かった。何かコンビニで買って帰ってもいいかもしれない。
「コンビニででも夕飯買って帰るよ」
「え、家に夕飯ないの?」
「父親も母親も今週は仕事が忙しくて、多分今日は家にも何もないから買って帰るよ」
「そっか……じゃあさ、今からなんか一緒に食いにいこうよ。ていうか今日泊まってく? うちも親が帰ってくるの今日は遅いらしくてさ。服貸すし、制服とかは洗って明日はうちから学校行けばいいじゃん」
 次々に言葉をかけられて処理できなくなる。何も言葉を返せずにいると、あからさまに宮川のテンションが落ちた。ごめん、と謝った後、バツの悪そうに言葉を続けていく。
「なんか勝手にめっちゃテンション上がっちゃった。でもさ、小橋さえよければ今日泊まってってよ。ひとりより絶対楽しいし」
 友人の家に泊まるなんて初めてで、そんなことが突然決まってしまって戸惑った。宮川ともっと一緒に過ごしたいという期待と、何か失礼なことをしてしまうかもしれないという不安。ふたつの感情に挟まれてすぐには返事をすることができなかった。
「えっ……えっと」
「あ、迷惑ならもちろんいいんだけど……急すぎるよな」
「いやっ……すごく嬉しい。でも、俺、友達の家に泊まるとか多分初めてで……作法? とか分かってなくて」
「そんなんないから大丈夫だよ。一緒に飯食って、話したりゲームしたりして寝る。それだけだよ」
 軽い口調に気持ちが軽くなった。友人の多い宮川にとってはこんなことは珍しくなくて、自分が重く捉えすぎていただけだったのかもしれない。迷惑をかけないようにはしたいけど、宮川の誘いには応えたい。そう思って頷いた。
「うん……じゃあお願いします」
「やった。とりあえず腹減ったし夕飯食いにいこう。小橋は何が食べたい?」
 くるくると変わる宮川の表情を見ていると気持ちが綻んだ。慣れていなくて、きっと変なことをしてしまったり言ったりしてしまっているだろう。それでも宮川が俺のことを受け入れて、まっすぐに笑顔を向けてくれることが嬉しかった。

 ファミレスで夕飯を食べて、帰った後は宮川の家族に挨拶をして、風呂も服も借りてしまった。部屋着に着替え、髪が少し濡れた宮川はいつもより無防備な雰囲気を纏っていてなんだか胸が揺さぶられた。
「小橋さ、俺と一緒に寝るのでもいい? 客用の布団もあったと思うんだけど、母親にさっき聞いたらしばらく使ってなかったから埃っぽいかもって言われて」
「えっ……い、いいよ」
 ここで否定しても宮川を困らせるだけだと思いその言葉に反射的に頷いたけど、動揺で少し声が上擦ってしまった。いつも寄りかかったり、膝に頭を置いて寝たりしてしまっているから今更かもしれないけど、布団の上で一緒に寝るのは訳が違う気がする。でも俺の動揺に宮川はきっと気づいていない。手際良くシーツや布団を整え、ベッドの壁際の方に寝転がった。
「ちょっと狭いかも。いけなくはないけど……寝てる時にぶつかったらごめんな」
「うん……宮川、俺、床で寝るのでも大丈夫だよ」
「それはダメ。小橋が床で寝るくらいなら俺が寝る」
「それこそダメだよ。元々宮川のベッドなのに」
「小橋はお客さんだろ。それに俺の方が多分丈夫だから」
「でも」
「でもじゃない」
 一通りのやり取りをした後、なんだかおかしくなって顔を見合わせて吹き出した。出会った当初は緊張していたけど、最近では幾分か自然に宮川と接することができるようになった気がする。結局電気を消して、二人でベッドの上に寝転がる。お風呂上がりの体からは、甘い匂いをいつもより鮮明に感じた。
「多少狭いけど大丈夫だよ。保健室でもこんな風に距離が近かっただろ」
「……それ、もう思い出したくなかった」
 答えると宮川が少し笑った。宮川にからかう意図はなかったのだろう。でも恥ずかしくて顔が熱くなる。きっと頬も赤くなっているから、部屋が暗くて良かったと思った。

 二人で布団を被り、他愛もない話を続けた。クラスのこと、家族のことや昔のこと。沢山話をする中で、今まで知らなかった宮川のことを知ることができた。でも知れば知るほど、もっと宮川のことを理解していきたいという気持ちが強くなる。明日も学校があるし、早く寝た方がいいだろう。だけどついいろんなことを聞いてしまって、気がつけば時計は零時を回っていた。
「……小橋ってさ、兄貴に似てるんだよ」
 ふと会話が途切れて静寂が広がった後、暗闇の中に静かに放たれた言葉。普段の明るい口調とは違って懐かしむような穏やかな響きを含んでいた。
「宮川のお兄さんに? お兄さん、今は一人暮らしなんだっけ」
「そう。俺と兄貴、十歳離れてるんだよ。歳がそれだけ離れてるから、親代わりというか……とにかく可愛がってもらってさ、めちゃくちゃ懐いてたんだよな」
 昔を懐かしむように続ける。柔らかく幸せそうな口調からは本当に兄が好きだったことが伝わってきて、微笑ましさから気持ちが緩む。
「俺が中一の時に就職したんだけどさ、そこが結構なブラック企業で、残業とかも多かったみたいで……どんどん痩せちゃってさ。何度もそんなとこ辞めればって言ったんだけど、兄貴は俺と違って真面目だし責任感も強いから、あともう少し頑張りたいって言ってて……でも結局、うまく眠れなくなって、体調崩して仕事辞めたんだよ。だからちゃんと眠れてなさそうな小橋を見て、兄貴のことを思い出したんだ」
 眠れないのは辛いよな、という宮川の言葉を思い出した。あの時、言葉に感情がすごく籠っていたのはきっと兄のことを思い出していたのだろう。
「小橋も無理してることがあるような気がするけどさ、体調崩したりしてほしくないから。あ、ちなみに兄貴もしばらく休んだ後に別の会社に就職して、そこでは楽しくやってるみたい。違う県に行っちゃったから、ちょっと会いにくくはなっちゃったけどな」
「そっか……良かった」
 宮川の口調から、お兄さんが今は本当に楽しく暮らしているであろうこと、そんな姿を見て宮川も安心しているであろうことが伝わってきた。昔のことを話している時の声は少し辛そうで痛々しかった。だけど今は明るい声をしていて、宮川が幸せでいてくれることが嬉しかった。同時に自分のことまで心配してくれる優しさに心が和らぐ。
 自分の過去のこと。宮川に話しておきたい気持ちと、そんなに重いことを急に言われても迷惑かもしれないという気持ちとの間で揺れ動いている。しばらく悩みこんで会話を途切れさせてしまった。静寂の後、ふいに宮川がこちらに視線を向ける。
「小橋もさ、なんか話したいことある?」
「え?」
「なんとなくそうかなって。俺ばっかり話してたし、小橋も言いたいことあるなら言ってよ」
 言っていいのか分からない。過去のことを話すことで、余計に気をつかわせてしまうかもしれない。だけど宮川は自分のことを話してくれたのだから、こちらだけ話さずにいるのも不誠実だろう。それに、何もないと言って誤魔化したとしても宮川にはきっと気づかれてしまう。
「……さっき、俺が無理してることがあるような気がする、って言っただろ。中学の時、ちょっと色々あってさ。だから自分を変えなきゃってずっと思ってたんだよ。だから……無理してるように見えるならそのせいかも」
「そっか……俺はまだ小橋について知らないことも沢山あるのかもしれないけど、小橋はそのままでもいいと思うけど……あのさ、色々、って何があったのとか……聞いてもいい? あ、もちろん嫌ならいいんだけど」
 単純な好奇心ではなくて、本当に心配して聞いていることが伝わってきた。宮川には、やっぱりちゃんと本当のことを伝えておかないといけない気がするし、知っておいてほしい気がする。
「……あんまり、人と話したりするのとか苦手で……だから中学の時は色々言われたり、嫌がらせとか……担任にも相談したりしたけど、『お前に原因があるんじゃないか』とか言われちゃって」
 見せ物にされるようにからかわれたり、靴を隠されるなどの小さな嫌がらせを受けたり、そんなことは日常茶飯事だった。馬鹿にされたり、軽んじられた時に感じた、心がすりつぶされてしまうような思いはもうしたくない。そう思って、少しでも周りに認められたくて、高校では勉強を頑張ったり、誰もやりたがらなかったクラス委員を引き受けたりした。だけど人づきあいだけは苦手なままで、高校でも友達と呼べるような存在はまだできていなかった。結局自分は何も変わっていないのか、もっと頑張らなくてはいけないのか。夜になると特に頭が冴えていろんな思いが渦巻いてしまう。暗い思考がノイズになって、寝ようとしてもうまく寝られない日々が続いていた。
「……なんだよそれ。される方が悪いなんて、そんなわけないだろ。それでなんで小橋がここまで苦しまないといけないんだよ」
 いつもの明るくて優しい声とは違って、張り詰めて怒りに満ちた声だった。他の誰かが、自分のためにこんなに怒ってくれるだなんて考えたこともなかった。いろんな感情が入り混じり、涙腺が緩んで思考がぼやける。でもここで泣いて宮川に気をつかわせたくないから、慌てて目を擦った。
「もしかして、眠りが浅いって言ってたのもそれが関係してる?」
 あまりに張り詰めた声で言うものだから、素直に答えるのを戸惑ってしまった。宮川がこんなに怒っているのを見るのは初めてだし、これまで想像もできなかった。その怒りが自分のためのことに向けられている。宮川にはいつも笑っていてほしいけど、それだけ真剣に自分に向き合ってくれているのだと思うとじわじわと心に熱が生まれた。
「……うん。昔のこと思いだすと、なんか寝れなくなっちゃって」
 夜、電気を消して闇と静寂に包まれると、思考が澱んで考えなくていいことまで考えてしまう。色々な思いが絡みついて、眠ろうとしてもいつもうまく眠れなかった。ただベッドの上で体を丸めて、眠気の蜜が自分を覆いつくすことをひたすらに待つ。その時間が憂鬱で、夜はいつも気持ちが沈んだ。しばらくの沈黙の後、隣で宮川が溜息をつく。暗い話をずっとしてしまったから気が沈んだのかもしれない。
「ごめん……暗い話して」
「ううん。話してくれて嬉しい。そんな奴らのために、小橋がそこまで苦しむことない……って言いたいけど、そんな酷いこと言われたら無理もないよな」
「まあ、もう昔のことだから……」
「昔のことでも腹は立つし悔しいだろ。俺も今でも兄貴の前の会社の奴らのこと、すっごいムカついてるし」
 自分が悪い、とばかり考えて、うまく悲しみや怒りの感情を処理できなかった。だから宮川が自分の代わりにこんなに怒ってくれていることが嬉しいし、わだかまっていた感情が綺麗に昇華されていく気がする。宮川はやっぱり優しい。人のことで怒ることができて、澱んでいた感情を掬いあげて溶かしてくれる。彼が俺の心に触れて、寄り添ってくれることが芯から幸せだと思った。
「……今日はよく眠れるといいな。なんか俺にできることある?」
 暗闇の中でも視線の真剣さが分かる。何かを改めてしてくれなくても、そばにいてくれるだけで良かった。寝る時は宮川のことを思い出している、なんて絶対に言えない。だけど宮川の存在が救いで、躊躇しつつもどうしようもなく寄りかかってしまっていた。保健室で宮川が寝ているベッドに入り込んだ時、匂いと体温が心地よくて、いつもでは考えられないほどにすとんと眠りに落ちてしまった。その時からずっと、心地よい眠りのそばにはいつも宮川の存在があった。
「ありがとう……宮川がそばにいてくれると、いつもよりよく眠れる気がするよ」
 甘えて寄りかかりたくない。だけど彼のそばにいると、不思議と心が凪いで体から力が抜けた。今もまどろみを感じて瞼が重くなる。まだ宮川は話しかけてくれているから寝てはいけないと思うけど、油断するとすぐに意識を手放してしまいそうだった。
「……じゃあ、小橋が眠れない時はいつもそばにいるよ」
 甘い言葉と共に全身で体温を感じる。夢との境界があやふやになって、抱きしめられていることが現実なのかそうでないのか分からなかった。だけどどうしようもなく幸せで、夢なのか現実なのかはどうでもいいとすら感じてしまう。
「……うん。そばにいて……」
 そのまま意識は途切れ、眠りの一番底にまで沈み込んでいく。広い海で漂うような、心地の良い眠り。ずっとここでこうしていたくなるような幸福と安堵の時間だった。ずっとそばにいてほしい。叶わぬ願いなのかも知れないけどただそう願った。

 目が覚めた時には、カーテンから覗く空は既に白ばんでいた。いつも感じていた起き抜けの怠さもなく、思考も視界もクリアで清々しい。隣で宮川はまだ眠っていて、長い睫毛が目元に影を落としていた。規則正しい寝息を立てる彼を見ていると、昨日の記憶を薄ぼんやりと思い出した。優しくて温かい言葉を向けられたこと、眠りに落ちる直前、きっと抱きしめられたこと。様々なことを反芻すると鼓動が速まり、体温もどんどん上がっていく。
 宮川のことが好きだ。友達としてだけではなく、もっと特別な意味で。何度も近すぎる距離で触れ合って、抱えておくには強すぎる想いを抱いてしまったし、はっきりと自覚してしまった。沢山話して、やっと友達になれたと思った。でもそれを飛び越えて、もっと強くて生々しい想いが胸の中に溢れている。
 こんな邪な思考を宮川には知られたくない。なんとか隠し通して、友達の関係性を壊さないようにしたいと思った。少しのことで動揺してしまう自分がうまく振る舞えられるのか自信はない。だけど重くて熱っぽい感情を知られてしまって、宮川から避けられてしまうことだけは避けたい。
 思考を巡らせている隣で宮川の瞼が動く。ゆっくりと目を開き、寝起きで少し潤んだ瞳がこちらを捉えた。そういえば、こちらは何度も寝ている姿や寝起きの姿を見られているけど、宮川のそんな姿を見るのは初めてだった。まだおそらく眠気が抜け切っておらず、ふわふわとした雰囲気はいつもとは別の魅力を感じさせる。彼のどんな姿も好きで、もっといろんな姿を見たいと思った。
「宮川、おはよう」
「……おはよ。小橋、ちゃんと眠れた?」
「眠れたよ。なんかすごく頭がすっきりしてる」
「それなら良かった」
 安心したかのように柔らかく笑う表情が穏やかで優しくて、さっき決意したばかりなのに思考が乱れはじめてしまう。良い関係でいたい。だからこそ近づきすぎてはいけない。そう自分を律して宮川の方へと向き直った。
「宮川、昨日と今日はありがとう。その……友達の家に泊まるなんて初めてだったから、すごく楽しかった」
 友達、という言葉を口にするのが恥ずかしくて、不自然に言葉を詰まらせてしまった。宮川に友達以上の邪な感情を抱いてしまっているから、口にするのも少し後ろめたかった。特別な関係を望んでしまう。でもそれは叶わないから、せめて友達の立場ではいたかった。
 いつもなら、宮川は俺の言葉にすぐに笑って返してくれた。だけど今は、俺の言葉に一瞬固まった後に少し考え込む。迷いのあるような表情に、何か気に障ることを言ってしまったのかと不安に襲われた。
「宮川、どうかした……?」
「あっ……ご、ごめんなんでもないよ。こんな風に誰かを泊めてお礼言われることなんてなかったから、小橋って律儀だなって。また遊びに来てよ」
 続く言葉はいつも通り優しくて、きっと杞憂だったのだと思う。友達としてうまく振る舞えているのか、これからうまくいくのかも分からない。だけど宮川のことをもっと知りたくて、明るい笑顔を見ていたくて、沢山の素晴らしいものに囲まれている彼が、隅っこでもいいから俺のこともそばに置いておいてくれることを祈った。