「さて、期末テストを1週間後に控えた訳ですが。」
ある日の放課後、最後の授業が終わるなり、戸村君が心底嫌そうな顔でそう呟いた。机の上には問題集が何冊か置かれている。
戸村君の唐突な話題提示には流石にもう皆慣れたのか、武井君も都築君も黙って戸村君の方を見た。
「滝沢〜!勉強教えてくれ〜!」
「え?僕?」
そうして始まったのは突然の勉強会。
当たり前のように武井君も都築君も巻き込んで、みんなでいつものファミレスへと向かった。
「テニス部の女子マネ達に言われちゃったんだよ!1つでも赤点取ったら夏休みの部内バーベキュー参加出来ないって!!」
悲痛な叫びと共に開示された理由は、なんとも健全な男子高校生らしいもので。なるほど、それで赤点を取る可能性があるから1週間前になって騒いでいるという訳だ。
「ああ、それで...。」
「いや、そんなことより赤点取ったら夏休みは補講になるからね?」
やれやれと肩を竦める都築君。その様子から察するに、中学時代の戸村君は赤点を取ろうが気にしないタイプだったようだ。今更勉強する気になったものだから、どうしたのだろうと思ってみれば、蓋を開ければ思ったよりくだらない理由だった。
その横で僕は、そもそもバーベキューの参加云々の前に、補講が待っていることを冷静に伝える。
「俺も女子とバーベキューしてぇよぉ!!」
「ぶはは!必死すぎ!」
しかしそんな冷酷な事実には見向きもしていない模様。
今、彼を動かすものは女子との戯れへの渇望、ただそれだけだった。
「......。」
「ま、まぁ、理由はともあれ、勉強すること自体はいい事だと思うぞ?」
僕の冷めた目に、武井君が慌ててフォローを入れ始める。な?と、斜め前に座る僕を宥めすかすように笑いかけ、そして机に伏した隣の戸村君の肩に手を置く。
「オレにもついでに教えてくれると助かる。」
「...まあ、武井君が言うなら。」
そういう武井君に免じて、渋々ながら了承する。
「え、何か俺の時と態度違くね?」
「そりぁそうだろ。」
隣で戸村君が不満を漏らしていたが、気にしない。
理由が理由だと、都築君に突っ込まれていた。
そんな経緯がありつつ、早速と勉強を始める。
とりあえずは問題集を解きながら、分からない所があり次第僕が解説する、という流れになった。
「...というか、武井君も勉強苦手なの?」
先程から特に質問をしてこない武井君に、ふと湧いた疑問を投げかける。戸村君のことがある手前、自分も教えて欲しいのだと言ったのかもしれないが、それにしても武井君が勉強が出来ないタイプだとは思わなかったけれど。その証拠に、武井君はさらさらと数学の問題集を解いている。
「うーん...、数学や現代文なんかは得意なんだが...、暗記科目がな...。」
「あ、勉強嫌いだけど地頭が良い奴の言うことだ。」
そう言って、隣に置いてある世界史や生物などの教科書をパラパラと捲り出す。都築君が揶揄うように言うが、確かにそのようだ。法則性があって考えれば分かるような科目は得意だが、そもそもの単語を覚えていないと解けない科目は苦手なようだ。勉強は出来る頭はあるのに、覚えるのが面倒だということか。
「武井君って意外と面倒くさがり屋?」
「え!?...うーん、そう、なのか...?」
自分でもよく分かっていないのか、武井君は首を傾げている。
まあ、武井君はきっと本気を出したら問題無く出来るタイプだろうし、赤点を取る程には至らないだろうから、ひとまず今回の勉強会では焦って色々と教えることは必要なさそうだ。
「滝沢はやっぱり頭良いよな〜。」
目の前で呑気にそういう戸村君は、本当にちゃんと焦った方が良さそうだけれど。
「滝沢は苦手な科目とかないのか?」
戸村君に数学の解説を丁寧にしていると、ふいに武井君からも似たような質問をされた。
苦手な科目か。武井君の言う暗記科目は、ちゃんと教科書を読んでいれば覚えられるし、数学や化学は理屈さえ解れば問題ない。英語も、前世で外交のために複数言語を覚えていた頃に比べれば、なんて事はない。
そうだな、強いて言うなら、
「...体育。」
ボソッと呟いた僕の言葉を聞いてか、賑やかなファミレスに居るはずなのに、一瞬周りが静かになる。
「それはまあ、なんというか...。」
色々と察したのか、武井君が苦笑いの末に口籠もる。
部活動見学に同行したのなら、僕の運動センスの無さはよく知っているだろう。
「この学校プールが無くて良かったな!」
「確かにな!」
はっと今気付いたのか、それとも見当違いな慰めか。戸村君が笑って言う。それに都築君も同調する。
「でも流石にこう暑くなってくると、水に浸かりたい気持ちもあるな...。」
「それも確かに...。」
そして武井君が、珍しく反論を述べる。都築君はそれにも同調した。
それから、
「あ!じゃあさ!夏休み入ったら皆で海行かねぇ!?」
戸村君がとんでもないことを言い始めた。
「それいいな!賛成!」
「確かに、夏休みに部活ばかりっていうのもな。」
しかし皆の好奇心には刺さったようで、僕以外の三人はすっかり海に気持ちを馳せ始めた。
「...海、か。」
実はまだ、今世で一回もまともに見た事はない。
前世はどうかと問われれば、そこまでは記憶になかった。
うみ、海か。確かに、少し心躍る響きである。泳げる自信はないが、見てみたいとは思う。
しかし、海に気持ちが寄り始めた僕を他所に、ほか三人の会話はさらに進んでいく。
「あとさ!夏祭りも行きてぇし、川も行きてぇな!あ、流しそうめんもしたい!それから、ホラゲー大会もやろ!」
「やりたいことばっかだな。」
あれもしたい、これもしたいと、戸村君は既に勉強はそっちのけで夏休みの計画に思考を割いている。その勢いに、都築君も苦笑いだ。武井君も苦笑いしているだろうかと見れば、意外とそんなことも無く、
「いいな、全部やろう。」
いい笑顔でのまさかの全肯定だった。
おや?武井君は暴走する人間を宥める側だと思っていたのだが。
「お!言ったな!お前ら部活ない日全部教えろ!」
武井君の全肯定に気を良くしたのか、戸村君はとうとうスマホを開き出して本格的に計画を練り始めた。
「はいはい後でな〜!」
流石に不味いと思ったのか、都築君がやっと止めだす。
戸村君の目の前にあった問題集は、すっかり隅に追いやられてしまっている。
「勉強教わりに来たんじゃないの。」
「そうだぞ〜!せっかく王子が教えてくれてんだぞ、お前!」
ワントーン下がった僕の声に、都築君が味方になってくれて戸村君を追い立てる。流石に戸村君もはしゃぎ過ぎたと思ったのか、慌てて問題集を開き直してペンを握った。
「うわぁぁん、すみません〜!」
「そうだな。夏休みは補講になりました、じゃ洒落にならないからな。」
武井君の言う通りだ。夏休みの計画を立てるのはいいが、それもこれも補講になってしまったら意味はないのだから。
分かったら今は赤点回避に専念してもらおう。
とりあえず、まずはこの1ページを全て解いてみろと指示をし、勉強に戻ったのを見守る。しかしテスト範囲はこんなものではない、もっと厳しく行く必要がありそうだ。
そう思いながら、今回のテスト範囲を確認していると、ふっと武井君の笑い声が聞こえてきた。不思議に思って武井君を見れば、何故か何時にも増してにこにこと笑っている。何かいい事でもあったのだろうか。
「なんか...こういうの、いいよな。」
武井君は何故か噛み締めるようにしてそう言った。
「こういうの?」
「何が?」
真意が掴めなかった僕と都築君が聞き返せば、変わらず武井君はにっこりと笑う。
「勉強とか、遊びとか。今しかできないことを、全力でやるのって。」
その一言は、どうしてか、僕の中で何度も響いた。
今しかできないこと、か。
「あー...、たしかに?」
「なんかこう、"青春"って感じがしてさ。」
顎に手を添えて考える都築君に、武井君が楽しそうに言う。
きっと、武井君が言っているのは、この学生という期間を大事にするっていう意味合いでの"今しかできないこと"なのだろうが、僕にはそれが、前世を含めての意味に聞こえた。
「あはは!武井、親戚のおじさんかよ!」
「ぶはっ!言われてみれば、ジジイみたいなこと言ってんな!」
「そうか?」
友達と肩を並べてする勉強も、遊びの約束も、信じて疑わない未来の話も、どれも前世の僕には出来なかったことだ。
僕にとっては、全てが"今世だからできること"なのだ。
(そっか...、今だから、できること...、)
目の前にある教科書は変わらないし、ここは見慣れたファミレスで、目の前には毎日のように顔を合わせている友人達。
それなのに目の前の光景は、何故だかいつもより輝いて見えて。
テスト勉強だなんて、前世を思い出すだけでつまらないものでしかなかったけれど、こういうテスト勉強なら、少しは良いかなと思えた。
********
久しぶりに見た夢は、見慣れてしまった殺される瞬間の夢ではなかった。その日見た夢に、武井君が出てくることはなかった。
(これは...、)
殺されるよりも、もっとずっと前の記憶だ。
僕がまだ成人すらもしていない頃。
記憶の夢の中の僕は、目の前にある机に必死に向かっていた。机の上には積み上げられた本に羽根ペン、インク。
そう、王族として幼いながらに勉強を叩き込まれていたあの頃の記憶だ。もちろん、隣には友人なんてものはいない。後ろで控えているのは、何も言わない家庭教師のみ。僕は何かに怯えるように、追い立てられるように、ひたすらに紙にペンを走らせた。
勉強がひと段落して、窓の外を見る。
綺麗に整えられた庭の向こうで、一際豪勢な衣服を身にまとった人物が、沢山の大人達に囲まれていた。
(あれは、1番上の兄...。)
つまりはこの国の王太子だ。
立場上当たり前ではあるが、この城のものは皆王太子に恭しく振舞った。よく見ると、年老いた大人達だけではなく、王太子と同じ年頃の青年達も一緒にいる。
そこへ、同じくらいの人数を伴った集団が近付いて行くのが見えた。その先頭にいる人物を、見間違えることはない。
(...ちち、うえ...。)
過去、幾度となく見てきた前世の夢に、何度も登場してきた国王の姿。特に、この世に生まれ変わってすぐの時の僕にとっては、父親と言えば前世の父親たる国王の方が馴染みが深かった。武井君に殺された夢を見るようになってからは、国王が登場することはなかったけれど。
国王は、王太子の方へと歩み寄り、彼と話しだした。どんな話をしているのだろうか。...父上は、どんな声色で兄と話しているのだろうか。
(...あれ?)
そこで僕は気付いてしまった。
国王の、父上の話している姿の記憶が、無いことに。
思い出せない?いや、違う、これは、
(そんな記憶、最初から存在していないんだ...。)
そうだ、そうだった。あの頃の記憶がぶわりと蘇る。
僕は王国の王子の中でも末の王子。国王が僕に直接会いに来たことなど、無いのだ。父親である国王が子供である王子にどのような声色でどんな言葉をかけるのか。それを僕は知らなかった。
(ああ、そうだ。僕は、)
父上にとって、僕は王子という名の道具で。国のために、有用に使えるただの手駒だった。
父上のため、国のため、僕は独りで王族としての教育を受け、そうして大人になり、また父上のため、国のために、その身を外交の道具とした。
(違う、僕は、自分の意思で...っ!)
────本当に、それは僕の意思だったか?
「っ......!!」
きつく閉じていた目を一気に開けば、そこは今世で見慣れた天井だった。忘れていた息を、ゆっくりと再開させる。
大丈夫、あれはただの夢で、現実の僕は今ここにいる。
(...殺されるよりも、嫌な夢だったな...、)
前世の自分がどのような立場だったかを思い出させるその夢は、既に見慣れてしまった殺される夢なんかよりも、酷く後味の悪いものであった。
そうだ。僕は、前世では道具だった。
自分の意思で何かをしたことなんて、何もなかった。
「う、うぅ...、」
無意識に、嗚咽が漏れた。
僕はそれを無かったことにしようと、必死に首を振った。
(違う、今の僕は違うんだ。)
愛情を持って接してくれる両親も居れば、肩を並べてくれる友人だっている。他でもない自分のために勉強をして、行きたい場所にだって行くし、やりたいことだってやるんだ。
そう、今世なら出来ることを。
武井君が言っていた言葉を思い出す。
それから、彼の笑顔を思い出した。
(そうだ、僕は道具なんかじゃない。)
自分に言い聞かせて、僕はしっかりと目を開けた。気付けば、部屋のカーテンからは光が漏れている。僕はベッドから起き上がった。
ふと横に置いてあったスマホの画面を見れば、メッセージアプリに武井君からのメッセージが来ていることを示していた。
『夏休み、滝沢は行きたい場所あるか?』
もう僕は、自由なんだ。
ある日の放課後、最後の授業が終わるなり、戸村君が心底嫌そうな顔でそう呟いた。机の上には問題集が何冊か置かれている。
戸村君の唐突な話題提示には流石にもう皆慣れたのか、武井君も都築君も黙って戸村君の方を見た。
「滝沢〜!勉強教えてくれ〜!」
「え?僕?」
そうして始まったのは突然の勉強会。
当たり前のように武井君も都築君も巻き込んで、みんなでいつものファミレスへと向かった。
「テニス部の女子マネ達に言われちゃったんだよ!1つでも赤点取ったら夏休みの部内バーベキュー参加出来ないって!!」
悲痛な叫びと共に開示された理由は、なんとも健全な男子高校生らしいもので。なるほど、それで赤点を取る可能性があるから1週間前になって騒いでいるという訳だ。
「ああ、それで...。」
「いや、そんなことより赤点取ったら夏休みは補講になるからね?」
やれやれと肩を竦める都築君。その様子から察するに、中学時代の戸村君は赤点を取ろうが気にしないタイプだったようだ。今更勉強する気になったものだから、どうしたのだろうと思ってみれば、蓋を開ければ思ったよりくだらない理由だった。
その横で僕は、そもそもバーベキューの参加云々の前に、補講が待っていることを冷静に伝える。
「俺も女子とバーベキューしてぇよぉ!!」
「ぶはは!必死すぎ!」
しかしそんな冷酷な事実には見向きもしていない模様。
今、彼を動かすものは女子との戯れへの渇望、ただそれだけだった。
「......。」
「ま、まぁ、理由はともあれ、勉強すること自体はいい事だと思うぞ?」
僕の冷めた目に、武井君が慌ててフォローを入れ始める。な?と、斜め前に座る僕を宥めすかすように笑いかけ、そして机に伏した隣の戸村君の肩に手を置く。
「オレにもついでに教えてくれると助かる。」
「...まあ、武井君が言うなら。」
そういう武井君に免じて、渋々ながら了承する。
「え、何か俺の時と態度違くね?」
「そりぁそうだろ。」
隣で戸村君が不満を漏らしていたが、気にしない。
理由が理由だと、都築君に突っ込まれていた。
そんな経緯がありつつ、早速と勉強を始める。
とりあえずは問題集を解きながら、分からない所があり次第僕が解説する、という流れになった。
「...というか、武井君も勉強苦手なの?」
先程から特に質問をしてこない武井君に、ふと湧いた疑問を投げかける。戸村君のことがある手前、自分も教えて欲しいのだと言ったのかもしれないが、それにしても武井君が勉強が出来ないタイプだとは思わなかったけれど。その証拠に、武井君はさらさらと数学の問題集を解いている。
「うーん...、数学や現代文なんかは得意なんだが...、暗記科目がな...。」
「あ、勉強嫌いだけど地頭が良い奴の言うことだ。」
そう言って、隣に置いてある世界史や生物などの教科書をパラパラと捲り出す。都築君が揶揄うように言うが、確かにそのようだ。法則性があって考えれば分かるような科目は得意だが、そもそもの単語を覚えていないと解けない科目は苦手なようだ。勉強は出来る頭はあるのに、覚えるのが面倒だということか。
「武井君って意外と面倒くさがり屋?」
「え!?...うーん、そう、なのか...?」
自分でもよく分かっていないのか、武井君は首を傾げている。
まあ、武井君はきっと本気を出したら問題無く出来るタイプだろうし、赤点を取る程には至らないだろうから、ひとまず今回の勉強会では焦って色々と教えることは必要なさそうだ。
「滝沢はやっぱり頭良いよな〜。」
目の前で呑気にそういう戸村君は、本当にちゃんと焦った方が良さそうだけれど。
「滝沢は苦手な科目とかないのか?」
戸村君に数学の解説を丁寧にしていると、ふいに武井君からも似たような質問をされた。
苦手な科目か。武井君の言う暗記科目は、ちゃんと教科書を読んでいれば覚えられるし、数学や化学は理屈さえ解れば問題ない。英語も、前世で外交のために複数言語を覚えていた頃に比べれば、なんて事はない。
そうだな、強いて言うなら、
「...体育。」
ボソッと呟いた僕の言葉を聞いてか、賑やかなファミレスに居るはずなのに、一瞬周りが静かになる。
「それはまあ、なんというか...。」
色々と察したのか、武井君が苦笑いの末に口籠もる。
部活動見学に同行したのなら、僕の運動センスの無さはよく知っているだろう。
「この学校プールが無くて良かったな!」
「確かにな!」
はっと今気付いたのか、それとも見当違いな慰めか。戸村君が笑って言う。それに都築君も同調する。
「でも流石にこう暑くなってくると、水に浸かりたい気持ちもあるな...。」
「それも確かに...。」
そして武井君が、珍しく反論を述べる。都築君はそれにも同調した。
それから、
「あ!じゃあさ!夏休み入ったら皆で海行かねぇ!?」
戸村君がとんでもないことを言い始めた。
「それいいな!賛成!」
「確かに、夏休みに部活ばかりっていうのもな。」
しかし皆の好奇心には刺さったようで、僕以外の三人はすっかり海に気持ちを馳せ始めた。
「...海、か。」
実はまだ、今世で一回もまともに見た事はない。
前世はどうかと問われれば、そこまでは記憶になかった。
うみ、海か。確かに、少し心躍る響きである。泳げる自信はないが、見てみたいとは思う。
しかし、海に気持ちが寄り始めた僕を他所に、ほか三人の会話はさらに進んでいく。
「あとさ!夏祭りも行きてぇし、川も行きてぇな!あ、流しそうめんもしたい!それから、ホラゲー大会もやろ!」
「やりたいことばっかだな。」
あれもしたい、これもしたいと、戸村君は既に勉強はそっちのけで夏休みの計画に思考を割いている。その勢いに、都築君も苦笑いだ。武井君も苦笑いしているだろうかと見れば、意外とそんなことも無く、
「いいな、全部やろう。」
いい笑顔でのまさかの全肯定だった。
おや?武井君は暴走する人間を宥める側だと思っていたのだが。
「お!言ったな!お前ら部活ない日全部教えろ!」
武井君の全肯定に気を良くしたのか、戸村君はとうとうスマホを開き出して本格的に計画を練り始めた。
「はいはい後でな〜!」
流石に不味いと思ったのか、都築君がやっと止めだす。
戸村君の目の前にあった問題集は、すっかり隅に追いやられてしまっている。
「勉強教わりに来たんじゃないの。」
「そうだぞ〜!せっかく王子が教えてくれてんだぞ、お前!」
ワントーン下がった僕の声に、都築君が味方になってくれて戸村君を追い立てる。流石に戸村君もはしゃぎ過ぎたと思ったのか、慌てて問題集を開き直してペンを握った。
「うわぁぁん、すみません〜!」
「そうだな。夏休みは補講になりました、じゃ洒落にならないからな。」
武井君の言う通りだ。夏休みの計画を立てるのはいいが、それもこれも補講になってしまったら意味はないのだから。
分かったら今は赤点回避に専念してもらおう。
とりあえず、まずはこの1ページを全て解いてみろと指示をし、勉強に戻ったのを見守る。しかしテスト範囲はこんなものではない、もっと厳しく行く必要がありそうだ。
そう思いながら、今回のテスト範囲を確認していると、ふっと武井君の笑い声が聞こえてきた。不思議に思って武井君を見れば、何故か何時にも増してにこにこと笑っている。何かいい事でもあったのだろうか。
「なんか...こういうの、いいよな。」
武井君は何故か噛み締めるようにしてそう言った。
「こういうの?」
「何が?」
真意が掴めなかった僕と都築君が聞き返せば、変わらず武井君はにっこりと笑う。
「勉強とか、遊びとか。今しかできないことを、全力でやるのって。」
その一言は、どうしてか、僕の中で何度も響いた。
今しかできないこと、か。
「あー...、たしかに?」
「なんかこう、"青春"って感じがしてさ。」
顎に手を添えて考える都築君に、武井君が楽しそうに言う。
きっと、武井君が言っているのは、この学生という期間を大事にするっていう意味合いでの"今しかできないこと"なのだろうが、僕にはそれが、前世を含めての意味に聞こえた。
「あはは!武井、親戚のおじさんかよ!」
「ぶはっ!言われてみれば、ジジイみたいなこと言ってんな!」
「そうか?」
友達と肩を並べてする勉強も、遊びの約束も、信じて疑わない未来の話も、どれも前世の僕には出来なかったことだ。
僕にとっては、全てが"今世だからできること"なのだ。
(そっか...、今だから、できること...、)
目の前にある教科書は変わらないし、ここは見慣れたファミレスで、目の前には毎日のように顔を合わせている友人達。
それなのに目の前の光景は、何故だかいつもより輝いて見えて。
テスト勉強だなんて、前世を思い出すだけでつまらないものでしかなかったけれど、こういうテスト勉強なら、少しは良いかなと思えた。
********
久しぶりに見た夢は、見慣れてしまった殺される瞬間の夢ではなかった。その日見た夢に、武井君が出てくることはなかった。
(これは...、)
殺されるよりも、もっとずっと前の記憶だ。
僕がまだ成人すらもしていない頃。
記憶の夢の中の僕は、目の前にある机に必死に向かっていた。机の上には積み上げられた本に羽根ペン、インク。
そう、王族として幼いながらに勉強を叩き込まれていたあの頃の記憶だ。もちろん、隣には友人なんてものはいない。後ろで控えているのは、何も言わない家庭教師のみ。僕は何かに怯えるように、追い立てられるように、ひたすらに紙にペンを走らせた。
勉強がひと段落して、窓の外を見る。
綺麗に整えられた庭の向こうで、一際豪勢な衣服を身にまとった人物が、沢山の大人達に囲まれていた。
(あれは、1番上の兄...。)
つまりはこの国の王太子だ。
立場上当たり前ではあるが、この城のものは皆王太子に恭しく振舞った。よく見ると、年老いた大人達だけではなく、王太子と同じ年頃の青年達も一緒にいる。
そこへ、同じくらいの人数を伴った集団が近付いて行くのが見えた。その先頭にいる人物を、見間違えることはない。
(...ちち、うえ...。)
過去、幾度となく見てきた前世の夢に、何度も登場してきた国王の姿。特に、この世に生まれ変わってすぐの時の僕にとっては、父親と言えば前世の父親たる国王の方が馴染みが深かった。武井君に殺された夢を見るようになってからは、国王が登場することはなかったけれど。
国王は、王太子の方へと歩み寄り、彼と話しだした。どんな話をしているのだろうか。...父上は、どんな声色で兄と話しているのだろうか。
(...あれ?)
そこで僕は気付いてしまった。
国王の、父上の話している姿の記憶が、無いことに。
思い出せない?いや、違う、これは、
(そんな記憶、最初から存在していないんだ...。)
そうだ、そうだった。あの頃の記憶がぶわりと蘇る。
僕は王国の王子の中でも末の王子。国王が僕に直接会いに来たことなど、無いのだ。父親である国王が子供である王子にどのような声色でどんな言葉をかけるのか。それを僕は知らなかった。
(ああ、そうだ。僕は、)
父上にとって、僕は王子という名の道具で。国のために、有用に使えるただの手駒だった。
父上のため、国のため、僕は独りで王族としての教育を受け、そうして大人になり、また父上のため、国のために、その身を外交の道具とした。
(違う、僕は、自分の意思で...っ!)
────本当に、それは僕の意思だったか?
「っ......!!」
きつく閉じていた目を一気に開けば、そこは今世で見慣れた天井だった。忘れていた息を、ゆっくりと再開させる。
大丈夫、あれはただの夢で、現実の僕は今ここにいる。
(...殺されるよりも、嫌な夢だったな...、)
前世の自分がどのような立場だったかを思い出させるその夢は、既に見慣れてしまった殺される夢なんかよりも、酷く後味の悪いものであった。
そうだ。僕は、前世では道具だった。
自分の意思で何かをしたことなんて、何もなかった。
「う、うぅ...、」
無意識に、嗚咽が漏れた。
僕はそれを無かったことにしようと、必死に首を振った。
(違う、今の僕は違うんだ。)
愛情を持って接してくれる両親も居れば、肩を並べてくれる友人だっている。他でもない自分のために勉強をして、行きたい場所にだって行くし、やりたいことだってやるんだ。
そう、今世なら出来ることを。
武井君が言っていた言葉を思い出す。
それから、彼の笑顔を思い出した。
(そうだ、僕は道具なんかじゃない。)
自分に言い聞かせて、僕はしっかりと目を開けた。気付けば、部屋のカーテンからは光が漏れている。僕はベッドから起き上がった。
ふと横に置いてあったスマホの画面を見れば、メッセージアプリに武井君からのメッセージが来ていることを示していた。
『夏休み、滝沢は行きたい場所あるか?』
もう僕は、自由なんだ。
