それからついに学園祭の日を迎えた。
開催時刻よりも前から集まり、クラスの皆で舞台の準備をする。背景パネルの設置から小道具の配置など、とにかく忙しい。
僕はメイン役者なのでそういった準備は免除となったが、それよりも動かない、いや動けない理由があった。
「「めっちゃ似合う。」」
クラスメイトが口を揃えてそう言う僕の姿。
ベルベット調の生地で、たっぷりとしたドレープをあしらった深紅のドレスは、身長の高い僕に合わせてピッタリに作られている。合わせて用意されたヒールの高い靴とイヤリング。頭には豪華に見えるティアラ。
いやこれどうしたんだ。
学園祭で使える経費をどう見ても超しているが、衣装係は本気を出し過ぎだと思う。
確かに、悪の女王役というからには、それなりに豪華な衣装が必要だ。だから、豪華なのは納得いくのだが、それにしては不審な点も多かった。
「いやこれ、女装というか…?ウィッグ付けたりしなくて良かったの?」
本格的な女装を覚悟していたのだが、それにしては少し中途半端だった。胸パットを入れられることもなければ、長いウィッグをかぶらされることもなかった。おまけにメイクは思ったよりも薄め。ほとんどドレスを着ただけの僕だった。
「いや、そのままでいい。」
「綺麗な髪色が勿体ない。」
苦言を呈せば、皆が口々に反論しては首を横に振る。
まあ、皆が良いというならもうそれで良い。
ただ、高いヒールというのが本当にいただけない。
劇中に転ぶことがないように歩行練習はした。しかしそれで準備を手伝ったりできるかと言われれば、そこまで上達はしていない。それに立つだけで体力を使うのだ。正直脱ぎたい。
「いいの!滝沢君は座ってて!」
「女王様は働かないで!」
「はあ…。」
良く分からないが、そう言うのなら座っていればいいか、とドレスの中に丸椅子をしまい込んでそのまま座る。ドレスが皺にならないようにするには、こうするしかない。
「お、滝沢は準備万端だな。」
そうしていると、例の騎士衣装を纏った武井君がこちらへ来た。試着の時より少し改良がされたそれは、より武井君に似合っていた。よく見ると他の騎士役の生徒の衣装よりも装飾が豪華だ。
「武井君もね。…なんか、衣装派手になった?」
「騎士役の中でも、騎士団長役になったらしい。」
胸に勲章のような飾りが着いているのを見ながら、武井君に聞くとまさかの回答が。
その答えに思わず笑ってしまう。
「ふふっ、また昇進してるじゃん。」
「ははっ、そうだな。」
前世同様、騎士団長に昇格したらしい彼。うん、やっぱり武井君はその姿が似合っている。
「どうせなら、アレもやっておこうか?」
「…アレ?」
すると武井君は、その場に跪く。
そして僕の手を取り、その手の甲に小さくキスをした。
「騎士団長、レオナルド・シュナイゼン。…貴方様に、忠誠を誓います。」
ふっ、と柔らかく細められた海色の眼は、どこまでも真っ直ぐに僕を射抜いた。その瞬間、時が止まったような錯覚に陥って。目の前の武井君が、今の自分が、前世の二人として今この場に立っている感覚になった。目の前で忠誠を誓う彼がまるで、隣国の騎士ではなく、王子の僕に仕える騎士に見えた。
僕達の夢が、また一つ叶った瞬間だった。
「…ちゃんと守ってよね?僕の騎士様。」
「仰せのままに。」
武井君の意図を理解して、僕もにやりと笑って悪ノリに便乗するように返事をする。武井君もまた笑った。
そんな茶番にも見えるやり取りを、周りで準備するクラスメイト達は、しっかり聞いていたようで。
「ぶはっ!」
「いや、お前ら主役じゃねーから!」
「お前ら悪役だって!倒されなきゃなの!」
物語の台本にはないけども、クオリティの高いオリジナルの即興劇に、戸村君や都築君達が爆笑している。
今の題目、"女王と忠実を誓う騎士"はなかなかの名シーンだろう。なんせ主役の僕達は、演技ではなく本気で言っていたのだから。
「ははっ、わかってるって!」
「今の、良かったでしょ?」
本気のやり取りを茶番と見せかけるために、パッと切り替えて皆と一緒に笑い合う。
いいウォーミングアップとなった。なんだか本番でもいい演技が出来そうだ。それこそ、練習の時よりももっと熱の入った、本気と見紛う演技が。
********
「お待たせ。」
「いいよ、お疲れ様。」
剣道部の練習場の片付けを終わらせた武井くんが、帰り支度を済まして僕へと声をかける。
調理部の活動があった日は、こうして武井君の部活が終わるのを少し待って、一緒に帰るようにした。その日の調理部での練習成果を報告し、時にはそこで作ったお菓子などの差し入れをすることもあった。
今日は武井君が練習場の片付け当番の日だったようで、帰りが少し遅くなった。剣道部員も、今は武井君しか残っていない。
遅くなるから今日は待たなくていい、と武井君には言われていたが、僕が一緒に帰りたい気分だったのだ。
すっかり暗くなってしまった空の下、人の居なくなった校舎の外を歩く。
「良かったね、最優秀賞だってさ。」
「そりゃあ、本気でやったからな。」
学園祭から数日経った今日、クラス別の模擬店や出し物の最優秀賞が発表された。
結果は、僕達1-Cの優勝だ。
演劇はそのクオリティから大盛況となった。ストーリーも然ることながら、大道具や小道具のクオリティ、衣装の豪華さ、そして役者の演技力が観客の心を掴んだようで、投票では圧倒的な差をつけて1位になったらしい。
「楽しかったか?」
僕にそう問いかける武井君の目は優しい。
今を楽しむこと。それは僕達二人の共通目標だ。
「うん、楽しかった!」
そして、僕が幸せであることが武井君の願いであるのならば、僕はこの生を謳歌するだけだ。
今度は僕が武井君の願いを叶える番なのだから。
「ふふ、どんどん夢が叶っちゃうね。」
武井君とやりたいことの夢を叶えて幸せになる僕と、僕が幸せなことで夢が叶う武井君。なんて素敵な永久機関だろうか。
「やりたいこと、行きたい場所、あったら何でも言ってくれ。付き合うぞ。」
「ありがとう!あ、今度の休み空いてたら──…」
今世でやりたいことは、まだまだいっぱいある。ゲームもカラオケもやってみたいし、遊園地や動物園だって行ってみたい。
「あと、教科書の貸し借りっていうのもやってみたい。」
「それは、忘れた時にやるやつだな…。」
もちろん、高校生活ならではのこともやってみたい。
高校生と言えば、というあるあるも調べたのだから。
「あと授業サボったり、屋上でお弁当食べたり。」
「…何かに影響受けたか?」
「この前見た漫画。」
そう言うと、武井君は少し面食らった後に大きく笑った。
僕は構わずに、漫画の中で行われていたやり取りを挙げていく。
「あとは、授業中メモを渡しあったり…、」
真面目なトーンで、不良じみた行為をもしてみたいと言う僕に、武井君はクスクス笑っている。自分でも、らしくない願望だとは思っているが、前世で良い子にし過ぎた反動かもしれない。
「…他にもあるか?」
ようやく笑いを収めた武井君だったが、まだ少し引きずっている。よっぽど僕の意外な願望が面白かったらしい。その続きを聞かれる。
「それから…、そうだな…、」
漫画で見たような高校生活。挙げればキリはないけど、それでもやっぱり今世で一番やってみたいことがある。
「…自由恋愛が、してみたいな。」
はっきり言うのは少し気恥しくて、少しだけ声が小さくなってしまったけれども、武井君の笑いが完全に止まったことから、彼にもその言葉がしっかり届いたのが分かった。
「…滝沢、」
歩いていた僕の手を、武井君が掴んだ。
立ち止まった武井君に引っ張られて、僕もその場で立ち止まった。その瞬間、武井君が僕に大きく近付いて、一瞬で距離がゼロになった。
「へ?」
驚いたのも束の間、唇に柔らかい何かが触れた。
何か、ではない。これは間違いなく、武井君の唇で。
思わず目を見開けば、視界いっぱいに海の輝きがあった。
「全部、俺が付き合ってやる。」
青く澄んだ美しい瞳が、悪戯っぽく、そして愛おしげに細められた。
********
「ねぇ、武井君はいつから僕に気があったの?」
校門を出て、駅に着くまでの僅かな距離。
僕は武井君に気になっていたことを聞いてみた。
「…っ、げほっ、」
突然かつ核心に触れるような質問に、武井君が咽る。
けれども、僕に優しい武井君は難しい質問にもちゃんと答えてくれる。
「それは…、一目惚れというか、なんというか…、」
少し濁してはいるが、照れた武井君の表情から察するに本音なようだ。
一目惚れ、ということは前世で僕の顔を初めて見た時、ということだ。そんなに前からだったのか。
「ふふ、記憶があったのに隠すのが上手いね。」
僕の記憶の中では前世の武井君はほぼ無表情だ。まさか僕を慕ってくれていただなんて、思いもしなかった。
「それじゃあ、入学早々僕が来てびっくりしたでしょ。」
「当たり前だろ!顔に出さないように必死だったんだぞ。」
ただ前世で殺しただけの人間と今世で再会するのとは訳が違うのだ。苦渋の思いで殺した想い人と再会したのだから、それはもう言葉にも表せない程の感動だっただろう。今世の武井君は表情が以前より柔らかくなったのに、よく耐えたなと思う。
「そういえば、笑顔ができるようになったよね。」
あんなに無表情だった彼が、こんなにもよく笑うようになったのは、今考えれば驚きだ。
すると武井君にも思う所はあったのだろう、自嘲気味な少しの苦笑いの後に、彼は星空を見上げて、安心したような表情で言う。
「まあ今世は平和だからな、気を張る必要はないかと思って。」
あの頃の武井君は常に気を張り巡らせるような生活をしていたのだろう。身分という後ろ盾の無い彼にとって、剣と自らの腕だけが、唯一信じることの出来るもので。せっかく掴み取った騎士という地位。優秀で模範的、そして誰よりも高潔な騎士として、いつどんな時でも冷静に、慎重に。そういった気負いが、彼をそうさせていたのだろう。
「笑って今世を楽しまないと損だろう?」
それも今は昔の話だ。
もう彼を縛るものはない。
好きなだけ笑って、好きなだけ今を楽しんで。誰よりを今を大切にする彼に、僕はまた憧れるんだ。
「ふふ、僕、やっぱり君になら殺されてもいいかも。」
彼に憧れた前世を思い出して、自分は変わらないなと思った。
君はいつまでも、僕の憧れだ。そんな君になら、僕は命だって差し出したっていいと、思えてしまうんだ。
「よせよ、悪い冗談だな。」
にっこりと笑って言った僕に、彼は困ったように笑う。
「こんな平和な世に生まれたんだ。ヨボヨボの爺さんになるまで長生きしてやろうぜ。」
それもそうだ。
今世はまだまだ、やりたいことがいっぱいある。
「もちろん、一緒にな?」
「うん。」
遊んで、勉強して、学校行事に部活だって頑張って、友達だってもっといっぱい作って、恋愛だって楽しんで、
そうして君と、長く一緒に、最期の時まで一緒に居たいんだ。
開催時刻よりも前から集まり、クラスの皆で舞台の準備をする。背景パネルの設置から小道具の配置など、とにかく忙しい。
僕はメイン役者なのでそういった準備は免除となったが、それよりも動かない、いや動けない理由があった。
「「めっちゃ似合う。」」
クラスメイトが口を揃えてそう言う僕の姿。
ベルベット調の生地で、たっぷりとしたドレープをあしらった深紅のドレスは、身長の高い僕に合わせてピッタリに作られている。合わせて用意されたヒールの高い靴とイヤリング。頭には豪華に見えるティアラ。
いやこれどうしたんだ。
学園祭で使える経費をどう見ても超しているが、衣装係は本気を出し過ぎだと思う。
確かに、悪の女王役というからには、それなりに豪華な衣装が必要だ。だから、豪華なのは納得いくのだが、それにしては不審な点も多かった。
「いやこれ、女装というか…?ウィッグ付けたりしなくて良かったの?」
本格的な女装を覚悟していたのだが、それにしては少し中途半端だった。胸パットを入れられることもなければ、長いウィッグをかぶらされることもなかった。おまけにメイクは思ったよりも薄め。ほとんどドレスを着ただけの僕だった。
「いや、そのままでいい。」
「綺麗な髪色が勿体ない。」
苦言を呈せば、皆が口々に反論しては首を横に振る。
まあ、皆が良いというならもうそれで良い。
ただ、高いヒールというのが本当にいただけない。
劇中に転ぶことがないように歩行練習はした。しかしそれで準備を手伝ったりできるかと言われれば、そこまで上達はしていない。それに立つだけで体力を使うのだ。正直脱ぎたい。
「いいの!滝沢君は座ってて!」
「女王様は働かないで!」
「はあ…。」
良く分からないが、そう言うのなら座っていればいいか、とドレスの中に丸椅子をしまい込んでそのまま座る。ドレスが皺にならないようにするには、こうするしかない。
「お、滝沢は準備万端だな。」
そうしていると、例の騎士衣装を纏った武井君がこちらへ来た。試着の時より少し改良がされたそれは、より武井君に似合っていた。よく見ると他の騎士役の生徒の衣装よりも装飾が豪華だ。
「武井君もね。…なんか、衣装派手になった?」
「騎士役の中でも、騎士団長役になったらしい。」
胸に勲章のような飾りが着いているのを見ながら、武井君に聞くとまさかの回答が。
その答えに思わず笑ってしまう。
「ふふっ、また昇進してるじゃん。」
「ははっ、そうだな。」
前世同様、騎士団長に昇格したらしい彼。うん、やっぱり武井君はその姿が似合っている。
「どうせなら、アレもやっておこうか?」
「…アレ?」
すると武井君は、その場に跪く。
そして僕の手を取り、その手の甲に小さくキスをした。
「騎士団長、レオナルド・シュナイゼン。…貴方様に、忠誠を誓います。」
ふっ、と柔らかく細められた海色の眼は、どこまでも真っ直ぐに僕を射抜いた。その瞬間、時が止まったような錯覚に陥って。目の前の武井君が、今の自分が、前世の二人として今この場に立っている感覚になった。目の前で忠誠を誓う彼がまるで、隣国の騎士ではなく、王子の僕に仕える騎士に見えた。
僕達の夢が、また一つ叶った瞬間だった。
「…ちゃんと守ってよね?僕の騎士様。」
「仰せのままに。」
武井君の意図を理解して、僕もにやりと笑って悪ノリに便乗するように返事をする。武井君もまた笑った。
そんな茶番にも見えるやり取りを、周りで準備するクラスメイト達は、しっかり聞いていたようで。
「ぶはっ!」
「いや、お前ら主役じゃねーから!」
「お前ら悪役だって!倒されなきゃなの!」
物語の台本にはないけども、クオリティの高いオリジナルの即興劇に、戸村君や都築君達が爆笑している。
今の題目、"女王と忠実を誓う騎士"はなかなかの名シーンだろう。なんせ主役の僕達は、演技ではなく本気で言っていたのだから。
「ははっ、わかってるって!」
「今の、良かったでしょ?」
本気のやり取りを茶番と見せかけるために、パッと切り替えて皆と一緒に笑い合う。
いいウォーミングアップとなった。なんだか本番でもいい演技が出来そうだ。それこそ、練習の時よりももっと熱の入った、本気と見紛う演技が。
********
「お待たせ。」
「いいよ、お疲れ様。」
剣道部の練習場の片付けを終わらせた武井くんが、帰り支度を済まして僕へと声をかける。
調理部の活動があった日は、こうして武井君の部活が終わるのを少し待って、一緒に帰るようにした。その日の調理部での練習成果を報告し、時にはそこで作ったお菓子などの差し入れをすることもあった。
今日は武井君が練習場の片付け当番の日だったようで、帰りが少し遅くなった。剣道部員も、今は武井君しか残っていない。
遅くなるから今日は待たなくていい、と武井君には言われていたが、僕が一緒に帰りたい気分だったのだ。
すっかり暗くなってしまった空の下、人の居なくなった校舎の外を歩く。
「良かったね、最優秀賞だってさ。」
「そりゃあ、本気でやったからな。」
学園祭から数日経った今日、クラス別の模擬店や出し物の最優秀賞が発表された。
結果は、僕達1-Cの優勝だ。
演劇はそのクオリティから大盛況となった。ストーリーも然ることながら、大道具や小道具のクオリティ、衣装の豪華さ、そして役者の演技力が観客の心を掴んだようで、投票では圧倒的な差をつけて1位になったらしい。
「楽しかったか?」
僕にそう問いかける武井君の目は優しい。
今を楽しむこと。それは僕達二人の共通目標だ。
「うん、楽しかった!」
そして、僕が幸せであることが武井君の願いであるのならば、僕はこの生を謳歌するだけだ。
今度は僕が武井君の願いを叶える番なのだから。
「ふふ、どんどん夢が叶っちゃうね。」
武井君とやりたいことの夢を叶えて幸せになる僕と、僕が幸せなことで夢が叶う武井君。なんて素敵な永久機関だろうか。
「やりたいこと、行きたい場所、あったら何でも言ってくれ。付き合うぞ。」
「ありがとう!あ、今度の休み空いてたら──…」
今世でやりたいことは、まだまだいっぱいある。ゲームもカラオケもやってみたいし、遊園地や動物園だって行ってみたい。
「あと、教科書の貸し借りっていうのもやってみたい。」
「それは、忘れた時にやるやつだな…。」
もちろん、高校生活ならではのこともやってみたい。
高校生と言えば、というあるあるも調べたのだから。
「あと授業サボったり、屋上でお弁当食べたり。」
「…何かに影響受けたか?」
「この前見た漫画。」
そう言うと、武井君は少し面食らった後に大きく笑った。
僕は構わずに、漫画の中で行われていたやり取りを挙げていく。
「あとは、授業中メモを渡しあったり…、」
真面目なトーンで、不良じみた行為をもしてみたいと言う僕に、武井君はクスクス笑っている。自分でも、らしくない願望だとは思っているが、前世で良い子にし過ぎた反動かもしれない。
「…他にもあるか?」
ようやく笑いを収めた武井君だったが、まだ少し引きずっている。よっぽど僕の意外な願望が面白かったらしい。その続きを聞かれる。
「それから…、そうだな…、」
漫画で見たような高校生活。挙げればキリはないけど、それでもやっぱり今世で一番やってみたいことがある。
「…自由恋愛が、してみたいな。」
はっきり言うのは少し気恥しくて、少しだけ声が小さくなってしまったけれども、武井君の笑いが完全に止まったことから、彼にもその言葉がしっかり届いたのが分かった。
「…滝沢、」
歩いていた僕の手を、武井君が掴んだ。
立ち止まった武井君に引っ張られて、僕もその場で立ち止まった。その瞬間、武井君が僕に大きく近付いて、一瞬で距離がゼロになった。
「へ?」
驚いたのも束の間、唇に柔らかい何かが触れた。
何か、ではない。これは間違いなく、武井君の唇で。
思わず目を見開けば、視界いっぱいに海の輝きがあった。
「全部、俺が付き合ってやる。」
青く澄んだ美しい瞳が、悪戯っぽく、そして愛おしげに細められた。
********
「ねぇ、武井君はいつから僕に気があったの?」
校門を出て、駅に着くまでの僅かな距離。
僕は武井君に気になっていたことを聞いてみた。
「…っ、げほっ、」
突然かつ核心に触れるような質問に、武井君が咽る。
けれども、僕に優しい武井君は難しい質問にもちゃんと答えてくれる。
「それは…、一目惚れというか、なんというか…、」
少し濁してはいるが、照れた武井君の表情から察するに本音なようだ。
一目惚れ、ということは前世で僕の顔を初めて見た時、ということだ。そんなに前からだったのか。
「ふふ、記憶があったのに隠すのが上手いね。」
僕の記憶の中では前世の武井君はほぼ無表情だ。まさか僕を慕ってくれていただなんて、思いもしなかった。
「それじゃあ、入学早々僕が来てびっくりしたでしょ。」
「当たり前だろ!顔に出さないように必死だったんだぞ。」
ただ前世で殺しただけの人間と今世で再会するのとは訳が違うのだ。苦渋の思いで殺した想い人と再会したのだから、それはもう言葉にも表せない程の感動だっただろう。今世の武井君は表情が以前より柔らかくなったのに、よく耐えたなと思う。
「そういえば、笑顔ができるようになったよね。」
あんなに無表情だった彼が、こんなにもよく笑うようになったのは、今考えれば驚きだ。
すると武井君にも思う所はあったのだろう、自嘲気味な少しの苦笑いの後に、彼は星空を見上げて、安心したような表情で言う。
「まあ今世は平和だからな、気を張る必要はないかと思って。」
あの頃の武井君は常に気を張り巡らせるような生活をしていたのだろう。身分という後ろ盾の無い彼にとって、剣と自らの腕だけが、唯一信じることの出来るもので。せっかく掴み取った騎士という地位。優秀で模範的、そして誰よりも高潔な騎士として、いつどんな時でも冷静に、慎重に。そういった気負いが、彼をそうさせていたのだろう。
「笑って今世を楽しまないと損だろう?」
それも今は昔の話だ。
もう彼を縛るものはない。
好きなだけ笑って、好きなだけ今を楽しんで。誰よりを今を大切にする彼に、僕はまた憧れるんだ。
「ふふ、僕、やっぱり君になら殺されてもいいかも。」
彼に憧れた前世を思い出して、自分は変わらないなと思った。
君はいつまでも、僕の憧れだ。そんな君になら、僕は命だって差し出したっていいと、思えてしまうんだ。
「よせよ、悪い冗談だな。」
にっこりと笑って言った僕に、彼は困ったように笑う。
「こんな平和な世に生まれたんだ。ヨボヨボの爺さんになるまで長生きしてやろうぜ。」
それもそうだ。
今世はまだまだ、やりたいことがいっぱいある。
「もちろん、一緒にな?」
「うん。」
遊んで、勉強して、学校行事に部活だって頑張って、友達だってもっといっぱい作って、恋愛だって楽しんで、
そうして君と、長く一緒に、最期の時まで一緒に居たいんだ。
