隣の席の武井君は前世で僕を殺した奴に似ている


「…僕を、殺してくれて、ありがとう。」

お願いした通り、僕を殺してくれた武井君に、僕は感謝をした。
そう伝えた瞬間、元より険しかった武井君の表情が、さらに苦痛に歪む。彼の腕から力が抜けて、僕の腕からするりと外れて落ちていった。

「…っ、すまなかっ…た…。」

俯いて、酷く苦しそうに謝る彼。
僕を殺したことを後悔しているようだった。僕から殺して欲しいと頼んだのに、武井君は僕が怒っているとでも思っているのだろうか。

「武井君も記憶、あったんだね…。」
「…黙っていてすまない。」
「僕だって黙ってたんだから、お互い様だよ。」
「……。」

前世のことは、お互いにしっかりと記憶にあるらしい。
特に武井君の様子を見るに、彼は僕を殺したあの時の事をよく覚えている上に、とても嫌な思い出として残っているのだろう。
今までよく隠し通してきたな、と思った。
僕だって、最初は武井君の顔を見る度怯えていたのに、武井君は最初からずっと僕に笑顔で優しく接してくれていた。

「まさか、あのシュナイゼン卿とまた会えるだなんて。凄い巡り合わせだよね。」

重くなった空気に息が詰まって、思わず沈黙を破るように僕は笑って見せた。
本当に、なんという巡り合わせの運命だろうか。片や前世での憧れの人にまた会えたと喜び、片や殺してしまった後悔を持つ相手とまた会ってしまったのだから。それも、ただ会うだけでなく、隣の席にまでなってしまうだなんて。

「また君に会えて嬉しいよ。前世では、憧れの君と話せる機会なんてほとんど無かったから。」

そう、僕にとってはそれは幸運なことだった。
憧れ続けた相手と、こうして親しくなることができたのだから。
前世の僕は亡国の末王子で、彼は隣国の騎士だった。親しくなることはおろか、気軽に話しかけることすらも、そう何度も会うことすら出来ない。ただ遠くからずっと、彼の生き様に密かに憧れ続けただけなのだから。

「ねぇ、そんな顔しないでよ。僕を殺したのは、間違った事でも悔やむ事でもないんだよ。」

戦争に敗れた国の王族が殺されるのは当然のことで。戦勝国の騎士である彼が僕を殺すのは、必然の流れであった。
だからそもそも武井君が罪悪感を覚える必要はどこにもないし、僕を殺したからといってその後の彼の人生が悪いものになる事もなかったはずだ。

「…本当に、すまなかった…。」

それでも謝罪の言葉を続けた武井君。
彼にそれほどまでのトラウマを与えてしまったのなら、むしろ謝るべきはこちら側なのに。

「なんで君が謝るの?」

本人が殺すよう頼んだのだ。こちらが彼に感謝をすることはあれど、彼が僕に謝罪をする必要はない。
何が彼をそこまで追い詰めるのか。疑問に思って聞けば、武井君はその震えた唇を動かした。

「…貴方を…、…救ってやれなかった。」

その一言で、単に彼が殺した事自体を悔やんでいる訳ではないと知る。
武井君は、あの時僕を助けられないかと考えていたのだ。

しかしあの時の僕はもう、生きることを諦めていて。攻め落とした城内を探せば、末王子は逃げも隠れもせずに部屋にいた。さらには、抵抗するどころか殺して欲しいと懇願までする始末だ。戦火という諸悪の根源たる亡国の、生き残っている王族をこの場で処刑するのは当然の流れの中、彼の周りには複数の部下が居てそれを見守っている。

そんなあの場で、彼は僕を助けようとした。しかし当然、生かすことも逃がすことも出来る訳がない。
武井君はそれをずっと、後悔していたというのだ。

「そんなことない。武井君は僕を救ってくれた。」

僕は真っ直ぐに武井君の眼を見て言う。
なにも命を助けることだけが救いではない。

「…俺には殺すことしか、出来なかった。」
「違うよ。それが僕にとっての"救い"だったんだ。」

武井君が僕を殺すこと。それ自体が救いだった。

ただ道具として生きてきた僕は、そこに生きた価値を見出せないでいた。生まれた時から地位だけは与えられていて、僕の意志とは無関係に、僕の生きる道は決まっていて。

一方で、隣国の英雄たる彼は、生まれの身分などものともせず、自分の意志と力で生きる道を決めて進んだ。運命に抗うために自ら剣を持った彼は、その手で数々の栄光と功績を掴んだ。

そんな二人が最後に出会ったあの瞬間。
身分という存在そのものにしか価値のない自分に、生きた証を、意味ある生を、この世に残すには何があるのかと、考えていた僕の目の前に現れた彼。
その時僕は思い至ったのだ。身分だけの僕の価値は、その存在ごと彼の手柄として、その栄誉の糧としてしまえば良いのだと。

僕のこの命が、彼のものになるのなら。
僕の生きた意味が、彼の功績になるのなら。

それは間違いなく、僕にとっての"救い"であった。

「そんなの…、」

納得出来ないとばかりに、歯を食いしばる彼。
死を救いだという僕の考えは、彼には少し理解が難しいようだ。

「僕にとっては、君に殺されることが、最も価値あることだったんだよ。」
「どうして、」

その剣で、誰かを殺すことで自分の価値を上げてきた武井君にはやはり、殺されることに価値を見出すということ自体が、そもそも理解の及ばない考えのようで。

困ったな、これでは武井君に一生謝られてしまいそうだ。
そんなことよりも僕は、武井君と今世を謳歌したいのだけれど。
うん、そうだな…、武井君にも解るような言葉で伝えてみよう。

「だって、好きな人に殺されるだなんて、これ以上ない最期じゃないか。」
「...!」

武井君の目が見開く。…武井君も、そう思うでしょ?
最期の死ぬ瞬間、憧れ続けた、自分の一番好きな人を視界いっぱいに映してから、目を閉じることが出来るのだから。

「だからお願い、後悔しないで武井君。」

祈るようにそう伝えると、僕は武井君の元へと近付くべく、ゆっくりと階段を一段下りた。
俯くその頬に、そっと手を伸ばす。階段のせいで、いつもより武井君の顔が近い。

「そのお陰で、こうしてまた好きな人に会うことが出来たから。」
「…っ、」

するりと彼の頬を撫でれば、彼の海のような瞳が潤んで歪む。

好きな人に看取られて、平和な世に生まれ直して、また好きな人と再会する。なんて素晴らしい運命なのだろう。

ねえ、そんな顔しないで。泣かないで。
お陰で生まれ変わって、あの時には出来なかった事がいっぱい出来るようになったんだ。友達を作って、いっぱい遊んで、みんなで勉強して、自分のやりたい事をやる。もう我慢しなくていい。
全部、武井君が居なかったら出来なかったことだ。

「今だって、僕は君にいっぱい救われているんだよ。」
「…ちがう……、」

前世で僕を救っただけじゃない、今世でもそうだ。
武井君が居たから、僕は独りではなくなった。

「君のその優しさに、僕はいつだって助けられているんだ。」
「オレはそんなんじゃ...、」

武井君が僕に話しかけてくれたから。僕に笑ってくれたから。いつも優しく傍で見守ってくれたから。

「こっちを見てよ、武井君。」

顔を背ける彼の、もう一方の頬へも手を添える。

「君は僕の憧れだ。そして...僕の好きな人、なんだからさ。武井君にそっぽ向かれると、悲しいよ。」
「...っ、」

遠慮がちな手が、ゆっくりと僕の方へと伸びてきて、一歩近付いた武井君がそっと僕を包み込んだ。
僕もその腕を彼の背へと回して抱きしめる。

「ねぇ、武井君が僕に優しくしてくれたのは、殺した僕に罪悪感を抱いたから?」

彼の耳元で、小さく問いかける。
ずっと不安に思っていたことだ。武井君は僕に優しい。少し優し過ぎるくらいだ。でもそれが、彼に罪悪感を背負わせている結果なのだとしたら、それはあまりにも悲しい事実だ。

しかし武井君は控えめに首を横に振った。

「…違う。オレはずっと思ってたんだ。前世からずっと、」

そして少しだけ息を止めた後、そのまま静かに彼は言った。

「……クライシェンの王子。…貴方に、自由になって貰いたいと。ただ幸せに、笑って暮らしていて欲しい、と。」

切なる彼の願いは、あまりにも控え目で利他的なものだった。でもそれは、前世で叶えるには途方も無く難しい願いで。だからこそ、今世の僕には前世の分までの願いを込めて、どこまでも親切に、どこまでも良き友人に徹してくれたのだ。

「やっぱり武井君は優し過ぎるなぁ。」
「…違う。」
「…?」

他人の幸せを願うだなんて、優しいを通り越してまるで博愛主義の聖人のようだ。彼らしいなと笑っていると、武井君からまた否定の言葉。しかしそれは、先程までの謙遜的な否定とは違った。

ぎゅっと、武井君が抱きしめる力を強くした。

「貴方の幸せを願ったのは、オレが貴方を…、…慕っていたからだ。」

背にまわる手の熱さが、身体を通して伝わってくる鼓動の速さが、本気で彼がそう言っているのを証明する。
前世では触れることすら叶わなかった二人の距離。それが、心臓の音がどちらのものか分からなくなるくらいに、今はこんなにも近くなって、体温を共有している。

「…ふふ、そうだったんだね。」

嬉しくて、擽ったくて。
なんだかとても、安心する。

「…前世では、オレは何も出来なかった。慕っていた貴方を守ることも、生かしてやることさえも。」

彼の心を知ったことで、彼が何をどう後悔しているのかが分かった。

好きな人になら殺されても良い、と思うのと同じくらい、好きな人は守りたいと思うものだ。
その手で多くの物を掴み取り、多くの物を守ってきた騎士の彼なら、とくに。それなのに、一番守りたい者を自らの手に掛けねばならない、なんて。

その後の彼が、どのような想いで一生を送ったのかは、筆舌に尽くし難い。

それならば、

「…じゃあさ、今度こそ僕を守ってみせてよ。」

前世で出来なかったことを、今世で実現したい。
その思いは僕も彼も同じだ。
僕は武井君と色々な経験をしたいし、武井君は僕を守りたい。

「あぁ。…今度こそ、貴方の隣にいさせてくれ。」

だからこそ、僕達二人がその手を取り合うことは、もはや運命として決まっていたかのように、自然なことだ。

惹かれ合う二人が、同じ時代に生まれ変わり、同じ日本で生まれ落ち、同じ高校に通い、同じクラス、そして隣の席になった。偶然にしては出来すぎている。だからこれは、僕が彼に殺された瞬間から、彼が僕を殺した瞬間からの、永い長い刻を経た末での、運命だったのだ。

前世では運命に抗おうとして抗いきれなかった二人が、今世ではその運命に導かれて一緒になるとは、とんだ皮肉だ。

でも君と一緒にいられるのなら、こんな運命も悪くはない。

今度こそ、僕は自由に、幸せに、笑って過ごすよ。
君の隣で。