トイレに手を突っ込んだら優しいイケメンが現れた話

 無表情で動画を見続ける私に、一通のメッセージが入った。
 YouTubeプレミアムに課金している私はバックグラウンドで再生しながら、LINEを開く。

「由美(ゆみ)がデキ婚……ね」

 今の私に追い討ちをかけるように、友人のデキ婚の報告が入った。
 この5人グループで未婚なのは、私一人になった。
 由美に彼氏がいたのは知っていたが、結婚していないのなら私と同じだと勝手に仲間意識を持っていた。
 石に裏切られた以上にショックだった。
 結婚と妊娠、喜ばしい報告が2つも入ったというのに、心から喜べない私に反吐が出る。

『おめでと~っっ!』

 私は無表情で、アパレル店員のあれのように陽気な言葉を書いて、可愛らしい猫の祝言スタンプを送信した。
 他人の恋愛を妬んでいる女だと思われたくない。
 それにこの言葉に嘘はない。私の心が追いついていないだけ。
 いつかは心からこの言葉を言える自分がいるように、願いも込めてそう振る舞っている。

「予祝と似てるな……」

 どこぞの開運チャンネルで見たことがある。
 まだ起きていない良いことをすでに起きたように、予め祝う。
 日本古来の習慣とも言われているらしいが、最近これを知った私は先日

「優しいイケメンが私の夫になりました! ありがとうございます!」

 と、薄暗い部屋で一人歓喜してみた。
 終わったあとの虚しさは今でも忘れない。

 ありとあらゆることをやっているのに、なぜ私は──

 
 グループLINEを閉じ、男友達の満(みつる)にLINEをする。
 『最後に私が余りました』と。
 ここで私が満を選んだのは、大学時代からの仲で気心が知れているということもあるが、今回の選出理由はたった一つ。
 女友達が全員結婚してしまったからである。
 この5人グループ以外にも仲良くしている友人はいるが、全員既婚者である。仲が良いのなら正直に話せばいいものの、どうも行き遅れた恋愛の話となると既婚者には話しづらい。
 自分のエゴだと分かってはいるが、それでも変なプライドが邪魔をして言えなかった。

 悔しさを吐いてしまったら負けな気がする。
 妬みや無念を残りのビールでぐいっと飲み込んだ。
 もちろんだが、次のビールも用意している。

 私はすくっと立ち上がり、冷蔵庫から2本目のビールを素早く手に取った。
 ビールを手にするためならすぐに立ち上がるのに、お風呂に行くまではなかなか腰が重いのはどうしてだろうか。翌日が休日で予定がなければ風呂キャンすることもしばしば。

「はーっ……」

 2本目のビールのひと口目は、ため息が溢れた。1本目のひと口目に得た快感はもう知っている。歳を重ねると体験したことばかりで、何をするにも新鮮さがなくなるそれと似ている。
 
「あ、もうほとんど終わってる」

 開運法はいつの間にか7選終わっていた。何を話していたのか記憶にないが、たぶんどの開運チャンネルでも言ってそうなことだろう。
 断捨離をするとかね。
 私はそれを信じてやってきたおかげで、部屋は整理整頓されている。
 清潔感のある白を基調とした部屋だけ見れば、デキる女の部屋だ。
 あぁ、メイクアップのために散乱したコスメはノーカウントとする。ほら、今もこうして片付いたから。
 
『そして8選目は! トイレを素手で掃除すること!』

「素手でトイレ掃除……ね」

 他の開運チャンネルでも聞いたことはあった。
 でもトイレに素手を突っ込めるはずがない。
 たとえ定期的に掃除をしている家のトイレとはいえど。
 お金持ちの著名人がやっていると噂があるとはいえど。
 衛生的に良くないだろうし、そもそも考えなくても生理的に無理である。

 しかしこれが私が知り得る開運方法の中で唯一、やっていないことだった。

「……今しかない」

 ほろ酔いの今。
 一人残された今。
 今やらなかったら一生やらない気がする。

 私は動画を閉じた。
 ビールをぐいっと一気飲みして気合いを入れた後、すっと立ち上がり、トイレに向かった。

 便器の前にしゃがんだ私は、医療ドラマにありそうなオペ前の医師のように、手の甲をトイレに向けている。
 ちなみに医師のようにゴム手袋などなく、私は素手だ。

「……大丈夫、見た感じ汚れは付いていないし、トイレ掃除はこまめにしているし。ただの水が溜まった陶器だと思えばイケる!」

 『藁にも縋る思い』というのは、こういうことだろうか。
 いつしか慣用句辞典には『トイレにも縋る思い』と書かれるようになったりして。
 そんな冗談を考えて鼻で笑いながらも、私は決意を決めた。