初夏の青い青い空から深紅の血の雨が降る幻覚を見た。
夏月にとってそれは幻覚とは思えなかった。
現実の、血の匂いすら生々しい、ぬるっとした感覚すらある。
それは夏月の心を深紅に染める現実の血の雨。
決して消えることのない……。
夏月は思わず自分の腕を上に上げ、己を庇った。
けれど、その両腕の間から、指の隙間から、それは確実に夏月を染めた。紅に。
ひどく表情が歪んでいく。
それでも、夏月はその恐怖を隠すことは出来なかった。
手に、体に、こびりつくものを振り払おうとする。けれど、禍々しさの増す深紅色は離れることなく、皮膚を腐食させていく。腐食は、ゆっくりと、それでも確実に浸透していく。
そう、まるで今の夏月の心の狂気のように。
恐怖に支配された体は身を引いて、校庭の端の桜の木にぶつかり、崩れ落ちる。
激しい衝撃に呻き声が溢れる。
木の根元に蹲ったまま見上げた瞳に映る蒼が眩しすぎて、視界が回る。
意識が強張っていて何も考えられない。何も感じない。
きつく瞳を閉じて、左手首を右手で掴む。
強く、強く、強く。
血が止まるほどに。
己の指が皮膚を切り裂くほどに。
握りしめる。
それでも……何も感じない。
感覚さえも消え失せた。
感情さえも理解出来ない。
ただ、幼い頃の孤独への恐怖にも似た何かが、夏月の中に眠る狂気を呼び起こしていく。
襲い来る恐怖が、狂気と共に夏月の体を、精神を支配する。
自分自身の呼吸がやけに大きく、速く聞こえる。
思考回路は恐怖と狂気で支配されているのに、震える夏月の唇から溢れるのは、僅かな呻きだけ。
しばらくして、不意に我に返る。
夏月の体に血の跡はなかった。
すぐに視界に飛び込んでくるのは、青い青い初夏の空。
幻覚を見た時と同じ、青い空。
そこに君臨する夏らしくなりかけた太陽の日差しが、桜の大木の影をグラウンドに落としていた。
その木陰のひとつで夏月は力の入り切らない拳を握りしめる。
掴んだ跡が左手首には残っていて、血の気の失せた左手は恐ろしく白い。
ぼーっと遠くを眺めた先に、昔の孤独が見えた気がした。
幼い自分が泣きながら、それでも微笑っている。
あれは、本当の自分なのか……幻影なのか。
現在の自分がつまらなそうに笑い、幼い自分の影を潰していく。
――僕はっ、独りなのっ……?
最期の叫びがこだました。
そんなことどうでもいいと言うように現在の自分が笑う。
そんな訳ないとでも言うように。
虚空を見つめた虚ろな瞳が、機械的に笑う。
「嘘だ。全部虚飾だ。俺には何も無い」
痛みすら忘れたはずなのに、表情が歪んだ。
夏の爽やかな風が夏月の髪を躍らせた。
無意識に呟きが溢れる。
「夏が、くる……」
それと同時に握りしめた拳をそのまま地面に叩きつける。
何度も何度も殴りつけた。まるで、それが自分に襲い来る恐怖であるかのように。狂気であるかのように。
殴った。
自分の中に浸透していく抑えきれない衝動に身をまかせたかった。
先ほど見た淀んだ深紅色の血の雨と同じ色をした夏月の血が、ぐしゃぐしゃになった拳に滲む。
手も精神もひどくぼろぼろで、ひどく痛んだ。
狂気を見つけた夏。
狂気に支配された夏――すべてが壊れた夏。
見え始めたばかりの、夏月の夏は続く。
夏月にとってそれは幻覚とは思えなかった。
現実の、血の匂いすら生々しい、ぬるっとした感覚すらある。
それは夏月の心を深紅に染める現実の血の雨。
決して消えることのない……。
夏月は思わず自分の腕を上に上げ、己を庇った。
けれど、その両腕の間から、指の隙間から、それは確実に夏月を染めた。紅に。
ひどく表情が歪んでいく。
それでも、夏月はその恐怖を隠すことは出来なかった。
手に、体に、こびりつくものを振り払おうとする。けれど、禍々しさの増す深紅色は離れることなく、皮膚を腐食させていく。腐食は、ゆっくりと、それでも確実に浸透していく。
そう、まるで今の夏月の心の狂気のように。
恐怖に支配された体は身を引いて、校庭の端の桜の木にぶつかり、崩れ落ちる。
激しい衝撃に呻き声が溢れる。
木の根元に蹲ったまま見上げた瞳に映る蒼が眩しすぎて、視界が回る。
意識が強張っていて何も考えられない。何も感じない。
きつく瞳を閉じて、左手首を右手で掴む。
強く、強く、強く。
血が止まるほどに。
己の指が皮膚を切り裂くほどに。
握りしめる。
それでも……何も感じない。
感覚さえも消え失せた。
感情さえも理解出来ない。
ただ、幼い頃の孤独への恐怖にも似た何かが、夏月の中に眠る狂気を呼び起こしていく。
襲い来る恐怖が、狂気と共に夏月の体を、精神を支配する。
自分自身の呼吸がやけに大きく、速く聞こえる。
思考回路は恐怖と狂気で支配されているのに、震える夏月の唇から溢れるのは、僅かな呻きだけ。
しばらくして、不意に我に返る。
夏月の体に血の跡はなかった。
すぐに視界に飛び込んでくるのは、青い青い初夏の空。
幻覚を見た時と同じ、青い空。
そこに君臨する夏らしくなりかけた太陽の日差しが、桜の大木の影をグラウンドに落としていた。
その木陰のひとつで夏月は力の入り切らない拳を握りしめる。
掴んだ跡が左手首には残っていて、血の気の失せた左手は恐ろしく白い。
ぼーっと遠くを眺めた先に、昔の孤独が見えた気がした。
幼い自分が泣きながら、それでも微笑っている。
あれは、本当の自分なのか……幻影なのか。
現在の自分がつまらなそうに笑い、幼い自分の影を潰していく。
――僕はっ、独りなのっ……?
最期の叫びがこだました。
そんなことどうでもいいと言うように現在の自分が笑う。
そんな訳ないとでも言うように。
虚空を見つめた虚ろな瞳が、機械的に笑う。
「嘘だ。全部虚飾だ。俺には何も無い」
痛みすら忘れたはずなのに、表情が歪んだ。
夏の爽やかな風が夏月の髪を躍らせた。
無意識に呟きが溢れる。
「夏が、くる……」
それと同時に握りしめた拳をそのまま地面に叩きつける。
何度も何度も殴りつけた。まるで、それが自分に襲い来る恐怖であるかのように。狂気であるかのように。
殴った。
自分の中に浸透していく抑えきれない衝動に身をまかせたかった。
先ほど見た淀んだ深紅色の血の雨と同じ色をした夏月の血が、ぐしゃぐしゃになった拳に滲む。
手も精神もひどくぼろぼろで、ひどく痛んだ。
狂気を見つけた夏。
狂気に支配された夏――すべてが壊れた夏。
見え始めたばかりの、夏月の夏は続く。
