「中原さんは、現在面会を許可されていません」
何度目かの同じ言葉。
「……わかりました」
夏月はそれだけを返し、ロビーの椅子に座った。
あれから、毎日のように夏月は病院に足を運んだ。
しかし、面会が許可されることはなかった。
まだ、意識が戻らないのか、それとも翼が拒否しているのか……夏月にはわからない。
一番恐れているのは、翼がもう……。
誰にも気づかれない程度に首を横に振る。
「そんなわけ……ないだろ」
確信もないまま、小さく呟く。
ただ、時間だけが過ぎていく。
あの日のような紅い夕焼けが人気の少なくなったロビーを染める頃になって、ようやく夏月はそこを後にした。
夏休みが半分ほどになった頃。
「15分ほどの短い時間でしたら、面会可能ですよ」
いつもと違うにこやかな微笑みを浮かべた病院のスタッフの言葉に、一瞬夏月は耳を疑った。
「……え、ほんとですか……」
あまりの夏月の呆然っぷりに受付のスタッフはくすっと笑った。
「……いつも来てましたよね?良かったですね」
「……はい」
それだけを答えるのが精一杯だった。
病室へ向かう足がふわふわしていて、現実味がなかった。
病室のドアに手をかける。
一瞬だけ躊躇してから、夏月はドアを開けた。
中には翼ひとりだけがいた。
しんとした病室に、機械音が響く。
翼は以前と同じ虚ろな瞳で天井を見つめていた。
感情の読み取れないその顔は、夏月の記憶にあるものより更に青白かった。
翼の唇が微かに動く。
声は聞こえなかった。けれど、翼は夏月を呼んでいるのだと、夏月にはわかった。
もう一度。
唇が動いた。
今度は掠れた声が、僅かに空気を揺らした。
「あい……ば……」
ひどく細く、掠れた声と共に、ゆっくり、本当にゆっくりと翼の顔が夏月の方へと向いた。
夏月もゆっくりと翼のいるベッドへと近づく。
隣に立ったまま、翼を見下ろす。
「あいば……おれ、生きて……?」
状況を把握出来ていないかのように、言葉を紡ぐ。
そこに感情はないように見えた。
夏月は拳を強く握り直す。
一度瞬きをしてから、夏月は翼の瞳をじっと見据えた。
「中原、死ぬな」
突然、感情が生まれたかのように、翼の表情が変わった。
虚ろなままだった瞳に、ほんの僅かに……それでも確かに光が宿る。
翼の中で何かが揺らいでいるようだった。
「……お前の中には、まだ狂気があるのか?……まだ、死が解放か?」
「……わからない」
長い沈黙の後に翼は答えた。
それから、また間を置いて。
「せいじゃく……」
ポツリとこぼした。
「……ひどく静かなんだ。目が……覚めた瞬間から、静寂が俺の中を支配している」
震える左手がゆっくりと夏月に向いた。
「相葉が入ってきた時……その静寂が破れた気が……した」
翼の表情が歪む。
「なんで……?お前は俺に……何を……」
翼の言葉はそこで途切れた。
翼は夏月に伸ばした左手を布団の上に落とす。
ゆっくりと翼は目を閉じた。
――ひどく、疲れた。もう眠りたいんだ。ずっとずっと眠っていたい。もう……疲れたんだ
翼の心がまた、闇に落ちていきそうになる。
その闇の中に――
『生きろ。中原翼』
声が響いた。
そして、冷たかった左手に温もりが灯る。
翼は目を開いた。
目に映ったのは……。
――相葉夏月
夏月の手が翼の手を包んでいた。
「相葉……」
夏月は頷く。
「なんで……お前はここにいる……?」
翼はようやくそれを口にした。
どうしても聞かなければならなかった。そのために、戻ってきたのだから。
夏月は少しだけ震えながら、翼の手をしっかりと握りしめた。
「……俺は、中原に生きて欲しいと思った。お前は生まれたイミも生きるリユウもないと言った……なら、俺がそれを与えてやる。だから生きて欲しいと、それを伝えたくて、ここにいる」
夏月が握った翼の手がピクリと動いた。それを優しく包み込むように、夏月は両手で翼の手を握り直した。
温もりが翼に伝わる。
「俺はお前がいなかったら、生きることも死ぬことも……狂気なんてものも考えもしなかった。知りもしなかった。けど、俺は知った……それで考えて、考えて考えて……死ぬことは哀しいと思った。中原も……お前の孤独も哀しすぎると思った」
翼は何も言わなかった。ただ黙って夏月の言葉を聞いていた。
揺らいだ瞳が夏月を見つめている。
夏月は、翼の純白の翼を見たいと思った。紅い堕天使の翼ではなく、本当の翼を。
「俺は……中原と一緒に生きたいと思った。誰もお前を必要としてないなんて、あるわけないだろ。俺がお前を必要としてやる」
夏月はしゃがみ込んで、握ったままの手を額に当てた。
「お前は俺と会うために生まれた。俺と一緒にいるために生きる……それじゃ、ダメか……?」
その瞬間。
翼の心で『生きること』が明確な形となった。
翼の意識が、心が、闇の中から、狂気から解き放たれていく。
不思議なほどに、鮮やかに。
無意識のうちに翼は微笑を浮かべた。
それは、明らかに今までとは違うものだった。
それが、答えだった。
――翼は生きることを、選んだ
何度目かの同じ言葉。
「……わかりました」
夏月はそれだけを返し、ロビーの椅子に座った。
あれから、毎日のように夏月は病院に足を運んだ。
しかし、面会が許可されることはなかった。
まだ、意識が戻らないのか、それとも翼が拒否しているのか……夏月にはわからない。
一番恐れているのは、翼がもう……。
誰にも気づかれない程度に首を横に振る。
「そんなわけ……ないだろ」
確信もないまま、小さく呟く。
ただ、時間だけが過ぎていく。
あの日のような紅い夕焼けが人気の少なくなったロビーを染める頃になって、ようやく夏月はそこを後にした。
夏休みが半分ほどになった頃。
「15分ほどの短い時間でしたら、面会可能ですよ」
いつもと違うにこやかな微笑みを浮かべた病院のスタッフの言葉に、一瞬夏月は耳を疑った。
「……え、ほんとですか……」
あまりの夏月の呆然っぷりに受付のスタッフはくすっと笑った。
「……いつも来てましたよね?良かったですね」
「……はい」
それだけを答えるのが精一杯だった。
病室へ向かう足がふわふわしていて、現実味がなかった。
病室のドアに手をかける。
一瞬だけ躊躇してから、夏月はドアを開けた。
中には翼ひとりだけがいた。
しんとした病室に、機械音が響く。
翼は以前と同じ虚ろな瞳で天井を見つめていた。
感情の読み取れないその顔は、夏月の記憶にあるものより更に青白かった。
翼の唇が微かに動く。
声は聞こえなかった。けれど、翼は夏月を呼んでいるのだと、夏月にはわかった。
もう一度。
唇が動いた。
今度は掠れた声が、僅かに空気を揺らした。
「あい……ば……」
ひどく細く、掠れた声と共に、ゆっくり、本当にゆっくりと翼の顔が夏月の方へと向いた。
夏月もゆっくりと翼のいるベッドへと近づく。
隣に立ったまま、翼を見下ろす。
「あいば……おれ、生きて……?」
状況を把握出来ていないかのように、言葉を紡ぐ。
そこに感情はないように見えた。
夏月は拳を強く握り直す。
一度瞬きをしてから、夏月は翼の瞳をじっと見据えた。
「中原、死ぬな」
突然、感情が生まれたかのように、翼の表情が変わった。
虚ろなままだった瞳に、ほんの僅かに……それでも確かに光が宿る。
翼の中で何かが揺らいでいるようだった。
「……お前の中には、まだ狂気があるのか?……まだ、死が解放か?」
「……わからない」
長い沈黙の後に翼は答えた。
それから、また間を置いて。
「せいじゃく……」
ポツリとこぼした。
「……ひどく静かなんだ。目が……覚めた瞬間から、静寂が俺の中を支配している」
震える左手がゆっくりと夏月に向いた。
「相葉が入ってきた時……その静寂が破れた気が……した」
翼の表情が歪む。
「なんで……?お前は俺に……何を……」
翼の言葉はそこで途切れた。
翼は夏月に伸ばした左手を布団の上に落とす。
ゆっくりと翼は目を閉じた。
――ひどく、疲れた。もう眠りたいんだ。ずっとずっと眠っていたい。もう……疲れたんだ
翼の心がまた、闇に落ちていきそうになる。
その闇の中に――
『生きろ。中原翼』
声が響いた。
そして、冷たかった左手に温もりが灯る。
翼は目を開いた。
目に映ったのは……。
――相葉夏月
夏月の手が翼の手を包んでいた。
「相葉……」
夏月は頷く。
「なんで……お前はここにいる……?」
翼はようやくそれを口にした。
どうしても聞かなければならなかった。そのために、戻ってきたのだから。
夏月は少しだけ震えながら、翼の手をしっかりと握りしめた。
「……俺は、中原に生きて欲しいと思った。お前は生まれたイミも生きるリユウもないと言った……なら、俺がそれを与えてやる。だから生きて欲しいと、それを伝えたくて、ここにいる」
夏月が握った翼の手がピクリと動いた。それを優しく包み込むように、夏月は両手で翼の手を握り直した。
温もりが翼に伝わる。
「俺はお前がいなかったら、生きることも死ぬことも……狂気なんてものも考えもしなかった。知りもしなかった。けど、俺は知った……それで考えて、考えて考えて……死ぬことは哀しいと思った。中原も……お前の孤独も哀しすぎると思った」
翼は何も言わなかった。ただ黙って夏月の言葉を聞いていた。
揺らいだ瞳が夏月を見つめている。
夏月は、翼の純白の翼を見たいと思った。紅い堕天使の翼ではなく、本当の翼を。
「俺は……中原と一緒に生きたいと思った。誰もお前を必要としてないなんて、あるわけないだろ。俺がお前を必要としてやる」
夏月はしゃがみ込んで、握ったままの手を額に当てた。
「お前は俺と会うために生まれた。俺と一緒にいるために生きる……それじゃ、ダメか……?」
その瞬間。
翼の心で『生きること』が明確な形となった。
翼の意識が、心が、闇の中から、狂気から解き放たれていく。
不思議なほどに、鮮やかに。
無意識のうちに翼は微笑を浮かべた。
それは、明らかに今までとは違うものだった。
それが、答えだった。
――翼は生きることを、選んだ
