その日の帰り道で見た空は、とても明るくて、綺麗で、輝いていた。
次の日も、いじめは無くならなかったし、先生も変わらず見て見ぬふりだったけれど、少しだけ、気持ちは楽だった。
心に溜まる黒い液体も、あの人が受け入れてくれる。吸い尽くすスポンジのように。自分が孤独でないということが、僕を守る盾になってくれる。
僕は地獄から解放されたんだ。
たまに会長は僕と話す機会を設けてくれた。薄暗い空き教室の中は少しだけ埃の匂いが染み付いている。カーテンは完全に締め切られていて、日の光は届かない。この場所に来ると無駄に入っていた力がふっと抜ける。
「会長」
「森鳥くん、どう、調子は?」
「だいぶ、楽になりました、人に話せるって、こんな楽なんですね」
「そっか、それならよかった」
会長は、また微笑んだ。なぜ、この人の笑顔はこんなに輝いてるんだろう。なぜ、この人の言葉はこんなにも、優しいのだろう。
手を机の上において、僕に問いかける。
「今日は、どうだった?」
今日のことを思い出す。断片的な記憶が次々と蘇る。思い出すとその時の感情がまた出てくるわけで、また、黒い液体ができる。
「聞こえるくらいの声量で、キモいよね、とか、喋らないでほしい、とか言われて」
「うん」
コクリとうなずきながら彼女は僕の感情を静かに、受け入れてくれる。
「僕、なにもできなくなって」
「どう動いても、なにか言われるんじゃないかって怖くて」
手をぎゅっと握りしめる。会長は僕の手を優しく握りしめ、全てを溶かしてくれるような慈愛に満ちた笑みをたたえた。
「そっか、頑張ったね」
「今日森鳥くんはすごく頑張った」
「すごいよ、森鳥くん」
「ありがとうございます」
僕は彼女の前で泣けない。それは、プライドもあるし、それに――迷惑をかけたくない。会長は自分を責めなくてもいい、そう優しく言ってくれる。でも、僕は会長に頼りきりではいたくない。
ある日、いつものように相談に乗ってもらっていたら会長が僕をお昼ご飯に誘ってくれた。
「これは、生徒会長としての私じゃなくて、輝晴天寧としての私からのお誘い」
「森鳥くんともっと仲良くなりたいからねっ!」
弾む声でピースサインを作る。僕は、このサインが好きだ。会長の底抜けの明るさと、優しさを象徴するような、そんなサイン。
屋上は風が少し強くて、風で髪が揺れる。会長はまだ来ていないのか、誰もいない。僕は風を遮るように、高架水槽の裏に座った。瞬間、けたたましい笑い声が耳に突き刺さる。
「まじそれな! えぐい」
体が強張る。足を体の近くに持ってきて、手で耳をふさぐ。分かっている。別に、いじめてきた女子の声じゃない。普通の、人。
「森鳥、くん?」
優しい声が聞こえる。顔を上げると会長の顔が見えた。
「あ、会長」
「……食べよっか! ささ、お弁当開けよー」
「あ、はいそうですね」
会長がお弁当箱を開ける。照り焼きの甘いタレの香りが鼻をかすめる。思わず会長のお弁当を見ると、色彩豊かなお弁当が目に入る。
「すごいですね、自分で作ったんですか?」
会長が首を振る。
「ううん、これはね星華が作ってくれたの」
「星華……?」
「ああ、星華っていうのは私の幼馴染なの」
会長が箸を口に運ぶ。会長の姿を横目に僕もお弁当を開ける。自分で作った、茶色ばっかりの冷凍弁当。
「すごいですね、星華さん……僕はこんなお弁当作れないや」
「私も、料理は冷凍で全部済ませちゃうな」
「そう、それでさ思ってたんだけど」
と、思い出したように会長が話し出す。
「会長じゃなくて、天寧って呼んでほしいな」
突然の提案に思考が停止する。箸を運ぶ手が止まり、会長の方を見る。とうの会長ははにかみながら笑っている。
「っえ?」
「会長じゃあさなんか堅苦しいじゃん? だからさ、天寧! まあ天寧さんとかでもいいんだけど」
両手を広げながら話す。また風が吹いて、びゅおおという強い音がする。
「それで、私も光くんって呼びたい」
「だめ、かな」
首を傾げながら聞いてくる会長に僕は押し負け、その提案を飲み込んだ。
「かいちょ、じゃないや天寧さんがいいなら僕はそれで」
「ほんと? ありがと!」
手を合わせながら喜ぶ天寧さんを見て、少しだけ嬉しいと思えた。また食事に戻り、他愛もない話を続ける。相談じゃない、勉強とか、友達とか生徒会の仕事とか、そういう普通の会話。
「そういえば天寧さんって何時間くらい寝てるんですか?」
「まぁ、うーんそれなりには」
「何時間くらいなんですか?」
「大体……五時間から徹夜くらいまでかな」
「話を聞いてくれるのはありがたいですけど、天寧さんも眠ってください」
なんとなく、そんな気はしていた。会長の目元の隈などで。そもそも生徒会の仕事もあるのに、たまに僕の話を聞いて……その時間にできる仕事は何個あるだろう。その分のしわ寄せが、睡眠時間を削ることで取られている。
迷惑をかけてる。僕が、相談できなかったせいでこうなったのに。反論できてたら、もしかしたら。
自然と肩が落ちた。だめだ。また、自責思考になってしまう。それは、もっと会長に迷惑をかける事になる。
深呼吸をして、心を落ち着かせる。
キーンコーンカーンコーンと軽快な予鈴のチャイムが聞こえる。
「あ、時間だ。またね、光くん今日は、話ないからまた明日かな」
「そう、ですねまた明日」
「またねー」手を振りながら屋上から出ていく天寧さんを見送る。僕はすぐにこの屋上から出ることはできない。足がすくむんだ。
それでも、一歩進むしかない。
「きっしょ」
「それなー」
いじめの言葉は、まだ苦しいし、怖い。でもこの気持ちをちゃんと吐き出せるから、大丈夫、前を見られる。
会長との話は雑談が多くなってきた。勿論、いじめのことについて話した後だけど。その時間に見られる夕焼けに照らされたカーテンの色が好きになっていった。
次の日も、いじめは無くならなかったし、先生も変わらず見て見ぬふりだったけれど、少しだけ、気持ちは楽だった。
心に溜まる黒い液体も、あの人が受け入れてくれる。吸い尽くすスポンジのように。自分が孤独でないということが、僕を守る盾になってくれる。
僕は地獄から解放されたんだ。
たまに会長は僕と話す機会を設けてくれた。薄暗い空き教室の中は少しだけ埃の匂いが染み付いている。カーテンは完全に締め切られていて、日の光は届かない。この場所に来ると無駄に入っていた力がふっと抜ける。
「会長」
「森鳥くん、どう、調子は?」
「だいぶ、楽になりました、人に話せるって、こんな楽なんですね」
「そっか、それならよかった」
会長は、また微笑んだ。なぜ、この人の笑顔はこんなに輝いてるんだろう。なぜ、この人の言葉はこんなにも、優しいのだろう。
手を机の上において、僕に問いかける。
「今日は、どうだった?」
今日のことを思い出す。断片的な記憶が次々と蘇る。思い出すとその時の感情がまた出てくるわけで、また、黒い液体ができる。
「聞こえるくらいの声量で、キモいよね、とか、喋らないでほしい、とか言われて」
「うん」
コクリとうなずきながら彼女は僕の感情を静かに、受け入れてくれる。
「僕、なにもできなくなって」
「どう動いても、なにか言われるんじゃないかって怖くて」
手をぎゅっと握りしめる。会長は僕の手を優しく握りしめ、全てを溶かしてくれるような慈愛に満ちた笑みをたたえた。
「そっか、頑張ったね」
「今日森鳥くんはすごく頑張った」
「すごいよ、森鳥くん」
「ありがとうございます」
僕は彼女の前で泣けない。それは、プライドもあるし、それに――迷惑をかけたくない。会長は自分を責めなくてもいい、そう優しく言ってくれる。でも、僕は会長に頼りきりではいたくない。
ある日、いつものように相談に乗ってもらっていたら会長が僕をお昼ご飯に誘ってくれた。
「これは、生徒会長としての私じゃなくて、輝晴天寧としての私からのお誘い」
「森鳥くんともっと仲良くなりたいからねっ!」
弾む声でピースサインを作る。僕は、このサインが好きだ。会長の底抜けの明るさと、優しさを象徴するような、そんなサイン。
屋上は風が少し強くて、風で髪が揺れる。会長はまだ来ていないのか、誰もいない。僕は風を遮るように、高架水槽の裏に座った。瞬間、けたたましい笑い声が耳に突き刺さる。
「まじそれな! えぐい」
体が強張る。足を体の近くに持ってきて、手で耳をふさぐ。分かっている。別に、いじめてきた女子の声じゃない。普通の、人。
「森鳥、くん?」
優しい声が聞こえる。顔を上げると会長の顔が見えた。
「あ、会長」
「……食べよっか! ささ、お弁当開けよー」
「あ、はいそうですね」
会長がお弁当箱を開ける。照り焼きの甘いタレの香りが鼻をかすめる。思わず会長のお弁当を見ると、色彩豊かなお弁当が目に入る。
「すごいですね、自分で作ったんですか?」
会長が首を振る。
「ううん、これはね星華が作ってくれたの」
「星華……?」
「ああ、星華っていうのは私の幼馴染なの」
会長が箸を口に運ぶ。会長の姿を横目に僕もお弁当を開ける。自分で作った、茶色ばっかりの冷凍弁当。
「すごいですね、星華さん……僕はこんなお弁当作れないや」
「私も、料理は冷凍で全部済ませちゃうな」
「そう、それでさ思ってたんだけど」
と、思い出したように会長が話し出す。
「会長じゃなくて、天寧って呼んでほしいな」
突然の提案に思考が停止する。箸を運ぶ手が止まり、会長の方を見る。とうの会長ははにかみながら笑っている。
「っえ?」
「会長じゃあさなんか堅苦しいじゃん? だからさ、天寧! まあ天寧さんとかでもいいんだけど」
両手を広げながら話す。また風が吹いて、びゅおおという強い音がする。
「それで、私も光くんって呼びたい」
「だめ、かな」
首を傾げながら聞いてくる会長に僕は押し負け、その提案を飲み込んだ。
「かいちょ、じゃないや天寧さんがいいなら僕はそれで」
「ほんと? ありがと!」
手を合わせながら喜ぶ天寧さんを見て、少しだけ嬉しいと思えた。また食事に戻り、他愛もない話を続ける。相談じゃない、勉強とか、友達とか生徒会の仕事とか、そういう普通の会話。
「そういえば天寧さんって何時間くらい寝てるんですか?」
「まぁ、うーんそれなりには」
「何時間くらいなんですか?」
「大体……五時間から徹夜くらいまでかな」
「話を聞いてくれるのはありがたいですけど、天寧さんも眠ってください」
なんとなく、そんな気はしていた。会長の目元の隈などで。そもそも生徒会の仕事もあるのに、たまに僕の話を聞いて……その時間にできる仕事は何個あるだろう。その分のしわ寄せが、睡眠時間を削ることで取られている。
迷惑をかけてる。僕が、相談できなかったせいでこうなったのに。反論できてたら、もしかしたら。
自然と肩が落ちた。だめだ。また、自責思考になってしまう。それは、もっと会長に迷惑をかける事になる。
深呼吸をして、心を落ち着かせる。
キーンコーンカーンコーンと軽快な予鈴のチャイムが聞こえる。
「あ、時間だ。またね、光くん今日は、話ないからまた明日かな」
「そう、ですねまた明日」
「またねー」手を振りながら屋上から出ていく天寧さんを見送る。僕はすぐにこの屋上から出ることはできない。足がすくむんだ。
それでも、一歩進むしかない。
「きっしょ」
「それなー」
いじめの言葉は、まだ苦しいし、怖い。でもこの気持ちをちゃんと吐き出せるから、大丈夫、前を見られる。
会長との話は雑談が多くなってきた。勿論、いじめのことについて話した後だけど。その時間に見られる夕焼けに照らされたカーテンの色が好きになっていった。


