わたしはランクAだから

 修学旅行が終わると、すぐに定期試験が始まる。東田と教室に戻ると、勉強のために自主的に早くから登校しているクラスメイトが何人かいた。そういえば今日は小テストがあったっけ、と思い出してみれば、東田も、席に着いてからは単語帳を眺めている。
 高校二年生の冬で、来年からは受験生になる。なんとなくで決めていた進路を、いい加減真面目に考えなければならない。
 逃げるなよ、とでもいうように、朝のホームルームではマーク模試の結果が返された。点数は自己採点で分かっていたとはいえ、並んだC判定を見て、うげ、と呻き声を漏らしそうになる。どれもこれも、特別に行きたい大学というわけではなく、知っているからなんとなく書いただけではあるのだけれど、でも「無理だよ」と言われたようで凹む。
 私のことも誰かが採点してくれればいい、と思ったこともあったっけ。未桜はそれを眺めながら、そんなことを思い出した。模試の結果は、分かりやすくていい。特にマーク模試は正誤しかない。そして良い点数を取ればA判定が出るし、悪い点数を取ればC判定にもなる。判定の結果は、ここに書かれていることが全てだ。
 東田は、ランク付けは大なり小なりみんなしていることだと言った。言われてみればそうだし、なんなら、未桜達の学力は模試でランク付けされている。顔を上げれば、黒板の横には「大学ランキング」が貼られている。
 母親は、いい大学に入りなさいという。そうすればきっといい会社に入ることができるからと。ランクの高い大学に入れば、ランクの高い会社に評価される。それが、ランクの高い人間ということだろうか? この学校生活が終わったら、例えば東田と澤村のランクは、途端に逆転するのだろうか? 東田と未桜では、ランクに対して持ち出した指標が全く違ったけれど、世の中には絶対的な尺度もあるのだろうか?

 昼休み、澤村と浜崎が机を寄せる。その二人の動きを待つまでもなく、未桜の足は東田へ向かう。
「莉愛、一緒に食べよ」
「あー、うん」
「……避難じゃないから」
 小声で伝えると、東田は鼻で笑った。どうだか、とでも言いたげだ。
 しかし、こればっかりは仕方がない。自分の行動が招いたことだ。反省しながら、自分の弁当箱を開く。
「……なんかさー、前に、気遣い過ぎって言ってたじゃん」
「未桜が澤村さん達に?」
「そう。そうかもって思って、無理して一緒にいる気なくしたっていうか」
「なんでそんなに無理して一緒にいたの? あの顔好きなの?」
 あまりにも的外れな指摘に、笑い出してしまった。恋じゃあるまいし、と言いたかったけれど、でもランクSの澤村しか見えなくなっていたところは、確かに恋に似ているかもしれない。
「そうじゃないけどー……ほら、ランクの話、したじゃん。澤村のほうのリアはさ、私にとってランクSだから。ランクSの澤村と一緒にいれば、私もランクAだなって」
「なにそれ、全然分かんない」
「ま、莉愛はそう言うよねー」
 やはり、東田の中で、ランクの考慮要素に友達は入っていない。最初に「まともな友達とつるめばいいのに」と伝えたときと同じ顔をしている。
「でもなんか、疲れちゃったし。ていうか分かんなくなっちゃった。莉愛のランク、私がつけてるランクと全然違うし」
「そりゃそうじゃん。大学ランキングじゃあるまいし、好みみたいなもんでしょ?」
 確かに、未桜のつけていたランクはそう言いかえることができるかもしれない。未桜にとって、澤村の顔のパーツひとつひとつが羨ましいし、モデルみたいに細くて長い脚は交換してほしいとさえ思う。他の誰に何を言われようと、澤村の見た目はいい。それは未桜の中で揺るぎない評価だ。たとえ澤村がその髪の手入れも化粧もやめて、話を振っても蚊の鳴くような声でしか返さなくて、男子に指を差されて嗤われるようなダサい一面を持っていたとしても。ランクSではないとしても。
 当初、東田のことを「鈍感でいいな」と思ったことを思い出した。他人につまらないと言われてもどうでもいい、と言い切られ、羨ましさのようなものを感じた。それは勘違いでもなんでもなくて、他人からの評価に振り回されない姿を、確かに羨ましく感じていたのだ。
 じゃあ、東田が何を自分の評価軸にしているのかと考えてみれば、きっとそれは東田自身だ。「私は興味がないから」「私は気にしないから」……東田はなんでもそうだ。
「……莉愛は頭のいい人が好みなんだっけ?」
「そう言ったけど、でも頭が良いからってランク高いとか言わないよ」
「まあそうかもだけどさ。頭が良いってだけでランクSだ、って言う人もいるのかなって思って」
「あー、それ、私の従兄かも」
 冗談半分で口にしたことだったのだけれど、東田は強く首を縦に振った。
「いま付き合ってる彼女のどこがいいのって聞いたら、頭が良いところって言ってたから」
「うえ、キモチワルッ。てか変! なにそれ!」
「話通じない美人は退屈なだけだから、頭良いのがいいんだって」
「えー、絶対変だよ! そんなのその従兄だけだって! てか従兄妹ってそんな似るの?」
 心底理解できなかったけれど、でもその新種の発見は、また一つ未桜のランク概念に亀裂を入れた。
 昼休みが終わる頃、トイレから戻ってきた未桜は、踊り場に上原を見つけた。離れているので、上原はきっと気付いていないだろう。一緒にいるのは坂江だ。何の話をしているのか、妙に真剣というか、神妙な面持ちをしている。
 その上原を眺めていても、不思議とあまり悲しくなかった。彼氏ではなくなったし、未桜も澤村達と離れたし、このまま友達関係もフェードアウトするだろう。それなのに寂しいと思わないのはなぜだろう。付き合う前ほどの「好き」がなくなったせいだろうか。
 上原と坂江が何を話しているかは聞こえなかった。ただ、上原が坂江を軽く小突き、坂江がそれを諫めているように見えた。まあまあ、悪かったって、そう聞こえてきそうな雰囲気だった。
 その答えは、教室に帰る前に分かった。窓際で話している澤村と浜崎の声が聞こえたのだ。
「えー、じゃあ上原、めっちゃ馬鹿じゃん。坂江と付き合ってるって知らなかったってことでしょ?」
「そうそう。マジ男子って馬鹿だよね。ちょっと距離近いだけで勘違いするからさ。好きとか言ってないし」
 上原は澤村に告白していたらしい。澤村は坂江と付き合っているのに。それは、未桜も知らなかったけれど。
「ていうかさー、未桜の話、聞いた? 上原にフラれたとき、未桜がフッたことにしてほしいって言ったってヤツ」
「なにそれー! でも言いそうだよね。未桜ってカースト上位にしがみつくのが必死って感じだし」
「てか誕プレ引いたよね。いくらかけてんだって感じ」
「将来ホストに貢いでんじゃない?」
「可愛いって言われたら本気にしてそう。ちょっと見たいけど」
 顔は見えなくても、澤村がいつものあの笑みを浮かべているのは想像がつく。
 上原は未桜と別れてすぐに澤村に告白しているし、しかも「フッたことにして」を言いふらしている。澤村は、そんな上原を掌で転がして遊んで、そして自分に振り回される未桜を見て嗤っている。浜崎はその一部始終を楽しんでいる。どれもこれも、彼らが未桜を下に見るからすることだ。
 例えば、上原も澤村も、浜崎も未桜のランクを付けているとして。そのランクには、一体どれほどの価値があるのだろうか。それは、未桜の価値を絶対的に決めてくれるのだろうか。
 どうせ、つける人によって違う結果になるのに。
 教室の中へ入ると、澤村達が一瞬口を噤んで、聞こえていても構わなさそうに、顔を見合わせて笑う。席の都合で仕方なく隣を通りかかると「未桜さあ」と、澤村は悪びれもせずに声をかけてきた。
「別れてから、上原と話した?」
「話してないけど、なんで?」
「別れた後ってどんな感じかなーって。あたしはLINEもブロックしちゃうタイプだからさ」
 どんなつもりでこの話題を振っているのだろう。げんなりしてしまって、表情を取り繕う気も起きない。
 ただ、身から出た錆でもあった。ランクAに固執して、無理矢理澤村達と一緒にいた。だからこうして、余計に二人の目に留まった。そして上原との関係をランクAの安心材料にしていた。別れ際の発言だってそうだ。
 そんな無様な自分でいたくない。人によって未桜につけるランクが違うとして、だからそれに絶対的な価値がないとして、少なくともそんな自分は好きじゃない。楽しい思い出になるはずの修学旅行を台無しにするような、自分で自分のつけたランクに首を絞められる、そんな自分でいたくない。
「……ブロックとかはしないけど、話はしないかなー」
 だからもう、澤村なんてどうでもいい。
「ていうか、さっき上原と坂江、ちょっと揉めてる感じだったよ?」
「え?」
「上原、坂江とリアが付き合ってるって知らなかったんでしょ? ビッチとか、言われないといいよねー」
 澤村の顔色が変わる。澤村は、そんな風に狼狽するほど、坂江のことが好きだったのだろうか? 澤村もまた、ランクに固執して、未桜と同じように坂江をランクSと評価して、その彼氏を失うことを恐れているのだろうか? はたまた、いつかのように、彼氏にフラれる事態を屈辱だと想像しているのだろうか。
 分からなかったけれど、でも、こうはなりたくないな、と澤村を見て初めて思った。澤村はランクS、そう思っていたけれど、でも、彼氏がいるのに友達の彼氏を遊び半分でその気にさせて、それをちょっと突かれただけで、このざまだ。格好悪い。
 澤村は何も言わなかった。未桜がその場を離れると「なにアイツ」と吐き捨てる声が聞こえた。澤村は、それ以上に未桜に言い返す言葉を思いつかないらしかった。
 一人で席に着いて、教室の中を眺める。友達と修学旅行の余韻に浸る人。修学旅行が終わって、模試も返ってきて、差し迫った受験に向けて勉強する人。そんなこととは関係なく、いつも通りに過ごしている人。
 誰が何点で、何ランクになるだろう。中学生のときからの癖だから、その気になればその答えはすぐに弾きだせるはずだった。でも、何を基準にすればいいのか分からない。何より、そんなことをする意味が見いだせなくなっていた。
「……どうせ、私以外には意味がない」
 ということはきっと、他人にランクをつけられても、その人以外には意味がないのだ。