わたしはランクAだから

 朝、ダイニングに降りると、珍しく姉が朝食を摂っていた。大学生の夏休みだという八月から、姉が朝に起きてきたのは数えるほど。二学期の最初に朝食が一緒になったのだって二週間ぶりだった。
「お姉ちゃん、今日なにかあるの?」
「学祭準備。今年から模擬店やるんだよね」
 じゃあ今から大学に行くんだ、と、今日もその恰好に辟易してしまう。
 未桜と姉は似ていない。昔からよく言われていた。姉は、東田のタイプに近いとまでは言わないが、少なくとも、同級生だったら未桜が仲良くする相手ではない。真面目に授業を受けていて、大人しくて、そこそこの成績を取って、そこそこの大学に行く、そして卒業まで一切会話しないようなクラスメイトだ。県立大学に行った姉を、両親は褒めそやしたが、大学の雰囲気を見て、こんなところの一員なんて御免だと思った。そうでなくとも、未桜の成績では入れっこないのだが。
 姉は目立つほうではないけれど、東田みたいに特別変というわけでもない。多分、普通。良くも悪くも、すごく普通。ランクCのまま変わらず、ぼんやりとつるむ友達がいつもいて、その場を逃れようと足掻くこともせず、起伏のない生活を送っている――夏休みはバイトに行くか家にいるかくらいしかすることがなくて、文芸なんちゃらとかいう謎のサークル活動はほとんどお休み。彼氏がいないのは、サークル活動日以外はきっちり授業後に帰宅して夕食を摂る姿を見ていれば分かる。
 憧れの女子大生なのに、姉がその肩書を背負っていると、現実なんてこんなものか、と思ってしまう。同時に、こんな人生の負け組みたいにはなりたくないな、とも。
「アンタ修学旅行だから来ないって言ったっけ? どこ行くの?」
「奈良と大阪。海外がよかったのにさー」
 修学旅行の行き先は、学年最初のアンケートの集計結果で決まる。未桜は断然海外旅行を推していたが、浜崎による「海外って夜出られないし暇じゃない?」という鶴の一声と、澤村の「USJ行ったことないんだよね」という賛同で、二人に合わせて大阪に投票することになった。
 別に、未桜の一票で何かが変わったとは思わない。でも二人と決別したいま、なんて馬鹿げてたんだろうと、過去の自分を嗤いたくなる。
 ……起伏のない生活って、いいもんかな。未桜の現況と、まるで縁のなさそうな姉の姿を、改めて見つめた。例えばもし、未桜がランクCだったら。ランクSとAとは無縁の世界だけれど、ランクFではないから、自分より下の人間がいることで心の平穏を保てる……。
「……大学生ってさあ、楽しいの?」
 もっといえば「お姉ちゃんって人生楽しいの?」と聞きたかったのだが、そこまで馬鹿にすると機嫌を損ねそうなのでやめておく。姉は「はあ、何急に?」と笑った。
「んー、まあ、同じようなタイプで固まるし?」
「同じレベルってこと?」
「ま、学力はね。どっちかいうとさあ、クラスみたいなのがないのがいいんじゃん? 授業被んない友達もいるし、席も自由だし。クラスメイトだからーみたいな変な縛りがないの、楽」
「えー、なんかそれはそれでだるい」
 新学期のクラス替えは、いつだって期待と恐怖の板挟みだ。仲の良いアイツにはいてほしい、でもクラスのイヤなアイツはいなければいい。そして、誰も知り合いのいないクラスでは、新しいランクAを見つけるのに苦労する。
 二年生の最初だってそうだった。偶然、澤村と隣の席だから話しかけられたし、ペンケースが色違いだったから仲良くなった。澤村がランクSで、しかも浜崎というランクAとも仲が良かったのは運がよかった。お陰で、未桜も難なくランクAの仲間入りを果たしたのだから。
 でも、大学生になったら、毎回その運試しをされる? 冗談じゃない。
「だるくないって。だってさ、高校だと、ドンみたいなヤツが絶対いるじゃん」
 古臭い言い方だったが、未桜のクラスでいう澤村を示すのは分かる。
「そういうヤツにビクつかないで済むっていうかー……自由っていうか、好きにできるっていうか。そんな感じ」
 ということはどうやら、姉はランクSの存在にびくついて高校生活を送っていたらしい。言われてみれば、姉がランクSに邪険にされたり、陰口を叩かれたりする様子は容易に想像がついた。例えば澤村みたいな女子が、「アイツ、いつもノートに自作の小説とか書いててイタいよね」と浜崎みたいな女子と笑っている……。はたからみて起伏のない生活だと思っていても、結局はランクから逃れられないのだ。
「……でもそれはさあ、その、毎回メンバーが変わる授業に、仲良い友達がいればの話じゃん? そういう相手がいなかったらさ、ご飯だって移動教室だって、ひとりぼっちになるし」
「あー、そう、それね。そのひとりぼっち概念、大学生になった瞬間になくなるから」
 軽い調子で笑い飛ばされ、面食らった。ひとりぼっち概念が、なくなる? ひとりぼっちほど大きな減点要素はないし、何より、今の未桜はまさしく、そのひとりぼっちにされないために奮闘しているというのに?
「だって、サークルの友達でも、授業被ってないとかざらだし。次の授業に行くのに、誰か一緒に行く相手を毎回探すとか、ないし。てか一人で歩いてるとか一人でご飯食べてる人なんていくらでもいるから、いちいちみんな気にしないっていうか」
 まったくもって信じられない話だった。もちろん、実際の大学がどうかなんて知る由はない。でもいつも一人で授業を受けていれば目につくし、そんなのは笑われるに決まっている。
 というか、ランクS・AにとってランクFが眼中になくなるだけでは? 姉の視野の狭さというか、思慮の浅さに呆れたくなった。大学生になってクラスの縛りがなくなったとして、パッと見れば、イケてる大学生とそうじゃない大学生くらい分かる。ランクは存在するのだ。ただ、クラスの縛りがないから、ランクSがランクFを指さして笑うことがなくなるというだけで。
 すみわけ、という言葉が頭に浮かんだ。高校生活では、同じ教室の中にランクSからFまで押し込められるけれど、大学生になると決まったクラスも教室もないから、違うランクと関わることがない。サークルも、その内部で細かくランクが分かれるとしても、結局はどんぐりの背比べ状態なのだろう。姉の所属するサークルにランクAがいるとは思えなかった。
 ただ、それだけの話だ。
「ま、大学生になれば分かるって」
「……ふーん。全然、そんな気しない」
 多分、この姉には分からないことなんだろう。自分が置かれたランクに満足して足掻くことをしないのだから。それか、諦めの境地に達して、今のような理屈を言い聞かせているのかもしれない。
 未桜はそうはならない。東田とつるむのは、正直、勘弁してほしいところはある。でも、そんなことでランクAから転落したくなんてなかった。

**

 姉より先に家を出た後、今日の未桜は一人で駅へ向かった。上原は、今朝は部活のミーティングがあるらしい。ただの偶然なのに、今一人にされると堪らなく心細い。
 毎日の昼食相手は、既に東田以外の選択肢がなくなっている。澤村達は相変わらず、昼休みになるとぬるりと中庭へ行くけれど、それがどこまで本気で未桜を外すつもりでやっているのかは分からない。そして、修学旅行の班決めはいつ爆発するか分からない時限爆弾のようなものだ。早く明日になればいいのに、そして上原と一緒に登校して、ランクAだと安心させてほしい。朝一番にそう願ってしまう。
 電車の中で、もう一度インスタを開く。新規ストーリーの投稿はなかった。ストーリー欄に並んだ澤村のアイコンは、既にグレーアウトしている。
 ストーリー投稿のいいところは既読がつくこと、悪いところも既読がつくところ。今までは、澤村と浜崎の投稿を“きちんと見ている”と言えたのに、今では“未練がましく見ている”になる。見るのが正解か、見ないのが正解か、いつも悩みながら結局見て、そしてたまに後悔する。例えばこの間、澤村のストーリーを開くと、コーヒーカップをバックにした二人分のピースサインが表示された――“ハマとのデートがやっぱ一番”というキャプションつきで。今までもずっと未桜のことが邪魔だったかのように、二人きりを強調していた。
 はあ、と深い溜息をついた。幸いにも、昨日、席替えがあった。天の助けとはこのことで、未桜の席は澤村と離れ、二人の会話に入っていいのか入れないのか、いちいち気を揉む必要がなくなった。さらに好都合なことに、東田と隣同士になった。だからいま、東田と昼を食べるのは「たまたま隣の席だから」だ。
 東田がどんなにランクFでも、その東田と一緒にいることが、自分をランクFに落とすわけじゃない。自分がランクAから落ちるときは、例えば、二人一組で未桜が余るとか、そういう事態をいうのだ。
 そうならないためにも、この保険をしっかりかけておかなければ。
 その日の昼食時、澤村達が中庭に出た後、未桜は東田に自分の机を寄せる。
「莉愛、お昼一緒に食べよー」
「ん」
 東田の返事はいつも短い。未桜が昼に誘うのをどう思っているのか、さっぱり分からない反応だ。
 分からないのはそれだけではない。東田が普段何をしているのか、趣味は何で、休日に何をするのか、そのどれもこれもがさっぱり分からない。
 学校にいる間の東田は、休憩時間は本を読んでいたり、音楽を聴いていたりする。しかしそのどちらも未桜は知らないタイトルとアーティストだった。話題作りのために読んだり聞いたりしてみようかとも思ったが、音楽は妙に古くて退屈だったし、本は試し読み部分を数ページ読んで、さっぱり意味が分からなかった。そのうち、この一時的な避難のために東田に合わせるのはコスパが悪いと考え直してやめた。
 日頃何をしているのか、それも同じだ。向かい合っているのにしんと静まり返った空間で、今日も果敢に話題を振ってみる。
「ねー、莉愛って、普段何してるの?」
「えー……別に……」
 これだよ。未桜はがっくりと肩を落としたくなった。頑張ってコミュニケーションを取ろうにも、東田とはてんでキャッチボールができない。
 ただ、東田は、その視線をしっかりと 未桜へ向ける。それはスマホを見ているときに話しかけても同じで、眼鏡の奥からまっすぐ見られ、最初はドキッとした。変な意味ではなく、面食らった、に近い。人の目を見て話すとか、コイツ、そんなところまで真面目だなあ、と思ったのだ。例えば澤村なんて、話すときは大体スマホを見ている。
 ということはどうやら、東田は、ボールを返す気はあるらしい。ただ、どう投げ返せばいいのか分からない、といった様子だ。コミュ障という形容は悪ふざけでよく使われるが、東田には本当に当てはまるのだろう。
「なんか……漫画読んでたり、課題やったり……」
「え、漫画とか読むんだ。何読むの?」
 ガリ勉じゃないんだ、と興味は持ったのだが、次いで東田の口から出てきたのはやっぱり聞いたこともないタイトルで、反応に困ってしまった。
「なんか、もっと人気ある漫画読まないの?」
 弟にインスタはニュースだと教えたときのことを思い出した。漫画だって動画だって、未桜達にはニュースみたいなものだ。知らないとあっという間に置いていかれる。未桜が東田を「話題がなくてつまらないヤツ」と感じているように、「何も話すことがないヤツだ」と言われてしまう。
 それなのに東田は、わざわざ指を折りながら、未桜の知らない漫画のタイトルばかりを挙げた。わざとか、とさえ言いたくなるほどだった。
「……なんか、オタク系?」
「違うよ。でも多分古いんだと思う」
「漫画好きなんでしょ? いまどきのも読めばいいじゃん」
「興味ないから読まない」
「えー、でもさ。話してて盛り上がんなくない? つまんないヤツーとか言われてさ」
 それは当て擦りでもあった。しかし東田は全く気が付かないで、きょとんと首を傾げる。
「それは話が合わないってだけじゃん。つまんないかどうかは別じゃん?」
 やっぱデコリアって、理屈っぽいな。そう思いつつも、意外にもポジティブな反応に驚いてしまった。
「……でもさ。つまんないヤツって言われるじゃん」
「うん? うん」
「……イヤじゃない?」
「でも話が合わない人だし。つまんないとか言われても、どうでもいいっていうか」
 東田は、見た目に全く気を遣わない。それは裏を返せば、周りからどう言われているのか気にしていないということ。
 話が合わない人につまんないって言われても、どうでもいい。
 ……有り得ない。ほんの一瞬、鈍感でいいな、と思ったけれど、すぐに否定した。いいな、という細やかな羨望に蓋をすべく、首を横に振る。
「分かってないなー、莉愛は。……てか本当に他になにもしないの? あ、てかBe Myself繋がろうよ」
「やってない」
「マジ?」
 そんな女子高生いる? 未桜は思わず目を剥くが、東田は「だって面倒くさいじゃん」と、どうやら存在は知っているらしい反応を示した。
「なんか、通知が来て、すぐに写真撮らないといけないヤツでしょ? そんなのに縛られたくない」
「えー、でもさ、みんなやってるじゃん」
「やってても、興味ないし」
 つまんないヤツ。未桜は改めて東田をそう評価した。興味ない、縛られたくない、そうやって斜に構えて、自分は周りとは違うんだとアピールしているに違いない。インスタだって、アカウントはあっても、投稿はほとんどないし、あるとしても下手で雑然とした写真が並んでいるだけだった。
 この東田と、一体何を話せというのか。散々悩んで、ふと、東田に彼氏がいるという話を思い出す。
「あ、あとはデートとかさあ」
 身を乗り出したのに、東田はへらっと変なニヤけ方をした。
「え、でも、彼氏いないし」
「え?」
 年上っぽいというスクープは何だったのか。慌てて「リアが年上の彼氏に何か買ってもらってたって聞いたけど」と問いただす。
「えー……?」
 さっぱり心当たりがなさそうに、東田は首を傾げる。
「夏休みじゃないっけな? リア――澤村莉愛が話してたよ」
「……夏休みのー……年上……」
 漫画のようにわざとらしく反芻した後で、東田ははたと気が付いた顔になった。
「従兄だ」
「なにが?」
「年上の彼氏で何か買ってもらってたってやつ。多分」
 あ、そうなんだ。やっぱり、このデコリアに年上の彼氏がいるなんて、そんなはずない、と納得して、未桜にとってはそれで充分だった。しかし東田は勝手に続けた。
「うちおばあちゃんが一緒に住んでるから。たまたま来てて」
「ふーん……」
「彼女のプレゼント買うのに、男一人だと恥ずかしいからついて来てって言われたんだよね」
 デコリアを連れて歩くほうが恥ずかしいと思う。未桜は心の中でそうコメントした。駅ビルの化粧品フロアに連れて行くとしたら、ビフォアアフターの宣伝にするときしかない。
 東田にとって従兄の話は自慢なのか、どこか嬉しそうな様子で「まあ、従兄って顔とか似てないしね」「距離感も微妙な感じになるし」と喋っていた。興味はなかったけれど、でも東田と唯一、共通できそうな話題だった。
「従兄って普段どこに住んでるの?」
「東京」
「何歳? 社会人?」
「うん。25歳だっけな」
「いいなー、社会人の彼氏とか作ってみたい」
 澤村の彼氏が一時期そうだったらしい。食事はいつも奢ってくれるし、誕生日プレゼントは当然ブランドものだったけれど、話がつまらなくて別れたと話していた。未桜は、せっかくできた社会人の彼氏なのに、と思ったが、同時に、惜し気もなく手放せるあたり、やっぱりランクSは違うなとも思ったものだ。
「だから、私の彼氏じゃないって話で」
「そうだけどさ、憧れない? 社会人で、車で送ってくれて、ちょっとおしゃれなお昼とか連れて行ってくれる感じ」
「女子高生と付き合う社会人なんてヤバイヤツに決まってるじゃん」
 鼻で笑われ、むうっと東田へのいら立ちが募る。東田は、自分に可能性がないからとひがんでいるのだ。そうに違いない。
「でもさあ、こっちは年上と付き合いたいじゃん? 同級生って子どもっぽいし?」
「でも上原くんと付き合ってるんじゃないの?」
「ちょっとー、なんで知ってるの」
 ちょっぴり恥ずかしい気持ちもありつつ、でも上原と歩いている自分の姿は、東田から見たらさぞ眩しかったことだろうと優越感にも浸る。
「浜崎さんと話してたじゃん、告白されたんだって」
 既に遠い昔の話だった。あのときに選択を間違えなければ、こうして東田とつるまずに済んだのに。というか、軽々しくその名前を出さないでほしい。
「そうだけどさ、聞いてるとは思わないじゃん。そうそう、だから社会人の彼氏は想像だってば、想像」
「んー……なんか私は、話合わなさそうだし……社会人とかはちょっと」
「じゃ好みのタイプは? そうじゃん、そういうの聞いたことない」
 盛り上がっているわけではない。しかし、意外と話せる。そう感じて身を乗り出す先で、東田は顎に手を当ててもったいぶりながら、真剣に悩んでみせた。
「……頭のいい人?」
 がっくりと、未桜は肩を落とした。デコリアって、マジでどこまでもガリ勉だなー……。意外と話せる、なんてさっきの評価を撤回した。
「じゃー、莉愛的にはめっちゃブサイクでも東大生なら付き合う?」
「やー、なんか、そういう極端な感じじゃないんだけど。頭悪い人って無理だなって」
「ふーん……。じゃ巻田とかが好みな感じ?」
 巻田は、学年一位の男子で、おそらくこの学校で「頭が良い男子」を挙げるとすれば真っ先に思い浮かぶ。物理か化学か忘れたけれど、理系の何かに表彰されたと聞いたことがあった。見た目は、ドロップキックしたら折れてしまいそうな、棒みたいな体の持ち主で、黒縁眼鏡で、老け顔で、しかも小声で早口だ。澤村なんて巻田のノートに触れることすら嫌がる。
 東田はまた嫌そうに顔をしかめてみせた。
「いや、ないけど」
「えー、でも頭いいじゃん」
「だから頭がいいからいいってわけじゃ……なにか一つで決まるわけじゃなくない? 超イケメンなら犯罪者でもいいかみたいな話になっちゃうじゃん」
「それはそうなんだけどさあ、そんな極端なこと言ったって仕方ないって、莉愛が言ったんじゃん」
 ああ、やっぱりデコリアは駄目だ。なんで、こんなに話の合わないランクFと喋り続けなきゃいけないんだろう。私はこんな立場にないはずなのに。
 そう辟易しながら、東田との昼休みをやり過ごす。園芸委員も同じだった。園芸委員は、案の定、全校のランクFをわざわざ選んで集めたようなメンバーだったし、朝は持ち回りで水やり当番があり、月末には苗の入れ替えもやるという。早朝と放課後、登校する生徒や部活の賑やかな声を聞きながら、東田との沈黙に耐えつつ土いじりをする――そんな自分の図は “ランクFへの転落”とでも名付けられそうで、想像だけでも、ずっしりと胸の奥が重たくなった。

**

 澤村達との関係は停滞したまま、しかし上原との関係は順調だ。上原は、横断歩道の手前にあるコンビニで、いつもお昼を買うらしい。そこで待ち合わせをして、一緒に駅まで向かう。
 コンビニへ行くと、上原はちょうどビニール袋を持って出てきた。しわくちゃなので、きっとカバンに突っ込みっぱなしのビニール袋を使い回しているのだろう。
「おはよーす」
「おっはよ。ねー、そっち修学旅行の班決めあった?」
「え、まだまだ。3組はもうあったの?」
「まだないけど、いつかなーって」
 未桜にとって間近に迫っている一番の問題といえば、それなのだ。修学旅行の班決めで、本来の未桜は澤田と浜崎と同じ班と決まっている。でもこのタイミングで選別が行われたら、澤田は未桜を仲間に入れるだろうか? 澤田が拒絶した場合、未桜は誰と同じ班になることができるのだろうか? 東田と同じ班だなんて、冗談じゃない。
「先輩らが言ってたんだけどさー、やっぱUSJが一番楽しいらしいよ」
「そんなの決まってるじゃんね、大仏とか興味ないし」
「あと班行動しなくていいんだって。先生があんま見てないからさ」
 裏を返せばそれは、未桜と一緒にいてくれる人がいるとは限らない、ということだ。賑やかなテーマパークの中に、ポツンと一人突っ立っている自分の姿を想像するだけで、ゾッと背筋が震える。
 最悪、東田を選べばいい。そう思いはするものの、かなり最終手段に近い。東田と一緒にいたとして、それは「一人よりマシ」の域を出ない。下手をすれば、東田は別のクラスの高木と一緒に回るなんて言い始めるかもしれない。
 ……でも、上原と一緒だったら? はたと気が付いた。班員が誰であろうと、自由行動ができて、それを上原と楽しめるのなら、澤村と浜崎の仲間に入れてもらえるかも、なんて心配はしなくていい。
「ね、USJさ、一緒に回ろうよ」
「えー?」
 上原は照れ臭そうな笑みを浮かべる。
「いいけどさあ、見られたら恥ずかしくない?」
「いいじゃん、いいじゃん。隠してるわけじゃないし」
「まー、そうだけど。じゃ、いっか」
 今朝、澤村のストーリーを見て沈んでいた心が、一気に浮上する。よかった、これで修学旅行の心配は何も要らない。何より、修学旅行最終日を彼氏と一緒に行動するなんて、ランクAでなければできない。
 大丈夫。私はランクAから落ちてなんかいない。その安心感で笑みが零れる。
「他の日も回れたらいいんだけどなー」
「寺の見学とかは点呼みたいなのあるんじゃないっけ? 怠いよなー。誰が興味あんだろ」
「デコリアとかじゃない? 古い場所、似合いそう」
「確かに」
 上原は声を上げて笑ったし、未桜も言いながら自分で笑ってしまった。生真面目なあの顔で、床の上に正座して合掌する様子を想像すると、我ながら言い得て妙だった。
 ただ、デコリアの顔を思い浮かべると、暗い気持ちも過る。澤村達と仲違いして以来、未桜は、休み時間は音楽を聴いたり動画を見たりしている。クラスメイトの一部がやっているように、高校二年生の秋を口実に単語帳を見るふりもしてみている。そうして、一人でいることを誤魔化しているものの、昼食時だけはそうはいかない。漫画でよく見るように、トイレで食べたり階段で食べたりなんて、できるわけがない。だから結局、東田と一緒に食べている。
 そのことを、もちろん澤村達は知っている。きっと陰で未桜のことを笑っているに違いない。でも、上原はまだきっと、そのことを知らない。もし、上原に知られてしまったら。あんなランクFの女子と一緒に昼食を摂っている未桜を、上原はどう思うだろう? 別れよう、なんて言い出すのではないか……。
「てかさあ、話したことあるっけ? 中学のとき、坂江が罰ゲームでデコリアに嘘告した話」
「マジ?」
 ただ、あまりに面白い話に、その不安は吹き飛んだ。駅に着いて電車に乗り込みながら、上原は「めっちゃウケた」と当時を思い出しながら涙目だ。
「有り得ねーじゃん、坂江がデコリアに告るとかさ。それなのにデコリア、めっちゃ顔真っ赤になって、本気にしてさ。こっちは笑い堪えるの必死」
「自意識過剰じゃん。それでそれで、どうなったの?」
「なんかボソボソ言ってたらしいんだけど、意味分かんなかったらしくて。坂江が『俺イケる?』って聞いたら首だけ振るからさ、『フラれたー』って笑って終わり」
「告白の返事が意味分かんないって、意味分かんな」
「しかもさ、デコリアに、告られたことあるかって聞いたら、坂江、って答えてんの。ヤバいだろ、名誉毀損じゃん」
 坂江が、あの東田に告白したなんて、坂江の名誉を毀損しているに等しい。その理屈には吹き出してしまった。電車の中だから必死に堪えているけれど、そうでなければ大声で笑っていたところだ。
 東田は、そういう扱いだ。そういうランクなのだ。
 だから、上原には知られたくない。その東田以外、未桜と一緒に昼食を摂ってくれる人がいないなんて。なんなら、東田と一緒にいることすら。
 その不安のせいで、まるで綱渡りをしているような感覚に襲われる。この綱を、安全に渡り切るためにはどうしたらいいだろう。後の上原との会話は、そればかり考えてしまって、ちっとも頭に入ってこなかった。
 そして教室へ着いた後は、スマホのカレンダーに並んだ文字を見て頭痛に襲われた――今日の放課後は園芸委員の集まりがある日だった。一年生から三年生まで、ランクFばかりが集まり、しかも土いじりをさせられる最悪な日だ。 “そんなところに、ランクAの私が?”と自問したくなる。
 不幸中の幸いは、委員会の終了時刻は部活の終了時刻と重なること。上原と一緒に帰ろう、と未桜は一人で決め、早速スマホを開く。園芸委員の集まりが終わった後、いい意味で場違いな上原と合流する自分の姿を思い浮かべると、少し気分が良くなった。
 上原にLINEをすると、すぐに既読がついて「おっけー」と文字つきのスタンプが送られてくる。よし、と自然に頬が緩むのを感じていると、視界の隅、前方で、浜崎が澤村の席へ向かうのが見えた。
「ねー、リア、生物の課題やった?」
「え、やば。今日だっけ?」
 あ、やばい。会話に耳を欹てていた未桜も、表情だけで同じリアクションをしてしまった。新学期早々に出た課題だし、澤村に外されてそれどころではなかったしで、すっかり忘れていた。手をつけていただろうかと、慌てて生物のノートを探す。
「今日だし、てか二限だし」
「えーだるっ。しかも一限、黒木じゃん。めっちゃ当ててくるじゃん」
 内職もできやしないし、そもそも真面目に解くなんて馬鹿げてる。そう口を尖らせた澤村が、ふと、未桜のほうを向いた。ちょうどそのとき、未桜は真っ白なノートを広げたまま、二人の会話の行く末を見守っていた。
 澤村が手ぶらで立ち上がる。こっちに来る。そう期待した胸が高鳴った。きっと澤村はこれから“未桜はやった?”と声をかけてくるだろう。そうすれば、まだ澤村には外されてないと確認できる――。
「ねー、デコリア」
 その期待を、澤村は見事に裏切った。未桜が思わず見た先で、東田も突然の指名に困惑していた。澤村だけがいつもの、モデル撮影のように完璧な笑みを浮かべる。
「生物のノート見せてくれない? 課題やってなくってさー」
 出た。思わず、心の中でそう呟いた。デコリアと呼んで、しかも裏では「オワリ」だのなんだの言って馬鹿にしているくせに、こういうときだけ頼りにする。なんて都合が良いのだろう。それなのに澤村の笑顔は、その都合の良さが許されて当然と言っていた。実際、仮に未桜が東田の立場なら、迷わずノートを貸すだろう。
 ただ、相手は東田だ。どことなくズレているし、あっさりノートを貸すとは思えない。
 断るといいな。他人事ながら、そう願っていた。東田が断り、澤村がそれを受けて――格下に無碍にされて、その笑顔を苛立ちに染める様子でも見てやりたい。そう思っていたのに。
「……いいけど」
 東田は引き出しの中を探すと、あっさりとノートを渡してしまった。
「ありがとー。こういうの、持ちつ持たれつってやつだよねー」
 澤村は嬉しそうに東田のノートを掲げ、自席に戻りながら「写したら回すから」と浜崎にまた貸しの約束までする。浜崎も「マジ! デコリア、サンキュー!」と悪びれもしない。東田は曖昧な笑みを浮かべて頷いただけだった。
 その光景に、思わず唖然とする。この二人の関係で貸すわけがないと思ってたのに、なーんだ。貸す理由なんて、リアがランクSだからってだけなんでしょ? そういえば、リアに話しかけられて嬉しそうにしてたもんね。デコリアも、結局ランクの奴隷なんだ。
 東田の対応にはがっかりさせられたけれど、でも悪い気分ではなかった。東田のように周囲の評価に一切気を配らず、ランクとは無縁ですという顔をしていても、心のどこかでランクを意識していることが分かったからだ。
 東田が未桜を受け入れる理由のひとつに、未桜がランクAだというのもあったに違いない。お陰で少しだけ自信を取り戻した。
 ついでに、自分の生物の課題のことも思い出す。気を取り直して、未桜は東田に向き直った。
「……ねー、莉愛。私にも、後でノート見せてくれない?」
 それなのに、東田は眉根を寄せ――嫌そうな顔をした。なんでアンタなんかに、とでも言いそうな顔つきに、は、と剣呑な声が出そうになる。
「……澤村さん達に言って。二限までに返ってくるならいいから」
 ただ、東田は、言葉では拒絶しなかった。軽く澤村達のほうを見遣りながら短く答え、それきり、未桜とは話す気がなさそうに、一時限目の準備を始めただけだった。
 なにそれ。未桜の中には、怒りに似た苛立ちが湧く。
 澤村は、「デコリア」という馬鹿にしたニックネームをつけ、しかもそれを皆の前で堂々と呼び、裏では髪型がとか英語の発音がとか悪口ばかり。そしてこんな時だけ、クラスメイトとして恩恵を受けるのは当たり前だという顔をして頼んできた。「持ちつ持たれつ」だって、澤村は東田に何をしてあげたというのだろう。
 東田だって、そう思ったはずだ。それでも渋らずノートを貸した。それなのに、 未桜が頼んだときは、これだ。
 ランクのせいなんでしょ。そう、東田を睨みつける。澤村はランクSだから逆らわなかった。でも未桜は。バドミントンのペアに入れるとき、はじめて昼食を摂ったときは、まだランクAだった。ただ、今は澤村に外されたのは決定的だから、そんな未桜はもうランクAじゃない――そう思っているに違いない。
 だとして、ランクFの東田より格下なんて、有り得ないのに。
 でも、ここで怒りを露わにすることはできない。東田のいいところは、常に一人でいることなのだ。他の皆が、二人組と言われればなんとなく組む相手を決めているところを、東田だけは、空いたスペースにするりと入り込むように、裏を返せば余ったところの人数調整要員として機能している。その東田を捨てたら、ランクはどうあれ、いつも仲良しこよしの二人組に割りこまなければならない。それは無理だ。
 デコリアのくせに、生意気だ。ぐっと唇を噛みしめながら、しかし表では笑顔を作った。
「ありがとお、助かる」
 東田は無言だったし、顔も上げなかった。
 何怒ってんだよ、リアには怒らないくせに。そう声を荒げたかったけれど、心の中で毒づくにとどめた。
 しかも、一時限目が終わるタイミングになっても、生物のノートは浜崎が持っていた。東田を見るが、東田はやはり我関せずだ。朝一番の苛立ちを抱えたまま、未桜は浜崎の席へ向かう。
「ねえハマ、莉愛のノート、まだ? 次、私なんだけど」
 思わず「デコリア」と口走りそうになったのを慌てて変えた。すると浜崎はシャーペンを手放さないまま怪訝な顔を上げ「これデコリアのだけど?」と怪訝な顔を向ける。
「分かってるって。だからそれ、次私だから」
「あー、待って待って。あと2問だから」
 早くしてよ、先生が来ちゃうじゃん。そう心の中でいくら急かしても、浜崎はシャーペンを動かす速度を変えない。
 未桜の苛立ちばかりが募り、もうすぐ予鈴鳴るというタイミングになって、ようやく浜崎は開いたままのノートをスライドさせた。
「はい」
 それをひったくるように受け取る。急いで自席に戻って、シャーペンを手に取ったものの――遅かった。写し始める前に、生物の教師は教室へ入ってきた。課題ノートはいつも授業が始まってすぐに回収される。内職もできない。
 どうしよう、と躊躇する間もなく、隣から手が差し出された。東田だ。
「ノート、返して」
「まだ写してないんだけど」
「バレたら私のマイナス評価になるじゃん。返してよ」
 どうせ、もう時間はない。乱暴に閉じて突っ返すと、東田はやはり不愉快そうな顔をして受け取った。
 そして予想通り、授業が始まってすぐ、教師が「じゃ、課題ノート回して」と回収を宣言する。未桜は後ろから回ってきたノートに、自分のノートを重ねないまま前に回した。前方では、澤村が得意げな顔で、自分のノートを重ねるのが見えた。
 なんで、こんな目に遭わないといけないんだろう。ぎゅっと、悔しさで、机上の手を握りしめた。
 少し気まずいな、と思ったのは、昼休みに入ったときのことだった。デコリアは何か怒ってるのかもしれない、とも。
 なんで澤村は良くて未桜は駄目なのか、ランク以外の答えを見つけられずにいた。東田を馬鹿にしているのは澤村も未桜も同じで、なんなら澤村のほうが大っぴらに馬鹿にしていたほうだ。しかし、最近の未桜は東田と一緒にいるから……だから、友達とのノートの貸し借りは嫌だった、など。いや、それはさすがに自分に都合のいい解釈が過ぎる。だとすればなんだろう。考えても分からない。
 ただ、ここで昼食を一緒に食べないのは、「ノートを貸してくれないデコリアなんか知らない」と、まさしく都合のいい関係を突きつけるようなものだ。何気ない顔をして机を動かす。
「莉愛、お昼食べよ」
「うん」
 東田は短く返事をしただけで、表情を変えない。生物のノートのことをどう思っているのかは分からなかった。
 それは胸の中の蟠りになり、ただでさえ盛り上がらない時間は、いつにも増して低迷した。
 その微妙な空気は、昼休みが終わっても続いた。放課後、二人で並んで苗の入れ替え作業をしていると、遂に未桜側が耐えられなくなる。
「……なんでリア達にノート貸したの?」
「なんでってなんで?」
 だってアイツら、リアのこと馬鹿にしてるじゃん。そう返事をできなかったのは、「それは未桜もでしょ?」と反論されるのが怖かったからだ。
 隣で土を掘り返している東田は、話しかけられた瞬間こそ顔を上げたものの、すぐに手元に視線を戻したし、作業も中断しなかった。東田にとってはその程度の問題なのだろう。
「だってー……さあ、別に、仲良くもなんともないじゃん?」
「うるさいじゃん、澤村さん達」
 東田の視線は明後日の方向に向いた。何があるんだと未桜も同じ視線を辿ったけれど、何もない。しばらくして、そこが澤村達の昼食場所だと気付いた。
「あれ断ったら、『はあ?』とか言ってさ、またぶちぶち言い始めるんでしょ。君子危うきに近寄らずってね」
 だから貸したの、と東田は簡単に結論づけた。“うるさい”だの “またぶちぶち言う”だの、具体的に何を指しているかは分からないものの、東田が澤村達にそんな感情を抱いているとは意外だった。
 ついでに、澤村達の悪口を聞くのは悪くない気分だった。もっと言ってやれ、そんな気持ちもあって、へえ、と視線を上げながら明るい声を出してしまう。
「莉愛って、そういうの言われても気にならないんだと思ってた」
「悪口言われて不愉快じゃない人、いる?」
 今度の東田は顔を上げる。そしていつものようにまっすぐに未桜を見つめる。そうなると今度は「未桜も言ってたのは知ってるんだから」と弾劾されているようで怖くなった。また視線を落としながら「でもそれはさあ」と笑って誤魔化す。
「言われたらイヤだけど、気にしないっていうか。莉愛はー……ほら、この間、つまんないって思われてもどうでもいいって言ってたし。自分の世界がある感じするからさ、どうでもいいんだろうなって」
「『つまんない』っていうのは『話が合わない』で、そういうときって大体こっちもそう思ってるし、どうでもいい。でも『ノート貸さないデコ野郎』って、相手が自分の思い通りにならないからってだけの悪口じゃん」
 また理屈っぽいことを言い出した。そう辟易するあまり、まともに相手をする気にはなれなかった。そうなんだねえ、と相槌を打つ。
「そういう悪口で無駄にストレスかけられたくないし」
 東田は、追及するつもりではないのだろう。言葉こそ厳しいものの、鼻で笑って、その視線も未桜から外れ、手元に落ちている。
「そういうメンタリティの人、関わりたくないんだよね。だから、変にプライド持ってノート貸さないで『生意気』とか言われるより、さっさとノート貸して『便利』って言われとくほうが気楽」
 そうして聞かされたのが意外な処世術で、未桜の目からは鱗が落ちた。
 東田は、周囲に何を言われても何も気にしないのだと思っていた。でも違った。東田は、実は意外と気にしているし、なんなら、おそらく根に持っているし、ただ、自分に降りかかる災いの火の粉を最小限にしようと振る舞っている。
 それは、周囲につけられる点数を気にする自分と同じだろうか。違う気がする。同じなら、東田も、もっと身形や話題に気を遣うはずだし、何より昼食時に一人を決め込むなんてことはしないだろう。
 でも、何が違って同じなのか。それは分からない。
「……それだったらさ。見た目よくしてみるとかさ、ちゃんとした友達とつるむとかさ、そういうことしたほうがよくない? そしたらそういう便利扱いみたいなのもされないだろうしさあ」
 仕方なく、思ったことをそのままぶつける。ランクFだから見下されるんだ、とまではっきりとしたことは言わずにおいた。
 東田は、再び首を傾げた。
「見た目はともかく、なんでちゃんとした友達?」
「え、だって友達は可愛いほうがよくない?」
「え、なんで? どうでもよくない?」
「なんでって言われても……」
 そのほうがランクが高いから、としか言いようがない。もちろん、可愛さだけでランクSだのAだのになれるわけではないが、重要な一要素だ。可愛い子の近くには自然に人が集まるし、そこには男子も含まれる。それがきっかけで仲良くなって、付き合うとか、そういう流れになるものだ。
「……ていうかー、見た目は分かるんだ?」
「悪いより良いほうが生きやすそうだとは思う」
 話題を逸らすと、これまた意外な返事があった。
「なにそれ、莉愛ってルッキズムだったんだ?」
「外見中心主義じゃないつもりだけど、第一印象は絶対見た目じゃん。その後は人によるんだろうけど。だから見た目はちゃんとしてるほうがいいと思う」
「……でも、莉愛は気にしてないよね?」
 東田が口を噤み、あれ、と未桜は目を瞠る。矛盾を突かれた、というよりは、恥ずかしいところを指摘された、と言いたげだった。次いでその口が、どこか居心地悪そうに歪む。
「……何がいいとか、分かんないし」
 ……気にしているのだ。デコリアなんてニックネームをつけられるほど、見た目に気を遣わないくせに。
 へええ、と相槌を打ちながら、未桜は少し嬉しくなった。推し活はしてない、芸能人は分からない、動画は見ない、音楽も漫画も趣味が合わない、偏屈なガリ勉――でも、普通に見た目を気にするところがある。こちら側とまでは言わないが、東田も同じ人間だったのだ。
「じゃあさじゃあさ、ストパかけたら? あとBBクリームくらい塗るとか」
「でも何使えばいいのか分かんないし、早起きもしたくないし」
「教えてあげるからさあ! もー、そういうの早く言ってよ」
 コミュニケーションと一緒だ。東田はボールを返す気があるように、ランクを上げる気はあって、でもそれが分からないだけだったのだ。
 それさえ分かれば、話は早い。この偏屈な中身はどうしようもなくとも、話題作りと見た目はどうにかなる。
 ちょうど土をかぶせ終わるタイミングで、泥まみれの軍手を外して手を洗った後、未桜はジャージのポケットからスマホを取り出す。教室へ戻りながら、早速コスメサイトを開き、愛用しているBBクリームを表示した。
「これとか? ファンデは禁止って言われてるけどさ、BBクリームならセーフだし。莉愛は推薦とか狙ってるかもだけどさ、先生に言われたときだけやめれば大丈夫だし」
「え、高」
「これ安いほうだよ」
 話しながら、そうだ、逆転の発想だ、と頭の中でアイディアが閃く。ランクSかAの相手を探すよりも、ランクFの相手をランクBかCにプロデュースすればいいのだ。例えば、ランクSの澤村とランクAの自分が友達でいたように、ランクAの自分とランクBの東田なら、ランクが下がることを気にしなくてもいい。
 東田は渋い顔で未桜のスマホを覗きこむ。高そう、違いが分からない、そんなことを呟いた。
「……なんか、やっぱり分かんない」
「だからこれにしときなって」
「んー、なんか、途中で頑張れなくなりそう。朝、苦手だし」
「もうっ、このくらいやりなよ!」
 しかし、プロデュースは中々上手く進まない。東田は未桜のスマホから視線を外して、残暑で少し汗ばんだ髪を手櫛で梳く。ジャージでなくともコームを持ち歩いていないのだろう、と容易に想像がついた。なにせ、デコリアなんてニックネームをつけられるくらい見た目に無頓着だったのだ、“気にしている”と言っても、それは未桜とは全くレベルの違う話なのだろう。
 それでも、ランクA直々の指導があれば変わるはず。そう期待して、自然とテンション高くなりながら、着替えながらも話を続ける。東田は珍しく、興味があるのを隠すふりをするような、そんな中途半端な態度で相槌を打っていた。
「あ、じゃ、私、上原と帰るから。また明日詳しく教えてあげるね、ばいばーい」
 明るく手を振れば、東田は無言で手を振って返してきた。相変わらず、未桜の目をしっかりと見て。
 東田は変なヤツだ。でもランクFであること以外に害はない。だったらランクFでなくしてあげればいい。自分の発想を褒めてあげたくなりながら、軽い足取りで下駄箱へ向かう。階段を降りると、上原の姿が見えた。部活終わりのちょっと乱れた髪と制服に、土埃のついたエナメルバッグ。いつもの友達と話しながら待っているその顔がこちらを向き、未桜の心臓は跳ね上がる。
「おー、来た来た。んじゃ俺帰るから」
「おつかれーす」
 部活終わりに、そこそこイケてる彼氏が自分を待っている。そして自分達の関係は、そのイケてる彼氏の親友達も公認。なんて完璧な、ランクAらしいシチュエーションだろう。胸がいっぱいになるのを感じながら駆け寄った。
「ごめーん、お待たせ!」
「大丈夫、さっき終わったばっかだし。てか園芸委員見えたけど、やばくね?」
「もー、やばいやばい。なんでこんなメンツに混ざって土掘り返さなきゃいけないんだろって感じで」
「なんでさせられてんだっけ?」
「じゃんけん負け」
 しれっと、しかし緊張しながらついた嘘に、上原は「うわ、かわいそ」と軽く笑っただけだった。澤村が未桜を外していると知らないのだと、胸を撫で下ろす。
 でも、上原が知るのはいつだろう。明日にでも、坂江を通じて、聞かされるのではないだろうか。“最近、澤村が中村のことウザいって言ってたんだよねー”なんて……。
「……で、聞いてる?」
「え、ごめんなに?」
 慌てて聞き返した先で、上原は明るい表情で「だからさっき話してたんだけど、土日にみんなでどっかさ」と繰り返した。途端、自分の顔がサッと青くなるのを感じる。
「来週の土曜、練習休みなんだよ。みんなでどっか行かね」
 みんな――坂江や澤村、浜崎も含めたみんな。
 この状況で澤村に声をかけたら、澤村はどんな反応をするだろう――未桜について何を吹き込むだろう。
 最悪の場合、未桜は不参加のグループで遊びに行かれるだけだ。自分以外が楽しそうにショッピングモールを闊歩する光景を想像すると、気分が悪くなった。
「あー、いいね! でもさ、せっかくだし二人で行こうよ! ね!」
「えー、みんなのほうが盛り上がるくね?」
 大きく口を開けて笑う表情に、悪意はない。それは分かっていたはずなのに、状況が状況なだけに、神経を逆なでされたように、首筋が熱くなるのを感じる。未桜は、上原と二人ならどこでも楽しいと思うのに、上原はそうじゃない。
「いーじゃんいーじゃん。そういえばさ、駅ビルのイーストサイドがニューオープンって出てたからさ、そこ行ってみよ」
「あ、なんか見た見た、それ。デカいスポーツ用品店入るんだよ。それ行きたい」
 ただ、本当に上原には悪意のない一言だったのだろう。上原はスマホで調べると、明るい表情で「これこれ」と店舗名を示す。
「よっしゃ決まり。んじゃ土曜行こ」
 二人で。そう付け加えられ、未桜の気持ちがぐっと上がる。願いが叶うと同時に、澤村に対する懸念も払拭される。未桜は心底笑顔を浮かべた。
「行こ行こ! ここさ、新しくパンケーキも入るんだって」
「えー、俺こっちのバーガー食いたい」
「じゃんけんしよ、じゃんけん」
 坂江を通じて澤村と未桜のことが上原の耳に入らないか――杞憂に違いない。上原の明るい顔を見ながら、そう思った。

**

 土曜日、改札前で会った上原は、「おー」と軽く手を挙げた。でも未桜の服装には言及しなかった。折角気合い入れたのに、と肩を落とすが、上原は気付く様子もなく歩き出す。
「やー、マジで大会終わってよかったあ。夏休みなにもできなかったし」
 もともと、サッカー部は、九月上旬に大会を控えていた。そのため夏休みは曜日問わず連日練習があったのだという。
「もう三年は引退したんだよね?」
「そう。言っちゃ悪いけどさあ、最後PKになったときヒヤヒヤしたって。勝ったら11月まで残るとか、マジ勘弁」
 上原が3年生を煙たがっていることはよく聞いていた。3年生がいると、いつまでもレギュラーの枠が空かないとかなんとか。未桜にサッカーの話はさっぱり分からないが、レギュラーになれるのが凄いことなのは分かる。だからその話を聞かされる度に、サッカー部レギュラーを狙うような彼氏なんだ、と嬉しくなっていた。
「そうなんだあ。じゃ、これから試合とか出る感じ?」
「出る出る、やっと出られる。練習仕切るのも俺らだから」
「誰が部長するんだっけ?」
「坂江。アイツが一番上手いからさあ」
 やっぱり坂江はランクSだな。聞きながら、自分の目に狂いがないことを確信する。
 上原とじゃんけんし、無事勝利してパンケーキに付き合わせた後、上原ご所望のスポーツ用品店に立ち寄る。上原は「スパイク、壊れそうなんだよね」とあれこれ見比べていたけれど、未桜には違いが分からなかった。スポーツ用品店独特の皮製品の匂いに、もっとデートらしいデートをしたいなと思う。
 でも、退屈していると思われて、フラれでもしたら一巻の終わりだ。見た目のよさそうな、黒地に赤いラインのものを手に取る。
「こういうのは? 上原、似合いそう」
「あー。俺、青派なんだよなー」
 上原はそのスパイクを手に取ることもしなかった。大外しした自分が恥ずかしくなり、耳が熱くなる。
「そういえば、上原が赤色持ってるイメージ、なかったかも」
「青ばっかだなー。中村ってなんかカラフルだよな」
 今日のバッグはパステルピンクで、でも普段のリュックは白、ペンケースはライトブルー。自分の持ち物を振り返っていて、ふと、澤村と仲良くなったきっかけを思い出す。
 澤村も、未桜と同じ、トワネットのペンケースを持っている。トワネットは、高校生から社会人まで御用達のブランドで、二年生に進級するときにしっかりとリサーチして目をつけていた。母親には「汚れるんだからもっと安いのにしたら」と諫められつつ、もう高校二年生なんだから大人っぽいものがいいんだと説得し、最終的に小遣いと折半で買ってもらえた。
 澤村の色はパステルイエローだ。一学期の初日、未桜は澤村に話しかけつつ、リュックからペンケースを取り出した。それを見た澤村が「それトワネットじゃん?」と反応したのだ。
 その一声に、まるで恋する乙女のように舞い上がった。なにせ、ランクSの目に留まったのだ。澤村はCMのような仕草で自分のペンケースを見せながら「おそろじゃん、ウケる」と笑った。小馬鹿にしたような一言だったが、澤村と同じセンスを持っていると浮足立った心は、そんなことを気にかけなかった。
 ……色まで被ってなくてよかったな。今になってそんなことを思う。色違いなら「おそろ」で許してもらえたが、全く同じだと「もろかぶり」と嫌悪感を示されただろう。終いには、後から買ったほうが「パクリ」なんて言われてしまう。相手が澤村となれば、なおさらだ。
「なんかー、気付いたらピンクばっかだなーって思って逆張りしてたら、ピンク少なくなっちゃった」
「そういうね」
「てか、スパイクってたくさんあっていいね。こんだけあったら、かぶりとか気にしなくていいし」
「別にかぶってよくない?」
 ごく自然に口にした感想だったが、上原のリアクションは想像と違っていた。目を丸くされ、未桜も目を丸くする。
「え、イヤじゃない? 自分が先に見つけたんだし」
「えー……別にどうでもいいかなあ。あーでも、女子ってかぶり嫌がるよな」
 だって、嫌だし。例えば、 未桜が今もしているブレスレットと同じものを、どこかのランクFが買って身に着けたとしたら――想像するだけで虫唾が走るとでもいうのだろうか。先に見つけたのは自分なのに、お気に入りなのに、ランクFなんかがパクリやがった、ランクFのくせに分不相応なんだよ――そう憤慨するに違いない。相手が澤村ならまだ許せるかもしれないが、それでもモヤモヤはするだろう。
 そう想像しながら、そのランクFに東田を想定していない自分がいた。なぜだろう。……きっと東田とブレスレットが結びつかないからに違いない。
 未桜がそんなことを考えているとは露知らず、上原は「同じなんだから仲間でよくねー?」と呑気に言いながらスパイクを一つ手に取り「あ、これ坂江のじゃん。アイツ、イイヤツ履いてんなー」と笑っていた。
 東田を、奇しくも目撃したのは、そのしばらく後だった。何の気なしに立ち寄った東急ハンズでネイルを見ていると、上原がそっと囁いてきた。
「あそこにいるの、デコリアじゃね?」
「え、どこどこ?」
 上原は陳列棚の向こう側を見ていた。未桜の身長では見えず、棚の脇からそっと顔を出してみる。
 東田は一人でいた。ただショートパンツとティシャツを着ているだけのダサい私服で、そんなのが許されるのは澤村のようなモデルスタイルの美少女だけだよ、と教えてあげたくなる。
 しかも、雑貨を見ながら一人でぶつぶつと呟いている。あれが女子高生じゃなくて中年のおじさんだったら通報されているに違いない。
「声かけんの?」
「えーっ、かけないかけない。話すことないし? てかなんで?」
 思わず、焦った早口になってしまった。上原は東田のことを「マジでない」とまで言っているのだ。その上原に、未桜と東田は偶然会って声をかける仲だと思われている? もしかして、一緒に昼食を摂っていると知られているのだろうか。そんなの、冗談じゃない。
 上原はさして悪びれない様子で「いまほら、なんかたまに一緒じゃん」と続けた。知られている、と顔が青くなるのを感じる。
「なんか話すのかと思って」
「やー、いま席近くて。あとリア達が、外で食べようって言って。でも外で食べる気なれないから、教室で食べてたら、デコリアのほうが話しかけてきたみたいな。真面目だからさ、園芸委員の仕事がどうとか言ってて、別に暇だから返事くらいしようかなみたいな」
 上原に、アレと同類だなんて思われたくない。その一心で、必死に言葉を紡ぐ。
「この間なんてさ、なんか二人だと気まずいなって話振ろうと思ってさ、好きな芸能人、聞いてみたの。そしたら『分かんない』とか言ってさ」
「やっべ。分かんないってなんだよ」
 嘲笑を浮かべる上原を見て、ほら、と自分に言い聞かせる。ほら、あんなヤツと仲良しこよしなんて、それだけで私の評価を下げるんだから。
「いちいち理屈っぽいし、なんか、変人キャラっていうの? そういうの作ってる感じがしてさ」
「マジ見たまんまじゃん。ああいう女子、マジ終わってるよなー」
 澤村から聞いたとおりの台詞を、上原は繰り返す。未桜も強く頷いた。
「ほんとそれ」
 東田は、未桜達に気付かないまま、ちょっと可愛い置物を手に、真剣な表情を浮かべている。
「デコリアって、マジで何が楽しくて生きてんだろ」
「それ謎でさあ、普段何してるのって聞いても、漫画と勉強と、あとは寝るだけみたいな感じらしいんだよね」
「疲れたサラリーマンじゃん。いくらいい大学行ってもさ、あれだと人生楽しくないよな、絶対」
 分かる。未桜は心から同意した。
 東田は、一体何が楽しくて生きているのだろう。未桜のデコリアランク向上計画は計画どまりで、東田はちっとも変わらない。ランクFのまま、そこから動こうともしないのだ。
「てか、そろそろ次行こ」
「中村だろー、ネイル見たいとか言ったの」
 上原の、少し汗の滲んだティシャツ越しに背中を押す。最後にもう一度東田を振り返ったが、東田はまるで一人静止画になったかのように、さきほどと同じ体勢・表情だった。
 可愛いものは好き、らしい。でもだったら自分の見た目もどうにかすればいいのに。自分の見た目に気を遣ってないのに、そうやって可愛いものだけ持ってると馬鹿にされるんだよ。
 その気持ちは、もったいない、と思うものに近かった。もったいない。そうやって、見た目がぐちゃぐちゃだから、ランクAのやり玉にあげられる。もう少し普通にすれば、いちいち馬鹿にされないで済むのに。だからアドバイスしてあげようとしたのに。
 いくら勉強ができても、それじゃあランクは上がらない。