私は80点、ランクはギリギリA。
夏休み明け初日、鏡の前の自分の姿を頭のてっぺんからつま先まで確認した後、中村未桜は頬を上げた。髪型、制服の着こなし、持ち物、そのどれもに支障がないことは、”ランクA”の最低条件だ。だから、未桜の一日はそれを確認することから始まる。
キッチンへと降りた未桜は、テーブルの上の朝食より先にインスタを確認する。"MioMio-gram"のストーリーをタップすると、昨日アップしたペンとノートが表示される。「テスト勉強終わんなかった」という九時間前の投稿の閲覧者をさっと流し見て、その中に「りあ」と「HAMA」があることを確認する。ほっと安堵して息をつくと、視界のテーブルに食パンが割り込んだ。
「未桜、スマホばっかり見てないで朝ご飯食べなさいな」
「分かってるって」
食パンを手に取りながら、まだ右手で新規ストーリーをスクロールする。その中に、クレープと一緒に映りこんだ「りあ」のアイコンを見つけた。自撮りしたくなるのも分かるほどの可愛らしい、そして完璧な角度の写真だ。
慌ててタップした。表示されたのはアイスココアの写真で「ドラマ一気見はかどりすぎ」と一言ついている。でもこんな内容はどうでもいい。問題は投稿時間だ。……“6時間前”と表示されているから、夜中一時くらいの投稿ということになる。
これなら、いいねが翌日になってもセーフだ。未桜は安心して泣き笑いの絵文字を送った。HAMAの新規投稿はないことを確認してスマホを置く。
視界が開けると、大学生の姉がちょうど席に着いたところで、未桜の手元を鼻で笑ってきた。
「未桜、またインスタ見てんの? アンタ、本当に忙しいよね」
「忙しいし、お姉ちゃんと違って」
「馬鹿、嫌味だし」
直後、アプリのBe Myselfから通知が届く――“2分以内に投稿しよう! みんなの投稿が見えなくなるよ!”と。
慌てて立ち上がり、姉を映してなるものかと慌ててリビングに逃げる。
「ちょっと未桜、朝ご飯食べなさいって言ってるでしょ!」
「待って、すぐだから!」
Be Myselfでは、インカメラとアウトカメラで同時に写真を撮る。そして加工しないまま投稿する。通知のとおり、2分以内にそれをこなさなければ、みんなの投稿内容を見ることができない。要は置いていかれるのだ。
でも、まだ化粧をしていない。寝起きから学校に行くまでに通知が来るのが、一番大変だ。顔をピースサインで隠して、アウトカメラの対象には反射しない布張りのソファを選んだ。
そうして食卓に戻ってくると、姉が呆れ顔だ。
「そのBe Myselfってヤツ、流行ってるよね」
「大学だと流行ってないの?」
「全然。私の周りでやってる人いないよ。ルッキズムの逆張りでしょ、それ?」
ありのままのリアルな自分の姿を映し出していこう――その文句を、姉は小馬鹿にしたように笑った。
「でもさ、見せられるときは見せて、見せられないときは、さっきみたいに隠して撮るわけじゃん? 結局リアルなんて見せられないってことなんだから、ルッキズムじゃん」
「全然違う、そんな単純な話じゃないし」
呆れてしまい、何が違うのか説明する気にはなれなかった。
姉は、もともと訳知り顔で 未桜を諭すタイプだった。それが大学生になってから余計に加速して、最近の説教は分かりきっている――ルッキズムに支配されているとか、承認欲求をこじらせすぎだとか。
そんな単純な話じゃない。口に出したことを、もう一度心の中で繰り返す。外見は気にしている。他人に認められたいという気持ちもある。でもそれだけじゃない。
中村っていいよな、と異性に言われたい。同性にも、中村は一軍女子だと一目置かれたい。……もしクラス全員が集められてランクをつけられるとしたら、未桜は迷わず上位に置かれたい。
だから、こうして姉にもランクをつけているのだ――じっと、向かい側を見つめる。
涙袋がぷっくりあるけれど、一重で何の補強もしない、細い目。鼻尖はちょっと丸いけど、鼻筋が通ってるからセーフ。唇は大きすぎてちょっとマイナス。見た目は75点。その代わり未桜と違って頭の出来がよくて、でも文芸サークルというのが地味でダサいから、総合69点でランクCってところ。
我が姉ながら、微妙なランクだ。未桜にそう結論づけられているとは知らず、姉は、呑気に牛乳を飲みつつ、未桜の制服姿を眺める。
「今日から二学期?」
「そう。お姉ちゃん、まだ夏休みなんじゃなかったの?」
「今日はサークルあるから。朝早いうちに行っちゃおうと思って」
え、まさか、その恰好で大学に行くの? 思わず信じられない気持ちで見つめ返した。白いロングスカートはともかく、謎のレースがついた黄色いティシャツはダサいというほかなく、化粧だってしているのに全く完成していない。しかしおそらく、このまま大学へ行くのだ。そういうところが、ランクCたる所以だとは考えもせず。
高校生のときから制服姿すらダサかった姉は、きっと大学でも変わらず、そして周囲から相手にされないのだろう。我が姉ながら痛々しい。
「ほら未桜、何ぼーっとしてんの。早く食べてよ。お母さん、今日早番なんだから」
「分かってるってば」
スマホを持ったままだったと気付き、机上に置きながらスリープすると、鏡のように自分の顔が映る。課題テストの勉強そっちのけで練習したばっかりの、絶対崩れないポニーテール。動画で見たほどいい感じに見えないのは、おそらくこの人工二重のせいだろう。もちろん、姉のような天然一重よりマシだが、これを毎朝毎朝アイプチで治すのは一苦労だ。
「ねーママ。プチ整形、どうしても大学生になってからじゃなきゃダメ?」
「ダーメ。大体アンタ、いっつもお小遣い使い切ってるくせに。そんなお金ないでしょ」
「ほら、結局ルッキズムじゃん」
「お姉ちゃんは黙ってて」
それ以上は言わなかった。みんな「やっぱ二重が勝ち組だよね」と言うのに、母親も姉も、分かってくれない。
家を出る前、洗面所で最終チェックをする。前髪を梳かしていると、カバンを持った母親が小さな紙袋を差し出してきた。
「ちょっと未桜、お姉ちゃんが定期忘れたって。ちょっと走って届けて」
「え、無理。まだ出られないし」
第一、そんなことをしたらせっかくの身支度が台無しだ。絶対崩れないポニーテールだって、走ってはいけないに決まっている。
それなのに、母は構わずパスケースを押し付けてきた。ライトノベルに夢中な姉らしい、謎のロゴが入った白いパスケースだ。こんなもの持ち歩きたくない、と押し返そうとしても、母の手が更に強く押し返してくる。
「いいから、持って行って。お姉ちゃん困るでしょ」
「私だって困るし」
「いくらやったってそれ以上変わりません。もう、アンタがずっとそんなことやってるから、部屋中毛だらけよ。いつ猫を飼ったのかしら」
渋々、櫛を置く。ああでも、眉の形が気になるな、なんて鏡を覗きこんでいると「早くしないと追いつけないでしょ!」と声が飛んできた。仕方なく、鏡の前を離れた。
玄関を出た瞬間、全身を包み込むような熱気と湿気に包まれ、そこへさらにセミの声が響く。夏は嫌いだ。どんなに頑張って髪を整えても、汗をかけばボサボサになる。化粧も崩れないように気遣わなければならないし、汗だって臭う。
「それなのに、お姉ちゃん追いかけないといけないとか」
今日から始まる二学期は、既に最悪なものと決まった。溜息交じりにスマホを開いて、歩きながら姉にLINE電話をかける。これで気付いて戻ってきてくれればいい、と期待したけれど、出る気配がない。さすがに駅に着けばLINEを見るだろうと、「定期忘れてる、戻ってきて」とメッセージを入れておく。目に入った時間は、日頃家を出るよりも10分以上早い。この10分があればもう少し前髪を綺麗にできたのに、と口惜しい。
できるだけ早足で、でも汗はかかないように細心の注意を払いながら歩いていると、曲がり角の向こう側から姉が小走りでやってきた。ああ、よかった、と安堵しながらおパスケースを差し出す。
「定期でしょ?」
「そうそう。ありがと」
それを受け取った姉は、額と首に汗を垂らしていた。それを拭いもせず、ただスマホで時刻を確認して、慌てて駆けていく。翻ったロングスカートの中には、おばさんのようなフラットパンプスが見えた。あの服装はないわ、と思わず呟く。
「……ていうか、私が早く家でなくてもよかったじゃん」
リュックからハンディファンを取り出そうとして、そこで櫛が見当たらないことに気付き、更に肩を落とす。そうこうしているうちに、コンビニの向こう側に見える信号も赤に変わった。
本当に、今日はろくなことがない。ハンディファン片手に、ぼんやりと横断歩道前で突っ立っていると――ふと、後ろから肩を叩かれた。
「おはー」
けだるげな様子で立っていたのは、クラスメイトの上原颯太だった。そう気づいた瞬間、未桜の耳はかあっと熱くなる。夏の暑さなど目ではない。問題は、今すでに滲んでしまった汗のせいで髪が乱れてないか、化粧が崩れてないか、シャンプーの香りが消えていないか、だけだ。というか、上原に会う日に限って朝の時間がなかったなんて。
「びっくりしたあ、おっはよ、上原」
上原と家が近いことは知っていた。というか、まさしく最寄駅が同じだという話題で盛り上がって仲良くなったのだ。上原は一つ手前の駅との間に住んでいて、どちらも値段が変わらないからと定期圏は隣の駅からで、でも気分で使い分けていると聞いたことがある。会えないものかと意識して姿を探していた頃もあったが、時間も駅もさっぱり会わずに諦めて長かった。
前言撤回、今日はついてる。夏休み明け早々、幸先が良い。
「焼けたねー、上原。プールで見たときも思ったけどさ」
「そんなに? あんま変わった気しねー」
上原は自分の腕を持ち上げ、肩を竦める。
「てか、珍しくね? 会ったことなかったじゃん」
「今日ちょっと早く出たんだよね。お姉ちゃんに忘れ物届けなきゃでさ」
「えー、めっちゃ優しいじゃん。俺、姉貴が忘れても絶対届けねえ」
社交辞令的な一言でも、嬉しくて堪らない。次いで上原は、口笛でも吹きそうな様子で「いいもん持ってんじゃん」と呟きながら、未桜のハンディファンに顔を近づける。
「いやいや私のだし」
「シェアシェア」
その近さで胸は高鳴り、おどけて笑うのが精一杯だった。上原が使っている制汗剤の匂いが鼻孔をくすぐり、遂に顔が赤くなってしまうのを自覚する。
上原颯太は、総合81点のランクAだ。見た目は普通だが、ノリがよく、運動神経がいい。春先の体育祭では赤組のリレー選手を務めていて、体育祭後には一年生に告白されたらしい(断った話を聞いて安心したのは言うまでもない)。ただし残念ながら、その身長は高校二年生にしては物足りない。157センチの未桜と並んだとき、外ではちょっと視線が近くなりすぎる気がする。これがあと5センチあればランクSと言っても過言ではない。
とはいえ、ランクAの未桜にとっては、むしろそのままでいい。ランクが違うと途端に近づきにくくなる。こうして横断歩道で一緒に立ち止まり、駅まで歩くこともなくなるだろう。
「ていうかー、暑すぎじゃない? 夏休み短すぎだし」
「分かる。まあ部活もしんどかったけどさあ」
「ずっと練習って言ってたもんね。めっちゃ黒くてびっくりしたし」
「これ、足だけ焼けてないからマジキモいんだよね。見る?」
「見ないし、キモッ」
こうして笑って話していると、駅までの道が短くなる。暑さへの嫌悪感も忘れる。学校までの道のりは毎日退屈だけれど、上原がいると、もっと学校が遠くてもいいのになと思う。
教室へ着くと、澤村莉愛と浜崎るなが前後の席に座って喋っていた。幸運にも、夏休み前の席替えで未桜は澤村の隣になったので、二人が話すところにどう入ればいいか思案する必要はない。ごく自然にリュックを置きながら「おっはよー」とテンション高く挨拶すると、浜崎が先に顔を上げながら「おはー」と気の抜けた挨拶をした。小学生のときアメリカに住んでいたという浜崎は、ミルクティー色に染めた髪をお団子にしている。
「ちょっとハマ、今日涙袋ないじゃん」
「ほらー、今日始業式じゃん? 終わってから作ろうと思ってさあ」
校則で化粧は禁止。ただ、教師達も、いちいち注意するのを面倒くさがっているふしはあるので、長期休暇明けや学校行事のタイミングで大人しくしておくのが吉だ。浜崎は、手抜きなしの未桜の顔を見て、悪戯っぽく笑う。
「めっちゃ気合入れてるじゃん。残されても知らないよー?」
「大丈夫だって、私、後ろのほうだし」
大体、ほんの数分の説教と引き換えにほぼすっぴんで来るなんて冗談じゃない。未桜は浜崎の手抜き顔を見つめる。
もともと、浜崎の顔立ちは良いほうではない。本人がコンプレックスだという三白眼に団子鼻、それなのに矯正されて揃った歯はどこかちぐはぐだ。顔だけ比べれば、未桜のほうが断然優れている。
ただ、点数という観点では、浜崎のほうが未桜より上だ。制服の着方といい、アクセサリーといい、どこかで見たことがあるようでない、浜崎特有のこなれた雰囲気がある。 未桜もこのこなれた感じを出したいと思ってあれこれ真似してみたことはあるが、なかなかうまくいかないまま今に至る。
だから浜野は、総合89点のランクAだ。90点のランクSというには、何かもう一つ足りない。
というよりは、隣の澤村が全てを持ちすぎている。
「リア、何見てるの?」
「んー、秋コスメ。これ可愛くない?」
澤村は、ぴっ、と人差し指で画面を示しながら、軽く小首を傾げ、零れてきた横髪をさり気なく耳にかける。たったそれだけで、澤村を見ていた一部の男子の目の色が変わった気がする。澤村はそれくらい、美少女なのだ。
ああ、今日もリアは総合95点、文句なしのランクSだ。未桜はスマホ画面そっちのけで澤村の横顔を見てしまう。 未桜がいつも動画で見ている表参道美容師のように完璧な二重の目といい、色白でニキビと無縁の肌といい、羨まずにはいられない。澤村ほど、黒のボブが似合う女子高生もいないだろう。それでもって運動神経抜群ときた。モデルのように長い脚は、夏のスポーツサンダルも冬のブーツも、颯爽と履きこなす。
未桜が澤村より優れているところといえば、なんだろう、しいて挙げることができるとすれば勉強くらいだろうか。といっても、そんなことはランクに影響しないし、何より澤村は学年ビリに近くて、未桜は学年の下4分の1だし、どんぐりの背比べとはこのことだ。
まあ、そんな些細なことを比べたって、私がランクAの澤村と同じグループの友達だってことには変わりないんだけど。今日も、こうして二人と一緒にいるだけで、そう得意な気持ちになる。
そんな澤村のスマホには、某デパコスのアイシャドウが映っている。値段は夏休みの短期バイト8時間分といったところだろう。高すぎるし、なんならパッケージもシックであまり可愛くない。未桜は、もっと見た目から煌びやかなほうが好きだ。
ただ、ランクSの澤村が「可愛い」と言うのだ。それだけで、このアイシャドウには価値がある。そう思うと、「やば」と大きな声が出た。
「やばやば、ちょーかわいい。誕生日これかなー」
「じゃ、おそろしよーよ。あたしも誕生日前借りしようと思って。こっちの色と迷ってるんだけどー」
「あー、分かる。私は赤色かなー」
正直、ドラッグストアで見かけるプチプラと大差ない気もする。でも、この価値が分からないと思われたくなくて、必死に同意していた。
そのとき、教室の扉が開いた。澤村が何の気なしに顔を上げて、ふ、と鼻で笑う。
「デコリア、髪やば」
未桜もつられて振り向くと、そこには、汗で濡れた黒いボブを手櫛で梳きながら入ってくる東田莉愛がいた。
東田莉愛は、総合59点でランクFだ。
その点数がつく理由として、まず見た目への気配りが全くと言っていいほどない。髪はただの黒にボブで、リュックはよくある布地に無地の赤色とまるで一昔前のランドセルだ。背中にぴったりと張り付くほどベルトがきつくなっているのが余計にそれを想起させる。眼鏡と真面目そうな顔つきは、いかにもな優等生だ。実際、いつも澄まし顔で学年上位に陣取るのは、彼女もアイデンティティにしていることだろう。
東田のニックネームがデコリアになったきかっけは、名前が漢字まで含めて澤村と同じだからだ。
澤村と東田は一年生のときに同じクラスで、澤村の当時の彼氏が「リア」と呼んだときに、東田も一緒になって返事をしたのだという。それはクラス中の嘲笑を買った。特に澤村にとっては「私の彼氏になるような男がアンタを呼ぶはずないのに」と滑稽で、何より「あんなブスと同じ名前だなんて」と屈辱だったらしい。そこで澤村が「あっちはデコリアでしょ」とその場の思い付きで名付けた。由来は、東田の前髪がうねってセンター分けになっていたことらしい。東田は、もともとクラスの最底辺で、芸人のようなその呼び名が浸透するのに時間はかからなかった。
浜崎は、ふ、と鼻で笑う。
「てかアイツ、いちいち持ってるもの謎じゃない? 日本土産かよって」
音楽を聴きながら着席した東田は、ハンディファンの代わりに扇子を持っている。話す友達はいない。代わりにスマホを見ていた。指の動きからして漫画か何かだろう。
「デコリアって紙の単語帳とか見てそうだよねー」
澤村はわざとらしく眉間にしわを寄せ、口を突き出して単語帳を捲る動きをしてみせる。美少女は変顔もさまになる。そして帰国子女の浜崎は「で、カタカナの英語発音」と笑いながら同意した。
「先生さ、デコリアのことよく当てるじゃん、アイツ答えるから。でもめっちゃ下手でいつも笑っちゃう」
「しかも真面目な顔して読むし。デコリア、ウケるー」
「分かるー」
でもちょっと、当てられてさらっと答えられちゃう自分がいたら、恰好いいかも。そんなことを想像しながら、澤村と浜崎の悪口に相槌を打ち。
「いい大学行くんだろうけど、ああいうのはおしまいだよねーって、この間、上原達と話してて」
上原の名前を聞いて、ワンテンポ遅れてしまう。
ああいうの。見た目がブスで、可愛くなる努力もできないで、勉強ばっかりしてて友達も少ない、ランクF。
上原にとって、東田は異性としての眼中にない。未桜も、同性としてあんなのの隣を歩くことすら、自分も同類に成り下がってしまう気がするから御免だ。上原と同じ嫌いを共有することに「気が合う」なんて些細な喜びを感じながら、同時に、上原が澤村と話したのはいつだろうと不安に駆られる。上原が東田を「おしまい」だと評している場面に覚えはない。未桜の知らないところで、上原と澤村が話していた。澤村と競ったら勝ち目はない。
ただ、その不安を口にしたらどうなってしまうだろう。澤村は笑い飛ばすだろうか。未桜は上原を好きなのかと盛り上がるだろうか。それとも――ランクSの自分がランクAの男に興味を持つわけないと鼻で笑うか、嫉妬されていることに不快感を示すか。後二者の場合は、この三人組から弾き出されてしまうに違いない。
ただでさえ奇数は不安定なのだ。危険は犯せない。ぐっと気持ちを飲み込み、相槌を打つ。
「分かるう」
「あーでも、夏休みに見たんだけどさ。デコリア、年上の彼氏いんのかな?」
「えっマジ!?」
次いで出たのは打って変わって大声で、浜崎が「ちょっと、驚きすぎ」と笑う。しかしあの東田に、しかも年上の彼氏がいるなんて想像もつかない。何より澤村が提供したスクープなのだ、驚き過ぎることはない。
「ちょちょ、それどこで見たの?」
「えー、駅ビルで。なんか大学生か社会人みたいな感じで、なんか買ってもらってたんだよね。全然イケメンじゃなかったけど」
澤村の声と表情にどことなく剣呑な雰囲気があるのは、澤村が気に入っていた男子が、最近他校に彼女を作ったからだろう。同じ学校にいれば別れさせようもあるが、他校となると手は出せない。何より、その彼女との写真を見せられたところ、大して可愛くもなかったというのが澤村のプライドを酷く傷つけていた。だから澤村の前で彼氏云々の話題は禁句だ。
「デコリアってただのガリ勉だと思ってたけど、意外とやることやってんだって思って」
「なにやることって。パパ活ってこと?」
「えー、そこまで言ってないし」
浜崎と澤村は高い声を上げて盛り上がったが、担任教師がやってきて、浜崎は自席に戻った。未桜はまだ信じられない気持ちで、つい東田に視線をやった。イヤホンを外して、机の上に無駄なものはなくて、相変わらず優等生然の澄まし顔だ。でも、その頭が汗で蒸れて枝毛が出ているだろうことは想像がつく。
そんなランクFの東田に彼氏がいる。ランクAの自分にはいないのに、なぜ?
その疑問はすぐに解消された。きっと、東田の彼氏もランクFだというだけだ。
未桜だって、モテないわけではない。中学生のときは彼氏がいたし、去年の夏休み前にも告白された。でも、中学生のときの彼氏はあまり話が合わなくてすぐに別れたし、去年告白してきた男子はランクCだったので迷わず断った。そんな男と付き合って自分のランクが下がるのは願い下げだ。
東田に彼氏がいたところで、それはランクFに違いない。社会人の彼氏と聞くと、東田のランクが少し上がるような気もするが、その彼氏が、ガリ勉で友達が少なくて見た目もぱっとしないランクFだったら話は別だ。
所詮、ランクFはランクFだ。東田なんて眼中にない、と未桜はどこかほくそ笑むような気持ちで東田を視界から外した。
**
自分は100点満点中何点か? 自分の友達はそれより高いか低いか? 未桜がそれを考えるようになったのは中学生の頃だ。
きっかけは、たまたま聞いていたホームルームの最中、担任教師が「自分は100点満点中何点だと思う?」とある男子に問いかけたことだ。進路の話の途中だったと思う。なぜそんな話が出たかといえば、その担任教師は「人は結局、同じくらいの点数の人同士で一緒にいるようになるんだ」と締め括った。だから90点の人と付き合いたければ90点を目指さなきゃいけないと、要は進路を真面目に考えろということだった。
話題を振られた男子が何点と答えたのか、今は覚えていない。でも、話を振られたのが自分じゃなくてよかったと思ったことは覚えている。
だって、その答えが、他人のつけた点数と乖離していたら? アイツは自称80点の女子だと指をさされたら? かといって、60点くらいだと思うなんて低そうな点数をつけるのも癪だ。今になって思えば、先生がその雑談を振る相手に彼を選んだのは、彼がそこそこクラスで人気者だと知っていたからだろう。
その日の昼休みは、点数づけで盛り上がった。仲良しグループの中で、互いを採点した。
『ぶっちゃけさー、未桜は結構点数高いよね、絶対』
美少女の親友に言われて、嬉しかったことを覚えている。でも浮かれないふりをして「なんでなんで?」と促した。
『髪サラサラだし? あとめっちゃ足細い、羨ましい』
『えー、私なんて全然だめだよ。太腿がマジ太い腿』
『てか、安藤がいいって言ってたよ、未桜のこと』
『ウッソ!』
そのうち男子も混ざってきて、未桜達を「お前ら、自分のこと90点とか思ってんだろ」とからかってきた。親友は「うちら90点グループなんでーす」と返事をして、男子は肯定も否定もせず、笑いながら、ただ一方で陰気で大柄な女子を指さして言った。
『アイツは0点だよな』
『ぼっちの時点で』
『てかあっちも赤点グループじゃん』
『えー、でも、あの中だと金田はちょっとマシじゃね』
『いやいや、赤点グループでつるんでる時点で、なしでしょ』
最後に親友が付け加えた。男子は「キッツ!」とゲラゲラ笑っていたし、未桜も「だよねー」と笑った。でも本当は、少しだけ冷や汗をかいた。
人は点数をつけられる生き物だ。その点数が高ければいい。でも、赤点だったら、そう指を差されて嗤われる。その赤点と同じグループにいるだけでも、赤点と同価値になる。
当時の男子と親友の指摘を鵜呑みにしたわけではない。ただ、納得したのだ。改めて観察してみれば、グループや友達は同じ点数同士の集まりだと。“あんなところに混ざりたくない”と思うグループにいるのは、見た目が冴えなかったり、話してもつまらなかったり、クラスにいてもいなくてもどうでもいいような存在達で、誰もかれもが30点か、良くてせいぜい40点程度しかつかない。逆に、“あの一員になれたらみんなに一目置かれそう”と思うようなグループにいる子は、シンプルに見た目がいいとか、体育祭で花型競技に出てるとかの人気者で、80点や90点ばかり。人は、自分と同じくらいの点数の人同士でつるむようにできているものだ。
ちなみに、それからしばらくして、“順位表”を目にしてしまったことがある。男子が女子に点数をつけて、女子を順位づけしていたのだ。
真っ先に目に入った第一位は例の親友で、納得の95点がついていた。そして最下位は例の赤点呼ばわりされた女子で、0点と、それを強調するマークと一緒になっていた。慌てて自分の名前を探して――“4位 中村 85点”に心底安堵した。同時に誇らしくもなった。私はこのクラスで4位なんだ。他の15人の女子よりも上だと、はっきり分かる。そして、この点数の理由の一つは、95点の親友でもあるだろう。もし親友が60点だったら、この順位から転落しているかもしれなかった。
以来、未桜は他人に点数と、ついでにランクをつけるのが癖になった。姉が持って帰った大学の成績表に倣って、90点以上はS、80点以上はA、70点以上はB、60点以上はC、そしてそれより下はF、落第。加点要素は、見た目にスタイル、男子からの評価、ひとりぼっちじゃないか、その他諸々――そして所属しているグループ。それが中学生のときに得た学びだった。
そして、それを考慮すると、いまの未桜のランクは分かりきっている。毎日丁寧に手入れした髪に、手抜きのない化粧、真面目すぎない制服の着こなし、インスタやBe Myselfを通じた友達との繋がり、そしてランクAの上原と自然に登校できて、教室ではランクSの澤村とランクAの浜崎のグループにいる。
私は、ランクAだ。
夏休み明け初日、鏡の前の自分の姿を頭のてっぺんからつま先まで確認した後、中村未桜は頬を上げた。髪型、制服の着こなし、持ち物、そのどれもに支障がないことは、”ランクA”の最低条件だ。だから、未桜の一日はそれを確認することから始まる。
キッチンへと降りた未桜は、テーブルの上の朝食より先にインスタを確認する。"MioMio-gram"のストーリーをタップすると、昨日アップしたペンとノートが表示される。「テスト勉強終わんなかった」という九時間前の投稿の閲覧者をさっと流し見て、その中に「りあ」と「HAMA」があることを確認する。ほっと安堵して息をつくと、視界のテーブルに食パンが割り込んだ。
「未桜、スマホばっかり見てないで朝ご飯食べなさいな」
「分かってるって」
食パンを手に取りながら、まだ右手で新規ストーリーをスクロールする。その中に、クレープと一緒に映りこんだ「りあ」のアイコンを見つけた。自撮りしたくなるのも分かるほどの可愛らしい、そして完璧な角度の写真だ。
慌ててタップした。表示されたのはアイスココアの写真で「ドラマ一気見はかどりすぎ」と一言ついている。でもこんな内容はどうでもいい。問題は投稿時間だ。……“6時間前”と表示されているから、夜中一時くらいの投稿ということになる。
これなら、いいねが翌日になってもセーフだ。未桜は安心して泣き笑いの絵文字を送った。HAMAの新規投稿はないことを確認してスマホを置く。
視界が開けると、大学生の姉がちょうど席に着いたところで、未桜の手元を鼻で笑ってきた。
「未桜、またインスタ見てんの? アンタ、本当に忙しいよね」
「忙しいし、お姉ちゃんと違って」
「馬鹿、嫌味だし」
直後、アプリのBe Myselfから通知が届く――“2分以内に投稿しよう! みんなの投稿が見えなくなるよ!”と。
慌てて立ち上がり、姉を映してなるものかと慌ててリビングに逃げる。
「ちょっと未桜、朝ご飯食べなさいって言ってるでしょ!」
「待って、すぐだから!」
Be Myselfでは、インカメラとアウトカメラで同時に写真を撮る。そして加工しないまま投稿する。通知のとおり、2分以内にそれをこなさなければ、みんなの投稿内容を見ることができない。要は置いていかれるのだ。
でも、まだ化粧をしていない。寝起きから学校に行くまでに通知が来るのが、一番大変だ。顔をピースサインで隠して、アウトカメラの対象には反射しない布張りのソファを選んだ。
そうして食卓に戻ってくると、姉が呆れ顔だ。
「そのBe Myselfってヤツ、流行ってるよね」
「大学だと流行ってないの?」
「全然。私の周りでやってる人いないよ。ルッキズムの逆張りでしょ、それ?」
ありのままのリアルな自分の姿を映し出していこう――その文句を、姉は小馬鹿にしたように笑った。
「でもさ、見せられるときは見せて、見せられないときは、さっきみたいに隠して撮るわけじゃん? 結局リアルなんて見せられないってことなんだから、ルッキズムじゃん」
「全然違う、そんな単純な話じゃないし」
呆れてしまい、何が違うのか説明する気にはなれなかった。
姉は、もともと訳知り顔で 未桜を諭すタイプだった。それが大学生になってから余計に加速して、最近の説教は分かりきっている――ルッキズムに支配されているとか、承認欲求をこじらせすぎだとか。
そんな単純な話じゃない。口に出したことを、もう一度心の中で繰り返す。外見は気にしている。他人に認められたいという気持ちもある。でもそれだけじゃない。
中村っていいよな、と異性に言われたい。同性にも、中村は一軍女子だと一目置かれたい。……もしクラス全員が集められてランクをつけられるとしたら、未桜は迷わず上位に置かれたい。
だから、こうして姉にもランクをつけているのだ――じっと、向かい側を見つめる。
涙袋がぷっくりあるけれど、一重で何の補強もしない、細い目。鼻尖はちょっと丸いけど、鼻筋が通ってるからセーフ。唇は大きすぎてちょっとマイナス。見た目は75点。その代わり未桜と違って頭の出来がよくて、でも文芸サークルというのが地味でダサいから、総合69点でランクCってところ。
我が姉ながら、微妙なランクだ。未桜にそう結論づけられているとは知らず、姉は、呑気に牛乳を飲みつつ、未桜の制服姿を眺める。
「今日から二学期?」
「そう。お姉ちゃん、まだ夏休みなんじゃなかったの?」
「今日はサークルあるから。朝早いうちに行っちゃおうと思って」
え、まさか、その恰好で大学に行くの? 思わず信じられない気持ちで見つめ返した。白いロングスカートはともかく、謎のレースがついた黄色いティシャツはダサいというほかなく、化粧だってしているのに全く完成していない。しかしおそらく、このまま大学へ行くのだ。そういうところが、ランクCたる所以だとは考えもせず。
高校生のときから制服姿すらダサかった姉は、きっと大学でも変わらず、そして周囲から相手にされないのだろう。我が姉ながら痛々しい。
「ほら未桜、何ぼーっとしてんの。早く食べてよ。お母さん、今日早番なんだから」
「分かってるってば」
スマホを持ったままだったと気付き、机上に置きながらスリープすると、鏡のように自分の顔が映る。課題テストの勉強そっちのけで練習したばっかりの、絶対崩れないポニーテール。動画で見たほどいい感じに見えないのは、おそらくこの人工二重のせいだろう。もちろん、姉のような天然一重よりマシだが、これを毎朝毎朝アイプチで治すのは一苦労だ。
「ねーママ。プチ整形、どうしても大学生になってからじゃなきゃダメ?」
「ダーメ。大体アンタ、いっつもお小遣い使い切ってるくせに。そんなお金ないでしょ」
「ほら、結局ルッキズムじゃん」
「お姉ちゃんは黙ってて」
それ以上は言わなかった。みんな「やっぱ二重が勝ち組だよね」と言うのに、母親も姉も、分かってくれない。
家を出る前、洗面所で最終チェックをする。前髪を梳かしていると、カバンを持った母親が小さな紙袋を差し出してきた。
「ちょっと未桜、お姉ちゃんが定期忘れたって。ちょっと走って届けて」
「え、無理。まだ出られないし」
第一、そんなことをしたらせっかくの身支度が台無しだ。絶対崩れないポニーテールだって、走ってはいけないに決まっている。
それなのに、母は構わずパスケースを押し付けてきた。ライトノベルに夢中な姉らしい、謎のロゴが入った白いパスケースだ。こんなもの持ち歩きたくない、と押し返そうとしても、母の手が更に強く押し返してくる。
「いいから、持って行って。お姉ちゃん困るでしょ」
「私だって困るし」
「いくらやったってそれ以上変わりません。もう、アンタがずっとそんなことやってるから、部屋中毛だらけよ。いつ猫を飼ったのかしら」
渋々、櫛を置く。ああでも、眉の形が気になるな、なんて鏡を覗きこんでいると「早くしないと追いつけないでしょ!」と声が飛んできた。仕方なく、鏡の前を離れた。
玄関を出た瞬間、全身を包み込むような熱気と湿気に包まれ、そこへさらにセミの声が響く。夏は嫌いだ。どんなに頑張って髪を整えても、汗をかけばボサボサになる。化粧も崩れないように気遣わなければならないし、汗だって臭う。
「それなのに、お姉ちゃん追いかけないといけないとか」
今日から始まる二学期は、既に最悪なものと決まった。溜息交じりにスマホを開いて、歩きながら姉にLINE電話をかける。これで気付いて戻ってきてくれればいい、と期待したけれど、出る気配がない。さすがに駅に着けばLINEを見るだろうと、「定期忘れてる、戻ってきて」とメッセージを入れておく。目に入った時間は、日頃家を出るよりも10分以上早い。この10分があればもう少し前髪を綺麗にできたのに、と口惜しい。
できるだけ早足で、でも汗はかかないように細心の注意を払いながら歩いていると、曲がり角の向こう側から姉が小走りでやってきた。ああ、よかった、と安堵しながらおパスケースを差し出す。
「定期でしょ?」
「そうそう。ありがと」
それを受け取った姉は、額と首に汗を垂らしていた。それを拭いもせず、ただスマホで時刻を確認して、慌てて駆けていく。翻ったロングスカートの中には、おばさんのようなフラットパンプスが見えた。あの服装はないわ、と思わず呟く。
「……ていうか、私が早く家でなくてもよかったじゃん」
リュックからハンディファンを取り出そうとして、そこで櫛が見当たらないことに気付き、更に肩を落とす。そうこうしているうちに、コンビニの向こう側に見える信号も赤に変わった。
本当に、今日はろくなことがない。ハンディファン片手に、ぼんやりと横断歩道前で突っ立っていると――ふと、後ろから肩を叩かれた。
「おはー」
けだるげな様子で立っていたのは、クラスメイトの上原颯太だった。そう気づいた瞬間、未桜の耳はかあっと熱くなる。夏の暑さなど目ではない。問題は、今すでに滲んでしまった汗のせいで髪が乱れてないか、化粧が崩れてないか、シャンプーの香りが消えていないか、だけだ。というか、上原に会う日に限って朝の時間がなかったなんて。
「びっくりしたあ、おっはよ、上原」
上原と家が近いことは知っていた。というか、まさしく最寄駅が同じだという話題で盛り上がって仲良くなったのだ。上原は一つ手前の駅との間に住んでいて、どちらも値段が変わらないからと定期圏は隣の駅からで、でも気分で使い分けていると聞いたことがある。会えないものかと意識して姿を探していた頃もあったが、時間も駅もさっぱり会わずに諦めて長かった。
前言撤回、今日はついてる。夏休み明け早々、幸先が良い。
「焼けたねー、上原。プールで見たときも思ったけどさ」
「そんなに? あんま変わった気しねー」
上原は自分の腕を持ち上げ、肩を竦める。
「てか、珍しくね? 会ったことなかったじゃん」
「今日ちょっと早く出たんだよね。お姉ちゃんに忘れ物届けなきゃでさ」
「えー、めっちゃ優しいじゃん。俺、姉貴が忘れても絶対届けねえ」
社交辞令的な一言でも、嬉しくて堪らない。次いで上原は、口笛でも吹きそうな様子で「いいもん持ってんじゃん」と呟きながら、未桜のハンディファンに顔を近づける。
「いやいや私のだし」
「シェアシェア」
その近さで胸は高鳴り、おどけて笑うのが精一杯だった。上原が使っている制汗剤の匂いが鼻孔をくすぐり、遂に顔が赤くなってしまうのを自覚する。
上原颯太は、総合81点のランクAだ。見た目は普通だが、ノリがよく、運動神経がいい。春先の体育祭では赤組のリレー選手を務めていて、体育祭後には一年生に告白されたらしい(断った話を聞いて安心したのは言うまでもない)。ただし残念ながら、その身長は高校二年生にしては物足りない。157センチの未桜と並んだとき、外ではちょっと視線が近くなりすぎる気がする。これがあと5センチあればランクSと言っても過言ではない。
とはいえ、ランクAの未桜にとっては、むしろそのままでいい。ランクが違うと途端に近づきにくくなる。こうして横断歩道で一緒に立ち止まり、駅まで歩くこともなくなるだろう。
「ていうかー、暑すぎじゃない? 夏休み短すぎだし」
「分かる。まあ部活もしんどかったけどさあ」
「ずっと練習って言ってたもんね。めっちゃ黒くてびっくりしたし」
「これ、足だけ焼けてないからマジキモいんだよね。見る?」
「見ないし、キモッ」
こうして笑って話していると、駅までの道が短くなる。暑さへの嫌悪感も忘れる。学校までの道のりは毎日退屈だけれど、上原がいると、もっと学校が遠くてもいいのになと思う。
教室へ着くと、澤村莉愛と浜崎るなが前後の席に座って喋っていた。幸運にも、夏休み前の席替えで未桜は澤村の隣になったので、二人が話すところにどう入ればいいか思案する必要はない。ごく自然にリュックを置きながら「おっはよー」とテンション高く挨拶すると、浜崎が先に顔を上げながら「おはー」と気の抜けた挨拶をした。小学生のときアメリカに住んでいたという浜崎は、ミルクティー色に染めた髪をお団子にしている。
「ちょっとハマ、今日涙袋ないじゃん」
「ほらー、今日始業式じゃん? 終わってから作ろうと思ってさあ」
校則で化粧は禁止。ただ、教師達も、いちいち注意するのを面倒くさがっているふしはあるので、長期休暇明けや学校行事のタイミングで大人しくしておくのが吉だ。浜崎は、手抜きなしの未桜の顔を見て、悪戯っぽく笑う。
「めっちゃ気合入れてるじゃん。残されても知らないよー?」
「大丈夫だって、私、後ろのほうだし」
大体、ほんの数分の説教と引き換えにほぼすっぴんで来るなんて冗談じゃない。未桜は浜崎の手抜き顔を見つめる。
もともと、浜崎の顔立ちは良いほうではない。本人がコンプレックスだという三白眼に団子鼻、それなのに矯正されて揃った歯はどこかちぐはぐだ。顔だけ比べれば、未桜のほうが断然優れている。
ただ、点数という観点では、浜崎のほうが未桜より上だ。制服の着方といい、アクセサリーといい、どこかで見たことがあるようでない、浜崎特有のこなれた雰囲気がある。 未桜もこのこなれた感じを出したいと思ってあれこれ真似してみたことはあるが、なかなかうまくいかないまま今に至る。
だから浜野は、総合89点のランクAだ。90点のランクSというには、何かもう一つ足りない。
というよりは、隣の澤村が全てを持ちすぎている。
「リア、何見てるの?」
「んー、秋コスメ。これ可愛くない?」
澤村は、ぴっ、と人差し指で画面を示しながら、軽く小首を傾げ、零れてきた横髪をさり気なく耳にかける。たったそれだけで、澤村を見ていた一部の男子の目の色が変わった気がする。澤村はそれくらい、美少女なのだ。
ああ、今日もリアは総合95点、文句なしのランクSだ。未桜はスマホ画面そっちのけで澤村の横顔を見てしまう。 未桜がいつも動画で見ている表参道美容師のように完璧な二重の目といい、色白でニキビと無縁の肌といい、羨まずにはいられない。澤村ほど、黒のボブが似合う女子高生もいないだろう。それでもって運動神経抜群ときた。モデルのように長い脚は、夏のスポーツサンダルも冬のブーツも、颯爽と履きこなす。
未桜が澤村より優れているところといえば、なんだろう、しいて挙げることができるとすれば勉強くらいだろうか。といっても、そんなことはランクに影響しないし、何より澤村は学年ビリに近くて、未桜は学年の下4分の1だし、どんぐりの背比べとはこのことだ。
まあ、そんな些細なことを比べたって、私がランクAの澤村と同じグループの友達だってことには変わりないんだけど。今日も、こうして二人と一緒にいるだけで、そう得意な気持ちになる。
そんな澤村のスマホには、某デパコスのアイシャドウが映っている。値段は夏休みの短期バイト8時間分といったところだろう。高すぎるし、なんならパッケージもシックであまり可愛くない。未桜は、もっと見た目から煌びやかなほうが好きだ。
ただ、ランクSの澤村が「可愛い」と言うのだ。それだけで、このアイシャドウには価値がある。そう思うと、「やば」と大きな声が出た。
「やばやば、ちょーかわいい。誕生日これかなー」
「じゃ、おそろしよーよ。あたしも誕生日前借りしようと思って。こっちの色と迷ってるんだけどー」
「あー、分かる。私は赤色かなー」
正直、ドラッグストアで見かけるプチプラと大差ない気もする。でも、この価値が分からないと思われたくなくて、必死に同意していた。
そのとき、教室の扉が開いた。澤村が何の気なしに顔を上げて、ふ、と鼻で笑う。
「デコリア、髪やば」
未桜もつられて振り向くと、そこには、汗で濡れた黒いボブを手櫛で梳きながら入ってくる東田莉愛がいた。
東田莉愛は、総合59点でランクFだ。
その点数がつく理由として、まず見た目への気配りが全くと言っていいほどない。髪はただの黒にボブで、リュックはよくある布地に無地の赤色とまるで一昔前のランドセルだ。背中にぴったりと張り付くほどベルトがきつくなっているのが余計にそれを想起させる。眼鏡と真面目そうな顔つきは、いかにもな優等生だ。実際、いつも澄まし顔で学年上位に陣取るのは、彼女もアイデンティティにしていることだろう。
東田のニックネームがデコリアになったきかっけは、名前が漢字まで含めて澤村と同じだからだ。
澤村と東田は一年生のときに同じクラスで、澤村の当時の彼氏が「リア」と呼んだときに、東田も一緒になって返事をしたのだという。それはクラス中の嘲笑を買った。特に澤村にとっては「私の彼氏になるような男がアンタを呼ぶはずないのに」と滑稽で、何より「あんなブスと同じ名前だなんて」と屈辱だったらしい。そこで澤村が「あっちはデコリアでしょ」とその場の思い付きで名付けた。由来は、東田の前髪がうねってセンター分けになっていたことらしい。東田は、もともとクラスの最底辺で、芸人のようなその呼び名が浸透するのに時間はかからなかった。
浜崎は、ふ、と鼻で笑う。
「てかアイツ、いちいち持ってるもの謎じゃない? 日本土産かよって」
音楽を聴きながら着席した東田は、ハンディファンの代わりに扇子を持っている。話す友達はいない。代わりにスマホを見ていた。指の動きからして漫画か何かだろう。
「デコリアって紙の単語帳とか見てそうだよねー」
澤村はわざとらしく眉間にしわを寄せ、口を突き出して単語帳を捲る動きをしてみせる。美少女は変顔もさまになる。そして帰国子女の浜崎は「で、カタカナの英語発音」と笑いながら同意した。
「先生さ、デコリアのことよく当てるじゃん、アイツ答えるから。でもめっちゃ下手でいつも笑っちゃう」
「しかも真面目な顔して読むし。デコリア、ウケるー」
「分かるー」
でもちょっと、当てられてさらっと答えられちゃう自分がいたら、恰好いいかも。そんなことを想像しながら、澤村と浜崎の悪口に相槌を打ち。
「いい大学行くんだろうけど、ああいうのはおしまいだよねーって、この間、上原達と話してて」
上原の名前を聞いて、ワンテンポ遅れてしまう。
ああいうの。見た目がブスで、可愛くなる努力もできないで、勉強ばっかりしてて友達も少ない、ランクF。
上原にとって、東田は異性としての眼中にない。未桜も、同性としてあんなのの隣を歩くことすら、自分も同類に成り下がってしまう気がするから御免だ。上原と同じ嫌いを共有することに「気が合う」なんて些細な喜びを感じながら、同時に、上原が澤村と話したのはいつだろうと不安に駆られる。上原が東田を「おしまい」だと評している場面に覚えはない。未桜の知らないところで、上原と澤村が話していた。澤村と競ったら勝ち目はない。
ただ、その不安を口にしたらどうなってしまうだろう。澤村は笑い飛ばすだろうか。未桜は上原を好きなのかと盛り上がるだろうか。それとも――ランクSの自分がランクAの男に興味を持つわけないと鼻で笑うか、嫉妬されていることに不快感を示すか。後二者の場合は、この三人組から弾き出されてしまうに違いない。
ただでさえ奇数は不安定なのだ。危険は犯せない。ぐっと気持ちを飲み込み、相槌を打つ。
「分かるう」
「あーでも、夏休みに見たんだけどさ。デコリア、年上の彼氏いんのかな?」
「えっマジ!?」
次いで出たのは打って変わって大声で、浜崎が「ちょっと、驚きすぎ」と笑う。しかしあの東田に、しかも年上の彼氏がいるなんて想像もつかない。何より澤村が提供したスクープなのだ、驚き過ぎることはない。
「ちょちょ、それどこで見たの?」
「えー、駅ビルで。なんか大学生か社会人みたいな感じで、なんか買ってもらってたんだよね。全然イケメンじゃなかったけど」
澤村の声と表情にどことなく剣呑な雰囲気があるのは、澤村が気に入っていた男子が、最近他校に彼女を作ったからだろう。同じ学校にいれば別れさせようもあるが、他校となると手は出せない。何より、その彼女との写真を見せられたところ、大して可愛くもなかったというのが澤村のプライドを酷く傷つけていた。だから澤村の前で彼氏云々の話題は禁句だ。
「デコリアってただのガリ勉だと思ってたけど、意外とやることやってんだって思って」
「なにやることって。パパ活ってこと?」
「えー、そこまで言ってないし」
浜崎と澤村は高い声を上げて盛り上がったが、担任教師がやってきて、浜崎は自席に戻った。未桜はまだ信じられない気持ちで、つい東田に視線をやった。イヤホンを外して、机の上に無駄なものはなくて、相変わらず優等生然の澄まし顔だ。でも、その頭が汗で蒸れて枝毛が出ているだろうことは想像がつく。
そんなランクFの東田に彼氏がいる。ランクAの自分にはいないのに、なぜ?
その疑問はすぐに解消された。きっと、東田の彼氏もランクFだというだけだ。
未桜だって、モテないわけではない。中学生のときは彼氏がいたし、去年の夏休み前にも告白された。でも、中学生のときの彼氏はあまり話が合わなくてすぐに別れたし、去年告白してきた男子はランクCだったので迷わず断った。そんな男と付き合って自分のランクが下がるのは願い下げだ。
東田に彼氏がいたところで、それはランクFに違いない。社会人の彼氏と聞くと、東田のランクが少し上がるような気もするが、その彼氏が、ガリ勉で友達が少なくて見た目もぱっとしないランクFだったら話は別だ。
所詮、ランクFはランクFだ。東田なんて眼中にない、と未桜はどこかほくそ笑むような気持ちで東田を視界から外した。
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自分は100点満点中何点か? 自分の友達はそれより高いか低いか? 未桜がそれを考えるようになったのは中学生の頃だ。
きっかけは、たまたま聞いていたホームルームの最中、担任教師が「自分は100点満点中何点だと思う?」とある男子に問いかけたことだ。進路の話の途中だったと思う。なぜそんな話が出たかといえば、その担任教師は「人は結局、同じくらいの点数の人同士で一緒にいるようになるんだ」と締め括った。だから90点の人と付き合いたければ90点を目指さなきゃいけないと、要は進路を真面目に考えろということだった。
話題を振られた男子が何点と答えたのか、今は覚えていない。でも、話を振られたのが自分じゃなくてよかったと思ったことは覚えている。
だって、その答えが、他人のつけた点数と乖離していたら? アイツは自称80点の女子だと指をさされたら? かといって、60点くらいだと思うなんて低そうな点数をつけるのも癪だ。今になって思えば、先生がその雑談を振る相手に彼を選んだのは、彼がそこそこクラスで人気者だと知っていたからだろう。
その日の昼休みは、点数づけで盛り上がった。仲良しグループの中で、互いを採点した。
『ぶっちゃけさー、未桜は結構点数高いよね、絶対』
美少女の親友に言われて、嬉しかったことを覚えている。でも浮かれないふりをして「なんでなんで?」と促した。
『髪サラサラだし? あとめっちゃ足細い、羨ましい』
『えー、私なんて全然だめだよ。太腿がマジ太い腿』
『てか、安藤がいいって言ってたよ、未桜のこと』
『ウッソ!』
そのうち男子も混ざってきて、未桜達を「お前ら、自分のこと90点とか思ってんだろ」とからかってきた。親友は「うちら90点グループなんでーす」と返事をして、男子は肯定も否定もせず、笑いながら、ただ一方で陰気で大柄な女子を指さして言った。
『アイツは0点だよな』
『ぼっちの時点で』
『てかあっちも赤点グループじゃん』
『えー、でも、あの中だと金田はちょっとマシじゃね』
『いやいや、赤点グループでつるんでる時点で、なしでしょ』
最後に親友が付け加えた。男子は「キッツ!」とゲラゲラ笑っていたし、未桜も「だよねー」と笑った。でも本当は、少しだけ冷や汗をかいた。
人は点数をつけられる生き物だ。その点数が高ければいい。でも、赤点だったら、そう指を差されて嗤われる。その赤点と同じグループにいるだけでも、赤点と同価値になる。
当時の男子と親友の指摘を鵜呑みにしたわけではない。ただ、納得したのだ。改めて観察してみれば、グループや友達は同じ点数同士の集まりだと。“あんなところに混ざりたくない”と思うグループにいるのは、見た目が冴えなかったり、話してもつまらなかったり、クラスにいてもいなくてもどうでもいいような存在達で、誰もかれもが30点か、良くてせいぜい40点程度しかつかない。逆に、“あの一員になれたらみんなに一目置かれそう”と思うようなグループにいる子は、シンプルに見た目がいいとか、体育祭で花型競技に出てるとかの人気者で、80点や90点ばかり。人は、自分と同じくらいの点数の人同士でつるむようにできているものだ。
ちなみに、それからしばらくして、“順位表”を目にしてしまったことがある。男子が女子に点数をつけて、女子を順位づけしていたのだ。
真っ先に目に入った第一位は例の親友で、納得の95点がついていた。そして最下位は例の赤点呼ばわりされた女子で、0点と、それを強調するマークと一緒になっていた。慌てて自分の名前を探して――“4位 中村 85点”に心底安堵した。同時に誇らしくもなった。私はこのクラスで4位なんだ。他の15人の女子よりも上だと、はっきり分かる。そして、この点数の理由の一つは、95点の親友でもあるだろう。もし親友が60点だったら、この順位から転落しているかもしれなかった。
以来、未桜は他人に点数と、ついでにランクをつけるのが癖になった。姉が持って帰った大学の成績表に倣って、90点以上はS、80点以上はA、70点以上はB、60点以上はC、そしてそれより下はF、落第。加点要素は、見た目にスタイル、男子からの評価、ひとりぼっちじゃないか、その他諸々――そして所属しているグループ。それが中学生のときに得た学びだった。
そして、それを考慮すると、いまの未桜のランクは分かりきっている。毎日丁寧に手入れした髪に、手抜きのない化粧、真面目すぎない制服の着こなし、インスタやBe Myselfを通じた友達との繋がり、そしてランクAの上原と自然に登校できて、教室ではランクSの澤村とランクAの浜崎のグループにいる。
私は、ランクAだ。



