僕らは正しい答えを見逃したようです。第一巻

――3月X日午前・ウォーターパーク到着前・梧原 夢美――
  
「夢美、おはよう!」

 聞き慣れた声に、スマホへメッセージを打つ手を止めて顔を上げる。

「おはよう、若希~」
「松田先輩にメッセージ送ってたの?」
「うん。今朝はバタバタしてて、言う暇がなかったの。」
「今日あたしたちとウォーターパークに行くことも、今伝えようとしてたんでしょ?」
「うっ……」

 さすが若希。

「まあいいじゃん?あたしだって祐太に何でも話してるわけじゃないし~」
「別にわざとじゃないもん!」
「はいはい~。どうせ松田先輩、夢美のこと大好きなんだし、平気だって~」
「……」

 若希は、神高附中のクラスメイトで、一番仲のいい友達。
 でもね……時々、少しだけ慣れないことがある。

 何というか……一番仲のいい友達が、昔付き合っていた相手と付き合って……

 あ、もちろん、そのことは若希も知っている。

 祐太と別れたときは、もうこのまま関わることもないんだろうなって思ってた。
 でも、中学でまた同じクラスになって。三年間一緒に過ごすうちに、元恋人同士だった気まずさも少しずつ薄れていった。

 今では普通に話せるし、むしろ一度付き合っていたからこそ、お互いの考えていることがなんとなくわかるというか……気づけば、わりと仲のいい友達になっていた。

 最近、胸の奥に良くない感情が芽生えるたび、私は無意識に、左手首の飾りを右手でそっとなぞってしまう。それは、楕円形の小さなピンク色の宝石が連なったブレスレットだ。

 私のしぐさに気づいたのか、若希も左手を上げて、自分の手首にある同じデザインの黄色い宝石のブレスレットを見た。

「あ、さっき祐太から聞いたんだけど、羽冬、今日来るみたいだよ。」
「あ……うん……」

 朝からもう電話して情報交換してる?
 ヨル……来るのか……?

「なんだ?照れてるの?」
「若希!」
「はいはい~もうからかわないって。」

 羽冬夜良、小学一年生で同じクラスになって以来、私たちはお互いの成長をずっと見てきた友達だ。いわゆる幼なじみだよね。
 昔から、私は夜良を「ヨル」、夜良は私を「夢ちゃん」と呼んでいた。ずっと、お互いのことを一番よく知っている存在だったし、家族同士も相手のことをかなり気に入っていたみたいだった。
 でも、それだけだ。ヨルは小一か小二の頃だったと思うけど、一度、私のことが好きだって言ってくれたことがある。でも、私が返事をする前に、勝手に走って行ってしまった。
 それから小五で、私が祐太の告白を受け入れたあと、ヨルはもう私のことを好きじゃないから平気だと、どうでもいいことみたいに言った。
 あのはっきりした態度は、本心だったのか、強がりだったのか、私にはわからない。
それに、成長するにつれてヨルもほかの女の子に興味を持つようになっていったみたいで、私はだんだん気にしなくなっていった。
 とにかく、それからも私たちはずっとそばにいた。小六で私が祐太と別れたあとも、中二で松田先輩と付き合い始めたあとも、ずっと変わらなかった。

 誰も、去年の夏休みにあんなことが起きるなんて思ってもいなかった。そして私は、熱意に満ちていたヨルをあの世界へ連れていったくせに、ヨルがそこから捨てられたとき、ただ緊張して、怖くなって、一言も言えなかった。
 もしヨルがもう一度、昔みたいに明るくて、私が憧れの目を向けると少し照れた顔を見せる、あの無邪気な少年に戻ってくれたら......
 私の名前は、梧原夢美、ごく平凡な、もうすぐ高校生になる女の子。

 ただ平凡であればいい。梧原夢美。

――3月X日午前・ウォーターパーク到着前・津桐 祐太――

 おや、俺の番ってわけか?
 津桐祐太。高身長、顔よし、口が達者、運動神経も抜群。要するに、女が好きになる要素を全部まとめて生まれてきた男だ。
 もちろん、欠点はある。たとえば――長所が多すぎ。
 なん~てね。冗談冗談。
 たとえば、成績が悪いとかさ。どうせ、成績がいいなんて、女にとって取るに足りねぇ、大した加点じゃない属性だ。
 けど、そんな頭がよくない俺が、どうして近視なんだか?意味わかんねえ。
 ヨルのやつ、今日は来るんだってな。ようやく人間らしい活動に参加する気になったらしい。
 それを確認して家を出た俺は、別の相手に電話をかけた。

「デブ。」
「なんだよ?」

 声を聞くだけでデブだとわかる声だった。

「もう出た?」
「おう、もう準備できてる。」

 その声と一緒に、布の擦れる音と妙に忍ばせた足音が聞こえた。

「てめえ、まだ起きてもいないだろ?」
「バカ言うな!」
「クソデブ。」
「好きに思えよ、俺は構わん。」
「ヨルが来るってよ。夢美の水着姿を見たいんだってさ。」

 ツネ、見た目からしてわかりやすいくらいデブなデブだ。
 しばらくして、ツネが俺の挑発に返した。

「ヨルはそんなことをいわねぇだろ。」
「素直に言うわけないな。」

 また沈黙。説教の準備か?

「みんな仲いいのはわかるけどさ、たまには、昔の立場と今の状況くらい考えてやれよ。」
「知るかよ。俺が言ってることだって事実だ。」
「はいはい。そう言うだろうなってのは、前からわかってたし。お前らの小学校時代のごたごたにまで口出す気もないよ。」

 どうやら言い争うのは諦めたらしい。ナイス。

「いいから、早く出てこいよ。じゃ。」
「じゃな。」

 通話を切り、大口駅へ向かう。

 昔の立場……
 口では気にしてないといったのはやつだろ?なら、なんで俺が気を遣わなきゃならない?
 今の状況……
 嫌だね。たまにあいつを煽るのは、俺の数少ない楽しみなんだから。
 
 あのデブが俺に説教してくるとはな。
 ツネも若希と同じく中学に入ってからの友達だが、ヨルはたぶん、付き合いの長い俺よりツネのほうが仲いい。
 そりゃあいつがヨルをかばうわけだ。気持ち悪ぃ~。

 で、俺はどうなんだろうな?

 周りからはずっと、スポーツの道に進めだの、バスケ部の強豪校に行けだの言われてきた俺も、やっぱりそういう方向を目指すべきなのか?

 けど、羽冬夜良と梧原夢美に起きたことを見てきた俺が学んだのは、特別なやつは結局妬まれるってことだ。

 大げさに取り上げられて、わざわざ粗探しされて、思い上がりな大人やネットの外野に好き勝手言われるって。

 確実に、俺はバスケ部がそこそこ強い将帝高校に進学したけど、部活に入ること自体が目的じゃない。
 バスケ部の部員でもないくせに正式な部員をぶちのめせる――そんな肩書きだけでも、しばらくはそれで気楽にやってけるだろ。若希とは別の学校になるけど、別にそれはそれで構わない。

 ポケットに手を突っ込んでいるせいで黄色い光を返せない、左手首につけた宝石ブレスレットを感じて、俺は思わず小さくつぶやいた。

「どうせ高校に入ったら、いつか別れるんだ。」

──3月X日午前・ウォーターパーク到着前・霜目 恒久──

「よう。」
 大口駅に着くと、もうヒロ、清水、梧原、それに何人かのクラスメイトが入口で立ち話をしていた。声をかけて、俺もその輪に入る。
「霜目、遅い!」
 梧原が笑いながら言う。
「デブだから歩くのに時間かかるんだろ。」
 あ、会って早々、正面からヒロ式の攻撃を食らった。まあ慣れてるけど。
「好きに言えよ、俺は構わん。」
「霜目、おはよ~。ちょっと遅刻だよ~」
 そう言って近づいてきたのは、さっきまで別のグループにいた、夏《なつ》目《め》映《うつ》璃《り》だった。
「ギリギリ到着のくせに!ぷっ!」
「俺が出る前まで寝てたやつが、よく言うよな、クソデブ。」
 ヒ……ロ……俺の腹はお前のサンドバッグじゃないんだ!
 夏目……何て言えばいいんだろう。とにかく、俺にとってはちょっと扱いづらい女だ。

 前はヨルとかなり仲が良くて、みんなでよく図書館に勉強しに行ったりしていた。
 ヨルが俺とヒロを勉強に引っ張り込んで、梧原がたまに清水を連れてくる。そんな感じだった。ヒロと清水が仲良くなったのも、たぶんその頃だ。
  
 夏目の視線が、俺たちの腰のあたりに巡っていく。少ししてから、左手を見ていたんだと気づく。俺の場合は、左手首につけている、淡い緑色の宝石のブレスレットだ。

「いいね~友情の証って。私も同じデザインのブレスレット、一本ほしいなあ~」

 感情が読みにくくて、その言葉の裏もよくわからない。たぶん、そういうところが苦手なんだろうな。

「夏目も欲しいなら、今日終わったあと一緒に見に行こうよ~」

 その沈黙を真っ先に埋めたのは、こういう場を丸く収めるのがうまい清水だった。

「ん~、やっぱいいや。私までつけたら、嫌な顔する人いそうだし~。まあ、その人に嫌がる資格があるのかは知らないけど~」

 意味深な言葉だけ残して、夏目は自分のグループへ戻っていった。
 さっきの一言より、今の言い方のほうがわかりやすい。皮肉の中に、まだ消えてない苛立ちが混じっていた。

 清水の口調は柔らかかったけど、名前じゃなくて苗字で呼ぶあたり、女の世界では「あなたはこっち側じゃない」って意味なんだろう。

 たぶん清水は、梧原が「ブレスレット」という言葉に反応して視線を逸らしたのを、夏目に気づかせないように先に返したんだと思う。でも、俺ですら気づくくらいなら……

 みんな、夏目とそこまでべったり仲がいいわけじゃないけど、関係は悪くなかったはずだ。それなのに、ヨルの話が絡むと、なんで急にこんな腹の探り合いみたいな空気になるんだよ。

 う……うらやましいよな、羽冬夜良。

 このブレスレットは、卒業式の日に俺、ヨル、ヒロ、清水、梧原の五人で街に出たとき買ったものだ。言い出したのは梧原で、壊れにくい石に三年間の友情を込めて、これからもつないでいきたいって話だった。
 まあ、一番渡したかった相手が誰かなんて、見ればわかるけどな。

 でもあの二人が、いったいどういう関係なのか、俺にはさっぱりわからない。まあ、みんなにとってもちゃんと記念にはなるし、ヒロがそのとき不意に「俺らって数合わせかよ」とか言い出した以外は、俺も清水も特に何も言わなかった。
 みんな、梧原なりにこういう形でヨルを元気づけたかったんだろうって受け取っていたと思う。
 とはいえ、ヒロと清水がちゃっかり同じ色を選んでたのは腹立つ。くそ、俺も彼女ほしいのに!
 しかも、別に宝石ってほどのもんじゃなくて、ただの石だし!

 しばらくして、少し離れたところにヨルの姿が見えた。俺たちは改札を通って、ウォーターパーク行きの電車に乗る準備をする。
 相変わらず苦い顔のままだ。でも少し前よりは、ほんの少しだけ笑えるようにはなってる。今日が終わるころには、少しでも調子が戻ってくれたらいいんだけど。

 最初にヨルを誘ったとき、気分じゃないだの、「あの人」と、って夏目だよ、夏目と同じ場所にはいたくないだの、いろいろ言ってた。俺が梧原の水着姿が見られるかもって言わなかったら、たぶん本当に来なかったと思う。

─「うっ……何で夢ちゃんの名前出すんだよ。やめろって。」

 今思い返しても、あれは絶対に動揺してたよな。
 まあ、そう考えると、ヒロの言ってたことも間違いじゃないのかもしれん。

 ヨルってさ……ああいうふうに、自分の中に理想や目指す先をちゃんと持ってるやつだからこそ、努力してきたぶんだけ、得失心に苦しめられるんだと思う。
 そういう人には少し憧れるけど、最後にあんな結果になったのを見てしまうと……それに、赤点回避で精いっぱいの俺には、将来何がしたいかなんて、正直そこまで考える余裕もない。ゲームの時間も確保しなきゃいけないし。
 本気で「何がしたいか」って聞かれたら……

 やっぱ、彼女がほしいってことになるんだろうな。

───4月1日午前・引っ越し当日・羽冬 悠月───
  
「ヨル!」

 隣の部屋のドアを開けても、そこには誰もいなかった。
 やっぱり、先に出てたんだ。
 朝起きてスマホに入っていたメッセージを見た瞬間、私はベッドから飛び起きた。スリッパもろくに履かないまま、よろけながら確かめに来たけど、もう遅かった。

『姉さん 先に出る またあとで』

 最後まで、あの子はパパとママとちゃんと話せなかったんだよね。
 どうしてこんなふうになっちゃったんだろう。両方とも私には今まで通りなのに。
 間に挟まれるのって本当にしんどい。だから、今回の引っ越しは、私にとっても一種の解放なのかもしれない。
だって、私はお姉ちゃんでしょう?どっちかを選ぶなら、やっぱりいつも問題ばかり起こす羽冬夜良の面倒を見るしかない。

「悠月、起きたのね。」

 階段を下りると、ママのやさしい声が聞こえた。

「おはよう、ママ。ヨルは先に出たみたい。」

 そう言いながらソファに座る。

 「ヨル」の名前を聞いたお母さんの目元が、ほんの少しだけ引きつった。

「わかった。」

 やっぱり、自分から触れるより、向こうが聞いてくるのを待ったほうがいいんだろうな。
 あああああああ、もう!本当に面倒くさい!なんで十八になったばかりの超絶美少女な私が、こんなことに付き合わなきゃいけないのよ!もう知らない、私は私でやる!!

「パパ、荷物運ぶの手伝ってくれる?」

 さっき通り過ぎた部屋のドアが開く音がしたから、私はわざとパパにも聞こえるように、甘えた声でママに聞いた。

「頼んでみたら?」

 話題が変わったからか、ママもさっきの穏やかな笑顔に戻った。
 私が声をかける前に、パパは足音を立てて二階から私とヨルの部屋がある階へ上がっていった。
 今日こそ、わがまま娘でいられる最後の日なんだから!サボろうなんて思わないでよね!
 ……うう、なんで急に鼻の奥がつんとするの。別にお嫁に行くわけじゃない!ただ、手のかかる弟の面倒を見るために出ていくだけなんだから!

 パパの車で神奈川区から港北区まで走ること三十分。

「でさ、琉《る》香《か》が『あの男、超ムカつく』って言うんだけど、でも私は……」

 車内でそんな話をしているうちに、いつの間にかアパートに着いていた。
 入口の前には、ヨルが待っていた。
 ……うわ。気まず。

 大丈夫、羽冬悠月。今日で最後。パパとママさえいなければ、弟もあなたに嫌な顔はしない。みんな余計なことをしなければ、ちゃんと元に戻れる。
 それでも、私は信じてる。同じ血が流れているんだから、いつかはわかり合えるって。だからその日までは、私もできる限り、大人の役目をちゃんと果たさなきゃいけない。

 だって、私たちは家族なんだから。