僕らは正しい答えを見逃したようです。第一巻

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 3月X日、つまり今日、ウォーターパーク。

 柔らかな陽光が、桜咲く季節の大地をまた包む。花びらが舞い落ちるにつれ、刺すような寒さも徐々に和らぎ、桜が散るにつれ、刺すような寒さもやわらいでいく。温暖化のせいか、春休みも昔ほど寒くなく、暑い日すらある。水遊びに出るにはちょうどいい。

 ここに来たのは、これが3年F組で行く最後のクラス旅行だからだ。
 クラス旅行とはいっても、集まったのは男子六人、女子八人だけ。クラスの半分にも届いていない。神高附中ではクラス替えがないから、三年間ずっと同じメンバーで過ごしてきた。だからこそ、こういう縁を少しでも繋いでおきたいと思うんだろう。
 まあ、僕にとって、大半がただのクラスメイトなんだけど。「同じクラス」じゃなくなれば、この先そこまで関わることもないだろう。

「また一人ぼっちにしてんのかよ。」
「こっちのほうが僕らしいだろ。」

 中央プールから離れて座る僕に気づいて、声をかけてきたのは、腹が少しだけ水着のウエストに乗っているぽっちゃり気味の男だった。

 霜《しも》目《め》恒久《つねひさ》。僕はいつもツネって呼んでいる。一応、神高附中では一番仲のいい友達ってところだ。
「うおヒロ、ずるいな。」

 ツネの言うヒロというのは、今朝わざわざ電話をかけてきて僕をからかった男、津《つ》桐《ぎり》祐《ひろ》太《た》のことだ。中央のプールで一緒にはしゃいでいるのは、彼女の清《し》水《みず》若《わかき》希《き》。

「あ、本当だ、彼女持ち最高だな、触り放題だし、たぶんもうやることやったな。」

 羨ましそうにするツネに、僕は適当に返した。
 意外に、ツネはすぐに乗ってこなかった。少し間を置いてから、口を開く。

「ほら、もう一人ぼっちじゃやめなよ。どうせ中に話したくない奴が一人だけだろ?」

 ツネがそう言って立ち去ったあと、僕は思わず鼻で笑った。そういう話で照れるとか、純情すぎるだろ。男同士なのに。
 それから、無意識のうちにプールの中の人影を見渡した。

 そうだよな。もうすぐ、みんなそれぞれ別の道へ進む。夢ちゃんはそのまま神奈川高校へ内部進学。ツネは黎明《れいめい》大学附属商業高校、ヒロは将《しょう》帝《てい》高校へ。

 清水は……特に聞いたこともなかった。
 せっかくみんなとの時間を大事にしようと思ってツネについていったのに、結局また本能のまま離れて、人の少ない端に寄りかかっていた。

 今日は水遊び日和だ。三月下旬なのに、水は顔にかかっても冷たすぎず、すぐ慣れる。って、夢ちゃん、僕に水かけてるだろ。

「何その顔なの?」

 あ? 知らない。たぶん「君がしつこい」って顔。

「よく見つけるな。」
「ヨルならどこにいても見つけられるよ~一緒に遊ぼうよ! きゃっ!」

 僕が反撃してくるなんて全く思っていなかった夢ちゃんは、顔に水をかけられ続けて、一気に押される側になった。

「ま、待て、速すぎ!」
「どうだ、降参か?」
「降参降参、やめたやめた!」

 白旗を上げたので、僕も水をかけるのをやめて、プール端に寄りかかり、現実離れした青空と白い雲を眺めた。

 夢ちゃん、梧《ご》原《はら》夢《ゆめ》美《み》。今朝、ヒロが電話でわざわざ名前を出してきた女子だ。
 僕と夢ちゃんは小学一年の頃から知り合っていて、いわゆる幼なじみ 。
 ヒロがいつも夢ちゃんのことで僕をからかってくるのは、昔、僕が彼女のことを好きだったからだ。

「私、きれい?」

 両手で濡れたツインテールを指で巻き、夢ちゃんが上目遣いに金色の瞳で見上げる。
 うん? そんなストレートに聞く人がいる?

「あそう、世界一きれいだ。」
 抑揚のない声で返す。

「ありがとう~」

 え、今の適当に返したんだけど、なぜそんな素直に受けたのか?

「じゃ、私戻るよ。もっと楽しんでね、ヨル。」

 そう言い残して、ツネたちの方へ戻っていった。

 黒のワンピース水着か。肩紐が細い線2本の特別なデザイン…腰の肌は見えないのが残念。でも、平たいてもやっぱり似合ってる。
 もっと楽しめってか?確かに、毎日何もせず寝るだけの場所にいるより、ここに来ることに意味があるとは言えないけど、少なくとも生きてはいる。

 プール端、後ろから近づく足音に振り返るが、あの暗い赤色のサイドテールがちらりと見えて、無意識に視線を逸らしてしまう。向こうも当然、こっちなんて見ない。

 名前すら口にしたくない人。これから夢ちゃんと同じ学校に通っても、もう僕の視界に入ることはない。

 とはいえ、本能に突き動かされる自分はつい、彼女の身に纏った白いツーピースの水着に目が行く。上は胸を覆うだけの短いタンクトップタイプだ。
 うん、以上だ、もう見ない、本当だ。どうせ夢ちゃんよりちょっと大きいだけだし。

「ヨ~ル~」
 遠くからヒロの声。え、清水とイチャイチャついてるのかと思ってた。

「一緒に行こうぜ~、ウォータースライダー~ぼっち野郎~」

 わかったわかった。頷いて、水中ゆっくり歩き出す。

「若希、一緒に滑ろう、早く! 後ろ座るよ~」
「はいはい、しっかり掴んでね祐太!」

 わ~僕も抱けよヒロ~君の胸に飛び込みてえ~

「ヤッホー!!」「あああああ~」

「よし、行くぜ。」

 ヒロと清水が着水を見て、ツネも滑る気満々だ。

「肉が引っかかったりしないの?」「そんなデカくねえよ!」「絶対引っかかるだろ。」「リスペクト!」「せめて贅肉の摩擦力で満足度は下がるだろ。」「好きに思えよ、俺は構わん。じゃあな~ヨーーーーー」

 ほら、二人乗りのヒロと清水より遅い。

「ヨル~」

 後ろの夢ちゃんが滑り台乗る前に呼ぶ。

「一緒に滑ろうよ?」
「いや、彼氏いるの忘れたのか。」
「うっ……いいじゃん、私たち、遊園地来るの初めてなんだよ?」
「二人きりみたいに言うな。」
「お願い~」
「はいはい、来い。」

 その一言で、夢ちゃんは嬉しそうに僕の前へ座った。けれど、耳元で一言だけ囁いてから、僕が勢いよく背中を押すと、それに続いて夢ちゃんの甲高い悲鳴が響き、そのまま水路の先へ流されていった。

「じゃあ僕と付き合おうか~」
「何だよおおおおおおお!!」

 うん、夢ちゃんにはちゃんと彼氏がいる。松《まつ》田《だ》誠《まこと》。夢ちゃんと同じ神奈川高校に通っていて、この春から三年生になる先輩だ。

 僕もさっさと滑るか。後ろの友達と喋る人の近くに1秒もいたくねえ。

「ああ~お前の顔いつも通りつまんねえな。」

 着水した僕の反応を見て、ヒロは少しがっかりしたようだった。僕は何に乗ってもこんな生気のない顔だから、ヒロとツネももう慣れてるだろ。他の遊園地も一緒だったし。本心は楽しいんだよ、ジェットコースターもバイキングもこうだ。今さら変えられねえ。

「君みたいにジェットコースター怖がる人よりマシだろ~」
 そう、ヒロはこういうの全部だめだからな。

「少なくとも、大人の勝手で自暴自棄にはならないしな~」

「祐太、ひどすぎる。」
「なんだ夢美、そんなに冗談通じないじゃないよ。」
「そうだよ夢ちゃん、僕心広えよ~」
「待ってヨル、どこへ行くの?」

 夢ちゃんの呼びかけには応えず、背を向けて立ち去った。
 離れるとき、清水がヒロに何か言っているのが聞こえた。でも、誰も追ってはこなかった。

 と思っていた。

「気にしないでね、本当に直らないんだ。」
「ん? 平気だよ。」
 口では言うが、確かに一瞬顔が固まったろ。

「見ちゃったよ。」
 それに夢ちゃん、気づかないはずもない。

「ヒロの言うことも事実だな。」
「気にしないで。昔からああいう人だし。若希もそろそろ限界だし。」

 うん?

「清水って、ヒロのこと好きなんじゃないの? それくらいでそんなに深刻になる?」
「祐太は最初から本気で考えて始めたわけじゃなかったし。若希も考え変わってきた。」

 まあね、元彼女の君がもちろん僕より知ってんだろ。

 夢ちゃんとヒロは、小五の頃にしばらく付き合っていた。どうして別れたのかは僕もよく知らない。ただ、小六の頃だったってことだけは知っている。
 関係がちょっと複雑?まあ、小学生だったし、あの頃の幼い三角関係なんてそこまで大した話でもない。それに、もう昔のことだ。今はみんな普通に仲のいい友達だ。

「君は?」
「私?」
「彼氏とは。今のところうまくいってるのか?」

 問いを聞いて、夢ちゃんは少し考え込んだ。

「ずっと続いてくれたらいいな。」
「なんだよその答え。」

「そう?だって私、ヨルみたいに大人じゃないもん。」

 卒業したばかりの中学生が、ずっと年上の先輩と付き合ってきた人より大人ってことになるのか?

 松田誠……やっぱ認めない。

 散々夢ちゃんに好意を見せて、自分から告白してきたくせに、いざ夢ちゃんが受け入れたら、実は自分には彼女がいる、少し時間をくれ、前の関係をちゃんと片づけるからって……
 その話はある日、夢ちゃんの部屋で一緒に宿題を終えたあと、彼女から教えてくれた。好きになってはいけない相手を好きになってしまった無力さと、自分の過ちへの罪悪感。それを抱えきれず泣く夢ちゃんを前にして、僕は驚きながらも、肩に頭を預けてくる彼女のそばに静かにいてやることしかできなかった。

 これからちゃんと向き合って、大事にし合えればいい――そんな本心でもない慰めを口にしながら。

「ここに来たら、少しは雰囲気変えるのかと思った。」

 どう返せばいいか一瞬わからず、話題を夢ちゃんのツインテールに移す。

「ツインテール? 昔、可愛いって言ってくれたから、変えたくなかったんだよね。」

 あ?

「五、六年前だろ? 僕のことがそんなに大事なくせに、他の人と付き合うのかよ~?」
「もう、そういうこと言わないでよ。」

 小三のある日、夢ちゃんは今のツインテールで学校へ来た。
 クラスの男子は、見慣れなかったのか、小学生特有の悪ふざけなのか、変だの似合わないだの好き勝手言っていた。好きな子を元気づけたくて、それに自分はそういう髪型が好きだって伝えたくて、たしかに僕はそう言った。
「実は、可愛いと思うよ。」
 しょんぼり夢ちゃんが顔を上げ、涙目で僕を見る。
「本当?」
 泣き声抑え。
「本当だよ、僕が嘘ついたことある? 彼らに見る目がないだけ。夢ちゃん一番可愛い。」
「じゃあ今後、毎日こうで登校する!」
「いいよ! 指切り!」
 悲しみ笑顔に、いつもの元気が復活。

 青い思い出だ。夢ちゃんが僕の気持ちを知ってるって分かってて、「夢ちゃん一番可愛いよ」なんて平気で言っちゃうなんて。ああ、思い出しただけで死にたくなる。
 あそう、小学の頃に夢ちゃんを好きだったが、もう昔の話だ。
「ヨル。」
 思い出に沈みかけた僕を、もう一度呼ぶ。
「どうした?」
「ひとつ、約束してくれる?」
 絵みたいにその美しい瞳に、少しだけ哀しみを宿した目で見つめられると、まるで縫い留められたみたいに視線を外せなくなる。

「高校に上がったら、前みたいな笑顔に戻ってね!」

 ……?
「笑ってるよ、ずっと。」
 回りくどい返事をしてから、無理やり口元を持ち上げてみせた。
 でも、僕の返しを受け流して、そのまま言葉を続ける。

「ヨルには、新しい場所でちゃんとやり直して、心から笑えるようになってほしい。」

「これからも、ヨルが必要なら、私はずっとそばにいるから。」

「だから、約束してね?次に会うときは、もうそんな顔しないでね!」

 彼女はいつもそうだ。
 いつもそんなに優しい。人が思わず気を許してしまうくらい優しい。
 だからこそ、僕はその優しさに溺れて、何も知らなかった頃、何の迷いもなく全部を差し出した。いつか気づく、相手が好きなのは自分じゃない。いつか気づく、傷つくのはいつも自分だ。いつか、やっと思い知る……

 好きにならないことだけが、自分を救う。