「さて、ここから本題に入ろうか」
「はあ?」
散々人のことをおちょくっておいて、今から本題に入るだって?
ふざけるのも大概にしろよ、と口を挟もうと思ったのだけれど、急に真剣な顔をして僕を見つめてきたので、すんでのところで踏みとどまった。
なんだよ、そんな表情されたらもう黙るしかないじゃないか。
死神は僕が聞く姿勢を取ると、手に握っていた大鎌を僕の目の前に差し出した。月明かりが反射する、汚れ一つない三日月だった。
「この鎌は心体の繋がりを断つことができる代物でね。ちなみにアンタが今幽体になっているのは、この鎌で斬り伏せたことに起因するんだぜ」
「それは簡単に想像ができるよ。……でも体もろとも斬られたはずなのに血が出ていないのはどうして」
「そこにグロ要素は必要ないだろ?」
やけにあっさりとした答えだった。その境界線はよく分からないけれど、屋上が血の池に染まらなかっただけマシかと思った。
死神はにったりと口角を上げると、今度は僕の目の前に右手を差し出し、三本の指を立てた。
「今日を入れてあと三日。これがアンタに許された命の期限だ。俺の『死神』としての業務は、アンタの願いを期限までに叶えること。ただし、三日間という時間と等価交換できない願いは、叶えることができない」
「等価……交換」
「そうだ。例えば、美味しいものを腹いっぱい食いたいって願いなら簡単に叶えてやれるが、人を生き返らせることはできない。人の命三日分で叶えられる限界をゆうに超えているからな。等価交換には値しない」
まあ、一生分くらいの時間があればできなくはないな。と死神が言う。
つまりはそういうことなのだ。分かってはいたことだったけれど、僕の本当の願いは、今の僕では到底叶えられない域にある。安堵したような、悔しいような、そんな複雑な感情が押し寄せては引いていく海の波のように荒れ始めた気がした。
だけど、どれだけこの荒れた感情の塊を死神にぶつけたところで結果は変わらないんだ。それよりも、願いを決める決めない以前にまずは——。
「……とりあえず僕の体、病室に戻して」
「嗚呼……それは名案だな。俺も今同じことを考えていたよ」
*
「そういえばアンタ名前は?」と死神が訊くので、面倒だなと思いつつ「……立花、春人」と名乗る。死神は僕の名前を知ると何に満足したのか嬉しそうに笑った。キモい。
屋上を後にした僕たちは道中、看護師たちに見つかるのではないかと内心ひやひやしていたけれど、それは杞憂だったみたいだ。目が合っているような人もいた気がしたのに、堂々と前を通っても気づかれることなく、僕たちは無事に病室に辿り着いたのだった。
「なんで誰も僕たちに気づかないんだ……」
僕は兎も角、死神はこんなにも怪しい姿格好をしているのに、と言葉を吐けば、僕の実体を抱えた死神が「それは俺たちが死人だからだよ」と僕をベッドに横たわらせながら言った。
「今アンタはこの世とあの世の境界線上にあるんだ。常人からすれば、空気に少しのモヤがかかって見えるだけで、『人』として認識されることはまず無い。……ま、霊感が強い人間がいれば話は別かもしれないけどな」
「死人……」
なるほど、今の僕は心体の繋がりが絶たれている状態だから、この世にもあの世にも留まらない曖昧な存在となっているのか。そう考えれば、病院に勤めている皆が僕のことを認知できないのも頷ける(もしかしたらみえている人もいたのかもしれないけど、僕を認知できても僕のことを知っている人ではないから無視していただけなのかもしれない)。
ふと死神が「あ」と声を上げたので、反射的に振り向くとそこには壁掛け用の時計が日付を跨いだ瞬間の時刻を指していた。
「——あと二日。何がしたい?」
死神が問う。何がしたい、だなんて、一度も考えたことがなかった。
いつだってしたいことは病気の先にあって、目先の生きることに精一杯だった。だから急に選択肢をごまんと出されても僕の引き出しにはしたいことなんてこれっぽちも入っていなかった。
「あ。言っとくけど殺人の依頼はNGだから。それ以外の犯罪なら多少のアレはあれど叶えられるぜ。万引きに不法侵入、電車の無賃乗車に女子風呂の覗き、なんでもござれだ!」
何言ってんだこいつ。
「……え。なんでそんな反応薄いん? アンタ思春期男子だろう。こういうことやりたかったなあって思ったことないのか?」
「犯罪に興味なんて湧いたことないし、そもそもやりたい以前に動けないんだから意識したこともない」
「随分とつまらない人生をお送りしてきたようで」
「悪かったね刺激の無い人生を送ってきて」
僕がそう答えれば、死神は楽しそうにケラケラと笑った。何が面白かったのだろう。まったくこいつの感性が分からない。分かりたいとも、思わないけれど。
したいこと、やりたいことを再度考えてみる。自主的に何かをしたいと思ったことは、今思い返してみても本当に見つからなかった。
(……あ……)
ただ一つだけ。一つだけ、見つけた。
「したいこと、見つけたか?」
僕の思考を読み取ったかのようなタイミングで死神が僕に言う。随分と間がいいなと、彼を不気味に思いながら口を開く。
「海……。海を見に行きたい」
それは、小さな、心残り。
やりたいことではなく、やり残したこと。
兄と交わした、海に行くという願いを、僕は会って間もない得体の知れない死神に願った。
「はあ?」
散々人のことをおちょくっておいて、今から本題に入るだって?
ふざけるのも大概にしろよ、と口を挟もうと思ったのだけれど、急に真剣な顔をして僕を見つめてきたので、すんでのところで踏みとどまった。
なんだよ、そんな表情されたらもう黙るしかないじゃないか。
死神は僕が聞く姿勢を取ると、手に握っていた大鎌を僕の目の前に差し出した。月明かりが反射する、汚れ一つない三日月だった。
「この鎌は心体の繋がりを断つことができる代物でね。ちなみにアンタが今幽体になっているのは、この鎌で斬り伏せたことに起因するんだぜ」
「それは簡単に想像ができるよ。……でも体もろとも斬られたはずなのに血が出ていないのはどうして」
「そこにグロ要素は必要ないだろ?」
やけにあっさりとした答えだった。その境界線はよく分からないけれど、屋上が血の池に染まらなかっただけマシかと思った。
死神はにったりと口角を上げると、今度は僕の目の前に右手を差し出し、三本の指を立てた。
「今日を入れてあと三日。これがアンタに許された命の期限だ。俺の『死神』としての業務は、アンタの願いを期限までに叶えること。ただし、三日間という時間と等価交換できない願いは、叶えることができない」
「等価……交換」
「そうだ。例えば、美味しいものを腹いっぱい食いたいって願いなら簡単に叶えてやれるが、人を生き返らせることはできない。人の命三日分で叶えられる限界をゆうに超えているからな。等価交換には値しない」
まあ、一生分くらいの時間があればできなくはないな。と死神が言う。
つまりはそういうことなのだ。分かってはいたことだったけれど、僕の本当の願いは、今の僕では到底叶えられない域にある。安堵したような、悔しいような、そんな複雑な感情が押し寄せては引いていく海の波のように荒れ始めた気がした。
だけど、どれだけこの荒れた感情の塊を死神にぶつけたところで結果は変わらないんだ。それよりも、願いを決める決めない以前にまずは——。
「……とりあえず僕の体、病室に戻して」
「嗚呼……それは名案だな。俺も今同じことを考えていたよ」
*
「そういえばアンタ名前は?」と死神が訊くので、面倒だなと思いつつ「……立花、春人」と名乗る。死神は僕の名前を知ると何に満足したのか嬉しそうに笑った。キモい。
屋上を後にした僕たちは道中、看護師たちに見つかるのではないかと内心ひやひやしていたけれど、それは杞憂だったみたいだ。目が合っているような人もいた気がしたのに、堂々と前を通っても気づかれることなく、僕たちは無事に病室に辿り着いたのだった。
「なんで誰も僕たちに気づかないんだ……」
僕は兎も角、死神はこんなにも怪しい姿格好をしているのに、と言葉を吐けば、僕の実体を抱えた死神が「それは俺たちが死人だからだよ」と僕をベッドに横たわらせながら言った。
「今アンタはこの世とあの世の境界線上にあるんだ。常人からすれば、空気に少しのモヤがかかって見えるだけで、『人』として認識されることはまず無い。……ま、霊感が強い人間がいれば話は別かもしれないけどな」
「死人……」
なるほど、今の僕は心体の繋がりが絶たれている状態だから、この世にもあの世にも留まらない曖昧な存在となっているのか。そう考えれば、病院に勤めている皆が僕のことを認知できないのも頷ける(もしかしたらみえている人もいたのかもしれないけど、僕を認知できても僕のことを知っている人ではないから無視していただけなのかもしれない)。
ふと死神が「あ」と声を上げたので、反射的に振り向くとそこには壁掛け用の時計が日付を跨いだ瞬間の時刻を指していた。
「——あと二日。何がしたい?」
死神が問う。何がしたい、だなんて、一度も考えたことがなかった。
いつだってしたいことは病気の先にあって、目先の生きることに精一杯だった。だから急に選択肢をごまんと出されても僕の引き出しにはしたいことなんてこれっぽちも入っていなかった。
「あ。言っとくけど殺人の依頼はNGだから。それ以外の犯罪なら多少のアレはあれど叶えられるぜ。万引きに不法侵入、電車の無賃乗車に女子風呂の覗き、なんでもござれだ!」
何言ってんだこいつ。
「……え。なんでそんな反応薄いん? アンタ思春期男子だろう。こういうことやりたかったなあって思ったことないのか?」
「犯罪に興味なんて湧いたことないし、そもそもやりたい以前に動けないんだから意識したこともない」
「随分とつまらない人生をお送りしてきたようで」
「悪かったね刺激の無い人生を送ってきて」
僕がそう答えれば、死神は楽しそうにケラケラと笑った。何が面白かったのだろう。まったくこいつの感性が分からない。分かりたいとも、思わないけれど。
したいこと、やりたいことを再度考えてみる。自主的に何かをしたいと思ったことは、今思い返してみても本当に見つからなかった。
(……あ……)
ただ一つだけ。一つだけ、見つけた。
「したいこと、見つけたか?」
僕の思考を読み取ったかのようなタイミングで死神が僕に言う。随分と間がいいなと、彼を不気味に思いながら口を開く。
「海……。海を見に行きたい」
それは、小さな、心残り。
やりたいことではなく、やり残したこと。
兄と交わした、海に行くという願いを、僕は会って間もない得体の知れない死神に願った。

