「ただいま」
五十嵐くんは家のドアを開けると、部屋の奥に向かって言いました。すると、五十嵐くんのお母さんでしょうか……が、「おかえり」と、台所らしき部屋からヒョイっと顔を出しました。
「今日、友達来てるから」
「お邪魔します……」
私は事前に相談したように、友達ということで自己紹介をしました。
「友達! 悠介が友達なんて、珍しい!」
五十嵐くんのお母さんは、そう言って目を丸くしました。五十嵐くんは「うるさいな」と、耳を赤くさせていました。あ、そこは赤くなるのですね……。
「勉強するから、入ってくるなよ」
「はいはい」
「飲み物は自分で用意するからな」
「はいはい」
五十嵐くんとお母さんは、そんなやり取りをしていました。私はただ黙ってそれを見ることしかできませんでした。五十嵐くんのお母さんは綺麗な人で、どことなく五十嵐くんに似ていて……この人から五十嵐くんが生まれ、この人によって育てられたのだと思うと妙な気持ちになりました。
それから私は二階の部屋に案内されました。五十嵐くんの部屋だそうです。
「お邪魔します……」
部屋の中は、私の部屋と違い、驚くほど整理されていました。
中央には、木製の丸いテーブルと、二つの紺色のクッションがあります。クッションは二つとも同じデザインでしたが、片方は新品らしきもので……私はこっちに座れと新品らしい方のクッションを勧められました。それから五十嵐くんは、飲み物を持ってくるからと、廊下へ消えていきました。私は部屋に一人になりました。
……五十嵐くんの匂い。
……。
……いや何を考えているんだ!
なんだか申し訳なくなり、私は、鼻呼吸をやめて口呼吸に切り替えました。しかし意識すればするほどに、息の仕方がわからなくなっていきます。
ああ、本当に、私は何をやっているのでしょう……。
頭がぼーっとしてきたところで、五十嵐くんが帰ってきて、驚いたように私を見ました。
「おい、大丈夫か?」
「大丈夫……本当に大丈夫だから……」
私は曖昧に、へへと笑いました。
五十嵐くんは小さく「なんかあったら言えよ」と言うと、テーブルにお茶のグラスを置き、私の向かいに座りました。
「……」
「……」
さて、どうすればいいのでしょう。
私は、友達の家にすら、ろくに来たことがありません。ましてや、付き合っている人の家など……。
……。
部屋の中には、時計の針の音だけが響いています。
あまりに静かで、お互いの呼吸の音すら、聞こえるようで……。
「飲めよ」
五十嵐くんは、突然言いました。
「あ、じゃあ、いただきます……」
勧められて、私は、素直にグラスを手に取りました。そうして口をつけ……普通に飲もうとしたつもりでした。ですが、
ゴクリ、
と、やけに大きく、飲み込む音が響きました。
あっ……。
羞恥、だけじゃない。何か自分の奥のものをさらけ出してしまったような、言いようのない感覚。
……いや普通に、今の音は生々しすぎた。
変に、思われなかったか。
グラスに口をつけたままチラリと五十嵐くんを見ると、じっと、こちらを見ていました。
見ている……。
ものすごく、見ている……。
私は本格的に恥ずかしくなって、「このお茶、おいしいね」と誤魔化しました。五十嵐くんは「おう」とだけ頷きました。
「五十嵐くんも、飲みなよ……」
「いや、俺はいい……」
「なんで……」
「喉かわいてない……」
そう言って五十嵐くんは、壁の方に顔を背けました。
私だけ、不公平です……。
やっぱり、何か意識されたのでしょうか。
だからといって、何かを言ったらもっと恥ずかしい。
どうにもできず、私も床の方を向いて、意味もなく指をいじり始めた時でした。
「俺、お前のこと見過ぎだよな……」
「えっ」
「あ、いや……」
そう言うと五十嵐くんは、片手を曖昧に持ち上げては首の後ろを触り、「今の忘れてくれ……」と消えそうな声で言いました。
……確かに、視線は感じましたが。
まさか自分から言ってくるなんて。
私は言ってみました。
「……五十嵐くん、そんなに見てたの?」
「いや、見てない」
「でもさっき見てたって……」
「気づいてなかったならいい」
「……見てたんだ」
「……悪い」
「悪くないよ、もっと見て」
「……!?」
五十嵐くんは小さく目を見開きました。
「……」
……あれ、今私は何を言いました?
……。
「あ、俺……」
急に顔が熱くなり、私は、ふらふらとあちこちに視線を彷徨わせました。すると今度は五十嵐くんが、顔を真っ赤にさせて「お前、そういうことさ……」と言い、言葉を途切れさせては、「あんまりさ、その、誰にも言うなよ」と、消えかけの声で俯いてしまいました。
誰にも言うなよって……そんなセリフ……。
「何それ、言わないよ……」
「……」
「見られるの得意じゃないし……」
「そういう話じゃねえ……」
「うん……」
知っています。わかっています。そういう話じゃないのは、理解しています。
ただ、口がおかしな方向に動いてしまったのです。
「あのさ」
「なに……?」
「そっち、行ってもいいか……?」
「えっ……」
「嫌なら……」
「いっ、嫌じゃない!」
つい、大きな声が出てしまいました。
ひどく上ずった声でした。
「嫌じゃないよ……」
「……」
「こっち、来て……」
「……」
五十嵐くんは無言で立ち上がって、ゆっくりと歩いてきました。そうして妙に慎重に、慎重に、私の隣……触れるか触れないかくらいの距離に、腰を下ろしました。
五十嵐くんの体温が、空気越しに、伝わってくる。
五十嵐くんの、呼吸の音、心臓の音まで……。
「なあ」
「うん」
「手、握ってもいいか……?」
「……うん、いいよ」
私が曖昧に左手を差し出すと、五十嵐くんは少し迷ったように手を彷徨わせ……それからそっと、私の指に、自分の指を滑り込ませました。
指が、絡み合う。
「あっ、その、五十嵐くん……」
「……なんだよ」
「いや……」
「……」
「……なんでもない」
普通の友達じゃ、ないこと。
本当に、ただの友達じゃなくなったんだ。
本当に、付き合ったんだ。
五十嵐くんは家のドアを開けると、部屋の奥に向かって言いました。すると、五十嵐くんのお母さんでしょうか……が、「おかえり」と、台所らしき部屋からヒョイっと顔を出しました。
「今日、友達来てるから」
「お邪魔します……」
私は事前に相談したように、友達ということで自己紹介をしました。
「友達! 悠介が友達なんて、珍しい!」
五十嵐くんのお母さんは、そう言って目を丸くしました。五十嵐くんは「うるさいな」と、耳を赤くさせていました。あ、そこは赤くなるのですね……。
「勉強するから、入ってくるなよ」
「はいはい」
「飲み物は自分で用意するからな」
「はいはい」
五十嵐くんとお母さんは、そんなやり取りをしていました。私はただ黙ってそれを見ることしかできませんでした。五十嵐くんのお母さんは綺麗な人で、どことなく五十嵐くんに似ていて……この人から五十嵐くんが生まれ、この人によって育てられたのだと思うと妙な気持ちになりました。
それから私は二階の部屋に案内されました。五十嵐くんの部屋だそうです。
「お邪魔します……」
部屋の中は、私の部屋と違い、驚くほど整理されていました。
中央には、木製の丸いテーブルと、二つの紺色のクッションがあります。クッションは二つとも同じデザインでしたが、片方は新品らしきもので……私はこっちに座れと新品らしい方のクッションを勧められました。それから五十嵐くんは、飲み物を持ってくるからと、廊下へ消えていきました。私は部屋に一人になりました。
……五十嵐くんの匂い。
……。
……いや何を考えているんだ!
なんだか申し訳なくなり、私は、鼻呼吸をやめて口呼吸に切り替えました。しかし意識すればするほどに、息の仕方がわからなくなっていきます。
ああ、本当に、私は何をやっているのでしょう……。
頭がぼーっとしてきたところで、五十嵐くんが帰ってきて、驚いたように私を見ました。
「おい、大丈夫か?」
「大丈夫……本当に大丈夫だから……」
私は曖昧に、へへと笑いました。
五十嵐くんは小さく「なんかあったら言えよ」と言うと、テーブルにお茶のグラスを置き、私の向かいに座りました。
「……」
「……」
さて、どうすればいいのでしょう。
私は、友達の家にすら、ろくに来たことがありません。ましてや、付き合っている人の家など……。
……。
部屋の中には、時計の針の音だけが響いています。
あまりに静かで、お互いの呼吸の音すら、聞こえるようで……。
「飲めよ」
五十嵐くんは、突然言いました。
「あ、じゃあ、いただきます……」
勧められて、私は、素直にグラスを手に取りました。そうして口をつけ……普通に飲もうとしたつもりでした。ですが、
ゴクリ、
と、やけに大きく、飲み込む音が響きました。
あっ……。
羞恥、だけじゃない。何か自分の奥のものをさらけ出してしまったような、言いようのない感覚。
……いや普通に、今の音は生々しすぎた。
変に、思われなかったか。
グラスに口をつけたままチラリと五十嵐くんを見ると、じっと、こちらを見ていました。
見ている……。
ものすごく、見ている……。
私は本格的に恥ずかしくなって、「このお茶、おいしいね」と誤魔化しました。五十嵐くんは「おう」とだけ頷きました。
「五十嵐くんも、飲みなよ……」
「いや、俺はいい……」
「なんで……」
「喉かわいてない……」
そう言って五十嵐くんは、壁の方に顔を背けました。
私だけ、不公平です……。
やっぱり、何か意識されたのでしょうか。
だからといって、何かを言ったらもっと恥ずかしい。
どうにもできず、私も床の方を向いて、意味もなく指をいじり始めた時でした。
「俺、お前のこと見過ぎだよな……」
「えっ」
「あ、いや……」
そう言うと五十嵐くんは、片手を曖昧に持ち上げては首の後ろを触り、「今の忘れてくれ……」と消えそうな声で言いました。
……確かに、視線は感じましたが。
まさか自分から言ってくるなんて。
私は言ってみました。
「……五十嵐くん、そんなに見てたの?」
「いや、見てない」
「でもさっき見てたって……」
「気づいてなかったならいい」
「……見てたんだ」
「……悪い」
「悪くないよ、もっと見て」
「……!?」
五十嵐くんは小さく目を見開きました。
「……」
……あれ、今私は何を言いました?
……。
「あ、俺……」
急に顔が熱くなり、私は、ふらふらとあちこちに視線を彷徨わせました。すると今度は五十嵐くんが、顔を真っ赤にさせて「お前、そういうことさ……」と言い、言葉を途切れさせては、「あんまりさ、その、誰にも言うなよ」と、消えかけの声で俯いてしまいました。
誰にも言うなよって……そんなセリフ……。
「何それ、言わないよ……」
「……」
「見られるの得意じゃないし……」
「そういう話じゃねえ……」
「うん……」
知っています。わかっています。そういう話じゃないのは、理解しています。
ただ、口がおかしな方向に動いてしまったのです。
「あのさ」
「なに……?」
「そっち、行ってもいいか……?」
「えっ……」
「嫌なら……」
「いっ、嫌じゃない!」
つい、大きな声が出てしまいました。
ひどく上ずった声でした。
「嫌じゃないよ……」
「……」
「こっち、来て……」
「……」
五十嵐くんは無言で立ち上がって、ゆっくりと歩いてきました。そうして妙に慎重に、慎重に、私の隣……触れるか触れないかくらいの距離に、腰を下ろしました。
五十嵐くんの体温が、空気越しに、伝わってくる。
五十嵐くんの、呼吸の音、心臓の音まで……。
「なあ」
「うん」
「手、握ってもいいか……?」
「……うん、いいよ」
私が曖昧に左手を差し出すと、五十嵐くんは少し迷ったように手を彷徨わせ……それからそっと、私の指に、自分の指を滑り込ませました。
指が、絡み合う。
「あっ、その、五十嵐くん……」
「……なんだよ」
「いや……」
「……」
「……なんでもない」
普通の友達じゃ、ないこと。
本当に、ただの友達じゃなくなったんだ。
本当に、付き合ったんだ。
