部室のドアの前で深呼吸。吸って、吐く。大丈夫だ。自然に言えるように家で何度も練習してきたし、怪しまれることはないはずだ。
「……っし」
気合を入れてドアノブを引くと、開いたドアの隙間から楽しそうな笑い声が漏れてきた。活動の有無に関わらず、我らが経済思想史研究会の部室は部員の溜まり場になっている。
「お疲れさまです」
思いきって部室に足を踏み入れながら声をかける。すると一足先に部室で寛いでいた数人から、お疲れ、お疲れさまー、おーす、うぃーす、と様々な返事が返ってきた。
「──お、航大だ。お疲れ」
たくさんの返事のなかで、俺こと高尾航大の下の名前を呼ぶ声がひとつだけあった。
今年このサークルに入った一年生はたしか十人以上。入部してまだ日も浅いのに、一年の顔と名前をちゃんと覚えてくれているのは、たぶんこの人だけだ。
「……お疲れっす、国領先輩」
片手を挙げる先輩に向かってぺこっと軽く頭を下げる。
ゆっくり顔を上げながら、前髪と顔周りの髪の毛をささっと整える。
ラウンドマッシュのヘアスタイルは週末に美容院で整えてきたばかりだ。部室に来る前にトイレの鏡で軽くヘアセットもした。変なところはないはず。額に赤いニキビがひとつできたけど、前髪で隠れるからまぁよし。
ついでに服も確認。ビッグシルエットの白のTシャツにはシミや汚れはついてない。よし完璧。なんの変哲もない量産型男子大学生って感じだけど。
身だしなみのチェックをしてからリュックをテーブルの上に置き、俺は横目に国領先輩を窺った。
──国領彼方というその三年生の先輩は、部室の端にあるテーブルに腰かけていた。同じ三年生の部員ふたりと楽しそうに話している。
センターパートの黒い髪。紺色のポロシャツとワイドスラックス。背が高くて、脚が長くて、鼻筋の通った端正な顔立ち。筋骨隆々ってわけじゃないけど、鍛えてるんだなってわかるくらい筋肉がついてて姿勢がいい。
あーくそ、今日もかっけーな、と思う。口には出さないけど。部室でこうやってちょっと会うだけでも嬉しくなってしまう。顔には出さないけど。


