白い天井が見えて、そういえばここは病院だったと思い出す。どうやら僕はいつもの麻酔にかけられて、夢を見ていたらしい。
我ながら恥ずかしく、そして幸せな夢だった。
でも夢は夢。今になって思えば現実ではありえないことだらけだった。阿良々木愛が僕の彼女になるとか、母があんな笑みを僕に見せるとか。
だいたい、今までの人生で母から「賢太」と名前を呼んでもらえたことがあっただろうか。
覚えてないということは、そういうことだ。
「なかなか興味深いデータが取れた。それじゃ、もう帰っていいよ」
まるで機械のように抑揚のない声で医者に言われ、駐車場で待つ母の元に戻る。
「お待たせ。遅くなってごめんなさい」
「待ってないわ」
「……あの、母さん」
「なに」
少し躊躇った後、勇気を出して尋ねる。
「僕の名前ってなんだっけ?」
「はい?」
「その、えっと、ド忘れ、しちゃって」
祈るような思いで絞り出した言葉に、しかし母は突き放すような声色で応えた。
「意味のない問いは好きじゃないわ」
あぁ。
「そうだよね。ごめんなさい」
母はなにも言わず車を発進させた。
思えば物心ついた頃から、母は僕に対してバリアを張っていた気がする。あなたには興味がない、踏み込んでくるなと、言外に伝えられ続けてきた。
だったら物心つく前はどうだったのだろう。
昔は僕の名前を呼んでくれていたの?
どういう意味で「賢太」って名付けたの?
父さんがいないのはどうして?
気遣いなんて無用なものを覚えるより早く聞いておけばよかった。たった一人の肉親が、今は他人よりも遠く感じる。
しばらく気まずい沈黙のせいで忘れていたが、そういえば、もう一つ母にお願いごとがあったのだった。
「あの、母さん」
「なに」
「えっと……来週文藝部の皆と花火大会に行くんだ。それでね、部長が浴衣か甚平を着てくるようにって……その、迷惑だったら別に無理しなくていいんだけど」
「あなたが、お友だちと花火に?」
「う、うん。ダメかな?」
フロントミラー越しの母は目を見開いて固まっている。数秒ののち、急に意識を取り戻したようにハンドルを切った。
「いいわ。帰る前にこのまま寄っていきましょう」
ちょうど左側に見えていた地元で一番大きなショッピングモールの駐車場に潜り込むと、母は財布を取り出して中からカードを引き抜き、後部座席の僕に向かって手だけで受け取るよう促した。
「これで好きなの、買ってきなさい」
嬉しい、けど、やっぱり一緒に選んでまではくれないみたいだ。僕はもう一度だけ、なけなしの勇気を振り絞ってみる。
「母さん。僕、どんなのが似合うと思う?」
「……悪いけど、そういうのには疎いのよ」
「そっか。ごめんなさい」
「謝らないでいいわ」
「わかった、ありがとう」
母にお礼を伝えてモールへと駆け出す。
母に負けず劣らずそういうのに疎かった僕は、結局、一番最初に目に入った店の店員さんに勧められるまま、紺の甚平を購入した。
我ながら恥ずかしく、そして幸せな夢だった。
でも夢は夢。今になって思えば現実ではありえないことだらけだった。阿良々木愛が僕の彼女になるとか、母があんな笑みを僕に見せるとか。
だいたい、今までの人生で母から「賢太」と名前を呼んでもらえたことがあっただろうか。
覚えてないということは、そういうことだ。
「なかなか興味深いデータが取れた。それじゃ、もう帰っていいよ」
まるで機械のように抑揚のない声で医者に言われ、駐車場で待つ母の元に戻る。
「お待たせ。遅くなってごめんなさい」
「待ってないわ」
「……あの、母さん」
「なに」
少し躊躇った後、勇気を出して尋ねる。
「僕の名前ってなんだっけ?」
「はい?」
「その、えっと、ド忘れ、しちゃって」
祈るような思いで絞り出した言葉に、しかし母は突き放すような声色で応えた。
「意味のない問いは好きじゃないわ」
あぁ。
「そうだよね。ごめんなさい」
母はなにも言わず車を発進させた。
思えば物心ついた頃から、母は僕に対してバリアを張っていた気がする。あなたには興味がない、踏み込んでくるなと、言外に伝えられ続けてきた。
だったら物心つく前はどうだったのだろう。
昔は僕の名前を呼んでくれていたの?
どういう意味で「賢太」って名付けたの?
父さんがいないのはどうして?
気遣いなんて無用なものを覚えるより早く聞いておけばよかった。たった一人の肉親が、今は他人よりも遠く感じる。
しばらく気まずい沈黙のせいで忘れていたが、そういえば、もう一つ母にお願いごとがあったのだった。
「あの、母さん」
「なに」
「えっと……来週文藝部の皆と花火大会に行くんだ。それでね、部長が浴衣か甚平を着てくるようにって……その、迷惑だったら別に無理しなくていいんだけど」
「あなたが、お友だちと花火に?」
「う、うん。ダメかな?」
フロントミラー越しの母は目を見開いて固まっている。数秒ののち、急に意識を取り戻したようにハンドルを切った。
「いいわ。帰る前にこのまま寄っていきましょう」
ちょうど左側に見えていた地元で一番大きなショッピングモールの駐車場に潜り込むと、母は財布を取り出して中からカードを引き抜き、後部座席の僕に向かって手だけで受け取るよう促した。
「これで好きなの、買ってきなさい」
嬉しい、けど、やっぱり一緒に選んでまではくれないみたいだ。僕はもう一度だけ、なけなしの勇気を振り絞ってみる。
「母さん。僕、どんなのが似合うと思う?」
「……悪いけど、そういうのには疎いのよ」
「そっか。ごめんなさい」
「謝らないでいいわ」
「わかった、ありがとう」
母にお礼を伝えてモールへと駆け出す。
母に負けず劣らずそういうのに疎かった僕は、結局、一番最初に目に入った店の店員さんに勧められるまま、紺の甚平を購入した。
