「空が不幸になるのを黙って見てることなんてできない。空が不幸にならないためにはどうすればいいのか。……いろいろ考えたけど、空を不幸から守って幸せにする方法は、俺が彼氏になることだけだった」
いやいや、他にもなにかひとつくらいあるだろう、とツッコミを入れたかったけれど、尊の顔があまりに真剣だったので、僕はなにも言えなかった。
尊は、高校生になってからは、誰に告白されても彼女を作ろうとしなかった。
僕のことが好き、だから?
心臓が手でつかまれたみたいにぎゅうってなる。
「空、俺の彼氏になって」
整った顔に浮かぶのは、熱を感じるほど真摯な表情。
熱が伝わったみたいに、お腹の内側がかあっと火照る。
尊は、僕を幸せにしたいと言ったけど、僕だって尊には幸せになって欲しい。
親友って呼べる、世界でたったひとりの相手なんだから。
「……僕が彼氏になったら、尊は幸せになる?」
「当たり前だろ。世界でいちばんの幸せ者になるよ」
「僕が彼女を作って、尊の言ったとおり不幸になったら、尊も不幸になる?」
「なるよ。空の不幸は俺の不幸なんだから」
思わず笑ってしまった。
だったら、最初からそう言えばよかったのに。回りくどいプレゼンをする必要なんかなかった。
空の彼氏になれたら、俺はすごく幸せだよ
それだけ言ってくれたらじゅうぶんだった。
尊は僕に幸せでいて欲しいって言ったけど、そんなのは僕だって同じだ。
世界でたったひとり、親友と呼べる相手。
尊には幸せでいて欲しい。当たり前すぎて、はっきり言葉にしたことのない想い。
きっとずっと昔から、その想いは僕の中にあった。心臓や胃袋みたいに、当たり前に僕の中にあったのだ。
「じゃあ、ふたりでいっしょに幸せになろう」
微笑んで尊を見つめると、意外な答えだったのか尊の目が大きく見開かれた。
次の瞬間、花のつぼみが弾けるように、顔いっぱいに笑顔が広がった。
尊が笑ったところなんて数えきれないくらい見てきたけれど、ここまで全開の笑顔を目にしたのははじめてかもしれない。
「空、大好きだよ」
うれしくてうれしくてたまらない、という想いが声から伝わってくる。
尊は僕をぎゅっと抱きしめてきた。体温といっしょに、尊のうれしいという気持ちも伝わってくる。
ひょっとしたら、僕はもう一生彼女を作らない――作れないのかもしれない。
尊の腕の中で、恐ろしいようなうれしいような、そんな予感に囚われる。
尊は腕の力をゆるめると、もう一度、僕にキスしてきた。
唇が触れるだけのキスはなんだかくすぐったくて、肩が震えた。
「……空、彼氏としてひとつお願いがあるんだけど」
尊は唇を離すと、僕の目を切実そうに見つめてきた。
思わず「うっ!」と呻いて、左胸を押さえる。
美形のシリアス顔は強い。攻撃力がカンストしている。
そんな顔で見つめられたら、どんな無茶なお願い事でも聞いてしまいそうだ。いまから腹筋運動を千回やれとか、校舎の屋上からバンジージャンプをしろとか、そんなお願いだったとしても。
もっとも、尊が僕にそんな無茶ぶりをするわけなかったが。
「お願いって、なに?」
「あのさ……」
尊の切実かつささやかな願いを、僕は黙って聞いていた。
放課後のチャイムが鳴り響く。
担任の先生が出ていくと、教室はうるさいくらいの喧噪に包まれた。
いつものように尊と一緒に帰ろうと立ち上がると、花田さんが近づいてきた。
「野々原くん、ちょっといいかな。あたし今日、掃除当番で、音楽室の掃除をしないといけないんだよね。でも、これからちょっと用事があって……」
最後まで言い切らずに、僕の顔を上目づかいに見てくる。
いままでの僕だったら、
「うん、わかった。僕がかわりにやっておくよ」
当たり前のようにそう言っていた。
「そっか。じゃあ、早く掃除を終わらせないとね。がんばってね、花田さん」
僕の言葉がよっぽど意外だったらしく、花田さんは目を丸くした。
「えっ、あの、でも、用事に遅れると困る――」
「空、帰るよ」
花田さんはまだ言いつのろうとしたが、尊の声が割って入った。
尊はとっくに帰り支度を終えて、教室のドアの手前で僕を待っている。
「いまいくよ」
僕は学校指定のスクールバッグを肩にかけると、花田さんに向き直った。
「花田さん、かわってあげられなくてごめんね。用事に間に合うといいね」
花田さんは信じられない言葉を聞いた、という顔をしていたが、僕はかまわずに尊のもとへ向かった。
ごめんね、花田さん。これからは、もう君のかわりに雑用を引き受けることはできないんだ。
心がまったく痛まないといったら嘘になるけれど、彼氏との約束を破るわけにはいかないから。
「尊、お待たせ」
微笑みかけると、尊もにこりと微笑んだ。
「さ、帰ろ。帰りにどっか寄ってく?」
「あ、僕、本屋さんにいきたい。新しい参考書が欲しいんだ。尊、いっしょに選んでよ」
「オッケー」
尊は僕の手を握ると、昇降口へ向かって歩き始めた。
通りかかる生徒たちが、僕と尊を――つながれた右手と左手をちらちらと見てくる。周囲の視線が気にならないといったら嘘になる。でも、きっとそのうち慣れるだろう。
僕が視線に慣れるのが先か、周りが僕たちに慣れるのが先か。どっちになるかはわからないけれど。
「空」
「ん?」
歩きながら見上げると、とびきりの笑顔がすぐ近くにあった。
「よくできました」
花田さんの頼みを断ったことを言っているのだと、すぐにわかった。
尊のお願い。それは「頼み事をされても断ること」だった。
空が人から利用されるのを見ているのはつらいんだ――と彼氏に言われてしまっては、「わかった。ちゃんと断るよ」と言うしかなかった。
「大切な彼氏との約束だからね。がんばって守るよ」
尊の足がぴたりと止まった。
「尊?」
尊はなぜか深々と溜め息をつくと、またすぐに歩き始めた。
溜め息の意味がわからない。
僕、なにか悪いこと言ったかな。
「尊、どうかしたの?」
尊は恨めしそうな目で僕をちらりと見ると、
「……早くふたりきりになりたい」
いままで聞いたことのないほど切実な声でつぶやいた。
どうしよう、僕の彼氏が可愛すぎて困るんだけど。
「参考書を買ったら、尊の家にいくよ」
「参考書、どうしても今日買わないとだめ?」
「だめです」
尊の肩ががくりと下がる。
僕は彼氏の可愛いリアクションに笑いを堪えながら、手をつないだまま廊下を歩いていった。

