一時間後、僕は夕食を食べ終わると、
「尊のとこにいってくる」
親に告げて家を出た。
僕の家から尊の家まできっかり百歩。目と鼻の先にお互いの家がある。
尊のお母さん――夏美さんに「おじゃまします」と告げて、二階へ続く階段を上る。
「尊、入るよ」
親しき仲にも礼儀あり。ノックと声がけをすると、すぐに返事があった。
「勝手に入っていいよ」
部屋に入ると、私服姿の尊が椅子に座って僕を待っていた。
そろそろ僕がくるとわかっていたらしく、勉強机にはジュースのグラスがふたつおかれていた。
「さっそくだけど、僕が彼女より彼氏を作ったほうがいい理由ってなんなの」
勝手知ったる幼なじみの部屋。訊きながらベッドに腰を下ろすと、尊は椅子から立ち上がって僕の前までやってきた。
「もちろん、男なら誰でもいいってわけじゃないよ。空のことをよーく理解して、空のことをうんと大切にしてくれる相手じゃないと」
尊はにこやかに微笑んでいる。見慣れた笑顔のはずなのに、いつもと少しちがって見えるのは気のせいだろうか。
「ちょっと待って」
僕は右手を挙げて、尊を制した。
「僕を理解していて大切にしてくれてる人なら、女の子でもいいんじゃないの?」
当然の疑問をぶつけると、尊は哀れむような笑みを浮かべた。
なんだかちょっと腹が立つ。
「そうだね。でもさ、よーく考えてみたんだけど、そんな女の人って空のお母さんしかいないんだよ。お母さんを彼女にするわけにはいかないだろ?」
バカな子供を諭すような口調だった。
いや、他にもひとりくらいいるだろう、と考えたが、尊の言うとおりそんな相手は母親しか思い浮かばなかった。
切ない……。
「彼女じゃなく彼氏のほうがいいって俺が言った理由、わかった?」
「えっ、ちょっと待ってよ! 結論づけるの早すぎるって!」
尊の暴論に納得している場合ではない。このままでは尊に言われるがままに彼氏を作る事態になってしまいかねない。
「じゃ、じゃあ、男だったらそんな人がいるっていうのかよ。お父さん以外にだよ?」
尊の笑みが深くなる。その言葉を待っていた、というような――
「いるだろ。目の前に」
僕は瞬きした。目の前にいるのは尊ひとりだ。
確かに、尊は僕を理解してくれているし、大切にしてくれている。それに、言うまでもなく男だ。
条件にばっちり当てはまっている。
いやっ! でも、だけど、だからってなんで尊が僕の彼氏なるって結論が出るんだよ!
「なんで尊と僕がつきあわないといけないんだよっ! 尊と僕は親友だろ!」
「彼氏と親友は両立するよ」
尊は整った顔に惜しみない笑みを浮かべると、僕の隣に座ってきた。
近くなった顔をまじまじと見つめてしまう。
尊のことはもちろん好きだ。大好きといってもいいくらいだ。
でも、それは友人として、幼なじみとしての好きであって、恋愛感情の好きじゃない。
「空が彼女としたいことは、どれも俺でもできることばかりだよ。映画館も、遊園地も、手をつなぐことも。空を誰よりも想っているのはこの俺で、空がしたいこともぜんぶ俺とできる。俺を彼氏にしない理由がないだろ」
「――いや、あるだろ」
「それに、俺は空の好みを熟知してる。空の好きな食べ物とか遊園地で苦手な乗り物とか。ちょっと想像してみなよ。彼女と遊園地にいったとするだろ。彼女がジェットコースターに乗りたい、っていったらどうする?」
「それは――」
「苦手なジェットコースターに無理して乗ったとする。下りたときにはへろへろのよれよれで顔は真っ青。彼女はきっとこう思うよ。『こんな情けない男とは別れよう』って。……じゃあ、もし断って乗らなかったらどうなるか。きっと彼女はこう思う。『せっかく遊園地にきたのにジェットコースターに乗らないなんて。ノリが悪くてつまらないから別れよう』」
「それはちょっと決めつけすぎじゃ――」
「その点、俺なら安心だよ。空をジェットコースターに誘ったりしない。苦手なの知ってるからね。メリーゴーランドとか観覧車とか、穏やかなアトラクションしか選ばないよ。映画だって、彼女が恋愛ものやフランス映画を観たがったらどうするんだよ。空、絶対寝るだろ。そうすると『映画の最中に寝るなんて最低。別れるしかない』ってなるんだよ」
「な、なるかな……?」
「その点、俺ならやっぱり安心だよ。空とは映画の好みがいっしょだろ。映画の途中で寝ることもないし、映画が終わってどこかのカフェに入っても、いま観た映画の話で盛り上がれる」
確かに、尊と映画を観にいった後は、カフェとかファストフードの店に入って、観てきた映画の話題で盛り上がるのがいつものパターンだ。
なるほど、尊を彼氏にすれば、すべて上手くいくのかも――
……って、いやいや、納得してはいけない。納得したら尊が彼氏になってしまう。

