「そろそろ立てる?」
ベンチから立ち上がった風夏は、秋帆の顔を覗き込んでそう言った。
「風夏、今日一日、僕に全部預けてほしい。」
「え?」
目が点になって、口が半開きになった風夏の手を引いて歩みを進めた。
秋帆は、なぜ風夏が9月1日を迎えられなかったのかを知るために、彼女との夏を再び過ごすことに決めた。
何か兆候がなかったのか。何か自分にできることがなかったのか。それを確かめたかった。
「ちょっと…どういうこと?ていうかどこ行くの?」
「まずは…あ、小学生の頃によく行ってた駄菓子屋に行こう。」
「駄菓子屋…?」
秋帆のいた世界で、この駄菓子屋は閉店してしまったのだ。
お店を切り盛りしていたお婆さんが、持病を悪化させてしまったため、お店を畳まざるを得なかったのだ。
本来なら、駄菓子屋のところに行っても、そこは更地で雑草が生い茂っているはず。
そう、本来なら。
「…やっぱり。」
大通りを抜けて閑静な住宅街を数分歩くと、そこには『ないはずの』駄菓子屋があった。
「あらぁ…風夏ちゃん、秋帆くん…!久しぶりねぇ…」
駄菓子屋のお婆さんも元気だった。目尻にしわを寄せて、優しい微笑みを浮かべる。
「キヨおばあちゃん!久しぶり〜!」
風夏は笑顔で駆け寄る。
「うふふ、風夏ちゃんったら、前よりもっと美人さんになったわねぇ。秋帆くんが羨ましいわぁ…」
「ちょっと!別に秋帆とはなんともないし!」
ツッコミを入れる風夏の声は弾んでおり、なんとも楽しげである。
「ねぇおばあちゃん、まだあれある?」
「あるわよぉ…はい、どうぞ。」
お婆さんは店の隅に置かれたクーラーボックスから、冷えたラムネを取り出した。水滴を纏ったラムネ瓶は、とても綺麗だった。
「これは、おばあちゃんの奢りね。久しぶりに会いにきてくれたから、おまけよ。」
「わーい!ありがとー!」
「ありがとう。」
「かんぱーい!」
ラムネがシュワシュワと音を立てて、喉を流れていく。カラン、というビー玉の耳当たりの良い音が、響いた。
2人は、懐かしい駄菓子を食べ比べながら、他愛のない話に花を咲かせた。
鈴を転がすように笑う風夏の笑顔を見ながら、写真に収めたいという気持ちが、むくむくと湧き上がってきたところ、秋帆は、ズボンのポケットに厚みと重みを感じる。
びっくりして自身の体を見ると、あのヨレヨレの部屋着から制服姿に変わっていた。
その上、手を突っ込んでみると、そこには新品の使い切りカメラが入っていた。
あまりの都合の良さに少し恐怖を覚えるが、この世界の不思議さに少しずつ慣れてきたのか、最初ほどの恐怖は感じなかった。
机の下で、こっそりフィルムを巻き上げる。
「風夏、こっち向いて」
「ん?」
カチッと、小さなシャッター音を鳴らした。
「もう!写真撮るなら言ってよ!絶対変な顔だったってー!」
「それじゃダメだよ。こういう、不意に撮った感じがいいんだって。写真部が言うから間違いないんですー」
「見せてよ、今撮った写真!」
「それはできないんだよ。こういうカメラで撮った写真って、写真店で現像してもらわないと見れないんだよ。」
「えー!なにそれ!じゃあ消したりもできないってことじゃん!」
お婆さんは、ふくれっ面をする風夏と、けらけらと笑う秋帆をちらりと見て、自然と口角をほころばせた。
お婆さんに手を振ってから、駄菓子屋を後にした。
「次、海に行こう。」
「珍しいねぇ。あの秋帆がこんなにアウトドアなんてさぁ〜 私が色々連れ回したら、すぐ『疲れたー』とか『腹減ったー』とかしか言わないのに〜」
風夏は、口を尖らせて嫌味ったらしく言う。まださっきのことを根に持っているのかもしれない。
「それはごめんって…」
2人は駅に着く。切符を買ったあと、ベンチに腰掛けて電車を待つ。無人駅のホームに、さほど人はいなかった。
数分後、ホーム内に電車が走ってきた。車内にはほとんど人がいなく、2人で横並びに座った。
ガタンゴトン、という振動が定期的に伝わってくる。窓の外には緑が広がっていて、車窓に差し込む光が、足元を淡く照らしている。
「わぁ…!見て!」
電車はカーブにさしかかり、辺り一面に海が広がった。
透き通った水面は穏やかに揺れていて、遠くの船が汽笛を鳴らす。空はどこまでも広がっていて、薄い雲が対岸の山を覆っている。
目的地への到着を知らせるアナウンスを聞き、2人は電車を降りた。
「秋帆!早くー!」
風夏は、砂浜に向かって元気よく走り出した。
風夏の後ろ姿を写真に収めたあと、秋帆も続いた。砂浜に足をとられかけたが、それすらも楽しかった。
靴を脱いだ後、2人は海に足をつけた。
「冷たーい!」
あはは、と笑いながら、明るい笑い声を響かせた。
「風夏、」
「ん?」
秋帆は、不意をついて手ですくった水をかけた。
「やったなぁ…!」
風夏は、自分の濡れた制服を一瞥した後、ニタリと笑った。
「えい!」
容赦なく水を蹴り上げた。
「うわ!ちょっとは手加減しろよ!」
「先にふっかけてきたのはどっちですか〜」
水飛沫が飛び交い、制服も髪もびしょ濡れになった。
2人だけの世界が、笑い声とシャッター音で満たされた。
一通り遊び終えたのちに、砂遊びに移った。すぐに乾くはずのない制服や髪も、気がつけば元通りになっていた。
「砂遊びなんて何年ぶり?まさか高校生になってまでするとは思わなかったなぁ…」
「懐かしいよな…」
「じゃーん!これなんでしょう!」
風夏は、砂に書いた絵を指さして問いかけた。
「んー…かば?」
「…犬。」
「……これは?」
「…サバ?」
「………イルカ。」
秋帆は、拗ねる風夏と、謎のイラストをカメラでとらえた。気まずい空気も、これで思い出に昇華された。
「風夏、ちょっと行きたいとこあるから付き合ってくれる?」
「いいけど… ここら辺ってなんもないよ?」
しばらく海沿いを歩いて、路地に入る。
「本当にこの道なの?どんどん人里から離れてるけど…」
「もうちょっとだから… ほら…ついた!」
風夏は息をのんだ。
視界が開けた先には、大きなひまわり畑があった。
鮮やかな黄色い大輪の花々が、大空に向かって背のびをしている。
「綺麗… こんなところ、知らなかった…」
吸い寄せられるように、ひまわりに近づく。
「夏って感じ。」
優しく花弁をなぞりながら呟く風夏の横顔を、こっそりカメラに収めた。
「ここ、僕が幼い頃によく連れてこられてた場所なんだ。もう10年ぐらい前の記憶だから曖昧だったけど、残っててよかった。」
「ねぇ、写真撮ってよ!」
満開のひまわりを背景に、風夏が弾ける笑顔でこっちを向く。
「いいよ。」
「あ、違う違う!2人で撮ろうよ!」
「えぇ…僕はいいよ…」
「だーめ!ほら、私がやってあげるから!」
秋帆からカメラを奪い取って、構えた。
「はい、チーズ!」
ぎこちない笑みを浮かべることしかできなかった。
「現像が楽しみだなぁ… ねぇ、もっと奥まで行ってみようよ!」
駆け出す風夏の背中を追いかける。その背中は、子供の頃を思い出せる。
いつもこうだった。中々、一歩を踏み出せない秋帆の代わりに、先陣を切って進むのが風夏だ。
ずっと、こんな生活が続けばいいのに。
そう願ってしまった自分に、秋帆は一瞬だけ戸惑った。
脳裏をよぎったのは、あの日の悲劇。一瞬だけ心にズキッと痛みが走るが、即座に考えるのをやめた。
帰りの電車は、ひどく静かだった。疲れ切った風夏は、秋帆に寄りかかって寝ている。これだけ遊び尽くしているのに、時刻はまだお昼頃であった。
次はどこに行こう、何をしよう。逸る気持ちが抑えられなかった。
電車の背中が小さくなっていくのを見送ったあと、あてもなく歩き出した。
朝に来た時と打って変わって、商店街には人が集まっていた。
屋台の準備をする者、提灯をぶら下げている者、チラシを配る者などを見るに、今夜の夏祭りの準備をしていることが見受けられる。
風夏は、1枚のチラシに釘付けになっていた。秋帆の目にも、『大花火大会』という文字が写った。
「…行こうか。」
風夏は一瞬だけ目を見開いて、すぐに、いたいけな笑みを浮かべた。
「うん!」
「あ、どうせなら浴衣着たい!」
「いいね!」
2人は一度解散し、各自で準備を済ませてから再開することにした。
「送ってくれてありがとう。じゃあまたね。」
「全然大丈夫だよ。4時ぐらいに迎えにくるから。」
ドアが閉められるのを見届けたあと、自宅に向かった。
もう、このままでいいのではないか。
そんな考えが、頭をかすめた。
ここなら、ずっと楽しく暮らせる。
勉強も、進路も、人間関係も、将来も、何も考えなくていい。
ずっと、『楽しい』を追求するだけでいい世界。
何より、風夏が元気に生きている。笑っている。はしゃいでいる。
そして、その横に秋帆がいる。
これ以上の幸せが、元の世界にあるのだろうか。
『夏』に助けを求め、秋から逃げているのは、秋帆も同じなのかもしれない。
日が少しずつ傾き始めた頃、秋帆は風夏の家の前についた。
インターホンを鳴らそうとした瞬間、ドアが開いた。
「あ。」
「あ。」
「さっきぶり。早かったね、来るの。」
秋帆は言葉を失った。白生地をベースとしたひまわり柄の浴衣に身を包んだ風夏の、あまりの綺麗さに圧倒されたからだ。
ふんわりした三つ編みが、横に垂れ下がっている。それが大人っぽさを演出していた。
「綺麗…」
「ありがと。浴衣とか久しぶりだから上手に着れるか不安だったけど…うまくできてるみたいでよかった!」
ニコッと微笑む風夏に、胸を撃ち抜かれた。
きっと漫画やアニメだったら、目がハートになって鼻血が滝のように出ていただろう。
カランコロン、と下駄の軽やかな音を聞きながら、商店街に向かった。
目的地に近づくにつれて、徐々に浴衣や甚平を着た人が増えてきた。
街は、提灯でライトアップされていた。至る所のお店が夏祭り仕様になっていて、どこからともなく活気の良い声が聞こえてくる。もう列ができている屋台もあった。
「賑やかだな… 何食べたい?」
「んー…焼きそばとー、わたあめとー、りんご飴とー、チョコバナナとー…」
「結構食べるんだ…」
それから、怒涛の屋台巡りが始まった。
風夏が焼きそばの屋台に並んでる間、秋帆はわたあめに。
秋帆がりんご飴に並んでいる時に、チョコバナナに…
「おいし〜!」
戦利品を膝の上やらベンチの上に並べて、美味しそうに頬張る風夏を横目に、秋帆も一口だけ、たこ焼きを食べた。
「風夏。」
「ん?」
また、その姿をフィルムに焼き付けた。風夏も撮られ慣れてきたのか、徐々に自然な笑みになってきた。
ペロリと平らげた2人は、的屋の列に並んだ。
「秋帆、あれ取ってよ!」
風夏が指さしたのは、この射的の的で1番大きなクマのぬいぐるみだ。
「で、できるかな…」
自信なさげに銃を構える。
「お!いいねぇ兄ちゃん!彼女にいいとこ見せてやれ!」
盛大に外した。射的屋のおじさんの余計な一言のせいということにしておこう。
どんまい!と、おじさんはガハハと笑いながら言った。風夏も笑っている。
出店を一周する頃には、両手がキャラクターのお面と水風船で塞がっていた。
少し休憩を取るために、石段に腰掛けた。
「あ、そろそろ花火の時間だな。」
「私いいところ知ってる!ついてきて!」
人混みを抜けて、周りの喧騒も遠くに感じるようになったところで、目的地についたようだ。
夏祭り会場を一望できる高台についた。そこには小さな空間しかなく、古びた木製のベンチが閑静な雰囲気をより際立たせている。
「ここなら誰にも邪魔されずに見れるね!」
風夏は、ちょこんとベンチに座った。秋帆もその横に座る。
「…今日、楽しかったなぁ…」
しみじみと風夏は言った。
「……うん。」
歯切れの悪い返事をしてしまった。
元々、風夏をなんとかして元の世界に連れ戻すために、今日一日を費やすつもりだったのに、結局、秋帆自身も普通に楽しんでしまっていたのだ。
「じゃあ、そろそろ決めないとだね。」
風夏はさっきと変わらないトーンで告げた。
「決める?」
「秋帆なら分かるでしょ?」
「…わ、分かるって?」
急に核心に迫られた感覚になり、心臓の鼓動が早くなる。
「本当は、8月32日なんてないってこと。」
風夏と目が合った。
それは、全てを知っているような眼差しだった。
