二
葵が井戸端で謎の女官に会ってから三日が経っていた。
毎日のように申の刻になると、何とか縫物所を抜けて井戸端までやって来たが、女官と会うことはなかった。
(鏡、どうやってお返しをすればいいんだろう。どこのどなたかもわからない……)
石に腰掛け、葵はふっとため息をついた。その時、「ここで何をしている?」という知っている声を聞いて、葵は背筋を凍らせた。
顔を上げると、鬼のような形相で、葵を睨む帯刀の典侍がいた。
「た、帯刀様!」
「縫物所を抜け出して何をしているのです!」
帯刀の金切り声が辺り一帯に響き、葵は咄嗟にその場にひれ伏した。
「も、申し訳ございません! あるお方に、鏡をお返ししたくて……」
震える声で葵がそう口にすると、帯刀が葵の前に立ち塞がった。
「鏡?」
「こちらです」
葵は懐に忍ばせていた手拭いに包んだ鏡を帯刀に差し出す。
「まあ、これは上等な品じゃないの。一体どうしたのです?」
手に取った鏡を見つめながら帯刀が訊ねた。
「実は三日前、こちらの井戸で背が高く、天女のように美しい女官様から貸していただいたのです」
葵の言葉を聞いて、帯刀はハッとしたように眉を上げる。
「背が高く、天女のように美しい女官……。そうですか。私が返しておきます」
「どなたの物かおわかりになるのですか?」
「ええ。きっと白蓮の尚侍様です。私が直接返しておきます」
(……白蓮様。高貴なあのお方にぴったりなお名前)
葵がぼんやりとそんなことを考えていると、帯刀は再び険しい表情を浮かべた。
「下級女官の身で、白蓮様のような雲の上のお方に直接お目にかかろうなんて、身の程を弁えなさい」
「申し訳ございません」
「内裏で白蓮様を見かけても、話し掛けてはなりませんよ。あなたのような卑しい身分の者が話し掛けるだけで、白蓮様のご迷惑になるのですから」
(白蓮様のご迷惑になる……)
その言葉が葵の気持ちを深く沈ませる。
「何をしているのです。早く、縫物所に戻りなさい!」
帯刀の一喝に、葵はぐっと言葉を呑み込み、深く頭を下げてその場を駆け出した。
せめて自分の手で鏡を返してお礼を言いたかったと思うが、その行為が白蓮様のご迷惑になると思うと、今の自分の境遇が惨めで仕方がなかった。
父、藤原秋定の無実を今も信じているが、他人から見たら、自分は罪人の娘なのだと改めて思い知らされたのだ。
思えば、この十年辛いことばかりだった。
父は処刑され、家はなくなり、母は病で亡くなった。
頼れる親戚もなく、途方に暮れていた所、父の元部下だった帯刀が後宮の仕事を紹介してくれたのだ。
以前の帯刀と違ったのは葵を軽蔑するような目で見るようになっていたことだった。そして気づけば憎まれる対象になっていた。
(白蓮様も私が藤原秋定の娘だと知れば、私を軽蔑するかもしれない。白蓮様だけには軽蔑されたくない……)
長廊を歩きながら、涙が滲んでくる。
「葵、大丈夫ですか?」
顔を上げると、明石の命婦が葵の前に立っていた。
「戻って来ないから、心配していたのですよ」
優しい言葉をかけられ、泣いてはいけないと思うのに、涙が零れた。
「……すみません」
「帯刀様にまた叱られたのですね」
葵の背丈に合わせて屈んだ明石の命婦が手拭いで涙を拭いてくれた。
「帯刀様はあなたを一人前の女官に育てようとしているのですよ。あなたを憎くて叱っているのではありませんよ」
そう慰められても、葵は素直に言葉を受け取れなかった。
灯火の頼りない明かりの中で、縫物所にいるのはもう、葵一人だけだった。
中座した罰として、葵は他の者の仕事も引き受けることになった。
空腹の中、針を持つ指先はもう感覚を失い、腰や肩が痛くて堪らなかった。
しかし、仕事を抜けたのだから仕方がないと思い、葵は黙々と衣を縫った。
ふと、昔父に教えてもらった縫い方を思い出した。その縫い方で衣を縫い始めると、葵の指先が微かに青白い光を帯び始めた。
(そう言えば、父様がこの縫い方は、縫う者の心を静め、痛みを和らげる力があると教えてくれた)
針が布を貫くたびに、小さな光の粒子が縫い目へと吸い込まれていく。
その光景を見て、縫物をする父の手先がいつも優しく光っていたことを思い出した。
(私にも父様と同じ力が……)
葵がそう思った時、閉まっていた妻戸がパタンっといきなり開いた。
「やはり、お前も縫い祓いの力を持つ者……」
闇の中から現れたのは、帯刀の典侍であった。
欲望を漲らせたぎらついた瞳で見つめられ、葵はいけないことをしてしまったような恐怖と罪悪感でいっぱいになった。
「た、帯刀様……。す、すみません」
葵が慌てて針を収め、その場に伏せようとした瞬間、帯刀は荒々しく葵の手首を掴み上げた。その視線は、葵の指先ではなく、今、縫われていた衣へと注がれていた。葵の放った縫い祓いの光は、布地に吸い込まれ、かすかな温もりと高貴な光沢を衣に纏わせていた。
「藤原秋定も同じ秘術を使っていた。処刑された折り、その術も絶えたと思っていたが、やはり娘のお前が受け継いでいた! これで、ようやくお前を後宮に呼んだ甲斐があったというものだ」
(帯刀様が私を後宮に呼んで下さったのは、縫い祓いの力が欲しかったから?)
「お前には、今まで以上に働いてもらうぞ。霊力を纏った衣は価値があるからな」
灯心に照らされた帯刀の目が赤く光り、葵は声にならない悲鳴を上げた。
その姿は本物の鬼に見えた。
(帯刀様……人間ではなくなってしまったの?)
恐怖で指一本動かせず、息を詰める葵の首筋に、帯刀の長くなった爪が押し当てられる。鬼と化した帯刀が、鋭い牙を覗かせてニヤリと歪んだ笑みを浮かべた。
「きゃあああ!」
堪らず葵が悲鳴を上げたその時――。
「人の身を捨ててまで、その技を欲するか。浅ましい鬼め」
凛とした声が響き、開いた妻戸に視線を向けると、青白い月明りに照らされた背の高い女官が立っていた。
「……白蓮……様」
帯刀が牙の間から絞り出すような声を上げた。
月光を背負い、佇むのは白蓮の尚侍だった。
紫の袿を纏ったその立ち姿は凛々しく、美しかった。
「帯刀、欲に飲まれて鬼と化したか。そなたを内裏には置いてはおけぬ。裁きを受けるが良い」
そう口にすると、白蓮は滑らかな動作で袖から一枚の朱い呪符を取り出した。長い指先に挟まれた呪符が、青白い月光を受けて、妖しく輝く。
「真言を唱えるまでもない。去れ――!」
白蓮が手首をひと振りすると、呪符は一筋の金色の光となって闇を切り裂き、帯刀の胸元へと突き刺さった。
「ぎゃあああ――!」
浄化の光に焼かれ、帯刀は苦悶の叫びを上げる。
白蓮の放つ圧倒的な霊力に到底敵わないと悟った帯刀は、怨みがこもった鋭い眼光を葵に向けながら、闇の奥へと逃げ出した。
目の前の出来事が葵は夢を見ているようだった。
鬼を実際に見たのも初めてで、呪符を操る所を見たのも初めてだった。
(白蓮様は女官でありながら、なぜ陰陽師のような術を……?)
疑問がぐるぐると葵の頭の中を渦巻いていた。
「怪我はないか?」
白蓮にそう聞かれた瞬間、安堵が込み上げて来て、疲労が一気に押し寄せる。
「……はい」
そう答えると、葵は緊張の糸がプツリと切れ、その場で意識を失った。
「おい、しっかり、しっかりしろ!」
遠ざかっていく意識の中で、葵が最後に聞いたのは普段の気高さが嘘のように乱れた白蓮の必死な叫び声だった。
*
意識を失った葵を白蓮自らが抱えて、麗景殿に連れ帰った。
その様子を見た女官たちが血相を変えて出迎える。
「白蓮様、どうされましたか?」
「松風、すぐに医者と奥の控えの間に寝具の用意を頼む」
松風と呼ばれた女官は麗景殿の女官たちを取り仕切る一番年配の女官で、白蓮の正体を知る数少ない側近だった。
松風は白蓮の腕に抱えられた葵の顔を一瞥し、一瞬目を見張ったものの、すぐに深く頷いた。
「かしこまりした。ただちに」
白蓮はそのまま用意された奥の個室へ葵を運び込み、松風が手際よく用意した肌触りの良い上質な絹の寝具へと横たわらせた。間もなく駆けつけた医者が診察をすると、「疲労と空腹が重なった失神でしょう。命に別条はございません」と告げた。
白蓮は小さく安堵の息をつくと、皆を下がらせた。すぐに部屋には白蓮と葵だけになる。
行灯の薄明りの下で横たわる葵の顔立ちを白蓮――東宮・暁仁はじっと見つめた。
顔立ちにどこか見覚えがある気がしたのだ。
(そうか、井戸端で頬を冷やしていた女官だな)
数日前に葵と井戸端で会ったことを暁仁は思い出し、頬を緩めた。
(しかし、今夜、鬼に襲われていた時、指先から霊力のようなものを放っていた。あれは秋定殿の秘術『縫い祓い』ではないだろうか。もし、そうだとしたら、彼女はこの十年探していた『葵』かもしれない。どこか姉様に面影がある気がする)
暁仁は乱れた葵の前髪をそっと直し、その顔立ちをじっと見つめた。
「……そなたは、私の探していた葵なのか?」
葵の寝顔にそう問いかけるが、返答はなく、静寂が漂っていた。
暁仁は安らかに眠るその顔を静かに見つめながら、幼き日に別れた姉様のことを思った。
葵が井戸端で謎の女官に会ってから三日が経っていた。
毎日のように申の刻になると、何とか縫物所を抜けて井戸端までやって来たが、女官と会うことはなかった。
(鏡、どうやってお返しをすればいいんだろう。どこのどなたかもわからない……)
石に腰掛け、葵はふっとため息をついた。その時、「ここで何をしている?」という知っている声を聞いて、葵は背筋を凍らせた。
顔を上げると、鬼のような形相で、葵を睨む帯刀の典侍がいた。
「た、帯刀様!」
「縫物所を抜け出して何をしているのです!」
帯刀の金切り声が辺り一帯に響き、葵は咄嗟にその場にひれ伏した。
「も、申し訳ございません! あるお方に、鏡をお返ししたくて……」
震える声で葵がそう口にすると、帯刀が葵の前に立ち塞がった。
「鏡?」
「こちらです」
葵は懐に忍ばせていた手拭いに包んだ鏡を帯刀に差し出す。
「まあ、これは上等な品じゃないの。一体どうしたのです?」
手に取った鏡を見つめながら帯刀が訊ねた。
「実は三日前、こちらの井戸で背が高く、天女のように美しい女官様から貸していただいたのです」
葵の言葉を聞いて、帯刀はハッとしたように眉を上げる。
「背が高く、天女のように美しい女官……。そうですか。私が返しておきます」
「どなたの物かおわかりになるのですか?」
「ええ。きっと白蓮の尚侍様です。私が直接返しておきます」
(……白蓮様。高貴なあのお方にぴったりなお名前)
葵がぼんやりとそんなことを考えていると、帯刀は再び険しい表情を浮かべた。
「下級女官の身で、白蓮様のような雲の上のお方に直接お目にかかろうなんて、身の程を弁えなさい」
「申し訳ございません」
「内裏で白蓮様を見かけても、話し掛けてはなりませんよ。あなたのような卑しい身分の者が話し掛けるだけで、白蓮様のご迷惑になるのですから」
(白蓮様のご迷惑になる……)
その言葉が葵の気持ちを深く沈ませる。
「何をしているのです。早く、縫物所に戻りなさい!」
帯刀の一喝に、葵はぐっと言葉を呑み込み、深く頭を下げてその場を駆け出した。
せめて自分の手で鏡を返してお礼を言いたかったと思うが、その行為が白蓮様のご迷惑になると思うと、今の自分の境遇が惨めで仕方がなかった。
父、藤原秋定の無実を今も信じているが、他人から見たら、自分は罪人の娘なのだと改めて思い知らされたのだ。
思えば、この十年辛いことばかりだった。
父は処刑され、家はなくなり、母は病で亡くなった。
頼れる親戚もなく、途方に暮れていた所、父の元部下だった帯刀が後宮の仕事を紹介してくれたのだ。
以前の帯刀と違ったのは葵を軽蔑するような目で見るようになっていたことだった。そして気づけば憎まれる対象になっていた。
(白蓮様も私が藤原秋定の娘だと知れば、私を軽蔑するかもしれない。白蓮様だけには軽蔑されたくない……)
長廊を歩きながら、涙が滲んでくる。
「葵、大丈夫ですか?」
顔を上げると、明石の命婦が葵の前に立っていた。
「戻って来ないから、心配していたのですよ」
優しい言葉をかけられ、泣いてはいけないと思うのに、涙が零れた。
「……すみません」
「帯刀様にまた叱られたのですね」
葵の背丈に合わせて屈んだ明石の命婦が手拭いで涙を拭いてくれた。
「帯刀様はあなたを一人前の女官に育てようとしているのですよ。あなたを憎くて叱っているのではありませんよ」
そう慰められても、葵は素直に言葉を受け取れなかった。
灯火の頼りない明かりの中で、縫物所にいるのはもう、葵一人だけだった。
中座した罰として、葵は他の者の仕事も引き受けることになった。
空腹の中、針を持つ指先はもう感覚を失い、腰や肩が痛くて堪らなかった。
しかし、仕事を抜けたのだから仕方がないと思い、葵は黙々と衣を縫った。
ふと、昔父に教えてもらった縫い方を思い出した。その縫い方で衣を縫い始めると、葵の指先が微かに青白い光を帯び始めた。
(そう言えば、父様がこの縫い方は、縫う者の心を静め、痛みを和らげる力があると教えてくれた)
針が布を貫くたびに、小さな光の粒子が縫い目へと吸い込まれていく。
その光景を見て、縫物をする父の手先がいつも優しく光っていたことを思い出した。
(私にも父様と同じ力が……)
葵がそう思った時、閉まっていた妻戸がパタンっといきなり開いた。
「やはり、お前も縫い祓いの力を持つ者……」
闇の中から現れたのは、帯刀の典侍であった。
欲望を漲らせたぎらついた瞳で見つめられ、葵はいけないことをしてしまったような恐怖と罪悪感でいっぱいになった。
「た、帯刀様……。す、すみません」
葵が慌てて針を収め、その場に伏せようとした瞬間、帯刀は荒々しく葵の手首を掴み上げた。その視線は、葵の指先ではなく、今、縫われていた衣へと注がれていた。葵の放った縫い祓いの光は、布地に吸い込まれ、かすかな温もりと高貴な光沢を衣に纏わせていた。
「藤原秋定も同じ秘術を使っていた。処刑された折り、その術も絶えたと思っていたが、やはり娘のお前が受け継いでいた! これで、ようやくお前を後宮に呼んだ甲斐があったというものだ」
(帯刀様が私を後宮に呼んで下さったのは、縫い祓いの力が欲しかったから?)
「お前には、今まで以上に働いてもらうぞ。霊力を纏った衣は価値があるからな」
灯心に照らされた帯刀の目が赤く光り、葵は声にならない悲鳴を上げた。
その姿は本物の鬼に見えた。
(帯刀様……人間ではなくなってしまったの?)
恐怖で指一本動かせず、息を詰める葵の首筋に、帯刀の長くなった爪が押し当てられる。鬼と化した帯刀が、鋭い牙を覗かせてニヤリと歪んだ笑みを浮かべた。
「きゃあああ!」
堪らず葵が悲鳴を上げたその時――。
「人の身を捨ててまで、その技を欲するか。浅ましい鬼め」
凛とした声が響き、開いた妻戸に視線を向けると、青白い月明りに照らされた背の高い女官が立っていた。
「……白蓮……様」
帯刀が牙の間から絞り出すような声を上げた。
月光を背負い、佇むのは白蓮の尚侍だった。
紫の袿を纏ったその立ち姿は凛々しく、美しかった。
「帯刀、欲に飲まれて鬼と化したか。そなたを内裏には置いてはおけぬ。裁きを受けるが良い」
そう口にすると、白蓮は滑らかな動作で袖から一枚の朱い呪符を取り出した。長い指先に挟まれた呪符が、青白い月光を受けて、妖しく輝く。
「真言を唱えるまでもない。去れ――!」
白蓮が手首をひと振りすると、呪符は一筋の金色の光となって闇を切り裂き、帯刀の胸元へと突き刺さった。
「ぎゃあああ――!」
浄化の光に焼かれ、帯刀は苦悶の叫びを上げる。
白蓮の放つ圧倒的な霊力に到底敵わないと悟った帯刀は、怨みがこもった鋭い眼光を葵に向けながら、闇の奥へと逃げ出した。
目の前の出来事が葵は夢を見ているようだった。
鬼を実際に見たのも初めてで、呪符を操る所を見たのも初めてだった。
(白蓮様は女官でありながら、なぜ陰陽師のような術を……?)
疑問がぐるぐると葵の頭の中を渦巻いていた。
「怪我はないか?」
白蓮にそう聞かれた瞬間、安堵が込み上げて来て、疲労が一気に押し寄せる。
「……はい」
そう答えると、葵は緊張の糸がプツリと切れ、その場で意識を失った。
「おい、しっかり、しっかりしろ!」
遠ざかっていく意識の中で、葵が最後に聞いたのは普段の気高さが嘘のように乱れた白蓮の必死な叫び声だった。
*
意識を失った葵を白蓮自らが抱えて、麗景殿に連れ帰った。
その様子を見た女官たちが血相を変えて出迎える。
「白蓮様、どうされましたか?」
「松風、すぐに医者と奥の控えの間に寝具の用意を頼む」
松風と呼ばれた女官は麗景殿の女官たちを取り仕切る一番年配の女官で、白蓮の正体を知る数少ない側近だった。
松風は白蓮の腕に抱えられた葵の顔を一瞥し、一瞬目を見張ったものの、すぐに深く頷いた。
「かしこまりした。ただちに」
白蓮はそのまま用意された奥の個室へ葵を運び込み、松風が手際よく用意した肌触りの良い上質な絹の寝具へと横たわらせた。間もなく駆けつけた医者が診察をすると、「疲労と空腹が重なった失神でしょう。命に別条はございません」と告げた。
白蓮は小さく安堵の息をつくと、皆を下がらせた。すぐに部屋には白蓮と葵だけになる。
行灯の薄明りの下で横たわる葵の顔立ちを白蓮――東宮・暁仁はじっと見つめた。
顔立ちにどこか見覚えがある気がしたのだ。
(そうか、井戸端で頬を冷やしていた女官だな)
数日前に葵と井戸端で会ったことを暁仁は思い出し、頬を緩めた。
(しかし、今夜、鬼に襲われていた時、指先から霊力のようなものを放っていた。あれは秋定殿の秘術『縫い祓い』ではないだろうか。もし、そうだとしたら、彼女はこの十年探していた『葵』かもしれない。どこか姉様に面影がある気がする)
暁仁は乱れた葵の前髪をそっと直し、その顔立ちをじっと見つめた。
「……そなたは、私の探していた葵なのか?」
葵の寝顔にそう問いかけるが、返答はなく、静寂が漂っていた。
暁仁は安らかに眠るその顔を静かに見つめながら、幼き日に別れた姉様のことを思った。


