約二ヶ月前。ましろが葵とのルームシェアを始めたばかりの頃。
「ましろくん、ベッドはどうする? 布団だけじゃ身体が痛いんじゃない?」
部屋に最低限の家具を用意しようという話になり、ショッピングモール内に入っているインテリア系のお店を一緒に見て回ることになった。
ましろは低価格な衣装ケースやハンガーラックの他に、一人用のローテーブルや長座布団を物色していたのだが、ベッドに関してはまったく考えていなかったので首を傾げる。
「いや、でも出ていく時に荷物になるんじゃないですか?」
確かにせめて安いマットレスは欲しいかもと思っていたが、ベッドはノーマークだった。そもそも葵が期間限定と言っていたはずなのに……。
「じゃあ一緒に寝る?」
「それは本当に大丈夫です!」
何度となくその冗談は葵の口から出ていたが、ましろは揶揄われているという自覚があるので、その度にお断りを入れていた。
くすくすと葵はなんだか楽しそうだが、ましろは耳まで真っ赤になっていた。ルームシェア初日に、自身が同性愛者だということをカミングアウトしてくれたことで、ましろは雨月葵というキャラへの好感度がぐんと上がった。
推しの情報が更新されたというのもあるが、誰も知らない葵をより知りたいという気持ちになったというのが本音でもある。
「あ、じゃあこれにします」
ましろは一万円以内で買えるエアベッドを手に取る。空気を入れて膨らませるとベッドになるやつだ。これなら畳んでしまえるし、他の所に居候する際にもちょうど良いだろう。
身元不明なので新たに部屋を契約することもできない。となれば、カフェのみんなの所に転がり込むしか選択肢はないのだ。
「それでいいの?」
「はい、持ち運びもできますし、葵さんから離れる時にちょうど良いかなと」
なんの気なくましろは理由を呟いたが、一瞬目を離した隙に手の中からエアベッドの箱が消えた。
「こっちのマットレスの方にしようか。あとは折りたたみベッドならそんなに高くないし、俺が引っ越し祝いに両方買ってあげる」
「いや、それはさすがに……あ」
葵は圧縮されて丸まって入っているマットレスをカートに入れ、折りたたみベッドの在庫カードを手に取った。値段を見ていないが、どちらもけして安くはない気がする。
「えっと、マットレスは買うとして、折りたたみベッドはやめましょう。荷物になってしまうので」
「そのまま部屋に置いておけばいいんじゃない?」
え? とましろは首を傾げる。
「葵さん、今のどういう意味ですか?」
「いつでも泊まりにおいで、ってことだよ」
「…………ん?」
葵はましろが次のセリフを言う前にカートを押して歩き出してしまう。
「葵さん、俺、いつまでいていいんですか? 期間限定って聞いてますけど」
「ああ、それは別に気にしなくてもいいよ。君が俺から離れたくなったら出ていくといい。俺の方から出て行けとは言わないから安心して?」
じゃあずっといてもいいということだろうか?
「俺が葵さんから離れたいなんて思うわけないじゃないですか!」
「そんな風に言ってもらえて光栄だよ」
推しキャラの日常を見守れるなんてこんなチャンスは二度とないだろう。葵が嫌ならさすがにとも思ったが、そういうことなら話が変わってくる。
「葵さん、一緒に住む上で俺にやって欲しいこととかありますか?」
そうだな……、と葵は顎に手を当てて、それからにっこりと笑みを浮かべた。
「じゃあ、一緒に料理でもする?」
「したいです! 俺、洗濯とか掃除もしますよ!」
「掃除は自分の部屋だけでいいよ。ああ、そうだ。夕飯は早く帰って来た方が用意するというのもいいかも? 夜だけは一緒に食べよう。朝と昼は必然的に別々になるだろうし。約束ね?」
葵の提案にましろは「わかりました!」と楽しそうに返事を返す。そんな軽い約束から始まった同居生活は、あっという間に過ぎていって。
その二ヶ月の間に、葵の色んな顔を見れた。余計な物を置かない理由が、整理整頓があまり得意ではないから、とか。卵焼きは甘めが好きとか。お風呂の時間が短いとか。
なによりも気遣いがすごいのだ。自分よりもましろを優先してくれたり。ましろの好きな物を作ってくれたり。一緒に新メニューの練習に付き合ってくれたり。店でも家でもずっとましろを気にかけてくれた。
そんな葵からの申し出は、ましろにとって衝撃的すぎて言葉が出なかった。
「これから先もずっと、俺と一緒にいて欲しい」
両手に置かれた手はだんだんと冷たくなっていく。微かに震えている気もする。
過去の出来事を話してくれたこと。
なによりも葵の気持ちが嬉しかった。葵と過ごした時間は、かけがけのない幸せな時間だった。離れたくなんてないし、ずっとここにいたいと思ってしまうほどに。
けれども。
「……俺、は……だめ、なんです……葵さんのその言葉は、俺にじゃなくて、」
ヒロインである朱莉が貰うはずの言葉を、ただのモブキャラが貰っていいはずがない。
(けど……俺、なんで……言わないといけないのに……俺なんかじゃなくて、ヒロインを見てあげて欲しいって……なのに、なんで……っ)
これ以上の言葉が出てこない。
どうしてもその先が言えない。
色んな感情が駆け巡りぐちゃぐちゃになって、気付いた時にはぽろぽろと涙が溢れていた。



