後片付けをしながら、ましろはずっとぼうっとしていた。葵が皿やグラスを洗う水の音がやけに耳に残る。ほぼ無意識の状態で空になった缶やペットボトルを仕分けしながら袋に入れた後、テーブルの同じ場所をのろのろと拭いていたましろに、葵がキッチンの方から話しかけてきた。
「ましろくん、お風呂先に入る?」
午後十時過ぎ。
他の皆が帰ってからすでに三十分ほど経った。
「ましろくん?」
葵は皿を拭きながらましろの後ろ姿をじっと見つめる。作戦会議の途中から、完全にただの飲み会と化したわけだが、ましろはずっと心ここに在らずという感じだった。葵が話しかけても反応が薄く、頬を突いてもわざと耳元で囁いてもほとんど無反応だった。
キッチンからリビングに戻り、ぼんやりとしているましろの右手を背後からそっと掴む。ほとんど動かしていなかったその腕は、葵に掴まれたことで初めてびくりと反応した。
「あ、えっと……どうしたんですか、葵さん?」
「うん。ちょっといいかな?」
葵はましろから布巾をそっと取り上げてテーブルに置くと、そのまま手を引いてましろをソファに座らせ、自分は正面で立ち膝をした。
「どうしたの? なにか考え事?」
俯いていてもこの位置では表情が丸見えで、葵は薄青の瞳を細める。いつものましろとは真逆の、どこか思い悩んでいるようななんともいえない顔に、葵は揺れる胸の内を隠すために色んな感情を奥底へと追いやる。
ましろをかつての恋人の代わりにしたいわけではない。それなのに自身の庇護欲が抑えられない時があった。油断すると顔に出てしまっている事さえある。大人気ない嫉妬や独占欲が大きな波となって心をかき乱すのだ。
視線が重なる。
なにか、後悔でもしているような、そんな歪み。
「君らしくない。もしかして朱莉ちゃんに対して負い目でも感じてるの?」
朱莉は明らかにましろを意識している。
ましろがそれに気付いていないのは明白だが、自分から朱莉の恋愛を応援すると言った手前、それにそぐわない展開になってしまったことを悔いているのだろうか。
「それとも、一葉じゃなくて君が朱莉ちゃんの恋人役になりたかった?」
「そんなわけ、ないです。俺は朱莉さんにとってそういう存在にはなり得ませんから」
「どうして言い切れるの?」
「それは、俺がただのモブだから……葵さんが俺に話しかけてくれるこの状況も、本来なら絶対にあり得ないことなんです」
ましろはきゅっと膝の上で指に力を入れる。その手の上にはずっと葵の手がのせられていて、お互いの温度が混ざり合うように重なっていた。
ただのモブとして背景に溶け込んでいれば良かったのに、自分の好奇心を押し付けヒロインを改変してしまったのは事実。
(俺のせいで、本来の物語が台無しになっている可能性がある……もっと早く気付くベキだったのに、今更もう遅いのかも)
朱莉の、ヒロインの本来迎えるべきハッピーエンドをどうやって修正したらいいのか。このまま一葉と恋人になってくれたらワンチャンなんとかなるかもしれない。
朱莉のためにと言いつつも、最初は完全に自分のためだった。途中から本気でそれを望んでいたわけだが、その結果、朱莉と一番仲良くなってしまった気も……。
「君は本当に変な子だよね。自分は自分だろう? モブだって一人の人間だよ。君が自分自身を脇役だと思うのは別にいいけど、他の誰かにとっては違うんじゃない?」
「他の誰かにとって?」
「そう。例えば俺にとって君は、面白い子。思わずかまいたくなるような、守ってあげたくなるような子。それってどういう意味かわかる?」
この二ヶ月ほど、ましろと一緒に暮らしてわかったこと。ずっと遠ざけていた他人を自分のスペースに入れてもいいと思ったのは、ましろだったから。
本当なら一週間様子をみて適当な理由で追い出そうと思っていた。斎宮の頼みだから承諾しただけで、当初はこんなに長い期間ルームシェアをする予定ではなかった。
「初日に、君と話した時。俺はこの子となら大丈夫かもって思ったんだ」
同性愛者だと言ってもまったく引くこともなく、真っ直ぐな目で「どんなあなたでも、俺は推します!」と言い切ったましろ。正直、言っている意味がわからなかったが、生活してみてこんなにも自然に過ごせたのは彼で二人目だった。
「俺の話をしてもいい?」
葵は困ったような表情を浮かべ、了承を求める。その話がどんな話か、この時のましろは想像もしていなかった。それが本来恋愛ルートに入らないと聞けるはずのない、葵の過去の出来事に関することとは知らずに。
葵のその問いに対して、小さく頷くのだった。



