季節は夏。学校は夏休みが始まった頃だろうか。今日から出勤する新人バイトの書類上の手続きがあるようで、珍しく開店前から姿を見せた斎宮だったが、一葉の顔を見るなり、
「一葉、ちょっといいかな?」
と、困ったような笑顔を浮かべ、半ば強制的にスタッフルームに誘導してきた。
「君に新人さんの教育係を頼もうと思って」
「別にそれはいいけど。わざわざスタッフルームでこっそり話すことじゃない気が」
何事かと思って話を聞いてみれば、ただの新人教育らしい。一葉は新人バイトだった頃の朱莉や竜星の教育係でもあったので、それに関しては特に抵抗もなく、葵は基本的に厨房から出られないこともあり、なんなら自分の役目だと思っている。
「実は……ちょっと事情があってね。君には一応話しておこうかなぁと思った次第なんだ」
この店に採用される人間は大体事情を抱えている。今更、とも思ったが、斎宮の表情がわかりやすく申し訳なさそうな顔に変わったため、一葉は「どういう事情?」と訊ねる。
「その子、とある有名な資産家の娘さんでね。社会勉強のためにどうしてもうちで働きたいっていう強い希望を、父親が叶えてあげたという経緯があるわけなんだけど……、」
「何か問題でも?」
親が知り合いに頼んで、くらいなら特に問題はない気がするが。
「その子ね、お客さんとして何度もうちに来てたらしいよ」
「朱莉ちゃんもそうだったけど?」
常連さんで、可愛い子だなと思っていたのが懐かしい。まさか男の娘だとは思いもしなかったわけだが。一緒に働いている今もまったく違和感がない。
「朱莉さんはおじいさんのカフェを継ぐために勉強がしたいという目的で、うちで働いているのは知っているよね?」
「うん、それは本人もずっとそう言ってるし」
「その子の目的はね。君と朱莉さんらしい」
「俺と朱莉ちゃん?」
ファンとかそういうやつだろうか。それは少し問題あり、かもしれない。プライベートを詮索されるのはあまり気持ちのいいものではない。朱莉の性別は常連さんの中でも一部の人たちしか知らないはず。仮にそれを知らないで入ってきて、彼を傷付けるような発言をされるのも嫌だし、そのせいでその子が浮いてしまうのも可哀想だ。
「どうやら、君と朱莉さんをくっつけたいらしい」
「…………はい?」
真面目な顔でそんなことを言う斎宮を初めて見た気がする。一葉はいったいどうしてそんな理由でここでバイトをしたいなどと思ったのか、逆に気になった。
「こんなことを君に頼むのは本当に申し訳ないんだけど。ひと月だけ、色々と我慢してもらうことになるかもしれない」
「こっちは知らないフリをして、聞き流せと?」
「そういうことになるね。あえて話したのは、わかっていれば対処のしようがあると思ったからなんだけど。朱莉さんにも上手く話しておいてくれるかな?」
わかった、と一葉はあまり乗り気ではなかったが斎宮の頼みなら仕方がないと頷いた。今日は朱莉は出勤ではないので、ひとまず安心と言えよう。
「じゃあそういうことだから、大変だろうけどよろしくね」
開店時間になり、一葉はホールに出る。葵と二人だけだが平日なのでいつも通りという感じだ。バイトくん、もとい伊波ましろ(仮)が十二時から出勤で、それまでは葵がカウンターと厨房を一人でやることになる。代わりにホールとレジは一葉が担当するので、分担としてはちょうどいい。
「いらっしゃいませ〜」
今日はいつもとは違う何かが起こりそうな予感。
一葉は笑顔で扉を開け、並んでいたお客さんたちを迎えるのだった。



