「つまり、どういうこと?」
「おそらく、断片的な記憶喪失かと」
朱莉がちょっと引いている気がする。ましろは「素直に言う」と最初に言った手前、遠回しに小出しで話すのはやめにした。しかしその結果が「記憶喪失」という怪しさ満載の理由になり、自分自身も「これはない」と言った後で後悔する。
「……絶対に信じてもらえないと思うんですが、今日までの記憶がまったくなくて。開店前に様子がおかしかったと思うんですけど、俺の中の記憶はそこから始まってるんです」
「確かに、今日の後輩く……ましろ、くんは変だったけど」
「すみません。実はそのましろという名前も、本当の名前かもあやしくて。訊かれて咄嗟に考えた名前なんです」
次々と口から出る嘘に自分でも驚く。転生、に関しては絶対に言わない方がいいだろう。このセカイがゲームのセカイだなんて言い出したら最後、今の最高の立ち位置がぐらついてしまう。それではなんの意味もない。
「……本当に、記憶喪失なの? 私のことを応援してくれるって言ったのは、どうして?」
「それは、俺がそうしたいと思ったからです」
この気持ちに嘘は百パーセントない。不安げにどこか疑うような眼差しで問われ、ましろは真剣な声で答える。ヒロインのために、と言いながらも自分のためでもあるが。どうしてもハッピーエンドをこの目で見たい! と言うのが本音だった。
「後輩くんは私や他のみんなと違って、斎宮さんが所有するマンションには入居していないと思う。たぶん、一人暮らしなんじゃないかな? 家族のこととか、プライベートなことは聞いたことがないけど」
そんなましろの気持ちが通じたのか、朱莉は自分の知っている情報を話してくれた。通信端末、スマホに似た所持品を確認しても、大した情報が得られなかった。大事そうな項目や知りたい部分が全部文字化けしていて、そもそもモブが使うことを前提として作られていないのだろう。
(ゲーム内での一日なんて、イベントが起きなければ数分もかからずに終わるのに。このセカイでは現実セカイと変わらない。つまり、夜になったら家に帰る必要がある。でも俺はモブだから家すらない可能性が……)
となれば、もはや誰かの部屋に居候するしかないのではないかという結論に至る。だからこそ、ヒロインである朱莉に頼むのは絶対に駄目だと思い、現在の自分の状況を脚色しつつ話すことにしたのだ。
「記憶が戻るまで、私の部屋にいるのはどうかな? もちろん、ましろくんが嫌じゃなければだけど」
「いや! それはダメ、ゼッタイ!」
いやいやいやいや。
ヒロインとモブが一つ屋根の下で暮らすなんて絶対によろしくない。攻略対象に知られたら、このゲームは強制終了といってもいいだろう。そうなれば思い描いたハッピーエンドどころかバッドエンドしか見えない!
「先輩! 自分がどんな存在か全然わかってないです! たとえ俺が先輩にとって空気で、ただのモブでも、それは絶対にダメなんです!」
「え? そんなこと思ってないよ。私、」
「それよりも、オーナーさんに連絡取れますか? いや、一旦お店に戻った方が……」
時刻は午後六時。お店はまだ開いている時間だ。忙しくしている可能性もあるので、連絡を取るのは良くない気もする。なんなら出向いて相談してみる方が早い、とましろは一人、ぶつぶつと呟く。
「どうせ帰り道だから、私も一緒に行く。事情を知る人がいた方がいいんじゃないかな? 私はましろくんが嘘をついてるなんて思ってないから、味方になれるし」
「……先輩、」
「朱莉、でいいよ」
「……俺、推しがまた一人増えそうです」
「推し?」
「な、なんでもないです!」
ヒロインの優しさに涙目になりながら、朱莉の両手を勢いで掴んでいた。変なことを口走ってしまった気もしたが、感動で思考が追いつかない。だからまったく気付きもしなかった。朱莉がましろを見つめる瞳の奥に、仄かな熱を帯びていたことに。
「先輩がいてくれて本当に良かったです」
自分一人だけだったら、きっと路頭に迷っていたことだろう。最初はただの興味本位による応援だったが、本気でこのヒロインを幸せにしたい! と言う気持ちがより強くなった。もちろん彼女の分身、つまりプレイヤーとして、だが。
「……そんなこと言われたの、初めてだよ」
「え? なにか言いました?」
朱莉がなにかぽつりと言葉を紡いだ気がしたが、ましろは聞き逃してしまう。
「ううん。なんでもないよ。じゃあ、行こっか」
眩しい笑顔に覆われた、なにか。
それは一瞬だけ浮かんですぐに見えなくなった。
ヒロインがモブに恋をするわけがない。なんなら相手にされるわけもない。ましろの固定概念がその可能性を寄せ付けない。関わってしまった事実と、もはやモブとしての役割を超えてしまった時点で、この世界線は少しずつズレを見せはじめる。
そんなヒロインとモブの恋の行方や如何に。
しかし、ましろがその可能性に気付けるかどうかは、また別の話。



