アルバイト初日。
朱莉は【Cafe:iRiS】のオーナーであり店長である斎宮と書類関係の手続きを済ませ、用意されていた制服に着替えた後、店内の設備の確認と出勤している従業員たちとの顔合わせをした。
「今日から働いてもらう、環 朱莉さんだよ。当分はホール担当で動いてもらって、慣れてきたらカウンターもお願いするかもしれないから、みんなよろしくね」
日によって働く時間が違うが、平日は午後五時から閉店まで、土日は開店から三時までということになった。最初の一週間は失敗の連続で落ち込んでばかりだったが、一葉をはじめ葵や竜星がフォローをしてくれたおかげで、なんとかやれたと言ってもいい。
「朱莉ちゃん、ゆっくりでいいからね? 少しずつミスは減っていってるし、ちゃんと進歩もしてるから、大丈夫だよ」
葵はいつも優しい。どんなに失敗をしても見捨てずに何度も一から教えてくれる。
「……こっちの心配はしなくてもいいです。いくらでもカバーできるんで」
竜星は淡々と抑揚のない声ではあるが、気を遣ってくれているのがわかる。
「笑顔が大事! 失敗なんて誰にだってあるよ。君が一生懸命頑張ってるのは知ってるし、なにかあったらすぐに相談してね」
同じホールで一番迷惑をかけてしまっている一葉は、太陽みたいな笑顔で元気づけてくれた。朱莉は少しでもみんなの負担にならないように、せっかく足を運んでくれているお客さんの楽しみを邪魔しないように、やれることは全部した。
斎宮をはじめ、他のみんなには朱莉の事情を話してあった。身体や性別は男性だが、心は女性的であること。今までそれを理解してくれたのは祖父と親友の二人だけだった。
理解、まではいかなくても否定されないだけで、こんなにも自分らしくいられるのだと知った。可愛い制服を着て、女の子っぽくしていても自然に接してくれる。それだけで救いだった。
朱莉が採用されてから一ヶ月ほど経った頃、新しいアルバイトがさらに増えた。十二月。高校三年生のその子は、すでに大学が決まっていることもあり長期バイトで採用されたようだ。話を聞けば、四月から朱莉と同じ大学に進学するらしい。
「先輩、今日もめっちゃ可愛いですね」
後輩くんは朱莉のことを知っても、いつも「可愛い」と褒めてくれた。彼自身も可愛らしい顔をしていて、みんなからは「懐っこいわんこみたい」と言われていた。確かに、子犬みたいに愛らしい性格だと朱莉も思う。
(後輩くん、私より後に入ったのにもうカウンター任されてる……すごいなぁ)
高校生で、今までバイトをしたこともないらしい。それであのスキルの高さなら、どこで働いても上手くやれそうだ。半年後、仕事にも慣れてミスも数えるくらいになった。
後輩くんが珍しくミスをした。開店準備をしていた時、コーヒーカップを落としてしまったようだ。開店まであと数分ほど。反射的に朱莉は割れたカップを拾おうとしゃがむ。呆然と立ち尽くしている後輩くんの姿に珍しいと思いつつも、心配になって声をかける。
「あ、れ……俺、ここでなにして?」
「ええっと、本当に大丈夫?」
なんだか様子もおかしい。
「ふたりとも。怪我をしたらいけないから、一旦離れようね」
店先に看板を設置し、戻って来た葵が状況を察したのだろう。ホールからカウンター越しにこちら側を覗いて、割れたカップを素手で触っている朱莉に離れるように言った。朱莉は立ち上がり、挙動のおかしい後輩くんを観察する。彼は自分の頬をつねったり首を傾げたりと、とにかく変だった。
「ええっと……バイトくん、本当に大丈夫? 調子悪いなら奥で休む?」
葵も同じ気持ちだったのか、一旦休むように促す。しかし後輩くんは「大丈夫です!」と慌てて答え、本人の意思を尊重してそのまま開店することになる。その後は心配していたようなことは起きず、いつも通り完璧に仕事をこなしていた。
そんな中、朱莉の方がちょっとしたミスをしてしまう。注文された品と運ぶテーブルを間違えてしまったのだ。
「ええっと、カフェラテとサンドイッチを頼んだはずなんですが」
「す、すみません!」
トレイにのったブレンドコーヒーとフルーツタルトを見て、お客さんが不思議そうな顔で見上げてきた。あんなに確認したのに……、と朱莉は落ち込む気持ちと焦る気持ちでいっぱいいっぱいになってしまう。
「オーダーのカフェラテとサンドイッチです。お待たせして申し訳ございませんでした」
すっと注文通りのものがのったトレイをお客さんの前にそっと置いて、小声で「そっちは四番のテーブルにお願いします」と教えてくれた。
「こちらは新作の焼き菓子なんですが、よろしかったらどうぞ」
朱莉は四番のテーブルに運びながら、ちらりと後輩くんの後ろ姿を視界に映す。にこやかにお客さんと話している後輩くん。これではどちらが先輩かわからない。
(後輩くん、すごいな……あのお客さんもいつの間にか笑顔になってる)
素直に尊敬してしまう。オーダーを無事に運び終わりカウンターに戻ると、
「気にしないで、この調子でどんどんこなしていきましょう。これくらいなら俺でも対応できるので、安心して任せてくださいね!」
後輩くんは朱莉のミスに対してなにか言うでもなく、にっと満面の笑みを浮かべて励ましてくれた。よし、頑張ろう! と朱莉は心の中で改めて集中し、その後は目立ったミスもなくなんとか時間まで仕事ができた。
十一時になり、一葉が出勤する。なんなら本番はここからである。女性客に大人気の店員である一葉。案の定、先程までのオーダーの倍以上のオーダーが一気に入った。ホールが二人になっただけでなんだか心強い。今日は後輩くんとよく目が合った。
不思議に思いながらも、朱莉は忙しさで気にする余裕もなくなるのだった。



