朱莉は繋いでいた手を思い出したかのように、「ご、ごめんなさい!」と謝りながら放した。ましろは「こちらこそ、なんかすみません!」と同じように頭を下げる。そんな様子に、思わず同時に笑ってしまった。
「先輩、ダメですよ。簡単に男の手を握ったりしたら。勘違いされたらどうするんですか」
「そうなの? でも後輩くんって、信頼度が高いっていうか。大丈夫感があるから油断しちゃうの。子犬っぽい感じ? 可愛いって思うし。男の子っていう認識があんまりないっていうか……って、悪口じゃないからね!」
「わかってますよ。俺は恋愛対象にはならないってことですよね? 全然気にしてませんから。むしろその方が話しやすいというか」
ヒロインの恋愛対象にならないただのモブ。この立ち位置を利用しているましろからしたら好都合だった。攻略対象の邪魔をすることもなく、ただの空気として扱われる気楽さ。物語を純粋に楽しむのも、ヒロインの傍で遠くから見守るのも、自分の役目だと勝手に思っている。しかしそれだけではやはり物足りない。
「さっきも言ったように、俺は先輩の恋を応援したいんです」
「……後輩くん」
朱莉は自身の胸元をきゅっと握り締め、ましろの言葉に頷いた。ただの好奇心とお節介であることはさておき、ヒロインはプレイヤーの分身のようなもの。これが乙女ゲームの中であることは間違いなく、まだ未プレイのましろにとっては情報が必要だった。そのためにはなるべくヒロインに近い場所で、ハッピーエンドを迎えるために協力したい。
「ここがおじいちゃんのお店だよ」
商店街に着き、賑わう通りから小道に入った先。車が入れないような狭い通りには、骨董屋さんや古着屋さん、和風の小物屋さんなど、大正浪漫を感じるような店が軒を連ねていた。古本屋さんの隣に、蔦で覆われた雰囲気のある喫茶店が佇んでいる。扉の前に出された古風な黒い看板には白い飾り文字で『喫茶びいどろ』と書かれていた。
「にゃあ」
古めかしい洋風の扉を開くと、白猫がましろの足元にすり寄って来た。短い毛の白猫の瞳は青色で、長い尻尾がゆらゆらと揺れている。朱莉は「イリア、お迎えありがと」と白猫に声をかけた。白猫は名前を呼ばれるなり、今度は朱莉の方へ顔を向けて同じようにすり寄っていく。人懐っこい白猫は、この喫茶店の看板猫なのだろう。
「おや、珍しい。朱莉が友だちを連れてくるなんて。今日は雨でも降るのかな、」
「ふふ。ちゃんと天気だから心配無用だよ。この子は同じバイト先の後輩くんで。今日はお客さんとして来たから、あそこの空いてる席に座ってもいい? 私はクリームソーダで、後輩くんは……、」
「あ、俺は、」
流れるように注文をしようとしていたが、ましろはあることに気付く。
(ちょっと待った、俺、このゲーム内のお金持ってるのか?)
スマホに似た端末は持っていて、マネー系のアプリは入っていた。だがもしここの支払いが現金のみだとしたら、支払えないかもしれない。しかし頼まないのも失礼だし、と悩んでいると、朱莉の祖父が何かを察したのか、
「せっかく朱莉がお友だちを連れて来たんだ。ここは私が一杯奢ろう」
と、カウンター越しににっこりと微笑んだ。
「ふふ。おじいちゃんが奢ってくれるって。アイリスのとはまた違った、おじいちゃんが厳選したオリジナルブレンドだよ」
「あ、なんかすみません……いいんですか?」
「もちろん。私のコーヒーを飲んで、リピーターになってくれたら嬉しいしね」
紳士的な雰囲気のある、喫茶店のマスターという感じ。白髪に銀縁の眼鏡。白シャツに黒いベストという洒落た服装もカッコいい。六十代くらいのマスターが一人で経営している喫茶店。薄暗いのに暖かな色のランプの灯りが落ち着く空間を作り上げている。内装もそうだがテーブルや椅子もアンティークっぽいのがまた良い。
「申し遅れました。私は朱莉の祖父で、環 理人。ここではマスターと呼んでくれたら嬉しいな」
「俺は……、」
ましろは続けて名乗ろうとしたのだが、このモブの名前を知らなかった。ここで名乗らないのはさすがに礼儀知らずだろう? どうする? どうする? と思考を巡らせていると……。
「そういえば後輩くんの名前、知らないかも?」
朱莉はうーんと人差し指を口元に当てて、首を傾げている。なんなら自分が知りたいのだが、とましろは思ったが、誰も知らないなら勝手に作っても良いということだろうか。
「えっと、伊波 ましろっていいます。ちなみに、ましろは平仮名です」
こうなったら本名でいいか。
ましろは名無しのモブなら問題ないだろうと思うことにした。後々これに関して問題が起こったら、記憶喪失にでもなるしかないが。
「ましろくん、可愛い名前だね!」
「そうですか? まあ書くのは楽ですけどね」
頬をかきながら、ましろは朱莉から視線を逸らす。そんな風に言われたのははじめてで。名前をいじられることはあれど、可愛いという感想は今までなかった。
その後の時間は、マスターのコーヒーを飲みながら朱莉の現状を聞きつつ、最終的に作戦会議の場所として提供してもらうことにまでなった。
帰り際、朱莉がトイレに寄っている間、理人がにこやかな表情でグラスを拭きながらましろに話しかけてきた。
「君も知っている通り、あの子のことをちゃんと理解してくれる友だちがなかなかいなくて。幼い頃からあんな感じだったから、大きくなるにつれて両親とも関係が拗れていってしまって。だから今日、あの子が自然に笑っている姿が見れて安心したよ。色々と迷惑をかけることもあるかも知れないが、あの子のこと、よろしく頼むね」
マスターは朱莉のことをすごく心配しているようだった。両親とうまくいっていない、というのは意外だが、きっとなにか理由があるのだろう。ただ明るいだけのヒロインではないということ? だったら尚更、自分がフォローしてあげないと、という気持ちになった。
「はい、任せてください。先輩のことは俺が最後までちゃんと見守ります」
恋愛イベントを発生させ、一葉ルートをハッピーエンドで終わらせる。そのための手伝いなら、いくらでも! そんな気持ちで答えたはずだったが、この時のましろは気付いていなかった。
今の二人の会話を、トイレから戻って来ていた朱莉が裏で偶然聞いていたこと。そしてマスターと交わした何気ないこの会話が、本来は攻略対象の誰かと交わされるはずのものであり、ヒロインの恋愛ルートに関わる重要なイベントであったことを……。
■STAGE:1 〜END〜■



