追憶の夏Ⅲ 〜盛夏の夜明け〜(仮)

 見渡す限りの緑。背丈の高い建物なんて存在せず、コンビニも無い。道端ですれ違った村人が会話をしている。オレの目に映るどれもが新鮮なものだった。世界にこんな場所が実在したという事実に驚いた。
 バスを降りた後、徒歩で簡薙村内を歩く。多くの村人はオレのことを興味深そうに見るなり明るく挨拶をしてくれた。人と人との距離が近い。それだけでオレは萎縮する。聞こえるか聞こえないかの瀬戸際くらいの声量で挨拶を返した。
 暖かいようでまだ少し肌寒い春風を感じながら歩いていると一つの家が見えてきた。管理人曰く、あれがオレを引き取ってくれる夫婦の家らしい。
 心臓がしきりに音を立てている。理由は明白だ。施設の人間以外と顔を合わせることがあまりにも久しぶりだったからだ。施設というコミュニティの中で生活の全てが完結していた時とは違い、オレは今まで以上に他者との交流を強いられる。そう考えると酷く億劫だ。
 家の中から夫婦が出てくる。以前管理人から見せられた写真と概ね外見が一致している。
「こんにちは」
 妻らしき方が柔和な声で挨拶をしてきた。
「…こんにちは」
 オレは俯いたまま挨拶をオウム返しする。人の目を見て話すのは昔から苦手だ。