彼女が彼の彼女であること

 駅前のカフェでスイーツを食べ、小野寺と別れると俺たちは河川敷へ行った。

「ごめん葉月。お前、わかってたんだよな、あいつらに話しても無駄なこと」
「まぁ。でも、千歳君が納得してなさそうだったから」
「俺のために……。嫌な思いさせちまったな」
「それが意外とすっきりしてるんだよね。ねぇ千歳君、あれ本当?結ちゃんがいない時、二人が文句言ってたってやつ」
「嘘」
「うわっ」

葉月は思いっきり顔をしかめた。

「いいんだよ、そのくらいの嘘。しかも、本当のことかもしんないよ。あり得そうじゃん、あいつらなら」
「決めつけは良くないぞ!千歳君!」
「また、キャラやってる?」
「やってる。私はね、いっつも誰かをやってるよ。短い人生だから、いろんな人をやっておこうってね!学校では、模範的な生徒でしょ。バイト先では仕事ができる女子。家では病気と闘ういじらしい娘。そして、千歳君の前では……魔性の女?」
「どこが?」

俺たちは目を合わせると吹き出した。でも、葉月は本当に魔性の女なのかもしれない。俺はもう、葉月のいない毎日に戻れそうにもない。

「葉月……」

喉元まで出かけた言葉を飲み込んだ。俺たちが付き合う条件。それを忘れたりはしない。

―――絶対に相手を好きにならないこと。もしも、好きになった場合、相手に別れを告げる。

「何?千歳君?」
「付き合っていた女と別れた」

葉月はじっと俺を見つめると、おもむろに鞄からノートとペンを取り出す。黄緑色の小さなノートには、葉月が死ぬまでにやりたいことがたくさん書かれてある。けれど、そこに何が書いてあるかは知らない。前にノートを覗き込んだ俺に、葉月は「恥ずかしいから見ちゃ駄目!」と、大声で言った。

 ペン先がノートの上を走る。チェックマークだ。ノートに書かれたことが達成されるといつも、こうしてチェックマークを付けている。けれど、ここに来てからはまだ、何もしていない。葉月はノートを鞄に仕舞うと、膝に顔を埋め動かなくなった。

「どうした、葉月?」

 少しすると、葉月は俺を呼んだ。

「千歳君……」
「ん?」
「キス……しよ」

さっき葉月がノートにチェックマークを付けていたのはこれか。

 葉月はゆっくり顔を上げる。目線は下げたまま、俺を見ようとはしない。

 “そういうのは好きなやつとしろよ”と言い掛けてやめた。絶対に人を好きにならないと決めている葉月にそれを言うのはナンセンスだ。

でも―――。

 女子とキスをするくらいどうってことはなかった。だから今だって、葉月の希望を一つ叶えてやるためだと考えれば簡単なはずなのに―――俺はビビっている。何かが大きく変わってしまいそうで怖いんだ。

それなのに―――。

「千歳君……」

そんな切ない声で呼ばれてしまったら、もう抑えることなんてできない。

「葉月……」

俺は葉月の頬に手を触れた。

「怖くない?」

葉月は小さく頷く。俺は、その頼りない肩に手を回すと、葉月の髪を耳に掛ける。目が合い、「大丈夫?」と聞くと、葉月は瞬きをした。

 ゆっくりと唇を重ねた。一度だけ、唇を重ねたらそれで終わろうと思った。けれど、葉月がそれをさせなかった。求められているのが伝わってきて―――俺たちは何度も唇を重ねた。

 気が付けば辺りは暗くなりかけていた。夕暮れの空を、カラスの群れが飛んでいく。そして、葉月が突然言った。

「千歳君、別れよう……」

 それは同時に、俺のことを好きだと言っている。

「葉月、好きだよ」

葉月は首を何度も横に振る。その度に涙が零れる。こんなやつと、別れられるはずがない。

「俺の葉月になってよ」
「でも、わたし……千歳君を悲しませる」
「そうだね。葉月がいなくなったら俺は相当悲しむと思う。でも、それの何が悪いの?」
「えっ……」

葉月は目を丸くする。

「何が悪いのかが言えないなら、別れない」
「それは……悲しいのは、辛いから。そんな思い千歳君にさせたくない」
「その気持ちはわかったし、受け取っておく。ありがとう。でも、俺はそれを悪いことだとは思わない。だから、“何が悪いのか“の答えにはなってない」

こんなの詭弁だ。わかっている。それでも俺は、どうにかして葉月を説得するしかなかった。

「何が悪いって⋯⋯わからない⋯⋯」
「じゃあ、別れないってことで」
「いいの……悲しい思いをさせても……」
「望むところだね」

ようやく、葉月の笑顔が戻ってくる。

「千歳君」
「ん?」
「私、とっくに約束破ってたよ。千歳君のこと好きなのに、別れようって言えなかった」
「それは、俺も一緒」

俺たちは可笑しくて笑った。

 葉月を繋ぎ止めることができて安心した。葉月がいない毎日なんてもう考えられない。だから怖いんだ。怖くて仕方がないんだ。葉月がいなくなってしまった時、その悲しみに俺は―――耐えられるのだろうか。