彼女が彼の彼女であること

 次の日。俺は見事に風邪を引いた。起きた瞬間から喉が痛く、熱を測ると三十七度八分あった。俺は早速葉月にメッセージを送った。

[どう?風邪、治った?]

葉月からはすぐに返信がきた。

[まだ治らない。今日も学校休むね]
[人にうつしても風邪は治らないってことか]
[えっ!もしかしてうつったの?]
[おもいっきり]
[熱あるの?]
[なかったら困る]

メッセージではなく電話が掛かってきた。

「それ、わたしの!」
「使わせてもらった」

電話の向こうからは葉月の笑い声が聞こえてくる。

「千歳君、声ちょっと違う」
「そう?自分じゃわからないけど、喉は痛いかな」
「ごめんね、私が変なこと言ったから⋯⋯」
「これもやりたいことの一つだったんじゃないの?」
「だとしたら?」
「許すに決まってんだろ」

急に黙り込む葉月。風邪をうつしてしまったことを相当悪く思っているのだろうか。俺にしてみれば、風邪なんて三日やそこらで治るものをうつされたくらい、どうってことはないのに。治らない病気を抱えている葉月を思えば尚更。

「心配すんなって。葉月、お前より早く治ってやるから」
「そうじゃない⋯⋯嬉しいんだ。許すに決まってるって言ってくれたから。ねぇ千歳君、もう一回言って」
「許すに決まってる」

何だか棒読みになってしまうと、すかさず「さっきみたいに」と言われてしまう。

「許すに決まってんだろ」

言わせておいて黙る葉月。

「おい、何か言えよ」
「一緒に寝たい」

今度は俺が黙ってしまう。

「駄目⋯⋯だよね」

こんな風に言われてしまえば駄目だとは言えない。いや、最初から断る気なんてなかった。俺は葉月と付き合った時点で、こいつにとことん振り回されてやろうと決めていたから。

「あとで、そっちに行くよ」
「いいの?」
「いいよ」

 母親が仕事に行くと、葉月の家に行く支度を始めた。それにしても、具合が悪い。少し動くだけで心臓はバクバクし、それに合わせて頭痛が襲ってくる。それでも何とか支度を済ませ家を出た。

 途中、コンビニで適当に飲み物や冷たい食べ物を買った。葉月の家までは歩いて十分も掛からない。いつもならどうということのない道のりも、今の俺にはキツすぎて、テンションが上がった。

 葉月の家に着く頃には、ベッドにぶっ倒れる準備はできていた。

「おはよう千歳君」
「おやすみの間違いじゃない?」

お互い力なく笑うと、同時に咳き込んだ。

「寝よう、葉月」
「そうだね」

 そして、俺たちは一緒に眠った。寝ている間、俺は葉月の咳と自分の咳で何度も目を覚ました。俺よりも葉月の方が咳が酷く、一度出るとしばらく止まらない。壁の方を向いて丸まり、苦しそうに咳をする葉月の背中を、朦朧とした意識の中で擦っていた。 

 目が覚めると十二時を過ぎていた。ずっと壁の方を向いていた葉月が、俺の胸の辺りでうずくまって眠っている。葉月の熱を確かめようと首に手を当てた。けれど、自分の体温も高いせいかよくわからない。

 少しすると、葉月が目を覚ました。

「千歳君、具合はどう?」

ベッドから体を起こしてみると、頭がズキズキと痛む。

「うん。絶不調」
「やっぱり一人で寝た方がゆっくり寝れたよね。私、咳で何回も千歳君起こしちゃったし」
「同じ状態のやつが隣にいるって、意外と悪くないけど?」

それは正直な気持ちで、でも、どうやら葉月はそうは受け取っていないようだ。

「ごめんね、私のわがままに付き合わせて」
「それが俺の役割なんだろ?」

葉月は声を出して笑うと、また咳き込む。俺は葉月の背中に手を回すと擦った。ふと、前に奈々華が風邪を引いた時のことを思い出した。「具合が悪い」と言われても、俺は「病院に行けば」としか言わなかった。その場にいた湊は後になって「もう少し優しい言葉掛けてやれないの?大丈夫?とかさぁ」と言ってきた。俺は「それで風邪って治るんだっけ?」と答えた。湊は「千歳過ぎて引くわ」と言って呆れていた。俺は、事実を言ったまでだと、心の中で返した。

 でも今は、苦しそうな葉月を見ていると、こうして背中を擦らずにはいられない。自分の変わりように少し、戸惑っていた。

 俺たちは、コンビニから買ってきた食べ物を口にすると、薬を飲んでまた眠った。目が覚めると時間は十六時を過ぎていて、窓の外はすっかり夕方の色に変わっていた。

「葉月、明日はどうする?」
「治るまで毎日一緒にいたい」
「わかった」

 それから毎日俺たちは一緒に過ごした。そして土曜日の朝、ようやく熱が下がった。俺は、さっそく葉月にメッセージを送った。

[熱、下がった。そっちは?]

すぐに返信が届いた。

[私も。久しぶりに外に出たい。今から河川敷に来れる?]
[いいよ]

 河川敷に行くと、すでに葉月の姿があった。

「早いね来るの。結構急いできたんだけど」
「私はもっと急いだということなのだ」
「何だその話し方。変なアニメでも見たか?」
「こういう話し方をする女の子をやっているのだ」

体が楽になって余程嬉しいのか、葉月は石を拾うと豪快なフォームでそれを投げる。

「千歳君もやってみるのだ。どっちが遠くまで投げられるか勝負するのだ」

俺は、投げやすそうな石を拾うと思いっきり投げた。

「うわっ!凄い飛んだ!千歳君って野球やってたの?」
「いや、中学の時は陸上部。ほとんど参加してなかったけど。野球は、子供の頃に何度かキャッチボールをしたことがある程度かな」
「運動神経いいんだね」
「運動神経っていう神経ってどこにあるの?」

葉月はすぐに手の甲を指差して「この辺じゃない?」と返してくるから笑った。

「じゃあ、次は私が投げるよ!」
「俺の距離を越えるのは無理だな」
「どうかな〜奇跡的に越えるかもしれないよ」

葉月が投げた石が宙に舞う。すると、一羽のカラスが飛び込んできて石をさらっていった。

「あっ!取られた!こらーっ!」

カラスはしばらく飛んだあと、くわえていた石を落とした。それは、俺が投げた石よりもずっと遠くに落ちる。

「奇跡……だ」
「やった!私の勝ち!」

目の前で起きた奇跡。葉月はそれを奇跡とも思わずにただ、俺に勝ったことを喜んでいる。だからこそ尚更思ったんだ―――その病気も奇跡的に治るんじゃないかと。葉月になら、そんな奇跡が起こる気がした。

「なのだ」
「ん?」
「私の勝ちなのだ。だろ?」
「あっ、そういう女の子やってたの忘れてた。……のだ」
「もうやめちまえ」

朝の河川敷に俺たちの笑い声が響く。何だろう―――楽しすぎて嫌になる。

 家に帰ると、奈々華にメッセージを送った。

[別れよう]

もう、あいつらと繋がっていたくなかった。

 山本葉月という、とんでもなく純粋な生き物を知った俺は、その世界にどっぷりと浸かってしまった。もう、汚いものは見たくない。

 すぐに奈々華から電話が掛かってきた。

「急……だね」
「うん」

俺は黙った。電話の向こうからは、何の音も聞こえてこない。けれど、湊がそこにいるのを感じる。

 少しすると、奈々華の声が聞こえてきた。

「あのね、千歳……」

湊との、無音のやり取りが終わったのだろう。正直に話すのか、それとも嘘を言うのか。俺は二人が出した決断に耳を傾けた。

「私ね……湊と付き合ってるんだ」

正直に話すことにしたらしい。ここで、湊と電話を代わるなんて愚行に出なければ、俺は誰も責めたりはしない。もっとも、責める気もないけれど。

「そっか」
「ごめんね……千歳を裏切って……」

湊が電話に出る気配はなかった。

「それ、正解」
「えっ…」
「ごめん奈々華、優しくしてやれなくて」
「千歳がそんなこと言うなんて。何か……変わったね」
「そうかもね。湊、そこにいんだろ?“気にすんな”とでも伝えておいて」

最後に少しくらい、気まずい思いをさせてもバチは当たらないだろう。

「千歳⋯⋯。ちょっと湊に代わ⋯⋯」
「じゃあ、元気で」