彼女が彼の彼女であること

 帰り道、俺たちはコンビニに寄り、小野寺が欲しいものをおごった。最初小野寺は、五十円のチョコを二つ手に取ったけど、葉月と俺から「遠慮するな」と言われ、袋菓子とペットボトルの飲み物に変えた。

 途中まで三人で帰り、方向が違う小野寺とはバス停で別れた。俺と葉月の家は近いようで、途中まで一緒に帰ることにした。

「ねぇ、千歳君ってどうしてこの町に引っ越して来たの?」

ふと、そんな質問をされ、正直に答えるか迷った。クラスのやつにも同じ質問をされたけど、「親の都合で」とだけ言っていた。なんとなく、葉月になら本当のことを話してもいいような気がしたけれど、こんなドロドロした話、天真爛漫なやつにするべきではないと思った。

「親の都合で」

そう答えるとすぐに、「どんな?」という質問が飛んできた。余程知りたいのか、葉月は顔をじっと見つめてくる。俺は観念して本当のことを話した。

「母親が、隣の家の男と不倫をしていたんだ」

意外にも葉月に動じる様子はなかった。それどころか、興味を持ったのか不躾な質問をしてきた。

「それで、どうなったの?」
「どうなったって、それは大変だったっていうか。不倫相手の奥さんから、金は要らない。その代わりこの町から出て行けって言われて」
「千歳君のお父さんは?大丈夫なの?」
「両親は俺が中学一年の時に離婚してる。父親の不倫が原因で。不倫された人間の気持ちがわかるはずなのに、自分も不倫するんだから訳わかんねぇよ」

やっぱり、重い話だったようで葉月は黙り込んだ。それから少しすると、「お母さんのこと嫌いになった?」そんな質問がきた。俺が「別に」と答えると何故か葉月は安心した顔をした。

 辺りが夕焼けに染まる中、河川敷を歩いていると葉月は、「ちょっと寄って行こう!」と階段を下りていく。そして、真ん中辺りに腰を下ろすと、隣に座れと言うように階段をペチペチと叩く。走ったわけじゃないのに、葉月は息を切らしていた。

 地面が綺麗に舗装された河川敷とは違って、ここは草木が鬱蒼と生い茂り、人の姿はない。背の高い草に遮られ、川面はところどころしか見えなかった。

 葉月と距離を置いて隣に座ると、ポケットの中でスマホが震えた。立ち上がり、スマホを取り出すと、夜に電話を掛けると言っていた奈々華からの着信だった。俺はスマホを鞄に仕舞うと、「なぁ葉月、俺たち付き合わない?高校卒業するまでの間だけ」何故か、そんな言葉を口にしていた。

 突然こんなことを言われたにも関わらず、葉月に驚いた様子はない。それどころか「条件がある」なんて言ってきたから、俺の方が驚いている。

「なに?」
「お互い、絶対に好きにならないこと。好きになったら別れを告げること」

まるで意図のわからない条件に何を言おうか考えていると、鞄の中でスマホが震える。

「出た方がいいんじゃない?」
「いいや」

葉月は俺の顔を覗き込むように首を傾げた。俺は葉月から目を逸らすと、草の隙間に見える川面に目を向けた。

「付き合って一年になる女からの電話。今、そいつは俺の友人とも付き合ってる」
「悲しい?」

間髪入れずに飛んできた質問に少し戸惑いながら、「まぁ」と答えた。すると葉月は、「そう」と短い返事をすると「じゃあ、お互い都合のいい関係ってことで」と、意外な言葉を口にした。俺は勝手に葉月を『清廉潔白』―――そう思っていた。

「付き合うってことでいいの?」
「約束を守ってくれるなら」
「俺には他に付き合っている女がいるのに?」
「うん」
「葉月はそういうの絶対に駄目なタイプだと思ってた」
「私はそんないい子じゃないよ。自分勝手で欲張り」

そう言って葉月は笑う。そして、「千歳君には特別に教えてあげる」と言って「えっへん」と咳払いの真似をすると、話し始めた。

「私、病気なんだ。あまり長く生きられないかもしれないの。だからね、それまでにやりたいことがたくさんあるの。そのためには、千歳君が必要な場合もある!」
「……冗談だろ?」
「本当っ」

笑顔で答える葉月を見て俺は言葉を失った。その笑顔はあまりに綺麗で、嘘なんてどこにも隠されていなかった。

 小野寺を必死で止めたのも、どんなことでも楽しむのも、不躾な質問をするのも、残された時間の短さが関係しているのかもしれない。そう考えると、今までの葉月の言動が少し違って見えた。

「どこが⋯⋯悪いの」

葉月は心臓の辺りに手を当てる。

「ボールを打つくらいは平気。だけど、激しい運動は苦手。でも、私は元気だから、病人扱いはしないでね。心配されるのは好きじゃないの」

 そう言えば、バッティングセンターでも、ついさっきも、走ったわけじゃないのに葉月は息を切らしていた。

「誰とも結婚はしないって言ったのは⋯⋯病気のせい?」
「えっ?」
「俺、葉月が来る前から屋上にいて、あそこから飛び降りようとしている小野寺を見てた」

葉月は「そうなんだ」と一言だけ言うと空を指差して「あの雲、犬みたいだね」と笑う。俺は「何で止めなかったか聞かないの?」と尋ねた。

「じゃあ、リクエストに応えて。何で止めなかったの?」
「死にたいやつには死なせておけばいいと思った。最低だろ」

批判されるのを覚悟で話した。けれど、葉月はそれをしなかった。

「ううん。それも正解だよ」
「本気で言ってる?」
「うん」
「じゃあ、どうして葉月は止めたの?」
「反射的にかな。それと、私には切り札があるから」
「切り札?」

葉月は、得意げな笑顔を見せる。

「それって病気のこと?」
「うん。結構使えるんだよ」
「小野寺には病気のこと話したの?」
「まだ、話してない。けど、もしもまた同じことをしようとしたら、その時は話そうと思う」

葉月は階段の下まで降りると、大きく息を吸い、向こう岸に向かって「私は二十歳まで生きられないかもしれないんだよーっ!そんなに死にたかったらその命私にちょうだーい!」と、叫ぶ。そして、俺を見ると、「そう言って、わんわん泣いてやるんだから」と、笑った。俺は階段を駆け下りると、思わずその華奢な体を抱きしめた。どうしてこんなことをしているのか自分でもわからない。体が勝手に動いていた。

「男の子に抱きしめられるって、こういう感じなんだね」

葉月の声は、大人しかった。

「もしかして、今までに男と付き合ったことがないとか?」
「ないよ。だから、経験してみたかったの」
「その相手が、俺ってどうなの?」
「高校卒業するまでの間だけ付き合おうなんて言う人、千歳君くらいしかいないから」
「そっか」
「うん」

 葉月の腕が俺の背中に回る。女を抱きしめても別に何も感じなかった。なのに今は、どうしてだろう―――込み上げてくるものを必死に堪えていた。