彼女が彼の彼女であること

 昼休みの屋上―――やっと見つけた一人になれる場所に、誰かが入って来た。

【立ち入り禁止】

そうドアの前に貼られた紙が見えなかったのか、字が読めないのか。そいつは屋上に足を踏み入れると、フェンスに向かって真っすぐに歩いて行く。俺はその背中を、地べたに座ってパンを食べながら見ていた。

 すると、やつはフェンスに手を掛け、よじ登ろうとする。俺は、ため息をついた。それは、無意識に出たものだ。

 男子の平均よりも随分と低い身長に、細い体。あの高さのフェンスを乗り越えるには、その身長も筋力も足りていないように見える。“なんでこの場所を選んだ?”と、素直な疑問が浮かんだ。

 それでも、必死になってフェンスを登り、ようやく淵に足が掛かる。俺は「不愉快だから別の場所でやれ」と言うか、「学校の怪談を一つ増やそうとしてんじゃねぇ」と言うかの二択で迷っている。

 転校してきて一ヵ月、死のうとしているやつを心配するほどの情はない。目の前で起きていることなのに、まるで海外で起きた事故のニュースを見ているくらい他人事だった。とはいえ、ここで死なれては気分が悪い。しかも、昼に一人になれる場所をまた探さなくてはならなくなる。さすがに、屋上から生徒が飛び降りたとなれば、【立ち入り禁止】なんて貼り紙ではなく、鍵を直すだろう。

「別の場所でやれ」そう言おうとしたその時、ドアが開く音が聞こえ、それと同時に同じクラスの山本葉月(やまもとはづき)が入って来た。

「駄目!!」

耳をつんざくような葉月の声に顔をしかめた。同時に、やつがフェンスから落ちないか確認した。

 葉月は制服のスカートを翻し、やつの元へと走ると、その体にしがみついた。

「死んじゃ駄目!!お願いだからやめて!!」

葉月は必死だった。どうして他人のためにここまで必死になれるのかが、理解できなかった。ただただ、目障りで鬱陶しいと思った。

 葉月の熱意に負けて、あるいはそこまで覚悟がなかったのか、やつは飛び降りることをやめた。

 フェンスを降りると、やつは力なくその場に座り込んだ。すると、葉月は「良かった」と言って抱きしめた。俺は一瞬、はっとした。予想外の行動だった。

葉月は自殺の理由を聞くことなく、背中をさすっている。すると、小野寺の口からは恨み節が放たれた。

「何で邪魔するの?」

俺は心の中で「ほら見たことか」と言った。死にたいやつには死なせておけばいい。止めるなら、それなりの覚悟が必要になる。死にたいやつを生かした葉月は当然、そいつの人生に責任を持たなければならない。

 小野寺は震える声で「責任取ってよ」と言った。俺は、「だよな」と、小野寺の言い分に納得しながら、飲み物を手に取ると葉月の答えを待った。

 葉月は小野寺の背中から手を離すと、「何をすればいい?」と言って顔を覗き込む。

 意外にも葉月は冷静だった。

「本当は、今日で僕の人生は終わるはずだったのに、それを止めて君は僕を生かしたわけだから⋯⋯君は一生僕の傍にいなければならない」
「一生……」
「結婚するってこと」

思わず、飲んでいたカフェオレを吹き出しそうになった。たった今、死のうとしていたやつが次の瞬間、結婚話をしているなんて、さすがに笑える。

「結婚?それはできないかな」

こんなことを言われても、葉月はまだ冷静だった。

「あっ勘違いしないでね。相手が小野寺君だからじゃないよ。私はね、誰とも結婚はしないの」
「それは、どうして?」

俺はまた、吹き出しそうになった。たった今、死のうとしていたやつが、理由を知りたがっているのが可笑しくて仕方がない。最近見た、何よりも滑稽で面白い光景だ。

「結婚はしない。そう決まっているの」

小野寺は「もう、いいや」と言って立ち上がった。せっかく面白いものを見ていたのに、もう終わってしまうのかと残念に思っていると、葉月が小野寺の前に立った。そして、この場に似つかわしくない明るい笑顔を向ける。

「結婚はできないけど、小野寺君が生きていける方法を一緒に考えることはできるよ」

その笑顔は輝いていて―――何でだろう。さっきまであんなに可笑しかったのに、今は、胸の辺りが締め付けられて、小さな痛みを感じている。

 それから俺は、山本葉月という女から目が離せなくなった。