空穂風雅は、喫茶「ムーラン」のボックス席で、日焼けした古い美術雑誌を眺めていた。店主は美術好きらしく、いくつかの古い美術雑誌の他に、アール・デコ調の店内には、いくつかの絵画のレプリカが飾られている。
「そういうの読むんだ?」
 ウェイトレスの格好をした少女が、向かいのソファに腰掛けた。
「仕事しろよ」
「お客さんいないんだもん」
 間食にはやや遅く夕食にはやや早い。風雅の他に、客は日当たりの良いカウンターで居眠りをしている老爺だけだった。
 ウェイトレスの少女の名は「星野あさひ」という。
 真ん中で分けた前髪を薄水色のヘアピンで留めた、利発そうな少女だ。
「それ面白い?」
 あさひは、風雅が眺めている雑誌を指でつついた。
「別に━━━ああでも、こいつちょっと俺の上司に似てる」
 痩せた、上流階級らしい男の肖像画。黒いフロックコートに白いシャツ、白手袋。洒落た靴を履いて庭園を背景に立っている。
「イケメンじゃん」
「これがスウェット着て足ツボスリッパ履いてるんだぞ」
「かわいい。写真とかないの」
「上司の写真なんか撮らない」
 そもそも、肉眼でとらえた彼の姿とカメラにとらえた彼の姿は全くの別物だろう。
「週末のラザロとの親善セレモニーでたぶん会えるぞ」
「そっか」
 あさひは、ソファに深く腰掛け軽く目を閉じた。
「私の親戚ってどんな人だった?」
「レトロな宇宙飛行士みたいな格好してた」
「人柄は」
「遠くから見ただけだからわからない」風雅は肩をすくめた。
 惑星ラザロ。復活を遂げた奇跡の惑星。
 かつて、ラザロは滅亡の危機に瀕していた。資源の枯渇、惑星全体の激しい環境の変化。
 つまるところ、星の寿命というやつだ。
 それを解決するには、途方もない時間が要る。ラザロの知的生命体━━━通称ラザロ人は、一計を案じた。彼らは、子供たちに未来を託すことにした。
 あらゆる時間、空間を飛び越え、彼らは子供たちを銀河中の知的生命体に託した。いつか、彼らのうちの誰かが星の寿命を解決する知見を生み出すことを夢見て。
「妹さんとは?」風雅は言った。
「相変わらず、部屋から出てこないの」あさひは、僅かに顔を曇らせた。
「……ちゃんと話しとけよ」
「わかってるよ」
 星野あさひは、ラザロの子供たちの一人だ。
 彼女は、「星野つくよ」───現在はあさひの双子の妹ということになっている───に擬態し、星野家に「侵入」した。
 星野つくよが衝撃を受けたことは間違いないだろう。
 カウンターの隅に置かれた小型テレビからは、普通のニュースに混じってエイリアン関連のニュースが流れてくる。
「風雅は私以外のラザロ人に会ったことある?」
「ない。最後に地球で確認されたラザロ人は90年代の人だし。俺生まれてない」
「昔の人は、あぶだくしょん?されちゃって家族にお別れも言えなかったんでしょ?」
「そうだな」
「私もあぶだくしょんされちゃえばよかったのに」
 あさひはぽつりと言った。
「縁起でもないこと言うなよ」
「だってさ、つくよは今じゃ顔も合わせてくれないの。もし私が急に居なくなっちゃってたら、つくよは悲しんでくれたかな」
 喫茶店のマスターは身じろぎもせず、退屈そうにニュースを眺めていた。
 小型のエイリアンが早朝のコンビニで暴れ、捕獲しようとした店員が骨折。スタジオのコメンテーターは、眉を顰めて露骨にエイリアンへの差別的な態度をアピールした。
「……もう上がりの時間だろ」風雅は腕時計に目をやった。
 時刻は17時。あさひのバイトが終わる時間であり、彼女を家まで送り届けて女性職員のボディガードと交代する時間だ。
「うん。ばぁばの家寄りたいんだけど、いい?」
「いいよ」
 あさひが店の奥の更衣室に向かった途端、風雅が装着したインカムから、不機嫌そうな女の声が響いた。
『交代時刻は18時ですよ』
「仕方ないだろ、あと一月もしたら地球を出発するんだぞ」
『ちょっと甘いんじゃないですか』
「そんなことない。カリカリするなよ」
『カリカリなんてしていません。貴方があの娘に甘い顔する度に冷や冷やしているんですよ?もし万一のことがあったら、私はオルロックさんにスクラップにされてしまいます』
「機械音痴のご老体にそんなこと出来ない。大丈夫だ」
『私は本当に心配しているんですよ!』
「わかってるよ。何も起こらないように君がサポートするんだろ。信頼してる」
『なるほど……貴方には、私が必要ということですか?』
「必要だよ。誰よりも頼りにしてる」
『本当に?』
「……急にどうした」
『オルロックさんと昨日、地球のメロドラマを観たんです。詩的な会話サンプルをいくつか収集できました』
「あっそ」
『今度はいっしょに見ましょうよ。きっと気に入ると思いますよ。オルロックさんなんて、ずっと爆笑していましたから』
「シットコムでも見てたのか?」