天下原駅から徒歩15分。駅から遠くはないが、近くもない。
 中華料理食堂「天下飯店」は、そんな微妙な立地にあった。先代の頃━━━ほんの10年前は、立地の問題などものともせず行列をつくっていた。しかし、やや気難しい息子に代替わりを行い、駅前に中華の大手チェーン店がオープンしてからのことは言うまでもないだろう。店頭の食品サンプルは色褪せ、直射日光に炙られひどく劣化していた。
 店内は、いくつか布賀紙が吊り下げられている以外には普通の食堂と大して変わりない。店の入り口の近くには黄緑色のクロスが敷かれたテーブル席が二つ、その奥に座敷、厨房の前にはカウンター席が数個設けられている。
 店内には、若い二人の客と店主を除くと、どんよりした目でスポーツ中継を眺める店主の妻くらいしかいなかった。
「お客さん、うちは一人ワンオーダーなんだよ」
 中華屋の店主は、苛立った様子で言った。
 店主が立つ厨房のの向かいのカウンターには、ひと組の男女が座っていた。小柄な女は、黒いマスクに薄い水色のキャミソール、男は白に近い金髪で、耳と目元に銀のピアスを付けて濃紺のジャージを着ていた。二人とも年の頃は20代後半から30代といったところだろう。
 店主は、カウンターの横の壁に貼ってある張り紙を人差し指で小刻みに叩いた。
「悪いねオヤジさん。こいつ飯は食えねんだ」
 ピアスの男が、マスクの連れに目配せしながら言った。
「一人、ワンオーダー!そう言ってんだろ」
 店主が怒鳴ったが、店主の妻は一瞥もしなかった。
 べたついたローテーブルが置かれた座敷席で足を伸ばし、大して面白くもなさそうな顔で野球の中継映像を眺めていた。
「……わかったよ。チャーシュー麺もう一杯」ピアスの男が言った。
 店主は鼻を鳴らした。
 ピアスの男は、叩きつけるようにカウンターに置かれたチャーシュー麺の粉っぽい麺を啜った。
 マスクの女は、目の前に置かれた湯気の立つラーメンをただ見つめていた。
「食わないのに注文したのか?」店主が怒鳴りつけた。
「俺が食べるよ。問題ないだろ」
 ピアスの男は、女の前に置かれているラーメンを自分の方へ引き寄せた。
「一人、ワンオーダーだって言っているだろ。それが嫌なら他の店に行け」
 店主は、拳をカウンターに叩きつけた。
 カウンターの上の調味料同士が擦れて金属音が鳴った。
「ねぇ、やめなよ」店主の妻は、億劫そうに腰を持ち上げてカウンターへと歩み寄った。
 女は、マスクを外した。