地球外生命体共生管理局日本支部には、地下9階行きの専用エレベーターが存在する。
 それは、ダリウス・オルロックが日本支部へと派遣されてきた1964年に建設されたものだ。骨董品と言っても良い。
 エレベーターの床面には、赤いビロードが敷かれ、壁には蔓草の装飾が施された楕円形の姿見がかけられている。
 それは軋み、時に不安になるような揺れ方をしながら、地下9階の主人の元まで、来客を送り届ける。
 空穂風雅は、姿見で軽くシャツの皺を整えた。
 エレベーターの扉が開くと、湿ったコンクリートの臭いが鼻についた。
 エレベーターの扉の先に広がるコンサートホールのような天井の高い空間は、打ち放しのコンクリートで仕上げられている。
 向かって右側の壁面には、さまざまな景色を映し出したモニターが設置され、左側の壁面には、巨大なパイプオルガンが設置されている。ホールの奥には、豪奢な装飾の施された両開きの扉があり、その奥は、ダリウス・オルロックの私室となっている。
 ホールの中央には小さな猫足の丸テーブルが置かれ、この空間の主人はそこでティーカップを傾けていた。
 四十代くらいの痩せた男だ。暗い巻き毛髪を胸元まで垂らし、この上なく優雅な仕草で頤に指を添えていた。中世ヨーロッパの肖像画から抜け出してきた貴族のような男だ。
 しかしその服装はと言えば、ゆるいグレーのスウェットにマッサージ用の棘のついた女性もののラバースリッパを履いていた。
「なんですか、その格好」
「掃除婦から貰った。冷え性がひどいと言ったら」
 そう言うと、痩せた男━━━オルロックは足を持ち上げてみせた。白く筋張った足に、ショッキングピンクのスリッパが毒々しかった。
 この執務室の新しい掃除婦はなかなか肝の座った人物らしい。
「たまには外に出てみては?」
 外は夏の盛りだというのに、地下9階はワイシャツを着ていても肌寒いほどだ。
「誰の後始末のせいで外出の暇もないと思っているんだ?」
「自分の出不精の責任を俺に吹っ掛けないでください」
「君がエスコートしてくれ」オルロックは完璧な微笑みを浮かべた。
「俺は忙しいんで無理。ご用件は」
 オルロックからの招集自体はよくあることだ。大抵は大した用でもないので無視しているが。
 しかし、本部を通した正式な招集は珍しい。
「つれないな。掛けたまえ」
 オルロックは、身振りで向いの椅子を指し示した。
 テーブルの上には、ガラスの茶器とシロップ付の果物、カットフルーツが並べられていた。
 風雅は、シロップ漬けの果物をスプーンでひと掬いとって、匂いを嗅いだ。まだ大丈夫そうだ。
「これ何年前の?」
「一昨日届けさせたものだ。全く私を何だと……」
 試しに三角形にカットされたオレンジも手に取ってみたが、しっとりと瑞々しかった。
「君のためにわざわざ用意したんだぞ。そんな反応をされると流石に傷つく」
「どうしたんです、本当に」
「まぁ飲みたまえ」
「この茶は?」
「それは昨日届けられたものだ」
 オルロックはうんざりしたように言った。
 失言だったらしい。茶の銘柄を聞いただけだったのだが、オルロックは渋い顔をしていた。
 ハーブティだ。彼の故郷の味。ほんのりと懐かしい匂いのするそれを、風雅は少しだけ口に含んだ。
「上が煩いんだ。部下とのチームブリーフィングの時間を持てって。それなのに君は私の招集にちっとも応じない」
「貴方の代理人として忙しく働いているんですよ」
 オルロックは、肩を竦めた。
「まぁ、チームブリーフィングらしいことでもしよう。ラザロ人の件は?」
「もう9割完了」口に含んだオレンジは、甘味よりも酸っぱさの方が強かった。「お嬢さんは……あの様子だとごねることもないでしょう」
「それは良かった」
 オルロックは、風雅の目をじっと覗き込んだ。
 その薄い灰色の目は、深い湖のように果てがなかった。
 風雅は居心地の悪さを感じた。
「週末はラザロとの親善セレモニーだな。前に仕立ててやったタキシードがあっただろう。それを着ろ」
「スーツでいい」
「だめだ」
「黴びてるかも。最近着てないし」
「クリーニングに出せ」
「サイズが合わない」
「……太ったのか?」
「そんなだから30回も離婚するんですよ」
「まだ28回だ。関係ない話を持ち出すのはよせ」
「あのタキシードは派手すぎる。コスプレみたいで浮く」
「そんな事か。なら新しいのを仕立ててやる」
 オルロックは、これで解決、と言わんばかりにティーカップをソーサーに置いた。
「要らないです。アンタのセンスは奇抜すぎる」