この街でいつか

おばあちゃん、言われしことも、ないままに
すぎていく時、いかに虚しき

今日は母がコンサートに参加したため、応援に行ってきました。母は、歌が好きで、歌を現在も習って、たまにホールなどで演奏することもあるのです。その演奏会のとき、母とは別の人が歌っていた、新井満さんの作品だそうですが、この街で、という歌をきき、非常に大きな衝撃と、大きな悲しみを得たような気がしました。
「この街でいつか、おばあちゃんになりたい
おじいちゃんになったあなたと歩いていきたい。」
何という幸せで、羨ましい歌詞なのでしょう。
この楽曲には、出会えたときの喜びとか、相手と衝突したときの悲しみとかは、明記されていません。ただ、おばあちゃんになりたい。それだけなのが悲しかったです。
勿論、こういうことは世代性を生きるという意味では重要なことですが、その間に、何十も喜びだけではなく悲しみもあるはず。それを乗り越えて、おばあちゃんになり、おじいちゃんになって、幸せでありたいと歌うのです。
なんと、幸せな人生なのでしょう。
しかし、こういう出会いが簡単に有るものでしょうか。たしかに、インターネットなどで、簡単に出会うことはできますが、一緒になるということは、別問題です。生まれも、育ちも、何もかも違うわけですから、衝突があって当然。そして、いまでは簡単にわかれて、法律に則って暮らすことも可能なのです。片親しかいないという家庭も珍しくありません。そんな世の中で、2人揃っていることの意味がわからないという人も、非常に多い世の中です。テレビなどでも、片親家庭になりながら奮闘、という筋書きや、女性が一人で頑張るというストーリーが、多いですからね。
私自身も、今まで何人かの人とメールのやりとりはしたことがあったのですが、お会いすればそれ以降は連絡がないとか、身体の写真などを要求してくる、性器などの写真を送りつけてくるなど、本当におかしな人たちばかりで、まともに話せるひとはほとんどいませんでしたので、やっぱりダメなんだなと諦めています。
そんな状況でしたから、この街でいつかおばあちゃんになりたい!という夢は、本当に貴重だなと思いました。相手を大切にできて、幸せな家庭を築くことができる人、というのは、いまは非常に少なくなっていますよね。
ちょっと話はそれますが、先日千葉県茂原市で、重度の障害がある娘さんを、水につけて殺害したという事件がありました。娘さんが、もうこの世では生きていけないと思ったから、殺害したのだそうです。この事件にはいろんな反響があり、なかには、殺害した母親を無実にすべきだとか、娘さんのために、安楽死を合法化したほうがよいなどの意見もあったそうです。そういう風に、死んだほうが幸せになれる、という定理も蔓延ってしまっている世の中何だなと思いました。この事件につきましては、なにか教訓もあるんだろうなと思いますし、忘れてはいけない事件の一つになると思います。善悪を教えるために罰則を厳しく、と騒がれていますが、なかには本当に追い詰められて、事件を起こした例もあると思うので、その見極めが肝要ですね。
そうやって、どんなに社会では平等だと謳っても、必ずできる人とできない人が出てしまうのが、世の中だと思います。だいじなのは、できる人だけがすべて正解で、できないひとはダメな人、と思ってしまうことがいけないといえる存在なんだと思うんですね。世の中には、できる人がいれば、できない人もいる。結婚できる人もいれば、できない人もいる。家族をつくれない人もいれば、つくれる人もいる。それでよいではないか。そういう考えに変えていくことがこれから先は必要なのではないかと思います。
それをしたうえで、この街でいつか、おばあちゃんになりたい!という歌詞が生きてくると思います。
できない人がいるから、できる人がいる。
できる人がいるから、できない人は助けられる。
これが、本当に世の中を生きるうえでだいじなことなのではないでしょうか。

よきことは、全て周りの、おかげさま
できぬ人より、知る人もなし。
ずいぶん稚拙な歌ですが、この歌を聞いてそんな感想を持ちました。