テレレ、テレレ、といつものポテトの揚がる音が響く。香ばしい匂いと賑わう客の声が店内に広がる。いつもと変わらないマッツの風景。そして、相変わらずカウンターの横にはあの男がいた。
「すい、頑張ってるね」
俺と目が合った雅は、笑みを浮かべてひらりと手を振る。少女漫画ならば背後に花が咲くような華やかな笑みだ。
付き合い始めてからも、雅は俺のシフトの時間になると必ず店内に現れた。相変わらず雅の雰囲気は一際目立つが、最近はやけに甘い雰囲気を漂わせている。余計に目立ってしまうからどうにかできないものか。付き合っていることが周囲にバレそうで心配だ。テーブルを拭きながら、話しかけるな!と口パクで伝える。俺の意図は伝わらなかったのか、雅はそのまま話し続けた。
「もうちょっとでバイト終わる?」
「まだ。待たせるの悪いし、たまには先帰ってもいいよ」
「ううん。すいの姿見てたいし」
さりげなく甘いセリフを言わないでくれ。照れてしまう。にやけてしまいそうになるのをぐっと堪えて、雅に聞く。
「暇だろうし、注文する?」
「大丈夫」
雅はあっさり断り、片手でジュースを飲む。その姿を見ると、心の奥に小さな濁りが生まれた。前までは何度も注文していたのに、今はジュースやポテトなど一度だけ。レジ前で顔を合わせる回数はすっかり減ってしまった。お腹、空かないのかな。でも毎週のようにマッツで食べてたら飽きるだろう。けれども『注文の多い男』がいなくなってしまったようで、ちょっぴり寂しい気持ちもある。
哀愁に浸っていると、それに気づいたのか雅が気にしてきた。
「すい、なにかあった?」
「え、大したことないから」
「なにかある顔してた。言って」
わざわざ言うほどのことじゃない。雅は『注文の多い男』というあだ名も知らないし、話しても意味がわからなさそうだ。
このまま誤魔化そうとしたが、雅は圧をかけてくる。仕方なく口を割った。
「その、前まで一日に何度も注文してたけど、それがなくなったなって」
雅はきょとんと目を丸くした。だから言いたくなかったんだ。急になにをいってるんだと思われただろう。恥ずかしくてレジへ戻ろうとしたが、雅に腕を掴まれる。
「俺の顔が見れなくて寂しいの? それなら何回だって行くけど」
「いやっ、そんな来なくてもいい!」
慌てて首を横に振った。雅はレジ近くのカウンターにいるから、接客中いつでも顔を合わせる。もう充分雅の顔は見てるし、来る必要はない。
雅は俺の反応を見て口角を上げる。ああ、もう。いつも雅は余裕があるのに、俺はあわあわしてばかり。悔しくて口を尖らせる。
「ほんとに? 俺もすいといたいから行くよ」
「気にしなくていいよ。俺は、ただ、その」
目を伏せて、ぽつりと呟いた。
「『注文の多い男』がいなくなったな、って思っただけだから」
「注文の多い男?」
雅は、怪訝な表情を浮かべた。雅自身はあだ名のことをさっぱり知らないから当然だ。
「雅が注文を何度もするから、昔そのあだ名をつけて」
「すいがつけたんだ」
顔を合わせることができず、たどたどしく話す俺とは反対に、雅は曇りなく笑う。変なあだ名をつけられてたのに、嬉しそうにするなんて変なやつ。
「俺、ネーミングセンスないから変だよね」
「ううん。すいからあだ名つけてもらったことないから嬉しい」
「こんなので?」
「うん。これからそう呼んでもらうのもいいかも」
さすがにこのあだ名で日常的に呼ぶのはない。
「でももう注文多くないからあだ名と違くない?」
「じゃあまた多めに頼もうかな」
「大丈夫だって。何回も来たら味に飽きてきちゃうだろうし」
もともと何度も頼みに来る雅がおかしい。今はむしろ普通の人くらいの量になったのだ。無理やり頼むものではない。
「飽きてないよ」
「え、そうなの? 最近あんまり頼んでなくない?」
「もともとバーガー自体好きってわけじゃないから」
口をぽかんと開けたまま、その場で固まる。え、本気で言ってる? この人毎週あんなに注文していたのに、好きじゃないなんて信じられない。
雅は俺の様子にくすりと笑った。
「何回も注文したら俺のこともしかして思い出すかもしれないと思って」
そう言って、雅が俺を見た。透き通るようなオニキスの瞳に俺が映る。
「あのときみたいな笑顔が見たくて、何度も通ったんだ」
切なげに微笑む雅の姿に、言葉が詰まった。何度も注文してきた変な客だと思っていた。だけど、そんな真意があったなんて。スマイルを注文してきた日、緊張していた顔が鮮明に浮かんでくる。あのとき、どんな思いで注文したんだろう。
「いつから、俺だって気づいてたの?」
「初めてすいを見たとき、すぐに気づいたよ。昔と変わらず迷子みたいな顔でバイトしててさ、嬉しくてすぐ、覚えてる?って聞きに行ったら『新人で全く仕事覚えてなくてすみません』って謝られちゃった」
雅は笑いながら話しているが、全く記憶がない。
バイトを始めたばかりのときは仕事を覚えるのに必死で余裕がなかった。きっと雅に聞かれたときも、雅のことじゃなくて仕事のことかと勘違いしたんだろう。ポンコツすぎる。
「ごめん。俺、全然気づかなくて」
「気にしないで。今はすいの笑顔いつでも見れるし、注文のとき話しかけるのも楽しかったから」
伏せられたまつ毛の影が頬に落ちる。
その言葉に胸がきゅっと締めつけられた。俺の笑顔のどこがいいのかわからない。雅は余程趣味が悪いんだろう。雅の笑顔の方が絶対綺麗なのに。
唇を噛み締める。俺は他の客に見られないように、雅の耳許に唇を近づけた。片手を添えて、小声で囁く。
「お、俺も、雅の笑顔が好き」
自分なりに精一杯の笑顔を浮かべてみたが、目の前の雅は全くの無反応だ。目を見開き無言で俺を見つめる雅の姿に、俺は顔を逸らす。
は、恥ず……! てっきり喜んでもらえると期待して伝えてみたが、まさかこんな反応だなんて思わなかった。なんかギャグが滑ったみたいで、つらい。逃げるように踵を返そうとした。だが、後ろから腕を強い力で引かれ、温かいものに包まれた。
「……可愛すぎ。すい、バイトやめてデートでも行く?」
「いやダメだから!」
熱い吐息が耳許に触れて、心臓が大きく鼓動する。皮膚越しに雅にも振動が伝わりそうで、逃げようと体を動かすが、雅の腕から全く出られない。こんなところでなにするんだこいつ! 今日は客が少なく誰も見ている様子はないが、レジから離れてこんなことをしているところを見られたら、店長に注意されてしまう。
「離れろ、もう!」
「んー、今日バイト終わりにデートしてくれるなら」
「わかったわかった」
何度も頷き、離れてくれるかと思いきや、雅は言葉を続けた。
「あとは、すいと美味しいもの食べに行って、夜景見ながら散歩して、すいからキスを」
「いやいや、多すぎる!」
真っ赤になりながらそう叫ぶと、雅は軽快に笑った。細められた瞳には愛おしさが滲んでいる。そんな顔をされたら、からかわれているのに、怒るに怒れないじゃないか。
雅が腕の力を弱めてくれた隙に、離れてレジへ向かう。すると、背後から声をかけられた。
「じゃあすい、楽しみにしてるね」
「っ、ぐ……」
注文の多い男がいなくなったというのは前言撤回。
やっぱり雅は注文の多い男だ。だけど、雅の注文に振り回されてしまう毎日も悪くないなんて思う自分もいる。
そうして、今日も俺は雅の注文に応えた。


