「巨大段ボール迷路やってまーす!」
「チョコバナナはいかがですかー?」
快晴の秋空の下、カラフルな装飾で彩られた学校。虹色の門を多くの来場者がくぐる。若者の明るい声があちこちから響き、校内には生徒だけではなく外部からの来場者も集まり賑わっていた。
そんな中、俺は一人虚ろな顔で立っていた。
「あ、受付はあちらです……」
枯葉が宙を舞って、俺の微かな声とともに静かに消えた。
そう、俺は一人、校門近くで警備案内係を行っていた。本当は担当ではなかったが、体調不良の生徒が出たみたいで、押しつけられてしまった。ああ、どうして俺は断れないんだろう。あのキラキラ陽キャ実行委員たちの中で暇なのは俺しかいなかったけどさ。そうして、くたびれた顔でパトロールをしていると、声をかけられた。
「すみません。ここに書いてある講堂ってどこですか」
耳にタコができるほど聞かれた質問だ。外部から来たであろう来場者はパンフレットを開き、渡してきた。ちょうど雅が出る劇のページである。講堂までの道を教えると、相手はそのまま返事もせず走り去ってしまった。パンフレットだけが手元に残され、呆然と立ち尽くす。そんなに雅の劇が観たいのか。まあ、急ぐ気持ちもわかる。もうかなりの来場者は講堂へ向かってるし、観覧席もあまり残っていないだろう。
周辺に人もだいぶ見えなくなり、警備の仕事もようやく落ち着いてきた。すると、奥から一人誰かが駆け寄ってくる。また劇目当ての客だろうか。身構えたが、俺の予想は外れた。
「冴木、お疲れ」
見慣れた塩谷の顔にほっと胸を撫で下ろす。
「塩谷もお疲れ。仕事終わったの?」
「うん。フランクフルトの在庫なくなってさ、店閉めることにしたんだ」
「え、もう?」
「そう。うちの学年で一番売れてるかも」
塩谷がドヤっと胸を張る。塩谷が着ているクラスTシャツに描かれたフランクフルトのイラストもどこか誇らしげに見えた。
「せっかくだし冴木に差し入れで一本持ってきたんだ」
「いいの? ありがとう」
塩谷からフランクフルトを受け取る。人も少なくなってきたし、せっかくだからもらっていいかな。一口かじると、皮がパリッとして美味しい。朝からずっと外にいたせいで冷えた体が温まる。食べながら話していると、塩谷が俺の手元のパンフレットに目をやった。
「それ、高瀬の劇のやつ? すごい人気だよな。さっきも講堂の方通りかかったけど、人の波に飲まれそうだったよ」
「すごいよね。さっきから俺も講堂に案内してほしいってよく言われる」
「冗談抜きで全校生徒観に行ってそう」
もう少しで劇が始まる時間だ。文化祭の目玉ということもあり、多くの人が講堂に集まっているだろう。
「冴木は行かなくていいのか? 俺、仕事代わるよ」
「大丈夫。そんなに観たいわけじゃないし」
不安の滲む瞳で、気遣わしげに見つめる塩谷に笑って返す。
本当は少し気になっていた。雅と美怜さんは、朝も放課後も劇の練習をしていた。きっと完成度の高い公演になるのだろう。だが、二人を見るとなぜか胸の奥に禍々しいものが生まれる。吐き出してしまいたいのに、それがなにかわからないからどうしようもない。だから、このままここで警備をしていた方が余計なことを考えずに済む。
「フランクフルト、ありがとう。塩谷は劇観に行かなくていいの?」
「俺は空いているうちにいろいろ食べに行こうかな」
「いいね。楽しんで」
手を振り、徐々に遠ざかる塩谷の背中を見つめる。フランクフルトを食べ終わり、再び警備に戻った。
一時間後、劇が終わったからか雅目当ての来場客が帰り、人がかなり減った。屋台の前の列も、食事時を過ぎて疎らになっている。警備の仕事も不要になったが、今度は物品の仕事が残っている。俺に文化祭を楽しむ権利はないんだろうか。まあそもそも仕事がなかったとしてもこの陽キャの群れの中ではどこにも行けず校舎裏で隠れるしかないだろうし、仕事をしていた方がいいかもしれない。
廊下を歩きながら倉庫へ向かう。すると、背後でなにやら騒ぎ声が聞こえた。やっと人が落ち着いたと思ったのに、どうしたんだろう。足を止めて様子をうかがうと突然腕を掴まれた。
「え!」
腕を引かれたまま、風を切るように連れ去られる。戸惑いながらその強い力に抗えず、走らされた。
なぜか目的の倉庫に連れ込まれ、やっと足が止まった。息を切らして肩で呼吸する。喉に血が粘りつくような感覚がした。全く運動しない陰キャにとってこんなダッシュは体に堪える。
激しく空気を吸い込みながら見上げると、目を見張った。氷のように冷たい眼差しで扉の向こうを見る雅が立っていた。
「み、みや」
名前を呼びかけたが、シーと雅は人差し指を立てた。息を潜めると、扉越しに誰かの話し声が聞こえる。
「高瀬王子どこ行ったー?」
「見失っちゃった……。絶対王子と写真撮りたい。他の教室見てこよ!」
乱れた足音が廊下の奥へと遠ざかっていく。息を殺して身を隠していると、足音が聞こえなくなった頃に、雅は小さく吐息を漏らした。
「ごめん。急に連れ出して。すいと早く会いたかったけど、さっきから人がうるさくて」
「い、いや全然」
雅の姿を見れば、人々が騒ぎ立てるのも理解できる。身にまとう中世ヨーロッパ風の衣装は、すらりと伸びた手足がよく映える。その姿はさながら王子のようだ。普段とは違い髪のサイドは耳許で丁寧に編み込まれていて、それもまた似合っている。
しかし、当の本人は、王子らしからぬ表情を浮かべていた。顔をしかめ、疲れ果てている様子だ。
「ほんと疲れる。劇が終わってからずっと追いかけ回されてるんだけど。美怜が呼びかけてたときはまだよかったのに」
「呼びかけ?」
「SNS拡散禁止って呼びかけてた。だけど、美怜がいなくなってからずっとこれ」
雅は呆れたように首を竦める。
「お疲れ様。でもいい人だね、美怜さん。優しいし、明るいし」
気さくな性格で、雅のことを心配してくれて良い人だな。雅ともお似合いだ。二人の和やかな姿を想像すると、チクリと胸が痛む。
美怜さんは俺にも明るく話しかけてくれるいい人なのに、また醜い感情が溢れてしまいそうで唇をぎゅっと噛む。ダメだ。どうしてこんな嫌な感情が芽生えてしまうのだろう。
「いい人? あいつ結構わがままだし人遣い荒いけど」
「俺にもフレンドリーに話してくれるし、いつも笑顔でいい人だと思うよ」
「すいはなに? あいつをそんなに気に入ってるわけ?」
雅の眼光が鋭くなる。まずい。変な誤解をされてるようだ。もし、雅が美怜さんの彼氏なら俺のセリフはさぞ不快に感じるに違いない。慌てて首を横に振り、弁解した。
「違う。その、俺は二人がお似合いだって思ってるし」
「は?」
ひえっ、思ってた反応と違う。名前で呼んだときみたいに照れ始めるのかと思ってたのに、地を這うような声が返ってきて身の毛がよだつ。
後退りして逃げようとしたが、それを阻むように雅が手を強く握る。眉を深く顰める雅の顔が近づき、鼻先が触れ合う距離まで迫ってきた。
「まさか、俺とあいつが付き合ってると思ってる?」
「え、いや、この前、二人が付き合ってるみたいな噂を聞いて。仲もいいし、もしかしてそうなのかなって」
「そんなわけない。美怜は他校に彼氏いるし」
その言葉を聞いた途端、今まで抱いていた胸の奥の霧が晴れたような感覚がする。肩の荷が降りたように、なぜだかほっとしてしまった。
なんだ。付き合ってないんだ。でも、それなら雅の好きな人って誰なんだろう。
「もう二度とそんな勘違いしないで」
余程勘違いされたくないのか釘をさしてきた。友達同士なのにそんな風に勘違いされたら嫌だろう。悪いことを聞いてしまった。
「ごめん」
「ううん。俺こそ、つい強く言いすぎた」
張り詰めていた怒気がゆっくりと消えていく。そして、俺は気を取り直して物品の仕事を始めた。各クラスに貸した物品が戻っているか数えるために、紙のリストを広げると、雅も紙を覗き込む。
「それ、実行委員の仕事?」
「うん」
「俺も手伝う」
「え、気にしなくていいよ。疲れただろうし」
「ううん。俺も実行委員だし。それに、いつも俺の仕事代わってくれたんでしょ? 俺もするよ」
雅の言葉に「ありがとう」と返し、作業に戻った。今まで一人でしていた作業とは違い、雅と雑談を交わしながら作業を進める。地味な仕事には変わりないが、いつもよりも時間の流れが早く感じた。
「今まで一人でこういうのしてたってこと? 俺、いつでも手伝うし、気遣わないでよかったのに」
「いや、雅大変そうだったからさ、俺は暇だしどうせ仕事がなくても一人でいただろうから」
自嘲気味に力なく笑う。
実行委員をしてなかったとしても、校内には塩谷しか友達がいない。塩谷はフランクフルトを焼くのに気合いを入れていたから、長い間一緒にまわることはできなかっただろうし。
「二人とも実行委員じゃなかったら、二人で文化祭回れたのに残念」
「雅は劇に出ないといけないし、実行委員じゃなくても遊ぶ暇なさそうじゃない?」
「まあね。もう二度と出たくない。周りが写真を撮りたいやら騒がしいし、全然休めなかった」
ゲッソリとした様子の雅に苦笑が零れる。余程疲れたようだ。もともと雅目当てのお客さんが外部からたくさん来るくらいだ。一日中注目を浴びたら疲れるのも当然だろう。
「似合ってるからね、その衣装。みんなが騒ぐ気持ちもちょっとわかる」
雅はその言葉を聞いた途端、目を輝かせた。
「ほんと? 撮る?」
「いや俺は大丈夫! 撮っても見せる相手いないし……」
自分で言ってて寂しくなる。SNSもしてないし、写真を撮っても俺のスマホの中に残るだけだろう。
雅はわずかに拗ねたように眉を顰めた。
「そう。すいがせっかく褒めてくれたのに」
「あはは……雅は誰かと写真撮ったりした?」
「してない。すいとは撮りたいな。今ちょうど時間あるし」
荷物を降ろして、ポケットの中に入っていたスマホを取り出す。
「俺と?」
「うん。文化祭の思い出になるし。でも、すいは制服だからあんまり文化祭らしくないね」
ずっと実行委員の仕事をしていたから、代わり映えしない制服のままだ。一応実行委員の腕章はつけているが写真映えしない。すると、雅はなにを思いついたのか、袋に入っていたヴェールを俺に被せた。視界が淡い白に染まる。
「え、なんでこれ」
「文化祭っぽいし、いいかなって。似合ってるよ」
「絶対似合ってないよ」
鏡を見なくとも不似合いだとわかる。これなら外した方がマシだと思うが、雅はそのままスマホを前に掲げる。
「すい、撮るよ」
胸元でピースサインを作った瞬間、シャッターが切られた。雅は満足そうにスマホを覗く。
「いいね。待ち受けにする」
「え、また? 遊園地のときの写真もしてなかった?」
「あれはホーム画面。こっちはロック画面にする」
「そんなに俺ばっかりだったら飽きない?」
「飽きない。このヴェールも似合ってるし」
雅は写真を早速スマホの待ち受けに設定しようとスマホを操作している。恥ずかしいからやめてと言おうか迷う。でも、画面を眺めながら嬉しそうにしている雅を見ていると、口を開けなかった。SNSに載せるわけでもないし、待ち受けくらいなら……いいかな。
そして、雅は設定を終えると顔を上げた。
「すいと劇も一緒にしたかったな」
「同じクラスだったらよかったね。でも俺、演技力ないしたぶん役もらえても村人Cとかだと思う」
「それなら俺も村人になろうかな」
こんな美形が村人だったら浮くだろ。俺と並んで平凡な衣装を着て演じている雅の姿を想像してみると、笑みが漏れてしまう。それはそれでおもしろそうだけど、雅に似合うのは今の役だ。
「雅は王子だよ」
「そう?」
「うん。劇、絶対似合ってたと思う。俺も、ちょっと観たかったな」
雅があんなに練習していた劇。これだけ衣装も似合っているならば、ステージ上で演じている姿を見たら圧巻だっただろう。美怜さんとの関係でなんだか観に行く気持ちにはなれなかったが、誤解も解けて気になってしまった。
俺の零した言葉に、雅は目を細めた。
「観せようか、ここで」
「え、いいの?」
「うん俺も、すいに観せたい」
雅は、その場で跪いた。こんなところで跪いたら衣装が汚れてしまうのではないか。口を開こうとしたが、驚きで声が引っ込んだ。
雅が俺の手を取り、甲に唇を落としたからだ。
な、急になにをするんだ! 他人の唇なんて触れたことなかったのに、衝撃で口を開閉する。手を引っ込めようとしたが、雅は決して離さず、そのまま俺の手の甲に自身の額を載せた。
「愛してる。あなたがわたしを見てくれなくても、わたしの中は常にあなたで満たされている」
顔を上げ、俺の目をまっすぐ見る。切なげに細められた瞳に吸い込まれそうになった。
「一生、あなたを愛することを誓います。わたしと、一生を共にしてくれませんか」
低く静かな、揺るぎない声。まるで本当に言われてるようだった。物語に入り込んだような、ここが倉庫じゃないみたいだ。
魅入られたように立ち尽くしていると、轟音が響く。雅の背後にある窓の向こうに大輪の花が咲いていた。夜空を彩る鮮やかな光が、こちらを照らす。文化祭の終わりを知らせる花火だ。破裂するような音が続けて鳴る。
ただでさえ物語の王子のような風貌の雅と花火が相まって、幻想的な美しさだ。その姿に目を奪われ、頬が熱を持つ。
しかし、現実だと告げるように鼓膜に爆音が響く。俺は慌てて口を開いた。
「す、すごいね。かっこよかった」
「ほんと? ドキドキした?」
「うん。演技じゃなくて、本物の王子みたい」
「ありがとう。本当は劇も観に来てもらいたかったから、すいに喜んでもらえてよかった」
雅は柔らかく微笑む。この暗い倉庫の中でこれだけかっこいいのだ。舞台上の雅を見たらもっと心に刻まれただろう。美怜さんとのモヤモヤで意地を張らずに観に行けばよかった。来年は観れるかな。でも、二度と劇は出たくないと言ってたし、もうダメか。それなら今度は二人で文化祭をまわれたら、なんて。そんなことを考えていると、俺の心が読まれていたように雅が言葉を口にした。
「来年は一緒に文化祭回りたいね」
「お、俺も。同じこと思ってた」
目を見開き、こくこくと頷く。こんな偶然みたいなことあるんだ。だけど、本当に来年一緒にいてくれるのかな。俺よりも、もっと雅に仲良い人ができたら、雅に釣り合う人が現れたら。不安が襲いかかり、悪い未来ばかりが頭に浮かぶ。
すると、不意にヴェールを外された。鼻が触れそうなくらい近い距離で、雅は優しく包み込むような声色で告げた。
「これからも、ずっと一緒に思い出増やそう」
その言葉と同時に、最も大きな花火が夜空で弾けた。だが、花火が霞むほど雅の瞳から目が離せない。
「花火、もう少しだけ見てから帰ろっか」
「う、うん」
そして、雅は俺から離れ窓へ視線を移す。俺も雅の隣に並び、花火を眺めた。大きな花火が次々と打ち上げられるが、雅の言葉が頭を埋め尽くす。『ずっと一緒に』か。いつもだったらすぐに無理だと諦めていただろう。だけど、なぜだか希望が湧いてくる。雅となら、叶うかもしれない。雅は一度も俺を裏切らないし、いつも優しくて、真っ直ぐで。
隣に立つ雅の顔へこっそり視線を移すと、目が合った。なんで俺を見ているんだ。花火を見たらいいのに。視線を逸らすと、雅はぽつりと呟いた。
「すい、可愛い」
「えっ!? なに言って……」
「顔真っ赤」
「っ、俺のことはいいから、花火見て」
顔が熱い。まるで自分にまで花火の熱気が移ったみたいだ。手で扇ぎながら窓の外を見るが、やっぱり集中できない。胸はずっと花火の轟音に揺さぶられてばかり。
そうしてざわめきは消えないまま、文化祭は幕を降ろした。


