俺にだけ注文の多い客から逃げられない


 食堂前。いつもと同じように壁に背中を預けたまま、なかなか姿を現さない雅を待つ。どうしたんだろう。人混みの中、雅が見えなくて不安が募る。すると、キツネのストラップが視界に入った。雅、来たのかな。思わず胸が高鳴るが、全く違う人で慌ててうつむく。危ない。全然違う人に声をかけるところだった。羞恥と落胆が心を埋める。

 最近、雅のことでやけに感情が揺さぶられる。どうしたんだろ、俺。雅の言葉や態度で一喜一憂してしまう。こんなこと、今まで他の人で思ったことなかった。ぎゅっと裾を握ると、雅の名前が耳に入り顔を上げる。

「高瀬くん、文化祭の劇で王子役なんだって!」
「うっそ、リアル王子じゃん! そういうのやってくれなさそうなのに意外なんだけど」
「クラスの投票で決めたんだって」

 文化祭。その単語に俺は顔を歪めてしまう。最近、校内はもうすぐ開催される文化祭のことで喧騒に包まれている。文化祭は多くの生徒が楽しみにしているイベントだ。今日も総合の時間では文化祭の話し合いで、どんな出し物をするか盛り上がっていた。その浮つく空気の中、俺は一人鬱々としていた。原因はただ一つ。文化祭実行委員になってしまったからだ。
 文化祭実行委員なんて一番忙しい仕事だ。企画立案、物品手配、警備などやることが多くて大変。今日だってみんなの提案をおろおろしながら聞いて黒板に書いていた。最初は無難な提案しか出てこなかったのに、途中からふざけた提案ばかり出てきて大変だった。ボディービル大会とか漫才コンテストとか、そんなの絶対にしたくない!

 『みんなで今日から筋トレだな』『実行委員、俺たちをマッチョに鍛えてくれ』なんて言いながら、陽キャたちはポージングの案を考えていたが、もっとまともな案を出して欲しい。俺の貧相な体を晒してどんな掛け声がくるやら。もやしが揺られてる、とか? 絶対黒歴史になってしまう。

 結局、なんとか陽キャたちをなだめて投票で決めることになった。投票の結果、無難にフランクフルト屋に決定した。フランクフルト屋に投票した生徒らに拍手を送りたくなった。奮闘している俺に比べて、雅は劇で王子様ですか。なんてきらびやかな学校生活なんだろう。俺には眩しすぎる。そんな校内でも話題の男が、遠くから駆け寄ってきた。

「すい、遅れてごめん。行こう」

 王子に選ばれ、さぞかし華やかな雰囲気をまとって登場するかと思いきや、今日は珍しく汗をかき、なんだか疲れている様子だ。どうしたんだろう。不思議に思いながらもご飯を食べていると、雅はため息を吐くように不満を漏らした。

「文化祭、もうちょっとだね。早く終わったらいいのに」
「雅がそう言うなんて、意外だね」

 てっきりイベントとか好きなタイプかと思っていた。陽キャだし、王子役に抜擢されたようだから楽しい文化祭になりそうだけど。雅はカレーをスプーンですくうが、なかなか口へ運ばない。顔をしかめたまま、スプーンを見つめ、ぽつりと言葉をこぼす。

「劇に出ることになって、憂鬱」
「あ、聞いた。王子役に抜擢されたんだって」
「そう。辞退したいのに」

 雅は、スプーンを皿の上に置き、頬杖をついた。

「でもそんな大役に選ばれるなんてすごいよ」
「すごくない。誰もやりたくないから俺に押しつけるんじゃない?」

 それは絶対ありえない。みんなあなたの王子姿を見たいんですよ。

「すいはなにかするの?」

 雅の言葉に肩を落とす。憂鬱すぎて口が上手く開かない。俺は蚊の鳴くような声を出した。

「ぶ、んかさい、実行委員……」

 俺の言葉を聞き、雅は目を見開く。そりゃあそうだ。

「すいが自分からなったの?」
「いや、クラスのくじ引きで当たっちゃって……俺、向いてないし知り合いもいないし」

 不安で声が徐々に小さくなる。なんでこんなところでくじ運を発揮してしまったのか。雅と二人してどんよりとした空気になる。

「実行委員か……。すいのクラスは、出し物なにするの?」
「フランクフルト屋」
「いいね」
「途中までボディービル大会とかになりそうだったけど、無事フランクフルト屋に落ち着いてよかった」

 その言葉を聞くと、沈んだ表情の雅が吹き出した。まあ、ボディービル大会を文化祭でやるやつらなんて、聞いたことないから当然の反応だ。

「フランクフルト屋でよかったね」
「ほんとに。もし投票でボディービル大会が勝ったら、大変だった」
「たしかに。すいの大事な体を誰かに見せたくないもんね」

 別に大事でもないが、もやしボディーを晒したら一生ネタにされそうだ。

「他はどんな候補が出てたの?」
「漫才コンテストとか、ダンスとか」
「よくその候補でフランクフルト屋になったね」
「だよね。フランクフルト屋でよかった。変わった案ばっかり出てたから、どうしようかと思った」

 もう俺は陽キャのノリについていける気がしない。この先、実行委員の仕事が俺に務まるのかな。

 いつもよりも箸を動かす手が動かない。そんな中、雅は口を閉ざしたまま、じっと俺を見つめた。普段ならなにかしら雅を気にかけたかもしれないが、文化祭実行委員のことで頭がいっぱいな俺は、全く雅のことなど気にしていなかった。
 放課後。いつもはバイトをするか家へ帰るかの二択しかない。しかし、今日は新たな選択肢が現れた。文化祭実行委員の打ち合わせがあるのだ。文化祭まで週一で多目的室で集まるらしい。

 俺は存在感を消して、人の少ない前列の席へひっそりと腰掛けた。机に突っ伏し先生が現れるのを待っていると、背中をトントンと叩かれる。顔を上げると、そこにはなぜか雅がいた。

「すい、眠いの?」
「えっ、な、なんでここに」
「俺も実行委員になった」

 まさかの言葉に目を剥いた。全く知らなかった。昼食のときはなにも言ってなかったのに。

「雅も選ばれたの?」
「ううん、もともと実行委員だった人が辞退したから欠員募集でなりたいって言った」
「辞退できるの? 俺もすればよかった」
「部活のコンクールで忙しいとか、ちゃんとした理由じゃないと無理だよ」

 その言葉を聞き肩を落とす。まあそうだよな。それにしても、実行委員に自らなるなんて変わった男だ。もしかして俺が実行委員で不安になってたから? いや、自意識過剰かな……。そのまま雅と話していると、先生が現れて室内のざわめきは静まる。役割決めを行い、無事俺と雅は二人で物品の担当となった。

 俺たちの初業務は、各クラスに必要な備品を確認するアンケートを渡すことだ。俺たちの担当は同じ二年のクラスである。物品なら人と関わりが少ない役割だと思ったが、早速コミュ力を試される仕事が始まってしまった。だが、隣には雅がいる。俺とは違って陽キャだし、知り合いが多いから心強い。なんとかなるだろう。

 しかし俺の思いとは裏腹に、雅がいることによって大変な状況になってしまった。

「すみません、文化祭実行委員のアンケートなんですけど」

 雅が教室の入口で話しかける。たったその一言だけで、教室内はまるで嵐のような騒ぎになった。俺たちの方へ生徒が押し寄せるように駆け寄ってきたので、慌ててアンケートを置き、その場から逃げ出した。廊下を走り、人目のないところまで着くと、ようやく息をつく。

「す、すごい……雅ってほんと人気者なんだ」
「さあ」

 雅はそっけなく肩を竦める。けれど、さっきの教室で女子たちに囲まれていた様子を思い出すと、とても『さあ』で済む話ではない。

「次はまだ静かだよ」
「どうして?」
「俺のクラスだから」

 なるほど。すでに雅に耐性がついている人しかいないからか。

「思ってたより普通科とは離れてるんだ」
「棟が違うからね。内観はほぼ一緒だけど」
「なんか初めて行くし、緊張してきた」
「全然怖がらなくていいよ。なにかあったら俺が守ってあげる」

 微笑む雅に緊張が少し和らぐ。なにから守ってくれるんだ、とツッコミたいところだが、いつもの冗談がなんだか落ち着く。そんな会話を交わしながら歩いていると、いつの間にか特進科に辿り着いていた。

 雅が教室の前に現れても、今までのような騒ぎは起こらず、一人の女子生徒が平然と近づいてきた。明るい腰まで伸びた亜麻色の髪が、歩くたびに揺れる。

「雅、どしたの?」
「文化祭のアンケート、配っといて」
「おけ。あ、ひすぴじゃん。やほー」

 ひすぴ? 糸を手繰るように過去の記憶を辿っていると、ふと思い出した。初めて雅と電車で会った日、雅と一緒にいた美怜みたいな名前の子だ。慌てて頭を下げると、目の前の彼女は気にしていないのか、目を細めて楽しそうに笑う。

「ウケる。相変わらず雅と仲良いんだね。てか雅、台本合わせいつからする? 今日も忙しいの?」
「あー、明日の放課後とかなら」

 会話に入れない俺に気づいた美怜さんは説明してくれた。

「美怜のクラス、文化祭で劇やるんだけどさ、雅が王子で美怜が姫なの。それで衣装をネットで探しててさぁ、どれがいいと思う?」

 そう言ってジャラジャラとストラップがついているギャルっぽいスマホを近づけてきた。スマホの画面には淡いピンクのドレスとミント色のドレスが映っている。とりあえず、直感で気に入った方を指さす。

「ぴ、ピンクで」
「マジ? 美怜もピンクいいなーって思ってたんだよね。雅に聞いても『どうでもいい』しか言わないからガチで頼りにならなくてさぁ」

 美怜さんはムッと頬をふくらませる。雅が興味のあるものといえばマッツとキツネくんくらいだろうか。そう言う俺も正直ファッションはさっぱりわからない。だからなんとなくで選んだが、彼女の好みに合ってよかった。美怜さんの笑みを見てほっとしていると、雅が教室の扉に手をかけた。

「美怜、もう行くから」
「あ、そっか。じゃあ二人ともまたねー」

 ヒラリと手を振る美怜さんに俺たちも手を振って別れた。

 その後も、なんとかアンケートを配り続け、無事全て配り終えた。最後のクラスを出ると、廊下はすっかり夕焼け色に照らされていた。

「やっと終わった……」
「お疲れ」
「雅もお疲れ。てかほとんど雅に話してもらったしごめん」
「すいと一緒にいれるし、別に気にしてない」

 雅は首を横に振るが、雅の方が俺よりも大変だっただろうに申し訳ない。女子に追いかけ回される上、ペアの俺は頼りない。今日の帰りはお礼になにか奢ってあげようかな。そんなことを考えていると、突然爆弾のような言葉が落とされた。

「これからあんまり会えないから」

 雅はそう言って視線を落とす。

 どうして、会えないんだろう。まるで底のない穴に落ちたように視界が暗く沈んでいく。

「劇の練習で放課後も朝も時間が合わなくなるからさ。本当はすいといたいけど」

 その言葉を聞いた直後、全身の力が抜けた。……なんだ。じゃあ、俺が嫌っていうわけじゃないんだ。安堵が静かに胸を満たしていく。それと同時に、自分がここまで雅といることに固執していたことを自覚した。

「そっか。頑張って」

 口ではそう言っても、俺の胸のざわつきは収まらなかった。





 それから、雅といる時間は驚くほど減った。劇の練習が始まり、朝と放課後は会わないし、昼食の時間にたまに顔を合わせるくらいだ。
 雅は劇の主演だから出番も多く衣装合わせもある。それに加えて実行委員もしているから、かなり忙しそうだ。
 だから、少しでも雅の力になれるように、雅には内緒で実行委員の仕事を代わりに引き受けている。さすがにこの状態の雅にさらに仕事を押しつけるような真似はできない。

「冴木さん、これよろしくお願いね」

 そうして今日も先生から雑務を押しつけられた。最初は雅の代わりにしてただけなのに、雑用を断らない使い勝手のいい男だと思われてポンポン仕事を渡されるようになっていた。
 断れない俺は今日も一人で資料を倉庫へ運びに向かった。
 廊下を歩いていると、特進科のクラスプレートが視界に映る。無意識に教室の中を見ると、雅の姿と、ティアラをつけた美怜さんの姿が目に留まる。二人とも息を呑むほど整った顔立ちの美男美女だ。まるで映画のワンシーンを観ているような気持ちになる。

 すると、同じように廊下から二人を眺める生徒たちの声が後ろから聞こえた。

「高瀬王子ほんとイケメン。付き合いたーい」
「わかるー。でも美怜ちゃんと付き合ってるんじゃなかった?」
「そんなことないよ! 恋人いるって聞いてないし」
「わたし噂で付き合ってるって聞いたよ。最近ずっと一緒にいるし、距離もなんか近くない? 絶対付き合ってるって」

 足が止まった。すぐ後ろにいるはずなのに、彼女らの会話の音が遠くなる。耳鳴りのような砂嵐が鼓膜に響いた。
 呆然と立ち尽くす俺の様子に気づいて、後ろの女子たちが戸惑っている。声をかけられてようやく意識を取り戻した。
 俺は咄嗟に頭を下げて倉庫に駆け込んだ。扉を閉めると、荒い息だけが静かな部屋に響く。壁に項垂れて、大きく息を吐いた。

「……お似合い、だよな。まあ、もともと俺と住む世界違うし。今までがおかしかっただけ」

 まるで自分に言い聞かせるような独り言が漏れる。
 そうだ。今までがおかしかった。雅の周りは輝いている人ばかりで俺みたいなやつがいるのが異常だ。
 それなのに、雅の隣にいることがいつからか日常に変わっていた。まるで自分が雅の特別になったような幻覚に浸っていた。
 耳障りな鼓動が鼓膜を揺らす。
 どうして俺はいつも付け上がってしまうんだろ。俺は日陰で生きるべき人間なのに、自分も日向に行きたいなんて。胸元をぎゅっと押さえ、息を整えてから書類を置いた。

 そうして、鈍い足取りでバイトへ向かった。雅や美怜さんのこと、今はなにも考えたくなくて、とにかく無心でバイトをこなす。

「いらっしゃいませー」

 クレーマーも、機械トラブルもなにもなく、平和だ。客の数もいつもより少なく、注文の多い客もいない。穏やかでこれ以上ない環境だ。それなのに、なぜか心が満たされない。無心になろうとしてもどこか上の空なままレジで立っていると、お客さんが俺の前へ現れた。いけない。しっかりしろ、俺。そう奮い立たせて前を向くと、まさかの人物がいた。

「ナゲット、ケチャップで!」
「かしこまりました……って、ま、誠?」

 茶髪を揺らし、ニッと白い歯を見せて笑う。まるでいたずらが成功した子どものように。俺はパチパチと目を瞬かせた。

「なんでここに」
「マッツ食いたくなったし、ちょっと話したくてさ。今日は雅いねえの?」
「いないけど」
「そっか。ちょうどよかったかも。バイト終わったら一緒に家帰ろうぜ」

 本音を言うなら、一人で帰りたかった。雅のことで心が沈み、気力が湧かない。でもバイト先まで来てくれたし、せっかく誘ってくれているのだ。俺が頷いたのを見ると、誠は笑みを浮かべたまま席へ戻っていった。その背中を見送り、俺も仕事に戻った。

 誠もいるし下手な場面は見せられない。仕事に集中しようとするが、雅のことが頭に浮かんでしまう。ああ、今日の俺はどうしたんだろう。少しでも気を紛らわすために、ごみ捨てやトイレ掃除をしていると店長に声をかけられた。

「冴木くん、今日よく掃除するね」
「あ、はい。ちょっと手空いてて」
「えらいねー」

 そう言われて視線が泳ぐ。軽く頭を下げるが、内心は素直に喜べないもやもやがわだかまる。善意でやったわけじゃないから、褒められるほどのことではない。

「でも、もうシフトの時間終わってるし帰ったら?」
「え、もうそんな時間ですか」
「そうそう。早く帰って体休めないと」
「はい。ありがとうございます」

 お先に失礼します、と店長にまた頭を下げて更衣室へ急いで向かった。誠を待たせているし早く着替えないと。バイト先の制服を脱ぎ捨てるように着替え、誠の元へ足早に近寄った。

「お疲れ、帰ろうぜ」
「うん」

 いつもは雅と歩いている道。隣にいるのは誠で、新鮮な気持ちだ。誠は新しい話題をポンポン出してきて、ケラケラ笑う。普段なら誠の話を聞けば笑みが溢れるだろうが、胸の奥に黒い澱が溜まっていくばかり。そんな俺の様子に気づいたのか、誠は俺の顔を覗いてきた。

「日翠、疲れた? なんかあった?」

 誠は心配そうに瞳孔を揺らす。俺は慌てて首を振った。

「ごめん。なにもないから気にしないで」
「……俺、鈍感だからさぁ、あんまり気づいてやれねえんだ」

 ぽつりと呟いた。どこか遠くを見るような目に、俺は目を瞬く。誠は、ゆっくり口を開いた。

「あのときも、日翠がつらい思いしてるって全然気づかなくてさ、ごめん」
「あのときって……」
「小三の頃さ、聞いてただろ。あいつらの話」

 深く言われなくても、あの日の記憶が鮮明に蘇った。まさかその話を誠から切り出されるとは予想もしていなかった。だからどう反応すべきかわからず言葉を失った。

「あいつらにはあのあと、日翠を馬鹿にするなって怒った。でもさ、日翠が傷ついたことは変えられねえもんな」
「俺が聞いてたの、知ってたんだ」
「うん。教室の扉の隙間からこっちを見てる日翠と目が合って、気づいた」

 誠は目を伏せる。俺も、気まずくて誠の顔が見られなかった。

「日翠がそれを聞いていても聞いてなくても、あんなこと言うのは最低だ。傷つけたよな。ごめん」

 ほんと、ごめん。そう繰り返して、誠は深く頭を下げた。重い沈黙に包まれる。俺は頭が真っ白になって立ち尽くした。

 違う。悪いのは誠じゃない。誠は一度も約束を破ったりなんてしなかった。むしろいつだって俺の腕を引いてくれた。それに今知ったが、俺の悪口を言ってた連中に怒ってまでくれていた。悪いのは、誠の周りにいた連中だ。そして、誠と釣り合わないくせに、一緒にいた俺。だから、誠はなにも悪くない。 

「誠はなにも悪くないって。頭上げてよ」
「でも俺、ずっと嫌がらせに気づいてやれなかった。日翠に謝りに行こうとしても、なんかタイミング合わねえし」

 ぎくり、と肩が揺れる。それはきっと俺が避けてたからだろう。一緒にいてつまらないと言われてるなら関わらない方がいいと、存在感を消していた。誠となるべく顔を合わせたくなくて、登校や下校の時間もわざとずらしていたのを思い出す。

「俺だって、あの日陰口を聞くまでみんなに嫌がられてるって気づかなかったんだ。だから気にしないで」
「そんなことないだろ。日翠に嘘ついてたらしいじゃん。俺が遊びに誘ったのに、わざと集合場所として別の場所を教えたり」
「確かに約束をしたのに誰も来ないから変だとは思ったけど、俺が集合場所聞き間違ったのかなって」
「日翠、意外と鈍感だな」

 誠は俺の話を聞き、少しだけ気力を取り戻したようだった。だが、その表情は晴れない。深く項垂れ、後悔を吐き出すように叫んだ。

「あー、もっと早く気づけばよかったのに、ほんとごめん!」
「いいって。俺がつまらないのも本当のことだったしさ。でも、最近は本当に気にしてないんだよ。雅に会ってから」

 雅という名前を耳にした瞬間、誠は口を閉じる。そしてきょろきょろと周囲を見渡した。

「そういえば今日雅いないけど、喧嘩したのか?」
「そういうわけじゃないけど」
「もし、雅になにか嫌なこと言われたら今度は助けるから!」

 大袈裟に心配をする誠の様子に、思わず笑みが零れた。昔と変わらないその優しさがくすぐったくて温かい。

「大丈夫。むしろ、俺と話すのが楽しいって言ってくれてさ……だから雅とは大丈夫」

 噛み締めるように呟く。その言葉を聞いた誠は、いつもの笑顔に戻った。太陽のように輝くその笑顔は、いつにも増して眩しく見えた。

「そっか、確かに日翠って雅といるときいつもなんか嬉しそうだもんな」
「そ、そう?」

 塩谷にも同じようなことを言われた気がする。周りから見ると俺ってそんなに雅の前では態度が変わるのかな。

「うん。二人いつも一緒だし」
「確かに。最近は文化祭でバタバタしててあんまり会えないけど」 

 胸がチクリと痛む。少し会えないだけでこんなに気分が落ち込むなんて、おかしい。今までこんなことはなかったのに。それだけ雅が俺にとって大きな存在だったんだ。

 誠は、らしくない俺の様子にニッと目を細めた。

「もしかして寂しい?」

 いつもの俺ならば『違う』と返しただろう。だが、今日は気がゆるんでいた。誠とのわだかまりが消えて少しほっとしていた。だから、胸の奥にしまっていた本音が、そのまま口から落ちてしまった。

「……そうかも。俺以外の人の方が雅と釣り合ってるし、俺ばっかりが雅と話してて楽しいと思ってるのかなって」
「でも雅は日翠と話すのが楽しいって言ってたんだろ?」

 こくりと頷く。確かに、言っていた。雅は嘘をつくようには見えないし、それはきっと本心だ。だけど、雅の周りには他にたくさんの魅力的な人がいる。俺は、思わず弱音を零した。

「俺ばっかり雅のこと好きみたい」

 小さく、言葉が落ちた。その直後、反射的に口を押さえる。それと同時に手に持つかばんもぼとりと地面に落ちた。

「日翠、大丈夫?」
「あ、いや、なにもない!」

 ぶんぶん首を横に振り、かばんを拾う。誠はそのままいつものように雑談を始めた。俺の言葉が聞かれていないようでほっと息をつく。俺、今なに言ったんだ。雅のことが好きって、ど、どういう意味で……。熱くなる頬を叩くように冷たい風が吹く。徐々に、思考の熱も冷めてきた。

 落ち着け、俺。雅にとって俺はただの友達。そして俺はその友達の中でも冴えなくておもしろ味のない男。それなのに、こんな風に雅のことを意識したらダメだ。今までみたいに友達のように過ごしていたことが、そもそも奇跡みたいなのに、それ以上を求めるなんておこがましいにもほどがある。

 そうして、昔と同じように俺は自分の気持ちに蓋をした。