俺にだけ注文の多い客から逃げられない


 約束の土曜日になったものの、朝七時。俺は鏡の前で頭を悩ませていた。

 服って、なにを着たらいいんだ……。

 さすがに家の中で着ているようなダボダボの服だとダメだし、あんまり張り切りすぎた格好をしても逆にダサいし。わ、わからない……。なにが最適解なんだ。塩谷とは休日遊ぶことなんて全然なかったし、どうしたらいいのかさっぱりわからない。

 クローゼットからわずかな服を取り出して、あれでもないこれでもないと悩み続けた結果、無難な無地のTシャツの上に濃紺のカーディガンを羽織った。

 そして、約束していた遊園地の前へ向かうと、すでに高瀬が立っていた。待つのが好きだと言うだけあって、必ず約束の時間前に着いている。寂れた遊園地ではすらりとした長身が一際目立ち、周囲の人々の視線が集中している。

 この注目の中に近寄るなんて嫌すぎる。ていうか当の本人はよく素知らぬ顔でスマホいじれるよな。

 近くの草むらに隠れて声をかけるタイミングを見計らう。どうしよう。正面から突っ切る自信もないし、スマホで呼び出そうかな。胸元に入れていたスマホを取り出して、LIMEの画面を開く。文字を打っていると、突然スマホが震えた。急な振動に驚いてスマホを地面に落としてしまった。慌てて拾うと、視界が影に覆われる。見上げると、にんまり笑みを浮かべた高瀬がいた。

「すい、見つけた。隠れるの、下手だね」

 心臓が大きく跳ねると同時に、スマホの振動も止まった。

「わっ、遅れてごめん」
「ううん。すぐ見つかってよかった」

 高瀬は首を横に振ると、なぜか俺をじーっと見つめる。な、なにかあったのか? 恐る恐る首を傾げて問いかけた。

「な、なに?」
「ん? 私服のすい珍しくて。可愛いね」
「可愛い?」

 思わずおうむ返ししてしまった。

 無難な服を着たはずなのに、可愛いだなんて、幼稚ってこと? からかってるのか。

「いつものマッツの制服も、学校の制服もいいけど、雰囲気変わるよね」
「そうかな」
「どれも似合ってるけど、私服が一番いいね」

 大袈裟に褒められて顔が熱くなってしまう。いちいち動揺してしまい、なんだか恥ずかしい。

 入口の大きな門を抜けると、こぢんまりとしたアトラクションがいくつかある。塗装が剥がれていたりして、かなり昔に作られたものばかり。

 傍観する俺に比べて、高瀬はまるで子どものように目を輝かせて俺に話しかけてきた。

「見て、あそこにキツネくんがいる」
「キツネくん?」

 なに言ってるんだ、と思いながら高瀬の指さす方向へ視線を移す。そこには高瀬が大事にしているストラップの着ぐるみがいた。いつものにんまりとした笑みを浮かべながら、ふわふわのしっぽを揺らしている。右手には風船を持ち、もう一方では子どもたちに手を振っていた。高瀬のストラップを見ていたからか、全然詳しくないのになぜか親近感を抱いてしまう。俺でさえこう思うのだから、常にキツネくんを見ている高瀬はもっと感動しているだろう。

「あのさ、写真、せっかくだし撮ってあげようか?」
「いいの?」

 高瀬の期待に満ちた眼差しに、俺は少し戸惑いつつ頷く。スマホにつけるくらいだし、そんなに好きなら記念に撮っておくべきだ。あんまり写真を撮るのは慣れてないから、期待に応えられるかは不安だけど。

 キツネくんはちょうど子どもたちの相手を終えて、俺たちに近づいてきた。撮るなら今のうちだ。

「じゃあ撮るね」

 スマホを取り出そうとしたが、高瀬が俺の腰に腕を回す。

「二人で撮ってもらおう」
「ええっ、俺は遠慮しとく」
「お願い。思い出になるし」

 そこまで頼まれたら断れない。写真を一枚撮るだけだし、早く終わらせよう。キツネくんは快く両手を広げ、俺たちを抱き寄せてくる。

 そして、遊園地のスタッフさんがカウントすると同時に笑顔を作った。高瀬はスタッフさんからスマホを受け取り、写真を見る。

「いいね」
「どんな感じ?」
「これ」

 高瀬の横からスマホの画面を覗く。うわ、高瀬の隣に並んだら顔面の格差が結構目立っている。こいつ、顔が小さすぎる。あまり直視したくない現実だ。そっと写真から視線を外すと、高瀬が口を開いた。

「帰ったら写真送るよ」
「あ、ありがとう」
「じゃあ、なにから乗る? コーヒーカップ?」

 どうしてこんな嬉しそうなんだ。もしかして、遊園地マニア? 不思議に思いながらも俺は素直に提案に乗った。

 円を描くように並ぶカラフルなコーヒーカップ。とりあえず手前のものに乗り、高瀬と向かい合わせになったが、これ、どんな絵面なんだ。男子高校生二人が可愛らしいアトラクションに乗るところなんて見たことないし、しかもイケメンと地味男なんてな。

 周囲に知り合いがいないかちらちらと視線を飛ばしていると、高瀬が口を開いた。

「奥にいる子ども、キツネのカチューシャ着けてる」
「ほんとだ。可愛いね」
「すいも着ける?」
「嫌だよ」

 間髪入れずに断るが、高瀬はなかなか諦めてくれない。「絶対可愛いのに」なんて高瀬の呟きが耳に入るが、きっとからかっているに違いない。俺がここであんなファンシーなカチューシャを着けるなんて、想像するだけで地獄絵図だと思う。俺よりも高瀬の方が似合いそうだ。

 高瀬のカチューシャ姿を想像していると、突然体がガタンと揺れた。ポップなメロディーに合わせて、踊るようにコーヒーカップが動き始める。

 ゆったり回り始めたかと思いきや、突然高速で回転し始めた。体が激しく揺れ、慌ててコーヒーカップの縁にしがみつく。

 な、なにが起きた!?

 驚いて目を見開くと高瀬の姿が目に入った。なんと、中央のハンドルをすごい勢いで回しているのだ。

 おまえかよ! 陽キャ特有の遊び方なのか? うぇーい!ってふざけて高速回転するやつだろうか。俺が苦手なタイプだ。視界がぐるぐる回りながらも、必死に口を開いた。

「た、高瀬! やめろ!」
「え、すい楽しくない?」
「目が回って、ちょっともう、俺が回す」

 強引に高瀬の手を離して、俺がハンドルを占領した。こんな強引な真似はしたくないが、身の安全のためである。

 俺の見事なハンドル捌きのおかげで無事ゆったりと過ごせて、音楽が止んで終わった。ほっとしたのも束の間。高瀬は一つの方向へ指を差して、笑みを浮かべた。

「楽しかったね。今度はあれ乗ろう」
「え、ジェットコースター!?」

 また心労が激しそうなものだ。空を切るように走るジェットコースターが目に入る。思わず顔をしかめてしまった。子ども向けのジェットコースターみたいだけど、弱音がぽろりと口から零れる。

「俺、ちょっと自信ない」
「大丈夫。俺が守るよ」

 守るってなにからだよ。

 俺の腕を引きながら待機列へ向かう高瀬に対して、ゲッソリとした顔でついて行った。

 安全バーを下ろすとドキドキしてきた。生唾を呑むと、高瀬が顔を寄せてくる。

「楽しみだね」

 高瀬がそう微笑む。なにか言葉を返そうと口を開きかけたが、コースターが動き始め口を閉じた。ガタン、ガタン、と頼りない音を立てながらゆっくりレールを進んでいく。

 滑り落ちるときが怖いが、この時間もなんだかドキドキする。前をまっすぐ見て集中していると、ふと耳許で囁かれた。

「途中で止まったらどうする?」
「怖いこと言わ、ぐわあっ!」

 突然体が真下へ落下した。喉の奥から思わず短い悲鳴が漏れる。冷たい風に顔を叩きつけられ、髪が後ろへ走る。ジェットコースターはそのまま滑るようにゴールへ走っていき、急に動きが止まった。

 ジェットコースターは終わったというのに、未だに衝撃が抜けない。

 び、びっくりした……。子ども用だと思って舐めたらとんでもなかった。高瀬の前で変な声が出てしまったし最悪すぎる。乱れた髪の毛を押さえながら、おずおずと高瀬の顔を見る。

 笑いを堪えようと、頬をふくらませる姿が目に入った。

「ふ、ふふ、すい可愛いね」
「可愛いって、ば、馬鹿にしてるだろ!」
「してない。すごい顔してたけど、可愛かった」

 思わず反抗的な態度をとったが、高瀬は全く気にせず、むしろさらに煽るようなことを言ってきた。わなわなと体が震えてしまうが、我慢だ。ここでまた言い返したらもっと可愛いなどと言って馬鹿にしてくるに違いない。俺は顔を真っ赤にしながらもそっぽを向いた。

 その後も高瀬はノンストップでいろんなアトラクションに乗り続けた。久々にこんなにたくさんのアトラクションに乗り、楽しい気持ちはあるものの、体が疲労を訴えかけている。

 次はなにに乗るんだろうと思いながら歩いていると、ついに高瀬が救いの一言を落とした。

「そろそろ休もっか。あそこでご飯食べよ」

 俺は力強く頷いた。大歓迎です。早く休んで美味しいご飯を食べて体を労わってあげたい。無意識に早足になりながらフードコートへ向かった。こぢんまりとしたフードコートは、昔ながらの食堂のような雰囲気が漂う。自然と肩の力が抜ける。

 券売機を眺めながらどれにしようか悩んでいると、俺はあることを思い出した。そういえば、高瀬は注文の多い男。もしかして、こんなところでも何回も注文するんじゃないだろうな。

「た、高瀬」
「なに?」
「ここでは何回も注文しに行ったりしたらダメだからね」
「ん? しないけど」

 俺の忠告を受けてもなお、高瀬はきょとんとした表情でラーメンの食券を購入している。その反応を疑問に思いながらも、俺は空いた席に高瀬と向かい合わせで座った。

「なにが一番楽しかった?」
「なんだろ。メリーゴーランドかな」
「それもよかったよね」

 あれが一番ゆったりできたし、乗っていて気持ちよかった。あと白馬に乗っていた高瀬がリアル王子で見ていて眼福だった。並んでいた人たちまで高瀬に見惚れていたくらいである。イケメンはやっぱり生きている世界が違う。

「高瀬は?」
「ジェットコースター」

 嫌味か。むっと口を歪めたところで、食券番号が呼ばれる。

 机の上に置かれたカレーライスとラーメン。スプーンですくい、口に入れると懐かしいカレーの味が口に広がる。

「カレー美味しい?」
「うん。ラーメンも美味しそう」

 醤油スープに、細いちぢれ麺。チャーシューとメンマとねぎが置かれた王道なラーメンだ。温かそうで少し肌寒い季節にぴったりだ。

 カレーを頬張っていると、高瀬が麺をすするのを止めて話し始めた。

「すいって昔、よく遊園地来てたの?」
「いや、そんなに。小さい頃とか公園ばっかり行ってた」
「ああ、もしかして近くのジャングルジムがあるとこ?」
「そう。そこ」

 まあ、公園に行ったとしても誰もいなくて一人で過ごしていた方が多かったけど。なんで誰も来ないのに、懲りずに何度も約束を信じていたんだろう。記憶を辿っていると、ふと気づいた。口に運びかけた手がピタリと止まる。

 一人じゃない。そういえば、話し相手になってくれていた子がいた。キツネくんのキーホルダーを持った子だ。もう顔も覚えていないけれど、懐かしい。あの子は今頃なにをしてるんだろう。名前も聞いてなかったし、連絡手段もないからわからないが、一人ぼっちじゃなくて誰かと一緒に遊んでいたらいいな。そんなことを考えていると、高瀬が口を開いた。

「今度は他の遊園地も行きたいね」
「うん。でも俺あんまり遊園地詳しくないからどこが有名なんだろう」
「俺も詳しくない。遊園地って、子どもの頃か、デートくらいでしか来ないからわからないよね」
「そ、そうだね」

 デートという単語を耳にした瞬間、危うく変に反応してしまいそうになる。俺には聞き慣れない単語だ。やっぱり高瀬みたいなイケメンならデートもたくさんしてきたのかな。

 恋愛話なんてしたことないし、早く話題を変えたいのに、会話はどんどん恋愛の話に変わっていく。

「すいは恋人とかいるの?」

 いないに決まってる。口を尖らせて、聞き返した。

「そういう高瀬は?」
「いないよ」

 まあそうだろうな。もし恋人がいたら、今頃俺じゃなくて恋人を連れていただろう。だけど、何回かは付き合ったことがありそうだ。いつも女の子に囲まれているし。高瀬の恋愛遍歴が気になり、俺は勇気を出して聞いてみた。

「今まで何人と付き合ったことあるの?」
「一人もいないけど」

 目を見張った。こんなイケメンなのに俺と同じく恋愛経験がないなんて意外だ。俺が驚きを顕にしていたからか、高瀬はくすりと笑った。

「俺は一途だから。それより、すいはどんな子が好き?」
「え、ど、どうだろう」
「黒髪とか、クールだとか、なにか好みとかない?」

 あんまりタイプというものは決まっていない。好きな子がいたのも幼稚園くらいずっと前のことだ。うーんと唸り、過去の記憶の糸を手繰り寄せた。

「優しくて、あと俺よりも小さい子かな」
「ふぅん、小さい子なんだ」

 もう全然覚えてないが、初恋の子は確か俺よりも小さくて可愛らしい子だった気がする。

「なんだか守ってあげたい感じがして」
「大きいのもいいと思うけどね。包容力があるし」

 食い気味に言い返してきた。

 な、なんだよ。高瀬はもしかして高身長好きなのか。高瀬も身長が高いし、高い人は高い人同士で惹かれるものがあるのかもしれない。高瀬のタイプってなんだろう。想像がつかない。身長といい、俺とはタイプが全く違うのかもしれない。

「高瀬は?」
「笑顔が可愛い子」

 思っていたよりも普通の好みで拍子抜けした。笑顔が可愛い子はたしかに魅力的だ。俺も同じだと同調しようとしたが、高瀬の口は止まらなかった。

「だけどずっと笑顔ってわけじゃなくて、ふとしたときに俺にだけ見せてくれるのがいいな」
「あ、そうなんだ」
「それにいつもはツンとしてるけど、デレたら可愛かったり、臆病なのに強がりだったり」

 高瀬の止まらない語りに既視感を覚える。多い。注文が多いぞ。こいつ、マッツの注文だけじゃなくて、こういうところでも注文が多いのか。困ったやつだ。理想が高いせいで今まで恋人がいたことがないのかもしれない。その後も高瀬のタイプを聞きながらカレーを食べ進めた。お互い体が冷えていたからか、ぺろりと平らげてしまった。

 フードコートから出て、再びアトラクションに乗ろうと広場にある噴水の前を歩いていると、高瀬が足を止める。なにかをじっと見つめていて、俺もつられて視線を移すと、コーヒーカップのときにいた子どもがいた。カチューシャのキツネの耳を揺らしながら、水鉄砲を使って遊んでいる。高瀬はその子を指して、俺に話しかけてきた。

「やっぱり、すいも着けない?」
「またその話? 絶対嫌」
「似合うから、お願い」
「無理!」

 これだけは譲れない、と俺は首を振り続ける。二人で言い合っていると、突然高瀬の顔に水がかかった。

 ぽつり、ぽつり、と水滴が頬を伝って落ちていく。あんなに余裕ぶっていた高瀬がびっくりした顔つきになって立ち尽くす。

「ふっ、あははっ!」

 思わず腹を抱えて笑ってしまった。

 恐らく水をかけた犯人であろう女の子は隣できょとんと俺たちの様子を見つめる。しかし、それすらどうでもいいほど、笑いが止まらない。腹が痛くなってしまうくらいだ。

「はは、バチ当たったんだよ! 俺のこと馬鹿にしてたから」

 そう言うが、高瀬は目を丸くしたままなにも発さない。あれ、さすがに調子乗りすぎたかな。

「た、高瀬……?」
「……俺、ずっとこのままでいいかも」
「は?」

 なにを言ってるんだろう。水がかかって頭がおかしくなったのか。でもこいつの様子がおかしいのはいつものことだ。

 すると、慌てた様子で女の子の母親が謝りに来た。元はと言えば噴水の近くで騒いでた俺たちも悪い。大丈夫だと伝えると、ペコペコと頭を下げながら二人は離れていった。風邪をひいてしまうかもしれないし、高瀬にはタオルを買ってあげよう。

「俺、ちょっとそこでタオル買ってくるから、座って待ってて」

 近くのベンチを指し、一人で店に向かった。さすがに濡れてる人を連れ回すほど俺だって無神経じゃない。

 店内を見回す。観光客向けのお土産やぬいぐるみなどいろんな商品があってなかなかタオルが見つからない。何度も店内を探し続けていると、ようやく目的のタオルを見つけた。よかった。早く買って高瀬の水を拭かないと、風邪なんてひいたら大変だ。無事に買えたタオルを持って駆け寄ると、高瀬はベンチに腰掛けていた。

「高瀬、待たせてごめん。タオル買ってきた」
「ありがとう。べつによかったのに」
「ううん。寒そうだし」

 タオルを袋から取り出して、濡れた髪や肩を拭く。加減がわからず、せっかくのサラサラな高瀬の髪をぐしゃぐしゃにしてしまいそうで心配だ。そんな俺の思いとは裏腹に、高瀬は嬉しそうに頬をゆるめた。

「ずっとこのままがいいな」
「濡れたままってこと?」
「そうじゃない」

 よくわからないやつだ。そのまま拭き続けると、ようやく濡れていた高瀬の髪が元に戻った。

「ありがとう。いい思い出になった」
「濡れちゃったのに、嫌な思い出にならなかった?」
「うん。こんなことなかなかしてもらう機会ないし」

 心配だったが、高瀬がそう言うならよかった。突然のハプニングでなんだか疲れてしまったし、少しだけ休憩することにした。高瀬の隣に座り、遊園地を眺める。来る前までは心配だったが、思ったより楽しかったな。トラブルもあったけど、どれも新鮮でおもしろかったし。トラウマの遊園地が今日の思い出で上書きされてよかった。きっと、高瀬がいなかったら俺はもうここに来ることもなかっただろう。高瀬に改めて礼を言おうとしたが、体が硬直する。なぜか、高瀬の手にはあのキツネのカチューシャがあったからだ。

「え、カチューシャ?」
「さっきすいがタオル買ってる間に、お店の外でカチューシャが売られてたから買ってきた」

 あの店、まさかカチューシャまで売られていたなんて品揃えがよすぎるだろ。

 高瀬は手に持つカチューシャを二つ見せてきた。

「お揃いにしたいな」

 縋るような目線を送ってくる。う、そんなふうに言われたら断れないじゃないか。カチューシャなんて俺が着けてもなにもおもしろくないのに。この男、カチューシャへの執着が強すぎる。

「すい、絶対似合うから。ね?」

 なかなか首を縦に振らない俺に、高瀬は負けじと懇願してくる。

「じゃあ、まず高瀬が着けてみて」

 先に高瀬が着けたら恥ずかしくないかもしれない。高瀬は俺の言葉にあっさり頷いてカチューシャを装着した。

「どう?」

 高瀬は嫌味なくらい着こなしていた。やっぱりイケメンはなにを着けても様になってしまうのか。悔しい。ますます俺が着けにくくなってしまった。

「似合ってる」

「ありがと。次はすいだね」

 高瀬はもう一つのカチューシャを持って近づいてくる。さすがにこれ以上は誤魔化せないか。大人しく、頭を向けると頭上に装着される。

 その途端、立て続けにシャッターが切られた。ギョッとして見ると、スマホを構えた高瀬がいた。

「な、ちょっと! なんで撮ってるんだよ」
「可愛いから残さないといけないし」
「絶対いらない。消して」

 語気を強めて拒否するものの、高瀬は頑なに首を縦に振らない。なんでだよ。俺なんかのカチューシャ姿とかイタいし誰にも見られたくないのに。

「本当に可愛いし似合ってるのに」
「本気で言ってる?」
「うん。キツネくんより可愛い」

 それは褒めてるのか。まあ、高瀬はもともとキツネくんが好きだったし、このカチューシャに思い入れがあるのかな。すると、高瀬は懲りずにまたスマホを取り出した。

「せっかくだから二人で写真撮りたい」
「カチューシャつけたまま?」
「うん。お揃いだし、思い出残したいから」

 高瀬は長いまつ毛を伏せ、静かに呟いた。柔らかく、穏やかな声だった。冗談を言ってるようには思えない口調に息を呑む。

 俺は高瀬の顔を見ないようにそっぽを向いた。

「……一枚だけなら」

 呟いた瞬間、高瀬は嬉々としてスマホを構えた。

 そうして高瀬と写真を撮っているうちに、時間があっという間に経ち青空は茜色に染まっていた。

 人の姿もほとんど見えなくなり、閉園時間も近いため、最後に一つだけ乗って帰ることにした。

「観覧車乗ろう。まだ乗ってないから」

 ここの遊園地のシンボルでもある観覧車が、夕焼けの中に大きくそびえ立っていた。ゴンドラの扉を閉めると、ぎし、と音を立てて観覧車が動く。

 窓の向こうには見慣れた街の景色が映る。夕焼けの空に照らされて、幻想的な景色だ。目を奪われていると、高瀬に声をかけられた。

「すい、今日楽しかった?」
「うん。遊園地なんて久々だったけど、いろいろ乗って楽しかった」
「よかった。俺も、楽しかった」

 高瀬は俺の言葉を聞き、頬をゆるめ、窓の向こうを見る。さっきまでのはしゃぎっぷりが嘘みたいに今は落ち着いた様子だ。

 高瀬は穏やかな表情のまま、ぽつりと呟いた。

「俺、ここ初めて来たんだよね」
「え、そうなんだ」
「小学校の頃、行きたいって親に強請ったけど仕事が忙しくて一度も連れて来てもらえなかった」

 なんてことないように話すが、高瀬の瞳はどこか寂しそうに揺れていた。

「親の転勤ですぐ転校して、まともに友達と呼べる人も、今までいなかったんだ。だから、こういう場所に一緒に行く相手がいなくて」

 高瀬の周りにはたくさんの人がいた。電車で出会したときも、クラスの女の子たちに好かれていて、そういう環境に慣れた陽キャだと思ってた。

 だから、高瀬の話が想定外で、俺はなにか返事をするべきだとはわかっているものの、言葉が喉に詰まる。

 ゆっくり、ゆっくりと、観覧車は上へ昇っていく。窓の景色に意識はいかず、瞬きを忘れるくらい高瀬の表情に吸い込まれた。

「今日、来れてよかった。すいとたくさん乗れて」

 眉を下げて笑う高瀬が、なによりも綺麗で、まるで雲のように儚く消えてしまいそうに感じた。

 そんな高瀬の顔を見ると、なぜか胸に押し寄せるような焦燥が湧く。

「……俺、暇だしいつでもまた来れるよ。だから」

 観覧車が天辺に辿り着いた。

「また、一緒に来よう」

 俺の言葉に、高瀬が瞼を大きく開く。その瞳に真っ赤な顔をした俺が映っていて、そして、高瀬は柔らかく目を細めた。

「うん」

 優しい穏やかな笑み。光を宿す高瀬の瞳を見ると、なぜか胸が温かく、まるで太陽の陽射しの温もりに包まれたような気持ちになる。

 なんだか自分で言っておいて照れくさくて、逃げるように窓の向こうへ視線を戻した。地上へ戻るまでの間、高瀬が窓の景色なんて見ず、ずっと俺を目に焼きつけていたことなんて知らずに。

 そうして、日もすっかり暮れて太陽は地平線に沈み、辺りは宵に包まれた。

 早く帰って寝たい。久しぶりに体を動かして疲れたし。そう思いながら二人で歩いていたとき、背後から名前を呼ばれた。

「日翠?」

 昔よく親しんだ声が耳朶を撫でる。高瀬とは違う、軽やかで少年のような声色。反射的に振り向くと、そこには懐かしい顔があった。最後に会ったときよりも大人びた顔。目鼻立ちがはっきりとし、整った大人の骨格になっている。だが、純真な瞳は相変わらずで、幼い頃の面影を残していた。

「……(まこと)、久しぶり」

 伊崎(いざき)誠。俺の疎遠になった幼馴染だった。家が近いこともあり、親同士も仲良く、二人で遊ぶことが多かった。幼い頃はそれこそ毎日会っていたくらい。あの日を境に言葉を交わすことはなくなったが。

 なんでこんなところにいるんだろう。気まずくて目を逸らしてしまう俺に対して、誠は光り輝く笑顔で話しかけてくる。

「めっちゃ久しぶりだな! 中学ぶり? 元気そうでよかった。日翠のお母さんたちも元気?」
「ああ、ぼちぼち……母さんたちは相変わらず元気だよ」
「そっかぁ。よかった。てかなんでこんな遊園地来てんの?」
「それを言うなら、誠もどうして?」
「俺はダチと来ててさ、今ちょうど解散するとこ」

 よく見ると、誠は背後に何人か友人を連れていた。無意識にたじろいでしまう。すると、後ろに立っていた高瀬とぶつかってしまった。

「ご、ごめん」
「ううん。気にしないで」

 高瀬の穏やかな笑みを見ると、張り詰めていた緊張が解ける。

「え、一緒にいる人って友達?」

 誠が俺から高瀬へ視線を移した。

 高瀬はあんなに上機嫌だった顔がすっかり変わり、まるで寒空のように冷えきった目をして、誠を無遠慮に見つめる。頭の天辺から足の爪先までじっくり見たあと、俺の肩に腕を回した。

「友達。すい、この人誰?」
「幼馴染で――」

「はじめまして。俺は伊崎誠。日翠がいつもお世話になってます! いやぁ、こんなイケメンのダチいたんだな。モデルかと思ったわ!」

 そう言う誠もなかなかの美男子だ。高瀬よりは身長が少し低いが、手足が長く、パッチリした目と小さな顔が相まってアイドルになれそうな容姿だ。そんな二人に挟まれた俺って、なんて惨めなんだ。生まれつき顔がいい男はいいよな。羨ましい。

「日翠はなんでここ来たんだよ?」
「俺も家から近いし行こうかって」
「そっか。まあここら辺なにもねえしな。二人は同じ学校?」
「うん」
「いいなー。日翠とは小中は一緒だったけど、高校なってから別々になっちゃったもんな」

 誠は相変わらずコロコロ表情を変えて話す。人懐っこく愛嬌のある誠は、一緒に話していると誰もが楽しく感じるだろう。自分までおもしろい人間になったような気がしてくる。もうそんな勘違いはしないけど。

 誠は猫みたいに目を細めて、口の端をほんの少しだけ吊り上げた。

「日翠もイケメンになったんじゃね? このイケメンくんといたら」
「どこをどう見てそう思うんだよ」
「んー服?」
「それ俺じゃないじゃん」

 そう返すと、誠は歯を見せて笑う。すると、背後にいた友達が誠へ声をかけた。

「誠、まだ終わんねえの?」
「あー、今行く! じゃ、日翠とイケメンくん、また会おうな!」

 まるで台風のように現れて消えるような男だ。誠が見えなくなるまで手を振り続けたあと、気を取り直して、家へ帰ろうと高瀬の顔を見上げた。その顔を見て思わず息を呑む。さっきまでの空気を一瞬で凍らせるような、冷酷な表情をしていた。

「早く帰ろ、すい」

 重く地を這うような声。返事をためらうほどの冷気をまとっていた。正に噂されていた『絶対零度の王子様』が似合う風貌だ。その威圧感に当てられ、自然と足取りが重くなる。静かに家へ向かいながら俺は頭を抱えた。

 な、なんでこんなにテンションが低いんだ。あんなに遊園地ではしゃいでいたのに、今では魔王のような覇気をまとっているんだけど! 原因は誠しか考えられないが、誠のなにが気に障ったのか。あいつと会う人間はだいたい好印象を抱く。もしかしてうるさいのが嫌だったのか? でも、高瀬を取り巻く陽キャたちは同じくらいうるさいし、その可能性は低い。

「仲良いの? あの男と」

 珍しく暗い声音に足がすくむ。

「え、いや、そんなに。幼馴染ってだけで今はほとんど疎遠になってて」
「ふぅん」

 高瀬は口を尖らせて黙り込んだ。なにが気に食わないのかわからず、俺はなおさらその反応に困惑する。友達の友達が来たときって気まずいから、それで不機嫌になったのかもしれない。そういうことにしよう。そう心の中で完結させていると、高瀬が口を開いた。

「今は疎遠っていうことは、今一番仲良いのは俺?」
「う、うん」

 一応塩谷も相変わらず仲はいいけど、最近は朝昼晩常に高瀬といるしそう言えるだろう。すると、さっきまでの凍りつくような雰囲気が少しだけ和らぐ。

「そう。遊園地に友達と行ったのは俺が初めて?」
「あ、いや、誠と何回かは行ったけど」

 俺と誠の家はご近所で家族ぐるみで仲がいい。だから幼い頃は誠一家と俺の家族で行ったことがある。高瀬は俺の返答を聞くと、再び表情が曇った。な、なにが地雷なんだ。高瀬は帰り際もどこか誠を気にしてる様子で、沈んだ表情をしていた。

 家に辿り着き一息つくが、心は落ち着かない。

 あんなに気掛かりだった誠と顔を合わせてしまったのに、意外とそこまで気にならなかった。それよりも、脳内を埋めるのは高瀬のことばかり。

 高瀬の寂しそうに揺れる瞳と、消えてしまいそうな声、あの夕焼けに滲んだ笑みばかりが頭に濃く染み付く。

 胸をぎゅっとなにかが締めつける。その感覚を疑問に感じながらも、俺は眠りに落ちた。