昼休憩、いつもは塩谷と学食で食べていたが、今日は一人で廊下を歩いている。なに食わぬ顔で歩いているが、内心は胸を叩くように心臓が鼓動していた。
まさか高瀬みたいな男と一緒に食べることになるなんて、思いもしなかった。断れずそのまま約束してしまったが、改めて考えるとなんて不釣り合いな組み合わせだろう。あのとき勇気を出して断ればよかったのに、俺の意気地無しめ。小さくため息が零れた。
不安に感じているうちに、約束の食堂前まで辿り着いてしまった。高瀬の姿はまだ見えない。俺は誰とも視線が合わないように、食堂前の壁にもたれかかり、下を向いた。
誰かを待つ時間は苦手だ。幼い頃、何度も約束をすっぽかされた記憶が浮かんでしまう。暗闇の中で佇むような不安な気持ちが頭の中を埋め尽くす。
時計の針が刻々と進むが、高瀬の姿は一向に現れない。諦めて一人で食べた方がいいかな。
だけど、俺まで約束をすっぽかすような人間にはなりたくない。自分がされて嫌だったことを、高瀬にやり返すことはしたくないからだ。
拳をぎゅっと握り締めたまま待ち続けると、遠くに高瀬の姿があるのが目に入った。
心に光が灯るが、すぐに光は淡く散る。高瀬の周囲を取り囲むように人が集まっていた。朝、高瀬と一緒にいた陽キャたちである。
「……やっぱり、冗談だったんだ」
もしくは約束自体を忘れられてしまったのか。真面目に受け取ってしまったが、俺の勘違いだったようだ。
恥ずかしい。学習せずまた同じことを繰り返してしまうなんて、ひどく惨めだ。高瀬と顔を合わせたら気まずいし、このままバレないように離れよう。背を向けて教室へ戻る直前、後ろから強く腕を掴まれた。
「見つけた」
振り向くと、笑みを浮かべながらも、若干息の上がった高瀬がいた。
「遅くなってごめん。すいがどこにいるかわからなくて焦ったけど、見つかってよかった」
その言葉に沈んでいた心が落ち着く。なんだ。てっきり約束をまた忘れられてしまったのかと思いきや、高瀬も俺を探していたのか。過去のトラウマから決めつけてしまったが、来てくれてよかった。胸の内に喜びが広がる反面、教室に戻ろうとしたことを思い出し、慌てて俺も高瀬と同じように頭を下げた。
「全然。俺こそ、高瀬の周りに人がいたから一緒に食べないのかと思っちゃって」
「ううん。あいつらはついてきただけで、俺はすいと食べるつもりで来たよ」
約束したから、と高瀬はつけ足した。
「そ、そっか。勘違いしてごめん」
「俺こそ遅れてごめん。授業ちょっと長引いてさ」
「急いで来たの?」
息が上がっていたし、走ってきたのかもしれない。申し訳なさから「ごめん」とまた言おうとしたが、口を開く前に高瀬に止められる。
「気にしないで。俺がすいと食べるの楽しみにしてただけだし。俺、約束はちゃんと守るから」
高瀬の真っ直ぐな瞳が俺を射抜いた。
「すいは、なに頼むか決めた?」
「ううん、まだ。高瀬は決まった?」
「俺はオムライスかな」
『本日のメニュー オムライス・カレー・日替わり定食』と書かれているホワイトボードを、人混みの隙間から確認した。オムライスを食べたい気持ちもあるが、今日は日替わり定食が唐揚げだからそっちも気になってしまう。
どれにしようかな。唸りながら悩んでいると、高瀬が声をかけてきた。
「決められない?」
「オムライスにしようか日替わり定食にしようか迷ってて」
「俺オムライスだし一口あげるよ。すいは日替わりにしたら?」
「いいの?」
思わず声が弾む。高瀬は変わらず、いいよと返してくれた。意外といいやつだな。そして、食券機で日替わり定食のボタンを押す。カウンターへ食券を渡したあと、空いてる席に向かいあわせになって座る。
「ちょっと取ってくる」
席から外れ、給水器の前に立ち高瀬と俺の分の水を入れる。コップを両手に持ち席へ戻った。高瀬にコップを渡すと、柔らかく微笑む。
「ありがとう。すい、優しいね」
「こんなの別に大したことじゃないから」
高瀬は率直に褒めてくるから照れくさい気持ちになる。
なんだかそわそわとした気持ちで食券番号が呼ばれるのを待っていると、ふと高瀬が俺を見つめていることに気づいた。
「な、なにかあった?」
「ん? いつもはマッツのカウンターで話してたから、こうやって一緒に食べるのは新鮮だなって」
確かに不思議な気分だ。客とご飯を共にする日がくるなんて思いもしなかった。でもじっくりと見つめられるのは恥ずかしい。逃げるように視線を泳がす。
「すいは学食でよくなに食べる?」
「カレー。オムライスも好きだけど、カレーの匂いがしたら食べたくなる」
「それわかる。辛いのは得意?」
「激辛は無理だけど、学食くらいの辛さなら食べれる。高瀬は?」
「俺、なんでもいけるよ」
高瀬は得意げに微笑む。高瀬のことはよく知らないが、確かに辛いものが得意そう。いつもマッツでいろんなメニューを頼んでいるし、苦手なものとかあんまりないのかも。
「激辛カレー、食べたことある?」
「一回だけ」
「どうだった?」
「すごく辛くて、舌がヒリヒリしてしばらく痛かった」
思い出しただけでなんだか舌のあたりが痛く感じる。あのときは痛すぎて食べ切るのが大変だった。きっと傍から見たら顔を真っ赤にして苦しんでるし、やばいやつだと引かれていただろう。
「そんなに辛いんだ。どこの?」
「駅前にあるとこ」
「あー、もしかしてあそこかな。俺も食べたことあるかも」
「痛くなかった?」
「ちょっとピリッとはした」
高瀬とぽつぽつと雑談を交わしていると、食券番号が呼ばれた。カウンターへ向かい、トレーを受け取る。トレーの上には、大きな唐揚げが黄金色の衣を輝かせていた。美味しそうだけど食べ切れるかな。唐揚げの他にも副菜もいくつかあるし、かなりボリューミーだ。席へ戻り、いただきます、と小さく呟き手を合わせた。唐揚げに箸を伸ばし、口に入れると熱い肉汁が口の中で弾ける。
「あ、あつ」
「大丈夫?」
慌てて水を飲むと、高瀬はふっと笑った。やばい。初っ端から挙動不審なやつだと思われたかもしれない。しかし、その心配は杞憂だった。
「可愛いね」
「え?」
どこが可愛いと思ったんだ? マッツでも店員が可愛いなんて言ってたけど、こんな男相手にまで言わないで欲しい。びっくりするじゃないか。気を取り直して、副菜を食べ進めていると高瀬がスプーンを持つ手を止めた。
「そういえば、オムライス食べたいって言ってたよね」
「あ、うん。でも気にしなくていいよ」
「ううん。俺もすいに食べてほしいし」
高瀬は、オムライスを掬ったスプーンを俺の口元へ近づけてきた。
「はい、あーん」
あ、あーん? 目を瞬くが、高瀬は変わらずオムライスを俺の口に近づける。
別に俺の皿にでも置いてくれたら自分で食べるのに……。
「恥ずかしいよ」
「どうして?」
理由なんて言わなくてもわかるだろう。ずっと口元に差し出されたままだし、断りにくい。おずおずと口を開くと、高瀬は目を細めて、俺の口の中に優しくオムライスを入れた。
なんだか子どもになった気分だ。羞恥心を掻き消すように口を動かすと、ふわとろの半熟卵が口の中で溶けていく。見た目から卵がふんわりとしていて美味しそうと思っていたが、味も間違いなかった。
「美味しい」
「ね? もっといる?」
「いや、これ以上はいい!」
ぶんぶん首を横に振ると、残念そうにスプーンを引っ込めた。こんな人目のある場所であーんなんて、これ以上は無理だ。オムライスは明日自分で頼もう。
そういえば、食堂に入ってからやけに視線を感じるし、朝の陽キャ集団といい、もしかして高瀬って有名人なのか? 眉目秀麗で目を惹く容姿だけど、俺はマッツの客ということ以外全く知らなかった。もしかしたら、俺の想像以上に不釣り合いな人と一緒に食べてるんじゃ……。背筋が冷んやりと凍りつく。
目の前の高瀬は、またオムライスを食べる手を止めた。
「すい、どうかした?」
「え、あ、いや、さっきオムライスもらったし、唐揚げあげるよ」
「ありがとう」
そうして高瀬は口を大きく開けて待つ。
え、これって俺からしろってこと? 普通に皿に置いて渡すつもりだったけど、さっきからどうしてあーんなんだ。戸惑いながらも、口の中に唐揚げを放り込むと、彼は満足そうに咀嚼した。
「ごちそうさま。すいからもらったらいつもより美味しいな。毎日してほしい」
口角が引き攣る。マッツのときから思っていたが、なぜこんな口説き文句を俺相手に言ってくるんだ。どう反応すればいいかわからないじゃないか。やっぱり高瀬は距離感がおかしい。周りの目が気になってきょろきょろと見回すと、結構な人と目が合ってしまう。
どうしよう。俺たち、目立ってる。でも、みんなが俺たちを見る気持ちもわかる。だって、校内でトップレベルのイケメンと、冴えない陰キャが、突然二人であーんをし合ってたら違和感しかないだろう。
浮いてる、と言われたあの日の記憶が蘇る。話はつまらないし取り柄のない地味な俺は、陽キャな集団の中で明らかに浮いていた。今もきっと、高瀬のようなイケメンとは不釣り合いだと周りから思われているだろう。
無意識にぎゅっと唇を噛むと、高瀬がそれに気づいた。
「すい、やっぱりなにかあった?」
「え、あ、いやなにも」
「顔色悪いよ」
汗が頬を伝う。これ以上誤魔化すことは難しそうだ。俺はうつむいたまま、誰にも聞かれないように呟いた。
「その、俺と高瀬が一緒にいると、周りから変に思われてそうで」
そう言うと、高瀬は穏やかに目を細めた。
「俺がすいと食べたいから。周りのことなんて気にしないで」
柔らかい笑みとは反対に、揺るぎない芯のある声。
胸の中を暖かな風が吹き抜けたような、くすぐったい感覚が広がる。いつの間にか、周囲へ意識は向かなくなった。
その後も高瀬と話をしていると、背後から声をかけられた。
「あ、冴木。ここで食べてたんだ」
振り向くと、空になった皿を載せたトレーを持つ塩谷がいた。俺と、そして向かいに座る高瀬の顔を見て目を見開く。
「えっ、高瀬? いつの間に高瀬と仲良くなったんだ?」
塩谷まで高瀬の存在を知っていたのか。やっぱり相当有名人なんだな。それにしても、俺と高瀬って別に仲良しってわけでもないし……。答えられずにいると高瀬が口を挟んだ。
「ずっと前から知り合いだったけど、ね?」
俺に目配せをして、目を細める。確かに知り合いだが、単に客と店員という立場だ。もし彼が変な注文方法をしなければ認識もしてなかっただろう。苦笑いで返すと、塩谷は呑気に相槌を打った。
「共通点がなさそうだから意外だな」
「バイト先のお客さんと店員ってだけで、そんなに深い仲じゃないから……」
「これから仲良くなるんだよね?」
別に仲良くならなくてもいいんですけど……。そう思いながら、人のいい笑顔を貼りつける高瀬に合わせて、俺もぎこちない笑みを作る。すると、高瀬は満足そうに口角を上げた。
「じゃあこれからも高瀬と冴木、一緒に食べるのか?」
「そう」
高瀬が勝手に答えるが、待ってくれ。一言くらい俺にもなにか聞いてくれてよくないか? 俺の困惑をよそに塩谷は微笑んだ。
「仲良さそうじゃないか。冴木ってば照れなくていいのに」
「すいは恥ずかしがり屋だから」
「二人とも誤解なんだけど」
「はは、まあ仲良さそうでなにより。じゃ、俺もう行くから」
塩谷は背を向け、食堂から出て行った。よく見ると、周囲の人は消え、みんな食べ終わっている。やばい。高瀬と話していたからか、まだ食べ終わってない。急いでご飯をかきこむと、高瀬が俺の様子を見てなぜか小刻みに震えていた。ん? なんだ?
「ふっ、リスみたい」
「リ、リス? どこが?」
「頬にいっぱい詰め込んで、可愛いね」
うわ、また可愛いって言ってきた。こいつ本心から言ってるのか? 普通は同級生がたくさん食べるところを見て、可愛いって感想は出てこないだろう。おもしろいの方が勝つ。
「可愛くないって」
「可愛いのに」
絶対冗談だろう。ムッと頬をふくらませると、また高瀬は笑い始める。間違いない。絶対に馬鹿にしている。羞恥心を蹴散らすように無理やりご飯を口に詰め込む。高瀬はその間も俺を眺めていた。高瀬もこのあと授業があるはず。オムライスはまだかなり残ってるし、間に合うのか。ご飯を飲み込み、俺は口を開いた。
「高瀬も早く食べた方がいいんじゃない?」
「ああ、もうこんな時間か」
高瀬は綺麗に食べ終えたかと思いきや、艶のある濡羽色の髪にケチャップライスの粒が小さくくっついていた。完璧人間に見えてこんなとこもあるんだな。おもしろくてつい頬がゆるんでしまう。すると、高瀬の切れ長の目とパチリと視線が合う。高瀬は一瞬、息を呑んで目を見開いた。なかなか視線は外れず、じっと俺を見つめている。
「……あの、髪についてるよ」
「え?」
「ご飯粒」
身を乗り出し、高瀬の髪についてるご飯粒を取る。その直後、キンコンカンコン、と予鈴が鳴った。もう教室に戻らないと。慌てて食器を片付けていると、高瀬が去り際に呟いた。
「じゃあまたね」
「あ、うん。また」
そのまま高瀬は背を向け足早に立ち去った。一瞬、ほんのり赤い耳元が見えた気がしたが、あっという間に高瀬の姿は見えなくなってしまった。


