PANDORA・柩灯

「汐、試験、どうだった……?」

 咲樂は僅かに強ばった表情で、自分の通知書を持つ手に力が入り、紙に皺が走る。

 “地上戸籍試験”。

 柩地区の孤児院にいる、十四歳になる年の子どもが受ける筆記試験。
 この試験に合格した子どもは、地上にある蓮塔(れんとう)学院への入学資格と、仮の地上戸籍を得られる。
 そして蓮塔(れんとう)学院を無事に卒業したあと、正式な地上人となり、魂人(たまびと)ではなくなるのだ。

 今朝届けられた結果を知らせる通知書に、咲樂はすぐに顔を曇らせて、意を決して汐のもとへ行った。

「咲樂はもう見たの?」

 庭で洗濯物を干していた汐の帯に、通知書が入った封筒が雑に挟まれているのを見つける。
 まるで興味が無い様子だ。

「うん……」

 咲樂から、静かに、しかし気落ちした声音が自然と漏れる。
 それを横目で見ながら、汐も通知書を手に取り、丁寧に封を開けていった。

「汐は……手紙を開けるのも綺麗ね……」

「ふっ、なぁにそれ」

 目尻が優しく下がった双眸が、通知書を見て、すぐに細まる。
 ぴらりと、躊躇いなく書面が咲樂へと向けられた。

「──残念、不合格だったや」

 不合格。
 予想だにしなかった結果は、咲樂に衝撃を与えた。
 何かの間違いだと汐への通知書に目を凝らすが、その三文字は、確かに鎮座していた。

「う、うそ……どうして? 試験の時、具合悪かったの?」

 幼い頃から火々里と対等に知識をぶつけ合えた少年が不合格だなんて有り得ない。
 何かの間違いではないかと、咲樂は真剣に考えるが、当の本人はどこ吹く風で、涼しい顔をしている。

「いいや? 思考も体もばっちりだったよ。やっぱり火々里はすごいな」

 そう軽く言いながら、また洗濯物を干し始めた。

 せっかく地上に戻れる機会だったのに。
 柩地区から出るために用意された、例外的な救済措置だったのに。

「咲樂は? どうだった?」

「……分かってるでしょ」

「分かんないよ。もしももあるからね」

「もしもってなぁに……不合格だったわ。分かってたけど……」

 試験を受ける前から不合格なことくらい、多くの子どもたちが分かっている。

 火々里だけが約百年ぶりの合格者だった。
 火々里が例外中の例外であり、そしてまた、汐も彼の同類だと、咲樂は思っていた。

「そっか。じゃあ今後とも、柩で仲良くやっていこうね」

 きっと自分は置いていかれるのだと。
 咲樂は、汐がもう一度地上に行けますようにと願っているはずなのに、これからも一緒にいられることに安堵して、思わず、顔が綻んだ。

 喜んで良いわけがない。
 それでも、変わらずに家族といられることは、やはり嬉しかった。

「そうだ。ここって、十五歳で卒院だろ?」

「うん、そうよ。働かなきゃ駄目だもの」

「一緒にお店やろうよ」

 薄い掛布団を物干し竿に掛けると、汐が振り向いていい笑顔でそう言った。

「……えっ?」

 話はトントン拍子に進んでいった。

 一体いつから計画していたのか、汐に柩地区の北東部まで連れていかれて、工事現場を見せられた。

「ここ、お店」

 まだ完成していない大きな木造建造物を見上げて、咲樂は隣の少年の底知れなさに開いた口が塞がらなかった。

 地上の職人と思しき男性たちが、寡黙に作業をしている。

「お、お店って、こんなに立派な……お、お金は? 大丈夫なの?」

 孤児院など比較にもならないほど、大きな建物だ。

「平気。一族の遺産で賄(まかな)えたから。柩地区でお金儲けするためには、まずは印象が重要だろ?」

「そ、そうなんだ」

「ここに来たい、来てもいいって思わせないとね。主な客層は地上の商人や貴族層になるから、割と豪華な感じにしたいんだ」

「へ、へぇ……そうなの。あなたってやっぱり凄いわ……」

 つらつらと話される内容は、やはり同い年とは思えない。
 言葉遣いや所作、頭の良さから、汐が宗家の嫡子として育てられたのだと、よく分かる。

 そこでふと、疑問が湧いた。

 土台も骨組みも既にあるこの建物は、かなり前から作業に入ったはずだ。
 恐らくは、地上戸籍試験を受けるよりも前。

(汐は、試験よりも先に、お店をやることを決めていたの?) 

「へぇーってなに? 咲樂も一緒に働くんだよ?」

 ほんの少しだけ唇を尖らせながら、汐が肘でつついてきて、いじけてみせる。
 生きる世界が、なんとなく違う人だと時たま実感させられるが、こうして、たまに子どもっぽい顔をされると、咲樂も落ち着いた。

「わ、わたしなんかが一緒で、本当にいいの? 足を引っ張らない?」

「何言ってるの。咲樂は雰囲気も優しいし、周りをよく見てるから、接客とかは僕より上手だよ」

 汐が何の疑いもなく褒めてくれる。
 初めて誰かに言葉にされた自分の価値に、咲樂自身が驚き、すとんと胸に落ちた。

 姉達のように、当たり前のようにあの孤児院で働くと決め付けていた未来が、嫌だったわけじゃない。
 けれども、汐が示してくれた可能性が、途端に明日を色付けた。

 こんな自分でも、何か、できることがあるのだと。

 咲樂は花が咲くように美しい顔(かんばせ)を綻ばせて、汐を見つめる。

「うん、汐と一緒にがんばる!」

 咲樂と汐は、毎日夢中になって開店準備に明け暮れた。
 もっと人手が欲しいと、孤児院にいる同い年の少年少女や、卒院して他で働いていた数人に声もかけた。
 他にも宿屋の名前、内装、家具、料理の種類と、きりがないほど考えることは多かったけれど、楽しかった。

 既に地上戸籍を得た火々里も、よく孤児院に来ては茶々を入れてきた。

 こんなお店にしたい。
 それは現実的じゃない。
 ださい。
 言い合いながら、毎日を忙しく過ごした。

 そうして月日は流れて、“幽泉堂(ゆうせんどう)”が生まれた。

「──はいこれ、地上に行ける商(あきな)い札ね」

 ある時、幽泉堂(ゆうせんどう)の回廊の窓ガラスを拭いていると、汐が一枚の木札を見せてきた。

 お世辞にも綺麗とは言い難い、ただの木板に焼印を捺しただけの、粗雑なものだ。

 “魂人(たまびと) 幽泉堂 商用”。

 無愛想な字面だった。

「僕と咲樂の共同名義にしてるから、君も上へ行けるよ」

「え……」

 柩地区で商売をする地上人、魂人に、平等に発行される関札。
 制約はいろいろ決められていたけれど、それがあれば、魂人であっても、一時的に地上に出ることが許される。
 咲樂は数秒、長く木札を見つめた。

「……わたしは、いい」

 それから、首を振る。

「他の人に変えて。きっと上に行ってみたい人もいるわ」

 普通に言ったつもりなのに、声が硬くなったと、自分でも分かった。

 咲樂にとって生まれた時から、差別は当たり前だった。
 この世に存在しない、魂だけの人。
 故に魂人(たまびと)。

 魂しかない者には戸籍も人権も尊厳もない。

 通りすがりの地上人に心ない言葉を投げられても、平気だった。
 うんと小さな頃、悪意にも満たない出来心で、地上人に叩かれたこともあった。
 最初から、咲樂の世界はそうだった。

 今更傷付くこともない。
 差別をおかしいとも思わない。
 だが、地上に行きたいとは、強く思えなかったのだ。

 自分の居場所は、そこにはない。

「……分かった。でも名義はこのままでいく」

 汐は関札を懐にしまうと、そう言うので、咲樂は真意が分からずに、戸惑って首を傾げる。

「店主は僕だけど、副店主は咲樂だからね。責任者しか登録できないから」

 責任者? 首を更に傾げる。
 汐と見つめ合い、しばらく。

「せ、責任者!? 副店主なの!? わたしが!?」

 孤児院から共に来た少年の従業員・鉄太(てった)が「声でっか」と一言呟いて、横を通り過ぎた。

「当たり前じゃない。僕と咲樂で一緒にお店やろうって言ったでしょ?」

「そうだけど、わたし、そんなつもりでっ」

「僕と一緒に頑張ろうって、約束したよね?」

 揺らがぬ微笑には、有無を言わせない圧力があった。

「う……で、でも、副店主だなんて、わたしには……」

「あれ嘘だったの? 悲しいな……思わせぶりな返事して、僕のこと弄んでたんだ?」

 悩ましげな吐息まじりの台詞を吐きながら、汐が額に手を当てて、いかにもな演技をする。

「家族一緒に力を合わせてやっていけると思ってたのにな……」

 ちら。
 そんなわざとらしい視線に腹立たしさを感じながらも、突っぱねることはできなかった。

 汐は清廉潔白で誠実な雰囲気とは裏腹に、存外こういった面があった。

「っや、やるわよっ。やったらいいんでしょっ? どうなっても知らないからねっ?」

 桃色の三つ編みをぎゅっと握り締めて、やけくそのように、控えめに叫んだ。
 すると、汐は大人びた眼差しを引っ込めて、鞠が跳ねるような笑い声をあげた。

「あははっ、よろしくね」

「……もう」

 そんな顔をされると、拗ねることも、怒ることもできなくなってしまう。
 咲樂から出たのは、呆れ声のはずなのに、酷く柔らかな音だった。

 例え柩地区だとしても、自分たちは、確かに幸せの中にいた。