PANDORA・柩灯

 木花(このはな)椿姫(つばき)、二十歳。
 誕生日は若葉の月五日。
 血液型はΩ型。
 身長は百五十四センチ。
 蓮塔(れんとう)地区の公家に生まれた一人娘。

 街を歩けば多くの異性から声をかけられ、贈り物をされ、食事に誘われる。
 “柩(ひつぎ)の咲樂(さくら)”と比較するように、いつからか“地上の椿姫”などと称され始めた。

 いつでも一番可愛い自分でいることが、生き甲斐で当たり前。

「ねえねえお母様! 今日の私どう? ちゃんと可愛い?」

 この日のために新調したワンピースに、白いコート。
 肌と髪の手入れも、化粧も、髪型も、ひとつとして手抜きはしていない。
 居間にいる母と女中は椿姫を見るなり、目を細めて、破顔した。

「あらぁ椿姫ちゃん。とっても素敵じゃない。よく似合ってるわぁ」

「今日もお可愛らしいですお嬢様! あぁ、尊坊っちゃんとの逢瀬、わたくしめもついて参りたいくらいです!」

 望んでいた反応が返ってきて、椿姫はぱぁっと笑顔になった。

「うふふっ、今日は二人っきりの逢瀬なの! 今日こそ尊に告白をして、お嫁さんにしてもらうわ!」

 この屋敷で何度響いたか分からない「お嫁さんにしてもらう」を、二人はただただ微笑ましく聞く。

「頑張ってくださいお嬢様!」

「ええ! もう“お前のそれは勘違いだ”なんて、言わせないんだから! 雪花火(ゆきはなび)を見ながら、告白するの! 素敵なお祭りになること間違いなしだわ!」

 椿姫は頬に両手を当てながら、その場でぴょんぴょんと跳び跳ねた。
 
 待ち合わせ時間にはまだ早いが、椿姫は待ちきれずに早々に家を出た。
 夕陽を浴びながら蓮塔(れんとう)地区の街を歩いた。
 道の両側に屋台が所狭しと並び、早くも人手は多い。
 寒さが突き刺さる季節だけれど、吐く息が白く染まることも、澄んだ空気も好きだ。

 瑞花祭は皇国中で大なり小なり祝われるが、この蓮塔地区は最大規模の祭りとして、各地から多くの観光客が押し寄せる。
 美味しそうな屋台飯を先に買ってしまいそうになるのをぐっと堪え、のんびりと歩いていた。

「あら?」

 すると、街の一角で一際目を引く二人の姿を見つけ、椿姫は軽い足取りで駆け寄った。
 レンガつくりの街道に、軽快なヒールの足音が響いて、先に少女の方が振り返る。
 真っ直ぐな黄金の髪が、美しく靡いた。
 そして同じ色の目が椿姫を見付けて見開いた。

「やっぱり! 美嶺(みね)ちゃんと火々里(かがり)だわ!」

 身体中がぴかぴかと光っているかのような不思議な雰囲気を纏う少女と、大きな男。

「あなた……」

「奇遇だわ! 二人で一緒に瑞花祭に来たの? 仲良しだったなんて知らなかったわ」

 三人とも冷気で鼻頭が赤く色づき、冬の装いに包まれている。
 その図体に似合わず、火々里は寒そうに襟巻きに顔を埋めてぼそぼそと話した。

「こいつが瑞花祭に行くって我儘言うせいで、俺が付き添いになっちまったんだよ」

 とても不本意そうだ。

「なに? 文句あるの? これは白律庁(はくりつちょう)所属のあなたの、立派な仕事だと思うけれど」

 しかし、美嶺は冷えた目で火々里を睨み、負けじと言い返した。
 それから長い髪を後ろへ払い、つんとそっぽを向く。

「まあ。美嶺ちゃんったら強いのね」

 素直に感心していると、火々里が忌々しそうに美嶺を見下ろし、舌打ちした。

「……ガキ、あんま調子乗ってっと燃やすからな」

 上から睨み低い声で脅す姿は、まるで赤鬼のようだ。
 切れ長の鋭い目の奥が、静かに燃えている。

「も、燃やす……!? 火々里ってばなんて野蛮なこと言うの!」

「ガキですって……!? 子ども扱いはやめて! もう大人よ!」

 火々里の物騒な脅し文句に、椿姫と美嶺は同時に大きな声で非難した。

「あ~うるせえうるせえ。さっさと回ってさっさと帰るぞ。椿姫もさっさと行け」

 女たちの甲高い声に、火々里は不快そうに顔をしかめて、椿姫を追い払うようにしっしと手を払う。
 そのまま屋台が並ぶ方へと歩いていってしまい、美嶺が慌てて追い掛けた。

「ちょっと待ちなさい。私を置いていくなんて許さないわよ」

 ちがうとわかっているのに、離れた場所から見る二人は、恋人同士に見えた。
 瑞花祭の夜、白と金の装飾を飾った街に、若い男女が並ぶだけでそう思えてしまう。
 尊と自分も、周りからそのように見えるだろうか。

 暫く街を散策したあと、尊との待ち合わせ場所に行くと、まだ彼はいなかった。
 いつも待ち合わせ時間の十分前には必ずいるのにと、首を傾げる。

(仕事が長引いているのかしら?)

 椿姫はそんなこともあるかと、あまり気にせずに大きな時計台を見上げて待った。
 じっと時計を見詰めて、待ち合わせ時間ちょうどになっても、尊はやって来ない。

 尊が遅刻するなど、今まで一度もなかった。
 椿姫は辺りを見渡して、灰色の髪を、黒い制服を探すけれど、一人とてそのような人はいなかった。

 人が増え続け、さらに街が賑わいを見せる。
 陽が暮れて、電灯の明かりが一斉に点いた時、夜を照らす神秘的な光景に人々は歓声を上げた。

 美しい街並みに心が踊るはずが、椿姫は時計ばかりを気にしてそれどころではなかった。

 約束の時間からおよそ三十分が経った頃、ちらちらと白い雪が降り始めた。

「雪……」

 舞い降りるような、緩やかな降雪だった。
 それでもじっと立っていると足の底から冷えてきて、椿姫は身震いをした。
 どうして尊は来ないのだろうと考えるが、彼が意図的に約束を破る人ではないと知っている。
 仕事上の問題が発生したのかもしれない。
 来る途中、事故に遭った可能性もある。

 椿姫はせめて屋根のある場所に移動すべきか悩んだが、来てくれた尊と入れ違いになってしまったらいけないと、結局動けなかった。

 目の前を、何組もの恋人たちが通りすぎていった。
 誰も彼も幸せそうに笑っていた。

 時計台を見上げることを止めて俯いていると、周りの群衆がどよめいて、思わず顔を上げる。
 雪が降る夜空に、何かが飛び上がると、宙をくるりと一回転して輝く粉を飛翔させた。

「雪花火だ!」

 どこかで、子どもが言った。

 その一匹に続いて、二匹、三匹、四匹と多くの雪白蝶が連なって空を舞っていった。
 羽ばたく度に、白い光の粉が暗い空を輝かせる。
 みるみるうちに雪白蝶は群れとなり、夜空を泳いだ。

 幾度も形を変え、場所を変え、大群で純白の花火を描く。
 涼やかで儚い羽音が、より一層幻想的な花火にしていた
 星よりも力強く、月よりも美しく、この世界を魅了した。

「綺麗……」

「まさか雪花火を見られるなんて」

「今年は運が良いな」

 世界が止まったかのように、人々は空をじっと見上げて、感嘆の声を漏らす。

 美しい。言葉にならないほど、素敵な眺めだった。
 それなのに、椿姫の心は雪花火を見つめても、何故か少しも動かなかった。
 あれほど見たかった、貴重な雪花火。
 寒くて、心細くて、それに感動できる隙間がもう残っていなかった。

 人々が雪花火を見上げる中、ただ一人だけ、赤い頭が俯いた。
 その時だった。

「……」

 頭に降りかかる雪が止み、大きな陰が射した。
 誰かが傘を差してくれたのだと気付いて、椿姫の萎れかけた気持ちが、ふっと軽くなった。

「みこ――」

 強張っていた頬がゆるみ、堪らず振り返った。

「――……と……」

 しかし、口にした大好きな名前は、力なく、空に消えた。

 傘をこちらへ差し出し、見下ろすのは、空色の双眸だった。
 溺れた海の色ではなかった。

「……芽以(めい)……」

 軍服姿で腰に刀を提げて、椿姫を伺うような眼差しの芽以が、そこにいた。