島にあるのは、白い社殿と、緑豊かな森と海だけだった。
「着きましたよ」
船員の声に、美嶺は小さく頷く。
黄金色の髪が、潮風に攫われて靡いた。
「ありがとう」
荷物を持ち、ゆっくりと船を降りた瞬間だった。
「お待ちしておりました」
落ち着いた男の声が聞こえた。
顔を上げると、そこには一人の男が立っていた。
黒い制服に、整えられた灰色の髪。
縁のない眼鏡を掛け、背筋は定規でも入っているかのように真っ直ぐだった。
男は美嶺の前で静かに一礼する。
「私が白律庁局長の、仁々樹尊と申します」
礼儀正しく、だがどこか事務的に。
感情を挟まない声音だった。
「帰島までの間、我が機関が日輪殿の御身をお預かりいたします」
眼鏡の奥の双眸は鋭い。
まるで人を見るのではなく、観察しているような目だった。
美嶺は一瞬だけ瞬きをする。
(神経質そうな人)
それが第一印象だった。
そして尊もまた、美嶺を静かに見ていた。
太陽の光を受けて輝く黄金色の髪。
同じ色の瞳。健康的な白い肌。
神秘性すら感じさせる容姿は、まさしく太陽を祀る宗家の娘だった。
「……カンナギ島宗家の日輪美嶺」
美嶺も簡潔に名乗る。
「今日からお世話になります」
そう言って、じっと相手の為人を探るようで、少々不躾に映っただろう。
それすらも、尊は事務的に受け流して頷いた。
「よろしくお願いいたします」
十八歳、生まれて初めて生まれ育った島から出た日の朝のことだった。
◆ ◆ ◆
その日の昼過ぎの幽泉堂。
昼の営業は落ち着きはじめ、咲樂は帳場に座り、汐が隣で宿帳整理をしていた時だった。引き戸が勢いよく開く。
ばんっ、と大きな音が響いた。
「咲樂ぁ! 汐ーっ!」
帳場のみならず、その奥の食堂や厨房にも声が響き渡る。
大きな声に驚いて一瞬固まった咲樂とちがい、汐が白々しく顔を上げた。
「おや」
見慣れた少女が飛び込んできた。
「椿姫」
その名の通りの深い赤色の髪が挙動と共に揺れる。
「聞いてちょうだい!」
すっかり耳慣れた台詞に、咲樂が目を瞬かせた。
「どうしたの?」
「──尊が知らない女の子と一緒にいたの!」
小さな鞄の肩紐をぎゅっと握り締めて、椿姫は随分ショックを受けた表情で帳場机に身を乗り出す。
尊。
その名を聞き、すぐにあの黒い制服と眼鏡が頭に浮かんだ。
「私どうしようって思ってね! 一緒にお昼食べようって誘ったのに!」
一呼吸。
「その子とお散歩してるから!」
彼女の迫真な表情に汐も咲樂も数秒黙った。
そして、先に咲樂が吹き出した。
「ふふっ」
「えっ、わ、笑い事じゃないわ!」
椿姫は本気だった。それが余計におかしくて、汐も思わず小さく吹き出した。
「椿姫」
「なに?」
「それ、尊、仕事じゃないかな」
「そうなの? でも、尊が好きそうな女の子だったのよ?」
真顔だった。
歩く堅物と名高い男の“好きそうな女の子”という言葉が面白くて、汐はとうとう「あっはっはっ」と笑ってしまう。
その時、溜息が聞こえた。
「……だから言っただろう」
次いで、温度のない声。
幽泉堂の正面玄関に尊《みこと》が入ってきた。
その隣には、太陽の色の巫女装束を纏う少女が立っている。
そして少女は、椿姫を平坦な眼差しで見ていた。
(……何なの、この人)
美嶺の初対面の感想だった。
「はっ……! 尊、そ、その子と、どっどういう関係なの……!」
尊のこめかみに薄く青筋が浮く。
「椿姫……仕事で案内をしているだけだ。彼女に失礼だからやめろ」
低く抑えた声には、諫める色が滲んでいたが、椿姫はまるで堪えていない。
「だってぇ!」
両の拳を悔しげに振りながら、不満げな声を上げる。
「一緒にお昼食べようって誘ったのに、他の女の子といるから私……」
尊が深いため息を吐く。
その間も、美嶺は黄金の瞳で椿姫を見つめたまま固まっていた。
(……頭が悪そうね)
思わずそんな感想が浮かぶ。
もちろん口には出さないが、正直な第一印象だった。
「……私もここにいていい?」
当の椿姫はそんなことなど気にも留めず、期待に満ちた目で尋ねた。
仕事だと言ったのに、何故その質問ができるのか、甚だ疑問しかない。
「駄目だ」
一秒の迷いも即答に、「えぇっ!?」っと椿姫が大袈裟に肩を落とす。
しかし、その横から意外な声が上がった。
「別に構わないわよ」
美嶺だ。
尊が眉をひそめるが、彼女は特に気にした様子もなく続けた。
「いてもいなくても変わらないもの」
さらりと言い切るが、悪意はない。
椿姫は一瞬きょとんとして、小鹿のような大きな目をぱちぱちとさせる。
次の瞬間。
「あら!?」
ぱっと目を見開き、美嶺の顔を覗き込んだ。
「ねぇあなた、お化粧品なに使ってるの!?」
美嶺が固まる。
「どうしてこんなにお肌がピカピカなの? 髪の毛もつやつや……!」
椿姫はまるで宝石でも発見したかのような顔で、黄金の髪を見つめる。
透き通るような肌を見つめ、次は視線が下へ移った。
「そ、それに腕も脚も長い……!」
「なっ、なに!?」
美嶺は慌てて一歩後ずさった。
こんな風に畏れもなく、純粋な興味だけで詰め寄られたことは一度もない。
椿姫がさらに近付こうとするものだから、尊は額を押さえた。
「椿姫……」
呆れと疲労が滲んだ声で、本日何度目か分からない名を呼んで止める。
「この方はカンナギ島の宗家の方だ。失礼なことをするな」
そしてすぐに美嶺へ向き直る。
「申し訳ありません、日輪殿。ご無礼をお許しください」
「……いえ」
美嶺はまだ若干警戒したまま答えると、椿姫が懲りずにしょんぼりした顔で口を開く。
「で、でもでも……あとでお話できる?」
美嶺の美容の秘訣をどうしても聞きたいらしい。
しかし尊は容赦がない。
「無理だ。立て込んでいる」
きっぱりと切り捨てた。
「……そうなの」
椿姫は目に見えてしゅんとして、肩を落とした。
耳があれば垂れていたかもしれない。
用心すべき相手なのかどうか、まだ判断がつかないが、わざわざ気に掛けるほどの相手でもないと、美嶺は彼女を一瞥して、帳場へ視線を移した。
ひと際目を引く桃色の女の横に、静かに立つ、夜を切り取ったような男。
美嶺の鋭い視線を敏感に察知して、彼はすぐに、こちらを見てただ微笑んだ。
お手本じみた微笑は柔らかく、人好きするものだけれど、美嶺はすぐにその奥にある警戒心を見抜いた。
それでも、美嶺には関係ない。
「──あなたが薬師地区の、元宗家嫡子?」
単刀直入な質問に、汐は一瞬呆気にとられるが、すぐになんでもない顔をした。
「ええ、今は地下の与太者《よたもの》ですが」
言葉の割に、随分と優雅な口調だ。
「そう。今の宗家よりも、あなたの方が神楽に詳しいって局長に聞いたわ。時間をとらせて申し訳ないけど、教えてもらいたいの」
宗家や神楽の話題を出されたからか、汐は、一切の無駄口を叩かない尊を横目でほんの少し、恨みがましそうに睨んだ。
だがしかし、友人の頼みを無下に断るわけにもいかないと考えたのだろうか。
ふっと息をつくと、幽泉堂の店主然とした穏やかさで「こちらへどうぞ」と、羽織りの裾を翻した。
「着きましたよ」
船員の声に、美嶺は小さく頷く。
黄金色の髪が、潮風に攫われて靡いた。
「ありがとう」
荷物を持ち、ゆっくりと船を降りた瞬間だった。
「お待ちしておりました」
落ち着いた男の声が聞こえた。
顔を上げると、そこには一人の男が立っていた。
黒い制服に、整えられた灰色の髪。
縁のない眼鏡を掛け、背筋は定規でも入っているかのように真っ直ぐだった。
男は美嶺の前で静かに一礼する。
「私が白律庁局長の、仁々樹尊と申します」
礼儀正しく、だがどこか事務的に。
感情を挟まない声音だった。
「帰島までの間、我が機関が日輪殿の御身をお預かりいたします」
眼鏡の奥の双眸は鋭い。
まるで人を見るのではなく、観察しているような目だった。
美嶺は一瞬だけ瞬きをする。
(神経質そうな人)
それが第一印象だった。
そして尊もまた、美嶺を静かに見ていた。
太陽の光を受けて輝く黄金色の髪。
同じ色の瞳。健康的な白い肌。
神秘性すら感じさせる容姿は、まさしく太陽を祀る宗家の娘だった。
「……カンナギ島宗家の日輪美嶺」
美嶺も簡潔に名乗る。
「今日からお世話になります」
そう言って、じっと相手の為人を探るようで、少々不躾に映っただろう。
それすらも、尊は事務的に受け流して頷いた。
「よろしくお願いいたします」
十八歳、生まれて初めて生まれ育った島から出た日の朝のことだった。
◆ ◆ ◆
その日の昼過ぎの幽泉堂。
昼の営業は落ち着きはじめ、咲樂は帳場に座り、汐が隣で宿帳整理をしていた時だった。引き戸が勢いよく開く。
ばんっ、と大きな音が響いた。
「咲樂ぁ! 汐ーっ!」
帳場のみならず、その奥の食堂や厨房にも声が響き渡る。
大きな声に驚いて一瞬固まった咲樂とちがい、汐が白々しく顔を上げた。
「おや」
見慣れた少女が飛び込んできた。
「椿姫」
その名の通りの深い赤色の髪が挙動と共に揺れる。
「聞いてちょうだい!」
すっかり耳慣れた台詞に、咲樂が目を瞬かせた。
「どうしたの?」
「──尊が知らない女の子と一緒にいたの!」
小さな鞄の肩紐をぎゅっと握り締めて、椿姫は随分ショックを受けた表情で帳場机に身を乗り出す。
尊。
その名を聞き、すぐにあの黒い制服と眼鏡が頭に浮かんだ。
「私どうしようって思ってね! 一緒にお昼食べようって誘ったのに!」
一呼吸。
「その子とお散歩してるから!」
彼女の迫真な表情に汐も咲樂も数秒黙った。
そして、先に咲樂が吹き出した。
「ふふっ」
「えっ、わ、笑い事じゃないわ!」
椿姫は本気だった。それが余計におかしくて、汐も思わず小さく吹き出した。
「椿姫」
「なに?」
「それ、尊、仕事じゃないかな」
「そうなの? でも、尊が好きそうな女の子だったのよ?」
真顔だった。
歩く堅物と名高い男の“好きそうな女の子”という言葉が面白くて、汐はとうとう「あっはっはっ」と笑ってしまう。
その時、溜息が聞こえた。
「……だから言っただろう」
次いで、温度のない声。
幽泉堂の正面玄関に尊《みこと》が入ってきた。
その隣には、太陽の色の巫女装束を纏う少女が立っている。
そして少女は、椿姫を平坦な眼差しで見ていた。
(……何なの、この人)
美嶺の初対面の感想だった。
「はっ……! 尊、そ、その子と、どっどういう関係なの……!」
尊のこめかみに薄く青筋が浮く。
「椿姫……仕事で案内をしているだけだ。彼女に失礼だからやめろ」
低く抑えた声には、諫める色が滲んでいたが、椿姫はまるで堪えていない。
「だってぇ!」
両の拳を悔しげに振りながら、不満げな声を上げる。
「一緒にお昼食べようって誘ったのに、他の女の子といるから私……」
尊が深いため息を吐く。
その間も、美嶺は黄金の瞳で椿姫を見つめたまま固まっていた。
(……頭が悪そうね)
思わずそんな感想が浮かぶ。
もちろん口には出さないが、正直な第一印象だった。
「……私もここにいていい?」
当の椿姫はそんなことなど気にも留めず、期待に満ちた目で尋ねた。
仕事だと言ったのに、何故その質問ができるのか、甚だ疑問しかない。
「駄目だ」
一秒の迷いも即答に、「えぇっ!?」っと椿姫が大袈裟に肩を落とす。
しかし、その横から意外な声が上がった。
「別に構わないわよ」
美嶺だ。
尊が眉をひそめるが、彼女は特に気にした様子もなく続けた。
「いてもいなくても変わらないもの」
さらりと言い切るが、悪意はない。
椿姫は一瞬きょとんとして、小鹿のような大きな目をぱちぱちとさせる。
次の瞬間。
「あら!?」
ぱっと目を見開き、美嶺の顔を覗き込んだ。
「ねぇあなた、お化粧品なに使ってるの!?」
美嶺が固まる。
「どうしてこんなにお肌がピカピカなの? 髪の毛もつやつや……!」
椿姫はまるで宝石でも発見したかのような顔で、黄金の髪を見つめる。
透き通るような肌を見つめ、次は視線が下へ移った。
「そ、それに腕も脚も長い……!」
「なっ、なに!?」
美嶺は慌てて一歩後ずさった。
こんな風に畏れもなく、純粋な興味だけで詰め寄られたことは一度もない。
椿姫がさらに近付こうとするものだから、尊は額を押さえた。
「椿姫……」
呆れと疲労が滲んだ声で、本日何度目か分からない名を呼んで止める。
「この方はカンナギ島の宗家の方だ。失礼なことをするな」
そしてすぐに美嶺へ向き直る。
「申し訳ありません、日輪殿。ご無礼をお許しください」
「……いえ」
美嶺はまだ若干警戒したまま答えると、椿姫が懲りずにしょんぼりした顔で口を開く。
「で、でもでも……あとでお話できる?」
美嶺の美容の秘訣をどうしても聞きたいらしい。
しかし尊は容赦がない。
「無理だ。立て込んでいる」
きっぱりと切り捨てた。
「……そうなの」
椿姫は目に見えてしゅんとして、肩を落とした。
耳があれば垂れていたかもしれない。
用心すべき相手なのかどうか、まだ判断がつかないが、わざわざ気に掛けるほどの相手でもないと、美嶺は彼女を一瞥して、帳場へ視線を移した。
ひと際目を引く桃色の女の横に、静かに立つ、夜を切り取ったような男。
美嶺の鋭い視線を敏感に察知して、彼はすぐに、こちらを見てただ微笑んだ。
お手本じみた微笑は柔らかく、人好きするものだけれど、美嶺はすぐにその奥にある警戒心を見抜いた。
それでも、美嶺には関係ない。
「──あなたが薬師地区の、元宗家嫡子?」
単刀直入な質問に、汐は一瞬呆気にとられるが、すぐになんでもない顔をした。
「ええ、今は地下の与太者《よたもの》ですが」
言葉の割に、随分と優雅な口調だ。
「そう。今の宗家よりも、あなたの方が神楽に詳しいって局長に聞いたわ。時間をとらせて申し訳ないけど、教えてもらいたいの」
宗家や神楽の話題を出されたからか、汐は、一切の無駄口を叩かない尊を横目でほんの少し、恨みがましそうに睨んだ。
だがしかし、友人の頼みを無下に断るわけにもいかないと考えたのだろうか。
ふっと息をつくと、幽泉堂の店主然とした穏やかさで「こちらへどうぞ」と、羽織りの裾を翻した。

