PANDORA・柩灯

 十二歳の時、初めて魂人(たまびと)を見た。

 蓮塔(れんとう)学院の入学式に父兄も連れず、一際体格のいい赤毛の少年が、皆の視線を集めていた。

 入学前から「魂人を入学させるなんてどういうことだ」と、約百年ぶりに柩地区の“地上戸籍試験”を合格した魂人――火々里(かがり)は、生徒と保護者の間で話題になっていた。

 通常、蓮塔学院は十二歳の男児が入学するものだが、火々里は二年遅れの十四歳で入学した。
 少年期の二歳という壁の分厚さは凄まじく、尊(みこと)だけではなく、新入生一同が火々里という、野生の虎みたいな男を見上げていた。

「……でっか」

 口をついて出た感想は、あまりにも稚拙だった。

 そして火々里と同時に、別の意味で注目を集めたのが、学院創立以来、初めての女子生徒・結衣(ゆい)の存在だ。

 見るからに頭が良さそうで品のある容貌は、人を寄せつけない防壁のようで、男子生徒たちは誰も話しかけなかった。

 しかし入学して一月が経ち、誰もが遠巻きにしていた二人に話しかけた者がいた。

 それが尊だった。

 魂人の火々里と、唯一の女子生徒の結衣は、他の追随を許さないほど優秀だった。
 座学、武道、どちらをとっても上位にいた。

『――すごいみこと! またゆうしょうよ!』

『――尊よりすごい人なんかいない。俺の憧れなんだ!』

 宗家の英才教育を受けてきたからこそ、優秀でいることが当たり前で、そうでなければならなかった。
 すごいと持て囃され、一番の数字を持ち続けた自分が、初めて追う側に回った瞬間だった。

 地下でろくな教育を受けなかったはずの魂人が、社会的地位が男より圧倒的に低い女が、“凄い奴”だったことが、どうしようもなく、嬉しかった。

 だからこそ、彼等との学院生活はこれまでの人生観をひっくり返すほど鮮烈で、楽しくて、生まれて初めての高揚感に満ちていた。

「柩地区は電気もねぇ、医療もねぇ、制度もねぇ、死体も野晒し。信じらんねぇくらい時代が遅れてるから、誰かがやんねぇと駄目だろ」

 未知の柩(ひつぎ)地区のことを教えてくれる火々里。

「女を虐げて悦に入る暇なんてないよ。外国みたいに、女性の社会進出をもっとやっていかなきゃ、この国に未来なんてないから」

 何にも臆することのない、先を見る目で語る結衣。
 二人に出会って、自分が求めていたものに気付いた。
 賞賛や名誉ではない。
 先頭を走りたい欲求など、なかった。
 肩を並べて歩ける人が、ずっと欲しかったのだ。


 春も、夏も、秋も、冬も、気付けば彼等と四年も一緒にいた。


「――ほら見てこれ、可愛い! 火々里、妹に買ってあげなよ」

「は? んな金ねぇよ」

 学院の帰り道、露店の簪を見て、結衣が足を止めた。
 藤色の清楚な小花と、白い石があしらわれた美しいものだ。

「そもそも何人妹がいんのか知ってんのか。弟も合わせりゃとんでもねぇ数の土産がいるんだよこっちは」

 火々里は本気で困った顔をしながら、律儀に答える。

「ふぅん? 火々里って案外真面目だよね。じゃんけんで勝った子にやるとかでもいいのに」

「火々里は公平なんだろ。贔屓とかはしない男だから」

「お前ら分かったような口きいてんなよ」

「ごめんごめん。医者になってからだね、お土産は」

 露店を一瞥し、また帰路に戻る瞬間、結衣を見る。
 優しげな眼差しが名残惜しそうに簪を見つめていた。


 いつものように火々里と共に結衣を駅に送る。
 揺れる黒髪の尾が見えなくなり二人して踵を返すが、尊は「用があるから」と片手を上げた。

「用? また春本(はるほん)でも拾いに行くのかよ」

 結衣がいなくなった途端、口の端を上げてにやにやする男に、呆れた視線を投げる。

「火々里と一緒にするな」

「たまたま土手に落ちてただけだろ。探してねぇよ。つうかお前だって読んだくせに」

「……まあ、それとこれは別だからな」

 かつては、とんでもなく凄い男だと尊敬していた。
 だがある日、土手で誰が捨てたかも分からない春本を、「やばいもん見つけたぞ!」と宝でも見つけたかのように持ってきたものだから、呆れや驚きを通り越して腹を抱えた。
 懐に入れば、火々里は世俗的で気安さを感じさせた。

「ただの買い物だよ。春本はもう面白くないからやめてくれ」

「はは。どうせあの簪買いに行くんだろ」

「……そうだけど」

 あっさりと言い当てられ「ちがう」と否定するのもどうなのだろうと思い、素直に頷く。

「お前、あいつと付き合ってからずっと浮かれてるよな」

「……」

 仕方ないだろうと、声を大にして言いたい気持ちと、そうだと堂々と自慢したい気持ちがせめぎ合う。
 結局無言のまま、肯定も否定も躱していると、火々里に意味深に頭を撫で回されたあと、背中を叩かれた。

「じゃあな」

「……ああ」

 関所へ向かう大きな背中を、見えなくなるまで見送ってから来た道を戻った。

 露店に並ぶ簪は決して高くはない、子どもでも買える値段だったが、色とりどりで綺麗なことにはかわりない。
 結衣が先程褒めていた藤色の簪を手に取り、財布を出そうとした時だった。
 瑠璃のような、鮮やかな青色に目を奪われる。
 本物に見える精巧な石と、雫を模したガラス細工。
 まさに結衣にぴったりだと思い、自然とそれにも手が伸びてしまった。

「……」

 藤色と青色。両手にあるものを見比べ、無言のまま、どれほど立ちすくんだか。

(結衣が欲しがってたのは藤色だけど……)

 簪をつけた結衣を想像してみる。

(……どっちもかなり似合う)

 数分間、迷いに迷って、ようやく尊は決心して簪を買った。
 今すぐに結衣が住まう薬師地区に持って行きたかったけれど、また明日だと我慢して、家路についた。


 鮮やかな夕焼けを眺めながら歩いて帰っていると、遠くから自分の名前を呼ぶ声がしてポケットに両手を突っ込んだまま振り向いた。

 小さな少女が、小さな犬と共に駆けてくる。

「尊〜!」

 一生懸命手足を動かして走っているけれど、如何せん足の遅さが致命的だ。
 案の定、更に後ろからやって来た制服の少年に追い抜かされて、彼が先に尊の元に着いてしまった。

「尊! 今帰りか!」

 まだ体よりも大きな蓮塔学院の制服を纏い、肩で息をしながら、芽以(めい)が笑った。

「ああ。芽以はまた椿姫(つばき)の散歩に付き合ってやってたのか?」

「うるさいから渋々だぞ」

 そんなことより! と興奮した様子で腕を引っ張られる。

「新しい刀を買ってもらったんだ! 俺だけの刀! 俺の好きな刀工に父上が頼んでくれて!」

「期末試験で三位に入ったらって、約束だったもんな」

「そうなんだ! 見せたいから、今度家に来てくれ」

 芽以は頬を染めて、今にも飛び跳ねそうになる体を必死に抑えている。
 “犬みたいだな”と、微笑ましい気持ちで聞いていると、もう一人の子犬がやっと追いついた。

「――もおっ! 芽以! どうして置いていくの!」

 芽以よりも息を乱した椿姫が、悔しそうに両手を握り、「もぉぉぉっ」と怒る。その額や頬には赤い髪が汗で張り付いている。

「ふん。鈍足が悪いんだろ。小梅も主人がこんなんで可哀想だな」

 椿姫の足元で「わんわん!」と本物の子犬が甲高く鳴いた。
 飼い主を彷彿とさせる深い赤色のリボンが、首元を可愛らしく飾っている。

「椿姫は、あっ、わ、私は、運動が苦手だから、おそくってもいいの! お母様もお父様も、足がおそいところもかわいいって、ほめてくれるもの!」
 
 怒り出すかと思いきや、椿姫は誇らしげに胸を張った。
 小さな体はまだふうふうと息を切らしており、尊は学生鞄から水筒を取り出して、蓋を開けた。

「ほら、水。汗だくだぞ」

「あ! お水飲みたかったの! ありがとう!」

 余程喉が乾いたのだろう。水を飲む様子でさえ全力で、なんだか無性に面白いのだ。
 尊は笑ってしまわないように頬の内側を噛み、走って乱れた髪の毛を軽く梳いて直してやる。

「最近二つに結ばなくなったな。下ろしてると邪魔だろ」

 椿姫は走り回り、飛び跳ね、身振り手振りが激しい。以前のように二つに結んだ方がいいはずなのに。
 すると椿姫が水筒から口を離して、歯を見せて笑った。
 最近片方の犬歯が抜けたらしく、ぽっかりと空洞がある。

「椿姫ね、お姉さんになろうと思って、くくらないことにしたの! どう? 大人っぽい?」

 背は尊の肩よりも低い。フリルをあしらったワンピースも、小さな赤い靴も、椿姫が大好きな“お姫様”らしいもので、お姉さんらしさは皆無だ。

「……そうだな。それなりに」

「ほんと!? えへへ、だと思った。尊のお嫁さんになる準備はいつだってできてるもの!」

 ご機嫌に一回転するものだから、首輪で繋がれた小梅も慌ただしく椿姫の周りを走る。
 そしてそれを見ていた芽以が、はっと鼻で嘲笑った。

「月島(つきしま)先輩が淑女なら、椿姫はちんちくりんの赤ん坊だから、尊の奥さんは無理だな」

 あ。と思う間もなく、無遠慮に投下された爆弾に、尊は頭を抱えそうになった。
 月島とは、結衣の名字だ。
 二学年下の芽以も、結衣のことを知っており、異様に評価している。「尊にぴったりの恋人」だと。
 小梅と共に回転していた椿姫は分かりやすく動きを止めて、それから大きく頬を膨らませた。
 大抵のことを言われても怒らないのに、この時だけはちがう。

「……帰る! 小梅、行くわよ!」

「わん! わんわんっ」

 椿姫は空っぽになった水筒を持ったまま、肩を怒らせて、尊と芽以の前を通り過ぎていく。
 首輪の紐を握る幼い手に、ぎゅっと力が入っていた。
 いつも通りに拗ねた態度に、芽以は動揺するわけでもなく、澄ました顔で、椿姫を追いかける尊の隣を歩いた。

「椿姫、帰るなら一緒じゃないと、ご両親に怒られるぞ」

 後ろから声をかける。

「私、一人で帰れるわ! 子どもあつかいしないで!」

 十一歳はどう考えても子どもなのだが、多感な時期の少女はどうしても背伸びをしたいのだろう。

「尊の浮気者! 将来、私と結婚するって言ってたのに!」

「親がな」

「お前と尊は釣り合わない」

 蓮塔(れんとう)地区の公家同士。
 一人娘の椿姫。
 嫡子ではない尊。
 仲の良い仁々樹(ににぎ)家と木花(このはな)家。
 母親同士の社交辞令か、ただの世間話の延長で、ぽっと出ただけの口約束だ。
 両家とも、本当に結婚するとは思っていない。
 それに尊自身、あまりにも幼い彼女が恋愛対象になるはずもなかった。
 
 結衣と出会わなかったとしても、変わらないだろう。

 五歩くらい前を歩きながら怒り続ける椿姫を諦めて、芽以と話しながら後ろを歩いた。
 そして山染(やまぞめ)地区方面へ芽以が分かれ、二人きりになった途端だった。
 怒っていたはずの椿姫が尊の隣にやってきて、ぎゅっと腕に抱き着いてきた。

「……歩きづらいんだけど」

「だめ! こうするの!」

「水筒、こっちにしまうから」

 預かり、学生鞄に入れる。
 横目で見下ろせば、膨らんだ丸い頬が見えた。饅頭みたいだなとは、さすがに言えなかった。

「……明後日の舞踊の稽古、俺も久しぶりに行く予定なんだ」

 しかし、たったこの言葉だけで、椿姫は顔を上げ、大きな目を輝かせた。

「ほんと!? 一緒にお稽古できるの!?」

「そうだな。たまに行っておかないと忘れるから」

「やったぁ! 椿姫、お饅頭もっていくわ! しかたないから、芽以の分も用意してあげる!」

 腕にしがみついたまま飛び跳ねて歩かれ、体が激しく揺さぶられた。
 そのまま鼻歌まで歌い始めて、すっかり機嫌はなおったらしい。

(相変わらず、音痴だな)

 音が外れた陽気な調(しらべ)が可笑しくて、つい尊の頬が緩んだ。
 木花(このはな)家まで椿姫を送り届け、自分の家に帰る頃には、日は暮れていた。


 玄関に入ると、道着姿で木刀を持った弟と目が合う。
 頭から水を被ったように汗で濡れていた。
 学院から帰り、すぐに道場に籠っていたのだろう。

「……ただいま」

 靴を脱ぎながら小さく言うが、今日も変わらず「おかえり」は返ってこない。

「また魂人(たまびと)と、女と遊んでたのか」

 二人の間に壁を築くように、惺(あかり)の視線が逸らされる。
 不愉快さを滲ませる声は、対話を望むものではなく、一方的な呟きに等しい。

「……こっちの気も知らないで……跡継ぎじゃない兄さんが、呑気で羨ましいよ」

 尊が何かを言い返すことはない。
 一瞥すら寄越さず惺(あかり)は踵を返した。
 拒絶ですらない、侮蔑だ。
 若草色の瞳は、仄暗く、何の希望もなさそうに見えてしまった。
 計り知れないほどの重荷を背負った、自分よりも華奢な後ろ姿が、廊下の奥へと消えていく。

 尊は仁々樹家の長男なのに、言遣(ことつか)いの力を持たなかった。
 そのせいで惺(あかり)にのしかかった重責は、一体どれほどのものだろう。
 分かった気になってはいけない。

 自身の手のひらを見つめて握り締める。

 分かっていたはずなのに、二本の簪を入れた鞄が、急激に重くなるのを感じた。

「尊坊っちゃま。おかえりなさい」

 惺(あかり)と入れ替わるようにして、曲がり角から姿を現したのは、この家で働く女中長のハルヨだった。
 さきほどの会話を聞かれたかと思い、尊の顔が一瞬曇る。

「ただいま」

 上がり框(かまち)を越え、ハルヨが鞄を受け取ろうと両手を差し出すが、やんわりと断った。

「お夕飯、できてますよ」

「ありがとう。少しだけ体を動かしてから食べるよ」

「でしたら、道着のご準備をいたしますね」

 年齢と共に、どんどん小さくなっていくハルヨは、今や椿姫より僅かに大きいくらいになった。
 何でもやってもらえるのは有難かったけれど、もう少しゆっくりしていて欲しい。

「いや、いいよ。自分でやるから、婆やは好きに過ごしてくれ」

「お腹は空いていませんか? おにぎりでも持っていきますよ」

「本当に少しの時間だから平気だ、大丈夫」

 何でもかんでも世話を焼きたがるのは、彼女の勤勉さと、幼い頃から仁々樹家の面倒を見てきた母性からか。
 優しいハルヨは苦笑した尊に、目を細めて笑い皺を深くした。

 細く、枝みたいに頼りない両手が、しっかりと尊の右手をとった。
 何度もまめが潰れ、硬くなった手を。

「……婆やは、ちゃんと、見ていますよ」

 思わず、目を見開く。
 感情の揺れを気取らせないハルヨの穏やかな表情が、尊の心をゆっくりと撫でた。

「……うん、ありがとう」

 何も持たずに生まれたと言うには、あまりにも多くを与えられていた。
 けれど、特別な力を持って生まれたわけでもない。

 それでも特別なようで、特別ではなかった自分の人生を変えていけるのは、自分しかいないのだと、今日も尊は俯かずに奮い立つ。

 青く、拙く、ひたむきに。